惻隠の情 作:坂口
「それにしても今日はええ仕事をしたと思えへん? 資材調達のついでに港湾棲姫を沈められるなんて、司令官に喜ばれるんちゃう?」
「そうね。最近は明るい話題も少なかったし、早く提督にご報告したいわ。……ほら、急ぎなさい。五航戦の意地を見せて頂戴」
先陣を進むのは二人の艦娘、龍驤と加賀である。今回の戦果に満足しているのか、二人からは柔らかい雰囲気が感じられる。海上を進む足取りも軽やかに、先行している加賀が背後に向かって言葉を投げかける。
「そう言うなら! ドラム缶運ぶの、手伝って貰えませんかねぇ! ねぇ、龍驤さんもそう思いません? 一航戦の意地を見せて欲しいですよねぇ!」
加賀の言葉に反応し不満げな態度で言葉を返すのは、先行している二人を追いかけるように海上を進む瑞鶴だ。
「ん? ウチの事? ウチにも何時やったか一航戦時代の思い出が……」
「ち、違います! あいつの事です! あの冷徹能面戦艦の加賀の事です!」
「……ふふふ、面白い冗談を言うのね。私と龍驤さんは交戦を頑張った。あなたは荷物運びを頑張った。それで良いじゃない。きっと提督もそのつもりで私たちを編成したに違いないわ」
「港湾棲姫を沈めたのは結果論じゃない!!!!」
「ウチの豪運が港湾棲姫を引き寄せてしもたのかも知れへんね。ああ、ついつい戦果を挙げてしまう自分の才能が恐ろしい……」
三人が
「……ほら、引き上げてあげるわ。手を伸ばしなさい」
「ありがと。でも先にこの三つのドラム缶を引き上げて欲しいかな」
「それならウチも手伝うわ。工廠に運んやらええのかな? 司令官から聞いてへん?」
水面で瑞鶴が自分の腰に結われた縄をほどきながら、龍驤と加賀にその先端を手渡す。二人は腰を落とし、綱引きの要領で一つ、二つ、三つ、とドラム缶を陸地に引き上げた。
「三人とも、出撃ご苦労様。本当だったら資材調達なんて君たちに任せる任務ではないんだけど、編成が悪くてやり辛かったよね」
ドラム缶を引き上げ終わった龍驤がその声に即座に反応し、敬礼の姿勢を取る。瑞鶴を引き上げていた加賀も一歩遅れて声の方向を向き、姿勢を正す。となれば、突然手を振りほどかれた瑞鶴は為す術も無く、
「司令官、報告や。ボーキサイトの確保の成功と、目標地点到達前に遭遇してん港湾棲姫との戦闘あり。迎撃成功やで。こちらの損害はあらへん」
龍驤の報告の声を聞きながら、司令官と呼ばれた男はつかつかと龍驤の元に歩み寄り、彼女の小柄な肩に両手を置き身を
遠目からは上背があるが、華奢に見られる事も多いこの提督だが、近付くにつれ鍛えられた身体が身に着けている軍服を盛り上げている事が分かる。しかし、野獣系というわけでも無い。顔の造形は端整であり、短く切られた髪型は清潔感がある。柔らかな表情は他人に親しみを覚えさせ、まるでスポーツマンの様にも見える。
「龍驤、いつも苦労を掛けるな」
「顔が近いんやって…………」
頬を赤らめプイと顔を背ける龍驤の行動に、彼は気分を損ねる様子も無く、続けて加賀の方に爽やかな笑顔を向ける。
「加賀も良くやってくれているな。秘書艦の雑事が続き疲労もある中、無理をさせてすまない」
「ふふっ、提督ほど疲れてないわ」
「後は………………瑞鶴…………の姿が見えないけど…………」
「彼女は汗で臭くなった身体を海水で清めていたはずだけど、何か問題でも?」
「いや、身を清めるなら海水じゃなく、遠慮なく入渠してくれても構わないんだけどね」
「では、そう伝えておきます」
発言と同時に加賀が一礼すると、男は笑いながら彼女達に背を向け鎮守府の方へと戻って行った。そんな彼の背中を龍驤は愛おしげに、加賀は誇らしげに、その姿が消えるまで目で追い続けていたのだった。
◇
「申し訳ありません、元帥。御話の途中で席を立つなど、誠に持って失礼に当りまして……」
「良い、良い。それが君の艦娘との付き合い方ならば、文句は言うまい。そもそも、君の功績は大本営でも評価されているんだ。…………そろそろ中尉という肩書にも飽きてきた頃合いじゃないかね?」
「はっ! 私のような若輩者には重すぎる階級であります故、今後の精進を持ちまして……」
「待て、待て! 君は自分の能力を過小評価してるのではないか? 忌まわしき三年前の大乱で……、この、この横須賀鎮守府は、一度……潰えた。恥を忍んで言うが、大本営である我らも、深海棲艦の猛攻に全てを諦めかけた。しかし、君がこの横須賀鎮守府に就任して、三年! たった三年で! 三年もの間! この海域を一人で守り抜き! 力を蓄え! 再び深海棲艦に対抗し
「いえ…………。御話を訂正するようで申し訳ありませんが……、一人ではありません。彼女達…………彼女達がいてくれたこそ、私は海軍の皆様の助けになる事が出来たのです。本当に、それだけです」
男は静かに頭を下げ、元帥の言葉を待つ。
そんな彼を見て、やはり元帥の胸中には複雑な思いが浮かび始める。
この男からは欲が見えない。この男からは執着が見えない。この男からは本来人間が持ちうる、ドロドロとした汚れた情欲が見えてこない。
しかし、だからこそ、元帥の胸には彼が急にこの横須賀鎮守府から消えてしまうのではないかと、常に不安に感じてしまうのだ。今はこの鎮守府にいる。しかし、彼にとってはどの場所でも同じように感じるのではないか? どの場所でも同じように振る舞えるのではないか? どの場所でも…………。
「顔を上げてくれ、鳴本君。……うむ、昇格の話は追々という形にしておこう。そして話はもう一つあるのだが、時間は平気かね?」
「はっ! 以降、所属艦娘に出撃の許可は出しておりませんので、
「そうか、では楽にして聞いてくれ」
元帥の言葉に鳴本は姿勢を正し、一言一句聞き逃さない様に真っ直ぐに瞳を見つめる。
「この鎮守府には関係ない事なんだが…………艦娘に不当な待遇を強いている鎮守府、もしくは事業所の存在を聞いた事が無いかな?」
「不当な待遇……ですか?」
鳴本の顔に疑問の色が浮かぶ。元帥の言葉の意味を、把握しかねているのだ。
「失礼ながら、艦娘とは海軍の所有物、つまり所有権は大本営にあると思われます。鎮守府、事業所に所属の私たちは、彼女達を借りている身。その借り物を自分本位に扱うなど……」
「……想像も付かないかな? まあ、世の中には心の弱い人間がいるという事なのだよ」
そう言うと元帥は静かに立ち上がり、窓の外を見つめ、静かにカラカラと笑った。
「つまらない話を聞かせてしまったかな? まあ、良くない話を聞いたら、噂程度でも構わないから、ちょっと連絡頂戴って事なんだがね」
元帥は身をほぐし、鳴本に手を振る。その様子から鳴本は元帥との話し合いが終わった事を悟る。失礼の無いように起立し、敬礼を向ける。
「本日はお忙しい中、貴重な御話……」
「良い、良いって。だからその堅苦しいの。私と君との仲じゃないか」
そう言いながら元帥は静かに扉の方に歩を進める。途端、どのように気付いたのか、外側から静かに扉が開かれる。元帥は導かれるように扉をくぐり、その姿を鳴本の前から消す。
会議室に残された鳴本は元帥の姿が見えなくなろうともその敬礼を止める事も無く、敬愛籠った熱い
◇
長い廊下を秘書艦の大和と歩く元帥の頭に浮かぶのは、不当に扱われている艦娘の存在の事だった。鳴本の前では詳細を語らなかったが、彼が把握しているだけでも数件の問題が大本営で取り上げられていたのだ。
事業所で起こっている場合なら、話は早い。責任者を更迭し、その事業所に指導を入れれば良いだけの話なのだから。
しかし、事が鎮守府で起こってしまうと非常に不味い事態となってしまう。提督と言う存在は、海軍にとって扱いが難しいのだ。
提督になる為には、資質が必要とされている。その資質を持たない者は、どんなに優秀でも提督にはなれないのだ。そして、日本国の海域を守る為には鎮守府が必要で、鎮守府を成り立たせるには提督の力が必要不可欠なのである。
提督が悪行を働くのであれば、その者を更迭すれば良い。しかし現状、日本国には満足な人数の提督がおらず、常に不足しているのだ。そうなると、辞めさせるのは非常に難しい。だが放っておけば、艦娘が消耗してしまう危険性もあり、野放しも出来ないのだ。
幸か不幸か大本営で取り上げられている数件の問題は全て事業所で起きており、問題の早期解決は間違いのない事である。しかし、鳴本に言葉を伝えたこの元帥、不確定ながらも
繰り返すが、事業所で行われる問題ならば早期解決が可能である。理由は提督が絡んでいないからである。
「……大和よ。どんな手段を使っても良い。素質を持つ者を……」
「……胸中お察しします」
苦し気な表情の元帥を、悲しげな表情で見つめる大和。二人にとってこのやり取りは、既に何度も繰り返されているのかもしれない……。
横須賀鎮守府提督:鳴本雷太
鎮守府:鎮守府
事業所:鎮守府を補助する、艦娘が一人か二人いたりいなかったりする
小さな営業所だと思って下さい