惻隠の情   作:坂口

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26話 横須賀鎮守府(4)

月色が夜雲(よぐも)に隠れ、深々とした光芒(こうぼう)が地面を照らす中、横須賀鎮守府の正門を豪奢な乗用車と四輪駆動車が通過する。

門を抜けた後、静かに減速し停車したそれは前照灯(ヘッドライト)を消灯し、完全に動きを止めた。

その時、物音に気が付いたのか、鎮守府内から一人の艦娘が現れる。腕を組んだ彼女は上半身に黒のインナーを(ちゃく)しており、下半身は下着一枚であった。

彼女は客人を迎え入れる様子を見せない。(ただ)、鎮守府の出入り口に寄り掛かり、動向を見守っているだけであった。

 

 

 

 

「日向。出迎えありがとう。私がいない間、問題は無かったか?」

 

提督である鳴本が素早く車内から降り、早足に彼女の方へ向かった。

しかし、彼女へ近付くにつれ、徐々に複雑な感情が入り混じった表情へと変わっていく。

 

「遅かったな。フタサンマルマルだ。皆、もう寝たぞ」

「…………日向、君も聞き飽きたと思うが、その格好は……。元帥や同役(どうやく)もいるのだ。今すぐに、部屋に戻って……」

「なに、気にするな。夜風が心地良いぞ。久しいな伊丹元帥。君も若人(わこうど)の下着姿は嬉しいだろう」

「なっ、日向! 貴様! 伊丹元帥にどのような口を!」

 

鳴本に続くように、伊丹と大和。岩井、鬼島などが姿を見せる。

日向の飄々(ひょうひょう)とした態度が気に入らないのか、岩井が食って掛かるのだが、日向に反省の気配は見られない。伊丹は目のやり場に困るのか視線を彷徨(さまよ)わせ、大和は恥ずかしそうに顔を赤くしていた。

 

「加賀から伝言を頼まれている。大本営からの資料は執務室にある。夜食は食堂だ。私は入渠施設の準備に向かう」

 

片手を振りながら、日向が入れ替わるように外へと出て行った。

日向とすれ違った吉田、金剛、あきつ丸の三人はその姿に目を丸くし、龍驤は諦めたかの様に溜息をつくのだった。

その時、日向が立ち止まる。そして、皆の方に振り返り、一言。

 

「ああ、忘れていた。食堂に無口なお友達が待っているぞ。彼は面白いな」

 

それだけを告げると日向は、一人静かに、入渠施設へと向かうのであった。

 

 

 

 

「心より御待ちしておりました伊丹元帥。そして、岩井厳双殿。元帥の此度(このたび)の恩情により、私のような若輩に裁量を与えられ、一時の自由を―――」

 

テーブルを挟み、長旅にて心身ともに疲労の色を隠しきれない伊丹の目の前に立つは、海兵隊服を身にした一人の男であった。

伊丹が食堂へ到着した瞬間から凛とした姿勢にて敬礼を始めた男からは、溢れんばかりの感謝の(ことば)が続けられた。(よど)みなく、そして滑舌(かつぜつ)良く発せられるそれに、終わりは見えない。伊丹と岩井への感謝、称賛の言葉が続いたと思えば、次いで、愛国の言明(げんめい)が始まる。

 

伊丹は既に疲れ果てていた。

単なる運び屋かと思われた目の前の男は、妖精が見え、港湾棲姫と共に過ごしていた。

そして、舞鶴の問題もあった。今まで気付かなかった舞鶴の闇は既に安易に解決できる案件では無くなっている。しかし、鬼島の説得と確保で、ようやく収拾の目途が立ったのだ。

 

食堂のテーブルには間宮が作ったであろう軽食が置かれている。それを今すぐに温め、空になった胃袋に詰め込みたいと伊丹は考えていた。しかし、目の前の男がそれを許さない。目の前の男にとって、伊丹や岩井が大御神(おおみかみ)にでも見えているのだろうか。

長々と発せられる言葉は、既に伊丹の大脳に届いていなかった。伊丹の精神は、食や睡眠を心から欲していたのだった。

 

「――――昼夜、牢獄にて私は己の罪を悔恨(かいこん)し、そしてこの地にて最期の時を――――」

「何十分と話せば気が済むんや!」

 

龍驤の怒りがついにその行動に現れた。食堂のテーブルを思い切り男の方へ押しやると、男は「グフッ」っと口から空気を漏らし、そのまま崩れ落ちた。男の演説に辟易(へきえき)していたのは伊丹だけでは無かったのだ。

伊丹が、岩井が、鳴本が、吉田が、金剛が、あきつ丸が、龍驤のツッコミを心の中で称えた。

大和は既に執務室へ向かっており、この場にはいない。

鬼島は一人面白いモノを見るかのように口元に手を寄せ、苦笑を堪えていた。

 

「こっちは腹が減っとるんや! 何でよう知らんアンタの意味不明な話を延々と聞かへんといけへんのや! 拷問か!」

 

まさしく拷問であった。

腹部を抑えながら立ち上がり、龍驤を恨めしそうな目で見据える海兵隊服の男。

再び口を開こうとした瞬間、機先(きせん)を制したのは岩井であった。

 

「おい。(おれ)は貴様の事は知らんが、貴様は(おれ)をどこで知った。三年前に軍部から離脱したのであれば、(おれ)が提督である事も知らぬはずだ」

「岩井少将殿の歴戦の逸話は、陸軍のみならず海軍にも広まっておりました。故に、私は岩井少将をお慕いしておりました。貴殿の勇猛さは若輩な私にも見習う点が多々あり、日本国に和平を導くは、岩井少将のような……」

「貴様! (おれ)の事を良く分かっているではないか! がはははは! 貴様の様な人間が同胞となる事を、心から嬉しく思う! オジキ、こいつは馬鹿だが(ただ)の馬鹿じゃない。愛国馬鹿だ! こいつは見所がある。よしよし、座れ。そして、我が偉勲(いくん)を………………佐世保の嬢ちゃん! 酒だ! 酒を持ってこい!」

「い、岩井君。飲酒は控えようじゃないか。明日(みょうにち)はマルキュウマルマルに大本営から私以外の元帥や大将も集まる。車内でも告げたが、彼の処遇と…………鬼島君の進退に一案を告げなくてはならないからな」

 

伊丹の言葉に、食堂に緊張が走る。

しかし、当の本人である鬼島に動揺の色は全く見られなかった。

 

「私に腹ごなしは必要ないのだが……。まあ、良いだろう」

 

伊丹と岩井の様子から既に自由行動が始まっているのだと悟った鬼島は、軽食を手に取り、集団から少し離れた席に着席した。

鬼島に続くように、吉田と金剛が厨房へ移動し、紅茶の用意を始める。あきつ丸は岩井の横に座り、御酌(おしゃく)を始めていた。

岩井が愉快そうに笑いながらそれを飲み、男と談笑を始める。

 

「……いつもの事だが、切り替えが早くてな」

「それが皆の良い所なのでは」

 

伊丹の苦笑に、鳴本が笑いながら答える。

 

彼らの小規模な食事会は執務室に居た大和が伊丹を呼びに来るまで続いた。岩井とあきつ丸、いつの間にか混ざっていた日向はアルコールによって正気を失い、男の演説を喜んで聞いていた。そして、金剛と吉田は横須賀鎮守府の品揃えの良さからか、勝手に小規模なお茶会を開催していた。

 

「…………貴方達! 何時だと思っているんですか!!?! 伊丹元帥の話を聞いていなかったのですか!!?!」

 

惨状に対し、真面目な様相(ようそう)で本気の説教を始め出す大和を、誰も止める事が出来なかった。

興奮しているのか、顔が赤くなり、大和の口角から唾が飛ぶ。

大和の怒りは伊丹が(なだ)めようとも治まらず、数分後に金剛が「眠いから入渠施設に向かうデスネー」と吉田を引き摺りながら食堂を退出するまで続いた。

金剛の後ろ姿を恨めしそうに見る大和の表情は般若も同然であった。そんな大和の形相(ぎょうそう)を、残された者達は見て見ぬ振りをし、金剛に続くように、静かに入渠施設へ向かうのであった。

 

 

 

 

「立派な廊下だな。この調子なら、客間も豪勢なのだろう」

 

鬼島の言葉に苦笑を浮かべる鳴本。

しかし、鬼島の一言を単なる皮肉と捕らえて良いモノなのだろうか。入浴を終えたにも関わらず、伊丹の額には冷汗が流れ、背筋が冷える思いを感じてしまっていた。

長い廊下を歩き、客間へ向かう伊丹、岩井、鳴本、吉田、大和、あきつ丸、金剛。

そして海兵隊服の男。

龍驤は艦娘寮に向かい、日向は夜の巡回を続けるのであった。

 

八人となる大所帯。時間も時間であり、静かにしようとも、物音は重なる。

その時、通りがかった客間の一つが静かに開き、隙間からギョロリと赤い眼が光る。

暗闇から覗くそれはギラギラと(あや)しく光っており、その瞳に負けない存在感が、見え隠れする白色の様相(ようそう)から醸し出されていた。

その姿を見た吉田は驚き、鳴本の腕に抱き着く。金剛が冷酷な表情で艤装を展開させ、大和が即座に伊丹の前に出る。

 

「ああ、騒がしかったか。すまない」

「…………ネムイ」

 

敵意こそ感じられたそれだったが、男の声に反応すると、徐々に穏やかな雰囲気に変貌していく。

大和は驚愕の瞳で男を見やり、伊丹と鳴本は納得したかのように頷く。

岩井とあきつ丸は酔っぱらっており、金剛は不満そうに艤装を解除する。

 

男は静かに港湾棲姫に近付くと、手を伸ばし、頬を撫でる。

港湾棲姫はくすぐったそうに身を(よじ)ると、鼻をクンクンと利かせ、男の口元に注目する。

 

「イイニオイ、スル」

「…………ああ、少し、飲んだからかな」

 

男が己の口臭を確かめる様に、掌に息を吐く。

しかし、そんな事もお構いなしに、港湾棲姫がペロペロと男の口元を舐め始めた。

 

「…………!!?! ちょ、ちょっ!!?!」

 

吉田が顔を赤くしながら、咄嗟に鳴本の顔を両手で覆う。本来は逆なのであろうが、混乱した吉田には、もう、良く分かっていなかった。

 

「刺激的デース………………。英国でもそんな事しないデース……。とんでもないBurning Loveデース……」

「んんっ! ま、まあ、海軍に恋愛禁止などと言う規則もない。だが、人前でそのような……」

「……伊丹元帥。岩井少将。誠に申し訳ございません。私の様な若輩が上官よりも先に休息を取るなどと、言語道断ではありますが…………」

「いや、許す。許す。本日は御苦労であった。明朝にて、君には連絡事項を告げる。マルゴーマルマルに食堂へ来たまえ。港湾棲姫も連れてな」

「はっ! 畏まりました! それでは明朝。御鞭撻(ごべんたつ)の方、宜しくお願いいたします」

「いや、良いから。それよりも目の毒だから」

 

伊丹に対して敬礼をする男の後頭部を、港湾棲姫がクンクンと匂いを嗅いでいた。

完全に寝ぼけているのだろうか。港湾棲姫は次の瞬間、男の頭をガブガブと噛み始めた。しかし、男が気にする様子も無い。単なる甘噛み、愛情表現なのだろうか。

伊丹の承諾を得た男は、静かに客間へ入ろうとする。しかし、港湾棲姫に引きずり込まれた。その後、部屋から物音は何もせず、廊下は沈黙に包まれた。

 

皆の態度は様々であった。溜息をつき、赤らめた顔を背け、今の行動を茫然と見ていた二人。

「若いのが嫌味か! クソが!」とブツブツと愚痴を溢し、ニヤニヤしながらそれを聞いている艦娘もいた。

鳴本の顔は、未だに吉田の両手によって覆われたままであった。

 

そんな中、一人、何も言わず、身動(みじろ)ぎ一つ取らず、只管(ひたすら)に男と港湾棲姫を凝視していた男がいた。

鬼島稔であった。

鬼島は他者の騒動など全く気にする様子も無く、今の光景を何度も繰り返し思い出していた。

そして、忌々し気に口元を歪めると、一人早足になり、静かに客間へと向かうのであった。

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