惻隠の情 作:坂口
階段を駆け上がり、執務室の扉を破壊しかねないような力強さで押し開けた岩井は、床にへたり込んでいる天龍に声を掛ける。
「鬼島はどこに行きやがったぁあああああああああああ!!!」
静かに涙を流していた天龍は岩井の声に、首を横に振る。
岩井は黙って執務室から寝室へ繋がる扉を蹴破り、中を覗きこむ。
だが、人の気配は無い。
「岩井提督、食堂です。鬼島提督含め、皆、集まっています」
「舐めやがって…………」
遅れて執務室に到着した鳴本の声に、冷静さを取り戻す岩井厳双。
そして、執務室を後にする岩井の横で、鳴本が天龍を抱きかかえる。
「あっ」と小さな声を上げた天龍に優し気な笑みを向けると、鳴本は岩井と共に、食堂へ向かうのであった。
◇
「遅かったな岩井。元帥を待たせるなど言語道断だろう」
食堂へ二人が到着すると同時に、静かに座っていた鬼島が声を掛ける。
鬼島の向かいには伊丹と、自分が場違いなのではないかと緊張した面持ちの吉田が座っている。
鬼島の背後には逃亡を警戒しているのか、大和と龍驤が位置しており、厨房では鼻歌を歌いながら金剛がティーカップを用意していた。
食堂に、皆の姿が揃った。
その時、沈黙を守っていた伊丹が、静かに口を開いた。
「…………久しぶりだね、鬼島君。最後に会ったのはいつになるだろうか……」
伊丹が過去を回帰するかのように、懐かしさの入り混じった声を掛ける。
しかし、伊丹は静かに首を横に振り、両手をテーブルの上に叩き付ける。静寂な食堂の空気が震え、お茶を用意をしていた金剛が伊丹の方へ顔を向ける。
「違う。この場では、大本営陸海軍部に所属している人間として詰問すべきであるな。…………舞鶴鎮守府所属、鬼島稔よ。
「事前連絡も無しに視察とは、大本営も随分と横暴なやり方をするのだな」
口に手を当て、鬼島が静かに笑う。
「とはいえ、大本営に手間を掛けさせてしまった理由が思い浮かばない訳でも無い。執務室へどうぞ。日報は
鬼島が静かに立ち上がる。その様子に、
「…………その前に、舞鶴所属の艦娘の話を聞きたいのだが。口裏を合わせられても困るからの」
伊丹の威厳ある言葉に、鬼島の眉が
キョトンとした顔の吉田だったが、鬼島の意図を読んだのか、慌てた様に立ち上がり、艦娘寮のある方向へと足を向ける。
「ま、待ってくれよ! 皆、今日はぐっすり眠ってるはずなんだ! 起こさないでやってくれよ…………」
鳴本に抱きかかえられていた天龍が、悲愴な声を上げる。
その声に、伊丹の顔が強張り、吉田の足が止まる。
「…………鬼島君、すまんが、執務室へ頼む。大和、岩井提督、共に来てくれ。…………鳴本提督と吉田提督は、天龍君の
「遅れて申し訳ないであります。睦月さんは、不肖、このあきつ丸が、しっかりと看護しといたであります!」
伊丹がテーブルから立ち上がったと同時に、食堂の入り口から敬礼姿のあきつ丸が現れた。
あきつ丸はそのまま岩井の横に立つと、両手を後ろに回し、胸を張った姿勢で直立した。
「それで、駆逐艦の嬢ちゃんの様子はどうだった」
「はっ! 高速修復剤を使いましたら顔色が戻ったので、とりあえず診療所のベッドに寝かせたであります!」
「…………
「舞鶴の備品を勝手に使われたら困るぞ、岩井」
「鬼島提督、ご安心を! 不肖、あきつ丸。そのような勝手はしない事に定評があるであります!」
「おい、あきつ。なぜ
「黙秘であります!」
誇らしげのあきつ丸を睨み付ける岩井。しかし、足音が聞こえると、すぐさま視線を戻し、先立つ大和の後に続く。
食堂から、鬼島、伊丹、大和、岩井の四人が退室する。
先頭を歩く鬼島の表情は変わらぬものではあるが、大和、岩井の表情には明らかな苛立ちが浮かんでいる。
闇夜に照らされる冷たい廊下を歩く四人。執務室への旅路は、酷く重い雰囲気に満たされていた。
◇
「ohhhhhhhhhhh! 折角の紅茶が余ってしまいマシター! 冷めては、事を仕損じる、デース!」
「なにそれ」
テーブルに座っている、鳴本、吉田、龍驤、天龍、あきつ丸にティーカップを配膳した金剛は、その場に残された四人分のティーカップを前に、膝から崩れ落ちた。
そんな金剛を吉田は冷たい目で見ており、鳴本は苦笑いを隠そうともしない。
向かいの天龍は両手を暖める様にカップを掴み、静かに紅茶を口に含む。
「…………そんで、天龍。単刀直入で悪いんやけど、何があった? 舞鶴鎮守府は、鬼島提督のおもちゃにされとるんか?」
「……分かんねぇ。オレは提督に遠征任務ばかり任されちまってた……。でも、帰ってくる度に、鎮守府の雰囲気は悪くなっちまってるし……」
疲れた様に口を開く天龍。ポツポツと紡がれる言葉を聞く限りでは、要領を得た回答にはならない。しかし、鎮守府に異常な事態が起きてしまっていた事は、間違いないのだろう。鳴本と龍驤は天龍の答えを冷静に受け止め、静かに続きを促す。天龍も二人の思いに応えるように、必死に頭を働かせ、言葉を作り出す。
しかし、それも
天龍にとって、ようやく安堵の時が訪れたのだ。緊張が解かれ、安心したのだろう。
ボソボソと言葉にならないそれが数度、呟かれると、ついにはテーブルに伏せ、天龍は小さく寝息を立て始めてしまった。
「あきつさん、診療所はどこにあります?」
「工廠の近くであります。案内するであります」
「いや、ええ。ウチが行く」
天龍を抱きかかえた鳴本が、彼女をベッドに寝かせる為に診療所へと向かう。
立ち上がりかけたあきつ丸を制し、小走りで龍驤が鳴本の後を追う。鳴本の横に付いた龍驤は、そっと鳴本の軍服の裾を掴む。そんな龍驤の様子を見て、金剛とあきつ丸は、ニヤニヤとした顔を互いに見合わせるのであった。
「………………そう言えば金剛! なんで緊迫してた場面で、呑気にお茶を優先してたの?! 馬鹿じゃないの?!」
「ohhh……。佐世保のテイトクは、ワタシが呑気にTeatimeをEnjoyしていたように見えましたカー? 見識の浅いテイトクの為に、ワタシのNot guiltyを主張シマース! こういった緊迫したScene、皆が同じ方向をLookしてると、怪我するネー。誰かがCoolにしていないと、良くないデース!」
「一理あるであります」
金剛のハキハキした答えと、あきつ丸の
全員が全員、熱を持って議論を白熱させると、客観性が失われ、数の暴力に陥ってしまう事を、彼女は否定できない。
それを回避するために、あえて金剛が平常通りの行動を優先させたのならば、それはそれで褒められる行為なのではないか。
「…………一理ある、か。ごめんね、金剛」
吉田が、納得したように、金剛に謝る。
金剛は気にした様子も無く、手に持ったティーカップを口に運んでいた。
その様子を静かに見ていたあきつ丸の脳裏に浮かんだ言葉は、こうであった。
『―――――佐世保の提督は、ちょろそうな限りで、羨ましいでありますなぁ』
◇
鳴本と龍驤が食堂へ戻り、吉田が残った四杯の紅茶を金剛によって無理やり飲まされていた時、重苦しい雰囲気の三人が姿を見せる。
伊丹と大和は
戻って来た三人に対し、敬礼の姿勢で迎える鳴本、吉田、龍驤、金剛、あきつ丸であったが、三人は返事も無く、疲れた様子で椅子へと座り込み、黙するのであった。
伊丹と岩井の視線が動き、吉田の姿を捉える。二人の脳裏に浮かぶは「吉田提督を執務室へ連れて行かなくて、本当に良かった」であった。
鬼島の執務室で三人が見た物は、大量の日報、月報。そしてファイルにまとめられた資料であった。
日々、艦娘達が獲得してくる資材と、呉鎮守府へ納品される資材。
出撃によって使われる燃料、弾薬が細かく記載されており、舞鶴鎮守府は首の皮一枚が繋がった状態での運営によって成り立っていた事実を、三人は知ってしまった。
そして、この資料を元に考えると、資材が枯渇する原因の一つに、呉鎮守府への資材納品が読み取れた。
仮に、佐世保鎮守府提督の吉田がこの資料を読めば、恐らく聡明な彼女の事である。舞鶴がこのような現状に陥った原因の一つに、自分の手腕不足があったのだ把握するだろう。そして、彼女は深く傷付き、己の処分を願い出ただろう。
それでも舞鶴鎮守府は防衛海域を広げていた。鎮守府の維持さえままならない状態にも関わらず、鬼島の指揮下によって、艦娘たちは資材を集め、深海棲艦と死闘を繰り広げられてきた事が、資料には事細かく記載されていた。
「…………伊丹元帥。この資料に記載されている事柄は、大本営に提出された情報と一致しています。…………ここ一年の艦娘の轟沈、建造に対しての報告書は未提出ですので、罰則があるとすればここでしょう。…………不明確な資材な存在も、こちらの資料から明らかですが……」
「轟沈と建造については謝罪する。甘んじて制裁を受けよう。そして、資材については、私から言う事では無い。工廠に行って、好きなだけ確かめて頂きたい」
大和の疑念に、鬼島が無表情に答えを返す。
そんな二人の応対に、伊丹は何も返事が出来ない。伊丹の手元には轟沈と建造の詳細が載った資料があるのだが、目を見開き、その資料を何度も見返していた。
「こ、こ、これ、これは、ど、どういう事、なのか…………。日付が、間違って……」
独り言のように漏らす伊丹の手の中の資料を見比べると、次の事が判明する。
轟沈された艦娘が、その日のうちに建造されていたのだ。
元来、建造によって鎮守府に誕生する艦娘に規則性は無い。完全にランダムであり、狙った艦娘を生み出す事は絶対に不可能であった。
しかし手元の資料は、それを覆す事例が何枚にも及んで、記載されていた。
卯月轟沈、卯月建造。響轟沈、響建造。
如月轟沈、如月建造。文月轟沈、文月建造。
響轟沈、響建造。睦月轟沈、睦月建造、雷轟沈、雷建造…………。
狼狽している伊丹の様子を怪訝に思ったのか、手元の資料を岩井が覗き込む。そして、大和もそれに続く。しかし、やはり二人も資料に記載されている事実に驚愕の念を隠す事が出来ず、震える身体で、化け物を見るかのように、鬼島の姿を視界に入れるのが精一杯であった。
「まだまだ資料はある。そして、貴様らが艦娘に尋問したいのであれば、好きにするがいい。しかし、もう夜も更けている。私はそろそろ眠らせてもらう」
鬼島が上着を執務机に置き、そのまま寝室へ入って行く。
鬼島の行動を止められる者は誰もいなかった。そして、数十分であったが、脳に多大な負担が掛かった三人は、明朝にて続きを行う事を決めたのだった。
この時、既に三人は鬼島稔が逃亡する事など、絶対に有り得ない事を確信していた。
鬼島は己の行いに、絶対の自信を持っている。そして、それを裏打ちする証拠が出てくる事をも、三人は予感せざるを得なかった。
「伊丹元帥?」
鳴本の声がようやく耳に届いたのか、伊丹が静かに顔を上げる。そして、続きは明朝に行う事を告げると、大和と共に、静かに客間に向かうのであった。
「…………
岩井の言葉に、鳴本が静かに頷く。その時、龍驤と吉田が、小さくガッツポーズをした。
伊丹と大和が一部屋。岩井は鬼島の寝室。
残りの五人。鳴本、吉田、龍驤、金剛、あきつ丸で一部屋である。しかし、客間は五人用では無い。ベッドも二台しかない。
「じゃんけん! じゃんけん!」
「ふ、ふざけんなや小娘! ここは同じ鎮守府同士、同じベッドに決まっとるやないか! な、なり、鳴本、鳴本提督と一緒のベッドに…………」
無駄にテンションの高い吉田と、最初の勢いはどうした、徐々に声が小さくなっていく龍驤。
そんな二人に冷たい目を向けた岩井は、冷酷な判断を下した。
「すまんな、横須賀の。お前も寝室へ来い」
「そうですね。女性と共に私が眠るのは、不健全ですからね」
岩井と共に廊下へ向かう鳴本。
それを見た吉田と龍驤は、後悔の表情を浮かべ、悲しげに地団太を繰り返すのであった。