惻隠の情   作:坂口

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22話 港湾棲姫と間宮さん(3)

 厨房にて水の流れる音と硬質なモノがぶつかり合うカチャカチャとした音が聞こえてくる。間宮が昼食後の洗い物をしており、隣では港湾棲姫が布巾(ふきん)で洗い物の水気を拭き取っていた。

 

 港湾棲姫が無計画に積み上げていく皿の隙間から、食堂の入り口が見える。そこには、扉の陰に隠れる様に、二人の人影がチラチラと見え隠れしていた。間宮も港湾棲姫も気付く様子はない。

 

「…………! 恐ろしい真実に気付いたっぽい! 積み木の様に積まれた鎮守府の備品である大皿小皿……。きっと、あの港湾棲姫は最後にそれを崩して、間宮さんの表情を凍り付かせるに違いないっぽい! そして、食事を盛り付けるお皿が無くなった夕立達のモチベーションは低下して…………横須賀鎮守府は崩壊に向かうっぽい…………!!!」

 

 顔面蒼白となった夕立の口から漏れたそれは、無上(むじょう)の緊張感を孕んでいた。わなわなと震えだす夕立の隣でしゃがんでいた青葉は、額に浮かぶ汗を拭いながら、手に持った写真機(カメラ)をしっかりと構える。

 

「ふ、ふふふ。ジャーナリストとして、その凶行(きょうこう)の証拠をしっかりと収めてやりますよ…………! しょ、証拠さえあれば、大本営も動かざるを得ないですよね。ふ、ふふふ……ふふふ! 横須賀鎮守府の平穏は、青葉が守って見せます! そして、司令官と………うふ、うふふ……」

 

 青葉が何やら興奮したような面持ちで、写真機(カメラ)のシャッターを切る。

 カシャ、カシャと音が鳴ると同時に、小さな蛍光が発せられた。夕立は己が想像する恐怖心と必死に戦っており、青葉は撮影に夢中になっている。写真機(カメラ)から発せられた光に気付く者はいない。

 

 その時、タイミングが重なった。

 港湾棲姫が無造作に置いた皿に、青葉が持った写真機(カメラ)から発せられた蛍光が反射した。光は港湾棲姫の目に入り、港湾棲姫は眩しそうにクシクシと右目を擦った。

 

「…………?」

「どうかしましたか?」

 

 手に持った布巾を無造作に台に置いた港湾棲姫を不思議に思ったのか、間宮が声を掛ける。しかし、港湾棲姫は返事をしない。厨房から食堂に向かう港湾棲姫の足は、そのまま出入り口の扉に向かっていた。

 

 夕立と青葉の身体に緊張が走る。

 しかし、戦場では焦った艦娘から轟沈していくのだ。ピンチの時にチャンスありなのだ。冷静沈着を()とした二人は、そっと扉から離れる様に、身体を動かしていった。

 不幸にもその時、青葉の持っていた写真機(カメラ)が扉に当たり、「ガッ!」っと大きな物音を立ててしまった。もはや万事休すである。

 

「…………青葉ちゃんの事は忘れないっぽい! そのジャーナリズム精神を後世に残す為に、写真機(カメラ)は夕立に任せて欲しいっぽい! ソロモンの悪夢をあの(にっく)き港湾棲姫に味合わせて欲しいっぽい! ぽいぽいぽーいっ!!」

 

 反射的に立ち上がった夕立が、これから起こる惨状に腰を抜かして尻もちを着いた青葉の背中を、思いっきり食堂側へ押し出した。

 青葉に浮かんだ驚愕の表情を言葉で表すのは難しいだろう。その時の青葉の瞳に映ったのは、颯爽と廊下を走り去る、夕立の姿であった。

 

「ソロモン海域、青葉には関係ないんですけど!!?! この裏切り者~!!!!」

 

 青葉の叫びは無情にも、誰もいない廊下に響き渡った。

 そして、ついに観念した青葉が涙目で正面に向き直ると、目の前に港湾棲姫の顔があった。

 

「!!?!!?!」

 

 声にならない叫びを上げる青葉だったが、現実は無情である。恐怖心のあまり、彼女の身体はその場から動かす事が出来ない。そもそも恐怖心が無くとも、腰が抜けているので這いつくばる事しか彼女には出来ないのであったが。

その時、青葉が隠れていた食堂の扉を中心に少しずつ水たまりが広がっていった。港湾棲姫はその光景をぼんやりと見ており、叫び声を聞いた間宮が厨房から急ぎ足で出てくる。

 放心状態となっていた青葉だが、そんな青葉の雄姿を逃すまいと廊下の陰から必死に夕立が写真機(カメラ)のシャッターを切っていたのであった。

 夕立は知る由も無かった。己の背後には怒りの表情を隠した加賀が立っており、次の瞬間、重い拳骨が彼女の頭に降り注ぐ事を……。

 

 

 

 

 涙目の青葉を入渠施設に連れて行き、食堂に戻った間宮が見た光景は、品行方正な横須賀鎮守府に相応しくない、衝撃的な光景であった。食堂の机の下では何かを落としたのか、港湾棲姫が四つん這いになっていた。

 お尻を間宮に向ける姿勢となっていたのだが、これが良くなかった。

 港湾棲姫の服装は大きめなリブ生地の白いワンピースであり、それが彼女の太もも付近までカバーしている。

 

 

 その下には何も履いていなかった。

 

 

 間宮の頭があまりの光景に混乱し、慌てた様子で港湾棲姫の手を取り、廊下へ出て行った。早足の間宮に引っ張られる港湾棲姫の顔に浮かぶは、混乱の表情であった。そして、お馴染みの地下室までの階段に到着すれば、間宮は肩を怒らせ、ドスンドスンと階下へ降りて行った。

 

「申し訳ございませんが! 港湾棲姫さんの事でお話が!」

 

 間宮が地下牢に響き渡る声を発する。

 と、そこには牢屋に向かい合った加賀の姿があった。思い掛けない来客に、間宮はつい己の顔を赤く染める。淑女である間宮は、品位を損なってはいけないのだ。

 

「あら、間宮さん。こんな男におやつを持ってきてあげたんですか?」

「いえ……あの。……加賀さんは何をなさっているのでしょうか」

 

 間宮は加賀の方を見る。加賀は牢屋の前に立ち、鍵穴をガチャガチャと弄っている。牢屋の中の男はぼんやりとその様子を見つめており、つまり、いつも通りであった。

 

「提督からさきほど連絡が来たの。舞鶴での件は落着を迎えたので、こちらへ戻られるそうよ。伊丹元帥、岩井提督、鳴本提督、鬼島提督、吉田提督の五人と、秘書艦三人ですね。夕食には間に合わないかもしれないけど、日付が変わる前には戻って来られる予定らしいわ。夜食を用意してあげるのはどうかしら?」

「そうですか。…………それなら、軽食を御用意しとかないといけませんね」

「…………それで、この男の扱いは、客人と言う形に変更されました。港湾棲姫と同じ客間で…………」

「ダメです!!!」

 

 間宮の突然の大声に、加賀が驚きの表情を向ける。

 そして、少し遅れて港湾棲姫が牢屋の前に辿り着く。港湾棲姫は男に手を振り、男も返す様に、手を振った。

 

「……(なご)んでないで!!! ……そ、それで、あの、どういうつもりですか! あなたはどういうつもりなんですか!!!」

 

 間宮が怒った様子で牢屋に詰め寄る。男は彼女の意図が読めないのか、無表情を変えない。

 

「こ、港湾棲姫さんは、何で下着を履いていないんですか! …………スケベです!!!」

 

 間宮の大声が、再び地下牢に響き渡る。加賀は無表情で男に視線を向け、港湾棲姫は牢屋の前にしゃがみ込む。

 

「!!?! 港湾棲姫さん、そうやってしゃがんじゃ、ダメです! み、見えちゃいます!」

 

 間宮が慌てた様子で港湾棲姫を牢屋の前から動かそうとするが、港湾棲姫はビクリともせずに、男に視線を向けている。

 

「…………嫌がるんだよね。これが」

 

 男の言葉に、間宮の動きが止まる。

 

「ここに来る前に履いてた下着、どうした?」

「ステタ」

 

 男は静かに頷き、間宮が絶望した表情を浮かばせる。

 

「で、でも、港湾棲姫さんは恥ずかしくないんですか?! あなたも、港湾棲姫さんの事を思うなら…………」

「闇市で、女性の下着を購入したんだ。あの小さな布面積に、彼女の尻臀(しりこぶた)が入り切るとは思わなかったよ。案外、伸びるんだね」

「そんな話、聞きたくありません! それで?!」

「締め付けが嫌なのか、脱ぐんだよ。すぐ」

「…………港湾棲姫さん、下着、嫌なのかしら?」

「ナンカ、キツイ」

 

 間宮が腕を組みながら何かを考える。加賀は、全く話に興味がないのか、開いた牢屋から男を引き摺りだす。

 

「横須賀鎮守府は、溝鼠(どぶねずみ)はお断りです。入渠施設に向かいなさい」

「はいはい」

 

 加賀に加え、男も下着の話に執着しない。本人である港湾棲姫も、気にする素振りを見せない。しかし、だからと言って何も履いていないのは良くない事であると、間宮も譲る気は無さそうである。緊張感の無い空気の中、階段へ向かう加賀を見て何かを閃いたのか、突然に間宮が嬉しそうな声を出す。

 

「キツイのが嫌なら、(ふんどし)にしましょう! それなら、調整も簡単です!」

「フンドシ…………?」

「港湾棲姫さんも、恥ずかしいのは嫌ですよね♪ それなら、(ふんどし)を履いちゃいましょう♪ (ふんどし)なら恥ずかしくないですよ、加賀さんも履いていますからね♪」

 

 間宮の告白に、そっと目を逸らす加賀。

 

「フンドシ…………ハズカシク、ナイ……」

 

 港湾棲姫が何かに納得したのか、フラフラと加賀の近くに歩み寄る。

 その様子を、不思議そうに見つめる三人。

 次の瞬間、港湾棲姫は加賀の袴を手に取り、グイグイと引っ張り始めたのである。

 

「……?! ちょ、ちょっと! 止めて下さい! 見えてしまいます! こんな場所で下半身を(あらわ)にされたら……恥ずかしいです!」

 

 慌てた様子の加賀に首を傾げる港湾棲姫。

 港湾棲姫が手を離すと加賀は慌てた様に袴を調節し、落ち着くように、深呼吸をする。

 

「ハズカシイ……」

「ち、違いますよ港湾棲姫さん! 女性と言うものは、異性の前で……その…………ああ! 説明できません!!!」

「ベツニ、ハズカシクナイ」

 

 港湾棲姫が男の前に立ち、ワンピースの裾を持ち上げる。徐々に(あらわ)になるそれに、男は何の反応も見せない。

 

「ダメです!!!」

 

 慌てた様に、男の視線から隠す様に、間宮が手を広げて港湾棲姫と男の間に入り込む。男の視線は既に違う方向を向いており、間宮は咎める事が出来ない。

 

「……私たちは入渠施設に向かわせてもらいます。間宮さん、ほどほどにお願いします」

 

 顔を赤くした加賀が、先導するように階段を昇って行った。男も黙って加賀の後を追う。

 その場に残された間宮と港湾棲姫だったが、間宮は彼女の為に(ふんどし)を用意してあげる事を、心に決めたのであった。

 

 

 

 

 客間にて、港湾棲姫の局部を覆うように間宮が丁寧に(ふんどし)を締めてあげていた。港湾棲姫の反応はやはり薄く、どのような理由があってそのような事をされているのか理解するつもりもないようであった。

 

「ふふっ、これでどうですか? きつくないですか?」

「イワカン」

 

 港湾棲姫がグイグイと(ふんどし)を引っ張る。

 しかし、それも気にならなくなったのか、キョロキョロと周りを見渡し始める。

 

「ミセテクル」

 

 港湾棲姫が入渠施設へ向かう為に、廊下に出る。しかし、彼女は今まで入渠施設へ行った事がない。首を傾げながら、彼女は適当に歩き始めた。

 

「港湾棲姫さん、見せるのはどうかと思いますけど…………入渠施設は、こっちですよ」

 

 港湾棲姫の行いに、異を唱えたいのは山々なのだろうが、港湾棲姫は基本的に男を中心に物事を考えてる節があった。その為、強く止めても港湾棲姫が行動を止める事は無いだろうと察した間宮は、大人しく入渠施設へ案内する事に決めたのだった。

 

―――――――――

 

――――――

 

―――

 

 入渠施設の脱衣所には、一人分の海兵隊服が(かご)の中に置かれていた。それを見た間宮は、男に用意された物だろうと察する。男が身に着けていた衣類は、土汚れや血の汚れなどで既にボロボロになっており、汚れを洗い流すのにも多大な労力を使うだろう。

 それなら客人扱いになった事を利用し、鎮守府に予備として用意されていた服装を着せた方が効率が良い。仮に、元帥や提督の前に立つ事となっても、海兵隊服なら礼を失する事もないだろう。加賀の万全の措置に、間宮も感服せざるを得ない。

 

 そんな事を考えていた間宮を不思議そうに観察していた港湾棲姫だったが、いくら待てども服を脱ぎ始めない間宮を待つ事を止めたのか、港湾棲姫は身に着けたワンピースと(ふんどし)を脱衣所に脱ぎ捨て、スタスタと浴場の中へ入ってしまった。何も身に着けず、隠そうとしないその全身は非常に肉付が良く、歩く度に胸元がぽよぽよと弾んでいた。

 ガララ、とスライド式の扉を開け、湯気の中を歩いて行く。ふと、港湾棲姫は足を止め、洗い場に座る男の方へ近付いて行った。

 

「……髭剃り無いの?」

「武器になり得る物を不用意に渡す私ではありません」

「確かに」

 

 男が気にしたように、顎下を触っている。

 浴槽の縁には加賀が座っているのだが、袴を濡れる事を気にした様子もない。

 

「………………」

 

 己が何をしに来たのかを思い出したのだが、既に脱ぎ捨てていた事を思い出した港湾棲姫は、手持無沙汰にその場に佇んでしまう。そんな港湾棲姫の様子に気付いた男が、手に持っていた乾燥ヘチマを手渡す。

 

「身体洗うの、手伝ってくれる?」

「…………ヤッテ」

 

 港湾棲姫はヘチマを受け取る事無く、男の前に座り込む。

 男は仕方が無さそうな表情を浮かべながら石鹸を泡立て、港湾棲姫の身体に塗りこみ始める。そして、その肌を傷つけないよう優しく身体を洗い始めた。港湾棲姫が気持ち良さそうな顔をしながら、為すがままにされ始める。

 男の脳裏に浮かぶのは、一匹の大型犬を洗う自分の姿であった。

 

「コウカン」

 

 泡塗れになって満足したのか、港湾棲姫が手を出す。その手にヘチマを乗せると、港湾棲姫が楽しそうに男の身体を洗い始める。

 二人して泡に包まれていく姿を無言で見つめている加賀。そして、慌てた様子で浴場へ間宮が入ってくる。

 

「…………ちょ、ちょっと!!?! 二人して何してるんですか! 加賀さんも、黙って見てないで……!」

「将来的に、私が鳴本提督と身体を重ねる事になった時の為に、二人の行為を覚えておくことは、非常に意味のある事だと思うの」

 

 真剣な目付きで二人の様子を観察する加賀に、間宮は何も言えない。

 そもそも、加賀も鳴本提督狙いだという事が判明し、間宮の心に不穏な感情が蠢き始めた。

 

 落ち着いて見ると、浴場は異様な光景であった。全裸の男と港湾棲姫が泡塗れになっており、二人の艦娘が衣類を着たまま、二人の様子を見つめているのだ。

 視線を意にも介さず男が桶に入れた水を頭から被り、全身の泡を洗い流す。

 港湾棲姫も男の真似をするのだが、凹凸の激しいその身体は一度の水流で泡を完全に洗い流す事は不可能であった。

 

「はい、万歳して」

 

 男の声に従うように、港湾棲姫が両手を上げる。

 その身体に水をかけながら、身体の泡を洗い流す。跳ねた水飛沫が加賀と間宮の足を濡らすのだが、二人は何も言わない。

 

 二人のマイペースな姿を見て、間宮の頭が、どんどん冷静になっていった。二人とも、自然体で在りながら、全く(よこしま)な部分が見えないのだ。良く言えば、純粋と言う事なのであろうか。

 それとも、間宮は自分が考えすぎている可能性も考える。しかし、湯気の熱にて火照った身体で冷静に物事を考える事は不可能である。間宮は静かに、脱衣所へ向かうのであった。

 

 身体を洗い終えた男が静かに浴槽へ入る。

 頭まで潜り、すぐさま顔を出す。そして両手で顔の水気を飛ばす。顔を洗って意識がしっかりしたのか、両目に力が込められる。

 港湾棲姫も真似する様に、浴槽へ足を入れる。

 その瞬間、浴場内に港湾棲姫の大きな声が響いた。

 海中にも海底火山の存在がある為、お湯に対して知識が無いわけではないはずである。それでも港湾棲姫はあまり好んでいないのか、慌てた様に浴槽から出て、脱衣所まで逃げ去ってしまった。

 

 

 

 

「髪の毛を整えたいんだけど」

「武器になり得る物を不用意に渡す私ではありません」

「確かに」

 

 浴場から出てきた男は、加賀に対し先ほどと似たような事を言いながら、着替えを始めようとする。その時、手ぬぐいの類を用意していない事に気付いてしまった。

 ふと顔を上げると、そこには間宮が椅子に座ってぼんやりとしていた。

 

「あの子は?」

「着替えて、外の空気に当たりに行きました」

 

 なるほど、と思いながら籠に目を向ければ、そこには誰が用意したのか白い手ぬぐいが掛けられていた。他には何もない。忘れ物であろうか。

 しかし、男にとっては都合が良かった。それを手に取ると、顔や頭を拭き、身体の水気をどんどん拭いていく。

 その時、ふと、男が何かに気付いたように、手ぬぐいに鼻を近づける。

 

「なんか甘い匂いがするんだけど」

「間宮さん、洗剤変えたのですか?」

 

 加賀の声に反応した間宮が、目を見開いた。そして、慌てた様に男の持っていた手ぬぐいを奪い去ると、走ってどこかへ行ってしまった。

 男は悲しそうに手ぬぐいを見送るが、粗方(あらかた)、身体は拭いてある。思い直したように、用意された海兵隊服を静かに着込んでいったのであった。




ver1.01 2019/08/25
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