惻隠の情   作:坂口

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29話 大本営、大和の造反

未だ漆黒に染まらない空模様にも関わらず、会議室に至るその長い廊下に暗然(あんぜん)たる雰囲気が残るのは、大本営陸海軍部に覆われた重苦しい雰囲気のせいだろう。

鬼島の拿捕(だほ)を命じた横須賀鎮守府からの返信は明るい内容では無かった。

 

「海上にて朽ちた漁船は発見したが、鬼島提督の姿は見当たらない」

 

この報告を受け、伊丹は自室に閉じ籠った。

己の働きによって生まれたこの結果。元帥が三人死に、一人の提督は行方不明となった。

伊丹に対して罰則が科せられたわけでは無いが、自責の念が伊丹を追い詰めた事は間違いがなかった。

 

しかし、大本営は動き続ける。

会議室では残された人間が連日会議を行い、今後の方針を定めている中であった。

 

 

 

 

何度も伊丹の執務室と会議室を往復している大和の顔は浮かない。

深海棲艦との海域争いだけならどれだけ彼女の心労が抑えられただろうか。

鬼島稔の離反、舞鶴鎮守府の処遇、港湾棲姫の扱い、大本営での派閥争い。

問題は山積みであり、解決の糸口は未だに見いだせない。

こうしている間にも日本国に残された資源は消費され、徐々に形勢は悪化の一途を辿るのみとなってしまっている。

唯一の明るい話題は新たな提督の存在だが、大本営で長年働いてきた大和。新入りに過度の期待を寄せるほど耄碌(もうろく)はしていない。

 

そんな中、まるで絵画(かいが)の様に窓辺に佇み、ぼんやりと景色を眺めている北上の姿があった。

 

「北上さん、お疲れ様です。会議室はどのような……?」

「いや~、舞鶴鎮守府の提督も凄い事しちゃうよね~。燃えた車中からは銃弾が撃ち込まれた死体が三人分だってさ。あー、怖い怖い」

「そう、ですか……」

「息が詰まるからねぇ、退室してきちゃったよ。大和さんは偉いね、情報を精査して、行ったり来たり。まあ、大淀さんに議事録を任せちゃってる私が言えた事でも無いけどね。あっはっはー」

 

北上が陽気に笑う。

しかし、その顔はすぐに曇り、儚げな少女の様相へと変化する。

 

「会議室は熱気が凄いよ。舞鶴鎮守府の提督の弾劾とか派閥争いとか、もうドロドロ。それに、日本軍の汚い部分、あまり聞きたくなかった言葉が飛び交ってるんだよ? あーあ、幻滅しちゃったかも。なんで私は艦娘なんだろう。三年前から、もう滅茶苦茶だよ。深海棲艦の目的が日本国の壊滅だとしたら、それはもうほとんど成功してるとしか言えないよねぇ。外面(そとづら)はマシになってるのかもしれないけど、大本営にいる私達なら言える事もあるし……。お偉いさんは、もう日本国の復興なんて口だけ。最後の甘い汁を舐めるのに必死で、もううんざりだねぇ。こんな組織に協力なんて…………。おっと、言い過ぎたかな! 大和っちが秘書艦してる伊丹って人はまともな人なのかな? それだったらごめんね、えっへっへっへ」

 

北上の言葉を大和は苦笑いで聞く事しか出来なかった。

このような発言を軍関係者に聞かれたら反逆罪も視野に入る。しかし、北上はなんの警戒もないのか、それとも館内の情報は彼女に筒抜けなのか。好き勝手な発言をする彼女に、聞いている方が緊張で疲れ果ててしまいそうである。

 

「私はもう少しここにいるよ~。もう少し、終わるまで」

 

再びぼんやりと窓の外に目を向ける北上に一礼し、大和は廊下を歩く。

廊下を歩きながら、思い巡らす。

北上の言葉は、同じく大本営で働く大和や大淀の頭の中にも浮かんでは消えていく、泡沫(うたかた)であった。北上と比べ、大和も大淀も真面目すぎた。だからこそ大本営にて重宝されるのだが、それによって生まれる苦悩が二人を苦しめている事など誰も気づかないだろう。

 

大本営にて生きる人間の考え方。

鎮守府にて生きる提督と艦娘の考え方。

 

この二つが融和しない限り、日本国に安寧(あんねい)が訪れる事は絶対に無いと大和は確信していた。だからこそ、人格的な伊丹を慕い、どうにか大本営の舵取りを彼に託したい思いでいっぱいだった。大淀にも恐らく信奉している将官はいるのだろうと大和は考える。しかしその人物が、大和の支持する伊丹と対立関係にあった場合、大和と大淀の立場はどのように変化していってしまうのだろうか。

 

思考がまとまらないまま、大和の足は会議室前に到着していた。

扉をノックしようとし、その手が止まる。会議室中から怒号が聞こえ、思い(とど)まったのだ。

 

 

――――舞鶴鎮守府は閉鎖し、鬼島の思想に染まった艦娘は解体するしかないであろう!

 

 

彼女の耳に聞こえた言葉はそれだけであった。

彼女はノックを思い止まったわけでは無い。突然の宣告に、身体が動かなかっただけなのだ。

 

解体。

艦娘に対する死刑宣告である。

 

次の瞬間、大和の目の前の扉が(おもむろ)に開き、大和の視界に大淀の姿が入る。

大淀は(うつむ)き、赤く染まった右頬を抑えながら会議室から姿を現すのだが、大和の存在に気が付くと何事も無かったかのように笑い、手に持っていた議事録から数枚の紙を破り取り、大和のポケットにねじ込んだ。

 

「ごめんなさい、これから個人的な面談があるみたいで。会議の内容は一応まとめておいたから、資料室で目を通しておいてね。またすぐに将官会議があると思うけど、まあ、その時はよろしくね?」

「…………そこに誰かいるのか?」

 

扉の陰から一人の男が姿を現す。

その目はギョロリと大和の肢体を舐めまわす様に見つめると、疑惑の混じった表情にて大和に問い掛ける。

 

「貴様、いつから……」

「大和さんは厠に寄られていたそうで、今しがたこちらに。姿が見えたので、詳細を共用しようと、呼び寄せまして……」

「余計な事をするな大淀。これ以上、私達を失望させるな」

 

男の一言に、大淀は頭を下げるのみであった。

そして、会議室から徐々に退室してくる元帥、将官の邪魔にならない様に、大和は壁際にて敬礼の姿を維持する。

数人の将官と共に大淀は会議室を後にし、薄暗い廊下の先へと向かうのであった。

 

 

 

 

「急ですまない。大淀は近隣への事業所へ異動となった。当面、秘書艦は二人となってしまうが、補充したい艦娘がいるなら要望は叶えよう。どうだ北上、大井と共に働く事も……」

「…………大井は馬鹿だから、名誉ある大本営内部の秘書艦という務めは定まらないと思います」

「そうか」

 

大和と北上が総務課に呼ばれたその日、男からの言葉に動揺する事も無く、二人は淡々とその事実を受け入れていた。

体面上は事業所への異動と言う話ではあったが、その宣告を聞いた大和は会議室での一場面(いちばめん)が脳裏に浮かび、北上は陰惨なモノを咀嚼(そしゃく)するかのような、冷酷な瞳を目の前の男に向けるだけであった。

 

「将官から受けた話はこれだけだ。両名、仕事に戻れ」

「畏まりました」

「はいはい」

 

一礼し、総務課から退室する二人。

廊下に出た瞬間、大和の耳に聞こえたのは怨念の混じった呟きだった。

 

「…………こんな兇悪(きょうあく)な場所に、大井っちを呼ぶわけないじゃん」

 

下を向く北上の表情は背の高い大和からは見えない。

しかし、北上の感情に呼応するかのように揺れる髪を見れば、北上の怒りは相当なものだろうと想像に難くない。

 

「……大和さんは、私みたいになっちゃダメだよ」

 

北上に声を掛ける事も出来ず、大和はその後ろ姿を見送る事しか出来なかった。

しかし大和も胸を奮わせ、大淀から託された資料を元に舞鶴鎮守府の救済への筋道を懸命に叶えるべく、伊丹の執務室へと足を急がせるのであった。

 

 

 

 

大和が先日の議事録を確認しようと資料室へ立ち寄った際、そこにはあるはずの議事録が無かった。担当者に話を聞くも「会議の記録は貴様らの仕事であろう。大淀かそこらが記し忘れたのではないか?」との素っ気無い回答であった。

正式な文書が無くなった今、先日の会議の詳細は隠蔽(いんぺい)されたものとなった。

会議に出席していたのは九人。伊丹と死亡した三人を除いた元帥と将官である。

日本国の中枢は彼らによって握られており、秘匿(ひとく)な情報は決して外部に漏れる事は無いのだろう。

 

そんな中、唯一の手掛かりとなってしまった大淀から授けられた数枚の紙には、表沙汰にするには刺激の強すぎる内容が細かく記載されていた。

 

まずは派閥の変容。鬼島派の人間は吉田派へ寝返り、鳴本派、岩井派の立場が厳しくなるという大淀の懸念。

そして、舞鶴鎮守府への処分。元帥、将官の中で鎮守府の閉鎖と艦娘の解体は決定事項らしく、援助するとされていた資材は佐世保が重点的に割り振られていた。

大義名分は、舞鶴鎮守府の担当海域まで負担しているという事実。

新任提督が独り立ちするまでそれは続き、新任提督が独り立ちするタイミングは、将官会議の多数決によって決まる。

 

つまり、大本営の考え一つで横須賀と大湊の鎮守府は生かさず殺さずの状態となり、提督不在の舞鶴鎮守府は完全に弱体化する。反対に佐世保鎮守府は潤沢となり、完全に海軍内部のパワーバランスが歪んでしまう結果となる。弱体化した舞鶴鎮守府を処分するのは容易い。

 

「貴下、昨今の内情を顧みる限り、防衛海域は狭まり、資材運用も悪化の一途を辿る云々」

 

結果の残せない鎮守府、艦娘を合法的に葬り去る事が出来るのである。経費削減は必要であり、非難される(いわ)れは無い。

 

他にも、大淀から託されたそれには様々な事が記載されていた。

文章の後半部は荒々しく塗りつぶされていた部分もあったのだが、それは恐らく議事録を取っている事を思い出した誰かが、大淀の目の前でそれを上書きするかのように手を加えたのだろう。しかし、主だった内容は残された筆圧によって解読が可能だった。大淀は恐らく、徐々に変容していく会議の内容に背筋を凍らせたはずであろう。しかし退室する事も無く、職務を全うした彼女の使命感と将来を見据えた記録は、大和へ受け継がれていた。

大淀の行いは無駄では無かった。彼女の行動によって、大本営の(よど)み、濁った情欲に一矢報いる好機を生み出す事が出来たのだから。

 

大和は受け取った資料を元に、次回行われる会議にて陳述(ちんじゅつ)する下書きを完成させた。

それは誰がどう見ても、大本営の歪んだ情欲を満足させる結果を生み出す内容であった。

しかしその(じつ)。大和は賭けに出ていた。己の立場が危うい状況になろうと、舞鶴鎮守府の仲間をみすみす見殺しにする事なんて出来なかったからである。

善悪からも目を逸らしていた。しかし、他に打つ手が思い浮かばなかった為に、大和は意を決し、黄金(こがね)(むさぼ)(おぞ)ましき亡者(もうじゃ)の群れに、一人立ち向かうのであった。

 

 

 

 

再び将官会議が開かれ、伊丹を含めた十人の人間が会議室に居座っていた。

議長席の背後には北上が直立不動を維持しており、何の感情も持っていないのか、(よど)んだ瞳で室内を見渡していた。

大和は一人、議事録を取っていた。会議の内容はひどく穏やかな内容であり、終着点は既に決まっているのか、建前上の言葉を思い思いに並べ、時には派閥同士で争う一面もあるのだが、舞鶴鎮守府解体という獲物に向かって、静かにその牙を研いでいる事が大和には感じられた。

 

「進言、申し訳ございません。一案ですが、新任提督を舞鶴に着任させる案は如何(いかが)でしょうか」

 

機を見計らい、大和が先んじる。穏やかな会場に、波風が立つ。

場は騒然となり、伊丹は驚いたような表情で大和を見つめるのであった。

 

「舞鶴鎮守府の現状には心を痛めている。何故(なにゆえ)、新任提督なんぞを舞鶴へ……」

 

舞鶴鎮守府に提督が着任するとなれば、資材を支援する必要性が出てしまう。故に、彼らの計画は根底から崩れ去る事になる。当然のように不快そうな表情を浮かべるのだが、大和は淡々と己の導いた答えを彼らに説明する。

 

「…………前提として、彼の……手駒、となっている港湾棲姫の存在が厄介です。敵か味方か分からぬままに、研修地である呉鎮守府が崩壊させられたとなれば、大本営への糾弾は大きい事になります。香取、鹿島の二人は現地でも愛されており、また、彼女達の能力は失うには惜しい部類です。現在、倉庫としての役割しか果たさない呉ですが、佐世保、舞鶴、横須賀を繋げる中心点でもあります」

 

大和の言葉に頷きを見せる者もいる。会議室は静まっており、大和の次の句を待ち侘びているようでもあった。

 

「………舞鶴鎮守府なら、崩壊しても面目(めんもく)が立ちます。舞鶴所属の艦娘の精神状態が安定していない事を逆手に取り『港湾棲姫を敵だと勘違いした所属艦隊の勝手な暴走により、港湾棲姫を害した。それにより港湾棲姫は舞鶴鎮守府と敵対し、結果的に舞鶴鎮守府は瓦礫と化した』……これであれば、大本営の判断ミスと言う糾弾は起きません。…………我が日本国の宝、大本営の皆様に手を掛けた、鬼島稔の残した艦娘が、我らと敵対しないとも言い切れません。………………あ、悪しき集団をも、一挙に葬り去る事が出来…………そうでなくとも、新任提督の練度も見据える事が出来、両得な形に収まる事かと、思われます」

 

努めて淡々と言葉を紡ぐ大和の様子に、伊丹、北上の二人は失望の色を浮かべる。

しかし、元帥、将官の顔には笑みが浮かんでいた。目の前にて言葉を並べる秘書艦が、どちら側の人物か理解したからである。大本営に巣食う毒虫は、同胞に優しい。そして、大和の言葉は彼らにとって耳当たりの良いものであった。危険物は危険物にぶつける。それは至上の一手であろう。

 

「港湾棲姫が暴れたなら、実験動物にするという処罰にも不満は生まれないでしょう。馬鹿な人権屋はどこにでもいます。何もしていないのに非人道的な行いを敢行するとなれば、一部の軍関係者……港湾棲姫を違う形で利用しようとしている人間から批判が起こり得ます……。そして、どうやらあの新任提督、鳴本提督から非常に推されているようで、能力も申し分ないと思われます。港湾棲姫を手荒に扱い、市民の支持が厚い鳴本提督の敵対関係となる一手を、わざわざ取るメリットもございません。……様々な計算、分析の上で判断します。私は新任提督を舞鶴鎮守府へ着任させたいと考えます」

 

合点がいったとばかりに頷く元帥、将官たち。内容はどうであれ、舞鶴鎮守府を解体したい彼らの思惑と一致する部分が多々あり、尚且(なおか)つ、批判の生まれない道筋を勝手に作り上げてくれたのだ。これには、彼らの中に感謝の念しか生まれない。

元より、大和は伊丹と同一視され、疎ましがられていた存在であった。しかしその実、穏健派の伊丹とは反する思想である事が今回の発言で判明した。大和の発した一案は、大本営の利になる内容であり、舞鶴鎮守府の崩壊の責任を新任提督に擦り付ける事が可能となり、そして解体の手間も無くなるという、それこそ一挙三得のようなものであった。

 

「…………大淀と違って分別のある艦娘だな。大局を見据えている。伊丹の秘書艦だからと高を括っていたが……なかなか、頭が良い」

「御褒めの言葉、ありがとうございます」

 

その後、大和の主導により、舞鶴鎮守府再建の方向性が構築されていった。

大和は心を痛めていた。舞鶴鎮守府を延命させる為に、一人の新任提督の人生を壊してしまう可能性が非常に高かったからである。

新任提督の存在は伊丹が心から欲していた存在である。その存在を一手目でガラクタにするなど、本意では無かったはずだ。

 

しかし、舞鶴鎮守府を助けるには、この方法しかなかったのも事実であった。

舞鶴鎮守府に提督が着任しなければ、何のチャンスも与えられる事も無く仲間は解体される。岩井、鳴本、吉田の三人を着任させようとすれば、即座にこの一案は却下される。それならば、数少ない奇跡に懸けてしまうのも、仕方がない事では無かろうか。

 

大和は大淀の意志を継ぎ、仲間を守る事に傾倒(けいとう)していった。

大本営のほとんどの人間は、艦娘を手駒としか見ていない。大和はそれを許せなかった。

唯一心を許せる人間は、艦娘を守ろうとしている伊丹だけであった。

 

 

 

 

晴れ晴れとした雰囲気の中、今回の将官会議は終わった。

大和は数人の元帥に囲まれ、その思想を褒め称えられていた。

しかし、大和の内情はそれどころでは無かった。

すぐにでも、敬愛している伊丹に己の弁明を果たしたかった。

そして、議長席の背後から大和を睨み付けている艦娘、北上。

彼女の誤解を解くのは骨が折れるだろうと、大和の精神は少なからず摩耗していったのであった。




Q:大和は何で伊丹の助言を受けなかったの?
A:会議にて伊丹が平然としてると、大和の張った罠だと感付かれるからです
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