惻隠の情   作:坂口

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18話 幽々たる舞鶴の灰桜(5)

 熱を持った海面が上昇気流を生み出したのか、ポツポツと小粒の雨が降り始める。獅子奮迅の活躍を見せ、息は上がり、戦禍によって傷ついたその身体を鎮めるには丁度良い天候となったが、彼女達のその表情に喜びは見られず、皆、沈痛の面持ちで黒煙の晴れぬ水平線に黙祷を捧げていた。

 否、声が漏れ出ている。電や雷は間断(かんだん)なく涙を流し、睦月型もその嗚咽を止める事が出来ない。

 そのような彼女達を優しく受け止める鳳翔の姿は、埠頭の上には無い。

 鳳翔だけでは無い、水無月、長月、菊月、望月の姿も見えない。

 辛うじて生き抜いた彼女達の脳裏に浮かぶは、今までの楽しかった日常であろう。しかし、彼女達は艦娘なのだ。いつの日か予期せぬ別れが来る事は覚悟していただろう。しかし、だからといって胸に浮かぶ辛さに目を背けられるほど大人では無かった。

 

「…………気が済んだら休め。日はまた昇る」

「………………?!」

 

 鬼島の呟きに、天龍が反射的にその胸倉を掴む。

 しかし、その手はすぐに緩められ、鬼島は解放された。

 

「……あんたも辛いんだよな。わりぃ……」

「いや、言葉足らずだった」

 

 艦娘達の様子を見守っていた鬼島が身体の向きを変え、鎮守府の方へ歩きを進めようとした。

 その時、足は止まる。

 

「ご、ごめんなさい提督! 私が…………睦月が資材を貰えなかったから!」

「司令官、悪いのは私なんです! 睦月ちゃんは必死に頭を下げていたのに…………私も、もっと頼み込めば……」

「気にするな」

 

 睦月も如月も、目に涙を浮かべ、必死に耐えていた。

 既に舞鶴鎮守府に備蓄していた資材は底を尽き、打つ手は無かった。

 鬼島は静かにその場から離れ、鎮守府へ向かう。すでに全身が雨で湿っており、不愉快な湿度が鬼島の身体を覆っていた。

 

 

 

 

 執務室へ入った鬼島は扉の鍵を締め、疲れた様に上着を脱ぎ捨て、忌々しそうに目の前の執務机を蹴り飛ばす。華奢ではあるが、軍学校を卒業しただけの体躯は維持していた。鈍い音を響かせ、僅かに動いたそれに鬱憤が晴れたのか、鬼島が追撃をする事は無かった。

 執務机にそのまま腰掛けた鬼島は、顔を両手で覆う。鬼島の脳裏に浮かぶのは、己の立てた戦略についてだった。

 

 加賀と瑞鶴。彼女達がいれば被害は出なかった。燃料や弾薬、高速修復剤があれば、被害は最小限に抑えられた。結果として舞鶴鎮守府が失った艦娘は五艦。戦場の規模や横須賀鎮守府の件を考えれば十分すぎるほどに上々な戦果なのは言うまでもないのだが、それでも鬼島は許せなかった。

 そもそも横須賀鎮守府の一件も、自分が指揮を執っていればあのような惨事になっていなかったはずだと、鬼島稔は確信していた。

 いくら己が努力しようと、結果が実らない。日本国に安寧(あんねい)の日々が訪れない。この現実に、ついに鬼島は直面してしまった。

 

 沈黙が続いた。

 数秒、数分、数時間。夜も深まり、丑三つ時。

 泣き疲れた艦娘達も眠っているであろうその時間に、鬼島はようやく呻き声を漏らし始める。口から漏れるのは、嗚咽か笑いか、区別が付かない。しかし、鬼島は完全にブチ切れていた。常に冷静沈着な男がようやく外に爆発させた感情は、喜でも哀でも楽でも無かった。純粋な怒りが鬼島の胸に宿り、その身体に燃え広がっていったのだ。

 鬼島は毒づく。本心を隠す気は、既に無くなっていた。

 

 兵器は海上にて敵を殲滅させる道具にすぎぬ。個人の防衛を務めさせるなど、言語道断。

 横須賀の栄光の為に資材は備蓄する? ふざけるな、資材は使ってナンボだろう。

 貯めこんで腐らせ、何に繋がるというのだ。

 私が理論的に筋道を立ててやっても、馬鹿どもはその本質にも気付かない。

 無能に消耗される人生は、もう十分であろう。

 

 クソが、クソが、と悪言を吐き捨て、不意に咆哮する鬼島の身体は突然ピタリと止まり、口元から笑い声が生み出される。両手で髪をかき上げた鬼島の瞳は爛々と輝いており、獲物を狙う猛禽類の様に鋭さを見せている。

 

 ――――もはや、誰の力も借りん

 ――――舞鶴だけの戦力で、深海棲艦をぶっ潰してやる

 

 吹っ切れたように、壊れたように笑い続ける鬼島稔。

 その声は一晩中続き、疲労から深く眠る艦娘たちに気付かれぬまま、舞鶴鎮守府の中に響き渡っていたのだった。

 

 そして、明朝。不在の加賀の代わりに秘書艦を勤めようと執務室に顔を出した長門が見たのは、変わり果てた鬼島稔の姿であった。

 長門は動揺し、目の前の現実から目を背ける事にした。特に用がない事を告げると、退室し、すぐさま艦娘たちに連絡網にて食堂に集まる事を指示する。寝ぼけ眼だった艦娘は長門の緊迫した様子に緊張感を高め、朝の準備もそこそこに、食堂へと(かい)したのであった。

 

 

 

 

 急いで食堂に集まった艦娘たちの目に映ったのは、長門と鬼島が朝食を食べている姿であった。テーブルの上にはご飯と味噌汁、簡素なものではあったがサラダと焼き魚も置いてあった。

 

「ん、早いな。本日は特別に予定も無いはずだ、もう少し寝てても良かったんだぞ?」

 

 鬼島稔が親し気に話し掛けてきた。

 只事では無い様子の鬼島に、艦娘は互いに顔を見合わせる。暁が代表して長門の方に視線を向けると、長門は複雑そうな顔をしながらも食事の手を止める事はしない。この場に集まった艦娘の頭に、疑問符が浮かぶ。彼女達の共通認識は『鬼島提督が何かおかしい』であった。

 

「……昨晩はご苦労だった。辛い事も多かったはずだ。(ひとえ)に、私の実力不足が原因だ。皆、許してほしい」

 

 鬼島が食事の手を止め、その場に立ち上がり、食堂の入り口にて戸惑っていた艦娘たちに謝罪を口にしながら一礼する。

 その時、雷が鬼島稔に駆け寄り、抱き着いた。身長差がある為、腹にボフッと頭を埋める事になるのだが、お互いに気にする様子も無い。

 

「司令官は何も悪くないわ! そうやって一人で溜め込まないでよ!」

 

 雷の言葉に鬼島は静かに「そうか」と呟くと、(いつく)しむような表情で雷の頭を撫で始める。続けるように「雷、ありがとう」と言葉を繋げ「軽空母は私の威信に懸けて、絶対に建造してみせる」という言葉で締めくくる。その言葉を聞いた雷は、更に鬼島を強く抱きしめる。そして、鬼島の言葉から鳳翔と再び出会える未来を思い描いた暁、響、電が後に続くように鬼島に突撃していった。

 

「…………長門、オレには良く分かんねーけど、良い方に風が吹いてるんじゃねーか?」

「…………そうだな。ふふっ、動揺して皆を叩き起こしてしまった自分が恥ずかしい。提督を色眼鏡で見ていたのは、私の失態だ」

 

 鬼島稔の様子に、彼女達は悟った。昨晩の大戦で苦しみ、傷付いた彼なりの出した答えが、こうなのだろうと。艦娘達の胸に常に秘められていた『提督との距離感』を感じてくれたのかどうかは定かではないが、手を差し伸べてくれたのだろう、と。

 

「私も、お腹空いた。司令官、私たちの朝食はあるの?」

「ああ、弥生は大盛で良いか? 厨房に準備してある。鳳翔のように美味くはないだろうが、せっかくだし作ってみたのだ。遠慮しないで、食べてくれ」

 

 言葉通りに弥生が厨房へ向かう。鬼島も続き、引き摺られるように暁型四艦も随伴する。

 鬼島の様子に戸惑ったのは最初だけであった、徐々に楽し気な空気が生まれ、皆の顔に笑顔が作られる。昨晩起こった大規模な防衛戦での被害は大きく、彼女達の心に大きな傷を残しかねない一夜であった。しかし、彼女達は強く前を向き、過去に囚われず、未来への道を鬼島と共に歩く事に決めたようであった。

 

 

 

 

「……執務室に集まってもらって感謝する。今、舞鶴鎮守府は窮地に立たされている。…………資材が圧倒的に不足しているのだ。他の鎮守府や事業所から配分してもらえれば助かるのだが、それは期待が出来ない。そもそも、私が佐世保の為に呉鎮守府へ資材を納品していたんだ。このままでは、舞鶴鎮守府、いや、日本各地の同胞たちが苦しむ事になってしまうのだ。深海棲艦がいつ来るかも分からん。だからこそ、限られた機会に……」

「おいおい、今までとは正反対によく喋るじゃねーか! つまり提督はこう言いたいんだろ? オレ達に、資材を集めて来て欲しいんだろ?」

 

 鬼島の言葉をぶった切って、笑いながら天龍が口を挟む。隣に立っている長門が驚いた顔で天龍を見るのだが、鬼島も天龍も互いに笑い合うだけであった。鬼島の話を天龍が一言でまとめてくれたおかげで、駆逐艦たちにも鬼島の目的が伝わったようであった。

 

「司令官には今までたくさん助けてもらったわ! それなら、お返しをするのがレディーとして当然よね!」

「うーちゃん、悲しくないぴょん! 資材をい~っぱい集めれば、しれいかんが皆を建造してくれるって、信じてるぴょん!」

「そうだね。皆で協力すれば、鳳翔さんだけじゃない。水無月さん、長月さん、菊月さん、望月さんと、再び会えるんだ」

「響ちゃん嬉しそうなのです。でも、そうなったら電も嬉しいのです!」

「ボクたちの力不足で、司令官に辛い思いをさせてしまった。だから、頑張るしかないよね!」

「皐月ちゃん…………。うふふっ、一緒に頑張りましょう♪」

 

 執務室に明るい声が響き、皆の身体に活力が(みなぎ)ってくる。

 今までは提督と艦娘の関係性は互いに一方通行だったようにも見えた。しかし、鬼島稔が歩み寄った事で、互いの壁が無くなったのかもしれない。

 

「だが、無理だけはするな。入渠施設に使える燃料も、高速修復剤もほとんど無い。これ以上、皆の身体が傷つくのを、黙って見ていられるほど……」

「ごちゃごちゃうっせーぞ提督! 細かい事は気にしねーで、全部オレに任せれば良いんだよ! どうだ? 長期遠征でも何でも行ってやるぜ!」

「ふふっ、そんな身体で遠征に行けるのか? そのような重要な任務は、ビッグセブンであるこの私に任せても良いのだぞ?」

「天龍も長門もすまない。だが…………そうだな。遠征には天龍に頼みたい。編成は私が組む。そして長門、君も二艦編成で海域を回って欲しい。秘書艦もこんな状態だ、必要ないだろう。言うまでもないが、疲れたらすぐにでも休んでくれ。今の状態で中破以上してみろ、苦しい思いをしてしまう君たちに、何も出来ない私の不甲斐なさが…………」

「だからごちゃごちゃうっせー!!!!」

 

 天龍のツッコミに、執務室から笑い声が広がった。

 

「これだけは覚えておいてほしい。横須賀鎮守府は大乱によって資材が枯渇している。私たちも、それは同じだ。一つの可能性だが、深海棲艦も私達に討たれ、組織の立て直しを図っているはずだ。そして、海域は一つに繋がっている」

 

 鬼島の真剣な言葉に、場に緊張が走る。

 そして、鬼島が言わんとしている事を察した卯月が焦ったように言葉を発した。

 

「早い者勝ちって事ぴょん?! 急がないと、皆に会えなくなっちゃうぴょん!」

 

 卯月の答えに鬼島は静かに頷いた。

 この答えを目の前にし、艦娘の心に浮かぶのは焦りである。特に暁、響、雷、電の心中は穏やかでは無い。鳳翔を建造するのには多くの資材が必要となる。のんびり資材を探しているわけにはいかないのだ。

 この日から艦娘たちは、舞鶴鎮守府の為、鬼島稔の為、そして他でもない仲間の為に、任務に対して熱心に当たった。西日本海域にて深海棲艦を退けたとは言え、深海棲艦が全滅したわけでは無い。しかし、深海棲艦が潜んでいそうな深い海域を避ければ、そこまで危険な任務にはならなかった。

 長門は暁、響、雷、電の四人とローテーションして、二艦編成と言う形で資材を集め回った。残りの三艦も一組になり、長門艦隊に続くように資材を集め回る。彼女達はカレー洋を往復し、各々が用意したドラム缶が一杯になるまで、鎮守府に帰還する事はしなかった。

 そして、睦月が旗艦を務め、皐月、文月の三艦編成と、三日月が旗艦を務めた、如月、卯月の三艦編成は、南西諸島近海にて、同じようにドラム缶一杯の資材を求めて出撃をしたのであった。

 天龍と弥生の二人は、長期遠征の任務が与えられた。近隣の海域の安全性を確認しつつ、資源国からの輸送部隊の護衛も担当した。深海棲艦が現れたら数や位置をしっかりと確認し、鬼島に伝えるという、練度の高い天龍に相応しい任務であった。




ver1.01 2019/08/21
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