惻隠の情 作:坂口
「横須賀の、世話になったな。…………新入りの舞鶴着任には納得いかない部分もあるが、大本営の決定なら意味もあるのだろう。
「もちろんであります! 横須賀の観光地は我が軍門に下ったも同然であります! 本音を言えば、大湊のクソ田舎には帰りたくないであります! 横須賀鎮守府に残りたいであります!」
「がっはっは! 安心しろあきつ丸。貴様は一生、大湊だ。がっはっは! がっはっは!」
「あっはっは! 冗談も大概にしろでありますな! あっはっは! あっはっは!」
鎮守府の駐車区画で二人の様子を見守る鳴本の横には、吉田、金剛の二人が立っていた。
目の前には送迎用の乗用車が二台並べられており、大湊鎮守府、佐世保鎮守府への帰路を今か今かと待ち構えている状態であった。
「鳴本さん、あの男に関しては佐世保提督の私が厳しく目を光らせるので、安心してくださいね! あ、あと、もう少し落ち着いたら合同演習とかお願いできますか? 私も実戦不足で、」
「Catch you later! またね、
吉田の言葉を遮るように鳴本に抱き着いた金剛は、驚く鳴本の頬に軽い口付けをする。
岩井とあきつ丸が口笛を吹き、目の前の光景に吉田は冷静さを欠いていた。
「な、なんで?! …………なんで!!?!」
「では、住み慣れたMy homeにReturnデース。ほらほら、早く車にGet inデース!」
金剛に背を押され、後部座席に吉田が押し込まれる。振り返った金剛は鳴本へウィンクすると、静かに吉田の隣へ乗り込んだ。
それを見た岩井とあきつ丸も鳴本に軽い敬礼を見せ、隣の乗用車へ乗り込んでいく。
正門から出て行った二台の車は右へ左へと別れて行く。
短いながらも志を同じくする仲間と過ごした時間は、鳴本にとって無駄な時間では無かった。
駐車区画に残る排気ガスを潮風が洗い流していき、鳴本の身体には清涼な空気のみが入り込んでいく。すっきりとした
◇
鬼島稔の失踪から四日が経っていた。
早朝、大本営からの無線通信にて舞鶴鎮守府への新任提督の着任が伝えられた。
正式な辞令は一週間後、本人を大本営に呼び出してからではあるが、それまでの間に基礎講習を済ませて欲しいという話であった。
当初、鳴本からの又聞きという形で大本営の決定を聞いた岩井と吉田は驚きの声を上げたが、舞鶴鎮守府に着任する本人の反応はあまり大きくなかった。岩井からの言葉には身を固くし、己の心意気を長々と物言うのだが、鳴本と吉田の応援には「ああ」の二文字で終わってしまった。
鳴本が執務室の扉を開くと、応接用のソファに白い軍服を着こんだ男が座っており、テーブルを挟んだ対面には難しそうな顔をした港湾棲姫が座っていた。テーブルの上には将棋盤が置いてあり、その駒の動きを鳴本が確認しようと覗きこむと、どういう形となっているのか、男の王将は何故か中心に置かれており、それを取り囲むように二人分の歩兵が円を描くように並んでいた。
「どっちが勝ってるのかな?」
「俺だろう」
「チガウ! チガウ!」
港湾棲姫が慌てた様に男の方に置かれている飛車を手に掴むと、勢いよく王将にぶつけ、盤外へと弾き飛ばした。
「ギャクテン、ショウリ」
「頭が良いなぁ」
男の言葉に港湾棲姫は嬉しそうな顔をする。そんな港湾棲姫へ鳴本が将棋のルールが書かれた冊子を手渡すのだが、ニコニコしながら読み進める彼女の顔には徐々に疑問の色が浮かび始め、最終的にはそれを後方へ投げ捨ててしまった。
「……真面目な話をしようか。今日から一週間、横須賀鎮守府の司令塔として頑張ってくれ」
「ああ」
鳴本の一言に全てを察したのか、男の表情が真面目なものへと変わる。
「なぁ、あと一週間で俺たちはここを追い出されるみたいなんだ。お友達に説明しといた方が良いんじゃないか?」
男の言葉に港湾棲姫が慌てた様に立ち上がり、執務室から走り去って行った。
港湾棲姫と入れ違いに、執務室へ入室する艦娘の姿があった。港湾棲姫の後ろ姿を嫌そうに見つめる彼女は瑞鶴。瑞鶴は無遠慮な様子で鳴本へ近付き、手に持っていた資料を手渡す。
「…………あんた、鳴本提督が優しいからって、調子に乗ってるんじゃない? 港湾棲姫の首に縄でも付けて、しっかりと管理してほしいのに」
「瑞鶴。…………すまない、悪気があるわけじゃ無いんだ」
「………………」
男は瑞鶴を
「…………で、横須賀鎮守府で俺は何をすれば良い。業務全般を教えてほしい」
「あ、ああ。まずは…………」
男の言葉に反応する様に、鳴本が
海域を守るのは当然の事として、出撃命令の出し方。工廠や入渠施設の使い方。艤装の管理や弾薬、燃料の調整。航路は妖精が指示する場合もあるが、指示しない場合もある。だからと言って油断は禁物で、深海棲艦との無駄な接敵を回避するための情報や法則。気休め程度の
「…………ねぇ、ちょっと気になったんだけど……」
二人の様子を見ていた瑞鶴が、恐る恐る口を開く。
瑞鶴の言葉に反応する様に鳴本は言葉を区切り、男は瑞鶴の方を見る。
「二人って友達なんでしょ? そう聞いたんだけど…………なんか他人行儀っぽくない? 仕事中だから?」
「…………同級であって、友達では無い」
「……えっ?! 私と君は友達じゃなかったのかい?!」
「………………?」
男の言葉に驚きの様子を見せる鳴本だが、鳴本の言葉を理解していないのか、男は首を傾げるだけであった。
「じゃ、じゃあ港湾棲姫は何なのよ! なんか親し気にしてるし…………!」
「………………」
瑞鶴の言葉に男は目を伏せ、反応しない。しかしその表情は
「ま、まあ、何でも良いけど。でも、残り一週間、問題だけは起こさないでよね! 絶対!」
瑞鶴が大声を出し、執務室から出て行った。
そんな彼女を目にした男は鳴本に対し、静かに口を開いた。
「随分と沸点の低い艦娘だな」
「悪い子じゃないんだ。むしろ、良い子なんだけどね……」
鳴本の言葉に何を思うのか、男の表情に変化は見えない。
そして、身を正し、再び鳴本へと身体を向ける。男の本意を悟った鳴本はすぐさま手元の資料を手渡し、再び鎮守府についての講習を続けるのであった。
◇
四日、五日と経過し、六日目の昼。
執務室で男の書いた作戦報告書を受け取った鳴本は、満足そうな顔で頷いた。
「敵地視察、出撃任務の目的も悪くは無い。航海中に接敵した深海棲艦への対策も問題は見当たらない。少々、守り堅い気もするが……堅実と言えば聞こえは良い。…………そうだね、これなら大本営に報告しても問題は無いだろう。これは私が、大本営へ送っておこう」
「悪いな」
素っ気無い返事に気を悪くする様子も無く、鳴本は手元の報告書を執務机へ片付ける。
「……それで、旗艦の加賀はどう見る。彼の指示に問題点は無かったかい?」
執務室の壁際に静かに立っていた加賀に、鳴本は視線を向ける。男はソファに座っている港湾棲姫の頭を撫で始め、港湾棲姫はされるがままに頭を揺らしていた。
「そうね。私の意図を読み取って、簡潔な指示を頂けたわ。無線機への発声も良く、聞き取りやすい声でした。…………でも、これは問題点と言って良いのかしら。舞鶴鎮守府に所属する事によって、これがどう作用するか……」
「おお、
横に立っていた龍驤が加賀の言葉に喜び、男に対して冗談半分の冷たい視線を向ける。
男は龍驤の視線に気を悪くしたのか、両手で港湾棲姫の髪の毛をわしゃわしゃにし始める。
「…………何というか、彼に似てるわ。三年前、私の提督だった彼、鬼島提督の指示に……」
加賀の言葉に、執務室の空気が変わる。
鳴本は辛そうに顔を俯かせ、龍驤は忌々し気にソッポを向いた。加賀と男は淡々としており、港湾棲姫の髪の毛は荒れ狂っていた。
「…………貴方、私の事を何と呼びましたか? 鎮守府内では言葉を
「加賀型一番艦、と呼んだ。何が悪いのだろうか」
「じゃ、じゃあウチの事は何と呼ぶつもりや! ほれ、遠慮せんと……」
「龍驤型一番艦。それ以外に何と呼べば…………?」
男の言葉に鳴本と龍驤は、加賀に視線を向ける。
加賀は静かに頷くと、小さく呟いた。
「三年前の鬼島提督そのままね。声も雰囲気も違うけど、何と言えば良いのかしら。息遣いや指示のタイミング、艦娘との呼吸が鬼島提督そっくりなのね。…………偶然だと思うけど、どう思う?」
「どう思うも何も、最悪やないか! 鬼島提督の身勝手で傷つけられた艦娘の元に、何でまた同じような人間が配属されんねん! こんなん、舞鶴の子達が可哀相すぎるやろ! …………今からでも、こいつの配属先どうにか…………アカン、そしたらウチの鳴本司令官が連れていかれる……」
「私の異動は置いておいて……。…………なあ、君は明後日から舞鶴鎮守府の提督となる。舞鶴鎮守府については、どれくらい理解している?」
「少々問題がある、としか、聞かされていないが」
「その『少々』が大問題なんや! …………ああ、先入観を植えない為に深い内容を教えんかったウチ達も悪いか……でも、まさかこんな偶然があるなんて思わんやん……」
「…………それなら、私も同行するわ。…………本当だったらもっと早くに鳴本提督に伝えるべきだったわね。昔の仲間の現状を放っておけるほど、私も無責任では無いわ。彼、一人に問題を押し付けるのも良くない事です…………龍驤さん、私の分まで、鳴本提督を頼むわね」
「……?! お、おおっ! ウチに任せとき! 秘書艦も慣れっこやし、まあ、加賀は舞鶴できばりや!」
「では、私は大本営に艦娘異動の願いを出しておこう。受理は遅れると思うが、一週間後には異動は行われるだろう。君も、異議はないね?」
「正式な辞令は未だ受け取っていないのだが…………好きにしてくれ」
鳴本、加賀、龍驤の慌て様に何の興味もないのか、男は静かに港湾棲姫の髪の毛を
「おぉい! なんでウチらがこんなに必死になってんのに、アンタはそうマイペースやねん! しばくでほんまに!」
「そう言われてもな」
男の様子に龍驤が怒り、鳴本と加賀は無線通信にて緊急の異動願いを届けていた。
そして、数時間後。大本営から戻って来た無線通信の結果は、酷く淡々としたものであった。
『不許可』
この返答に驚いた鳴本は急ぎ大本営に無線通信を飛ばすのだが、大本営からは一貫とした不許可の一言であった。
自室にて荷物を
◇
七日目。横須賀鎮守府から大本営に移動した男は、執務室にて一人の元帥から辞令を受けていた。
「
室内には五人。執務室に座る元帥と、対面に立つ男。男の横には港湾棲姫が俯いた姿勢で立っており、その背後には鳴本と龍驤の二人もいた。
本来、この場には男と港湾棲姫のみが立つはずであった。しかし、運転手として同行して来た二人、特に龍驤の熱意に根負けし、この部屋の持ち主である元帥は、同室の許可を出してしまったのであった。
「では、本日付で貴公は舞鶴鎮守府へ着任となる。時刻、ヒトヨンマルマル。この辞令は公的な文書であり…………」
元帥の言葉が終わりに向かう。手に持っていた書類を男に手渡すと、男は仰々しく一礼し、敬礼を取る。
「ではこれにて終了とする。何か質問等あるのであれば、この場にて……」
「申し訳御座いません。一つ、元帥にお願いがあります。是非、彼の監視役として、龍驤の同行を御許し願えないでしょうか」
元帥の言葉に反応するは鳴本雷太。
鳴本は加賀の異動の許可が出なかった事を
「……龍驤?
「鳴本司令官! ウチ、聞いてない! こんな変な男と同じ鎮守府なんて行きたくないです! 考え直して下さい!」
元帥が反応する前に、龍驤が大きな声で慌て始めた。
彼女は焦りの為か、口調が平坦な言葉へと変わっていた。関西弁はどこへ飛んで行ったのか。
「……龍驤、君は将来的に大本営に勤めるだろう。その為に、見識を広げるべきだ。これは君にとっての数少ないチャンスに……」
「いやや~! 絶対に嫌や~!! ウチ、鳴本司令官と……グスン、横須賀鎮守府を守るんや~」
「龍驤! 私の顔に泥を塗るのは止めてくれないか! ここは公式の場でもある。元帥に失礼だとは……」
「いや、構わん。……君の突然の言葉に、驚いたのだろう。しかし、彼女が……ねぇ」
元帥は鳴本の要求を拒否する心積もりでいた。
何より、舞鶴鎮守府は再興させるのが目的では無い。問題を起こし、閉鎖するのが目的なのだ。
その為、優秀である加賀の異動願いは、十人中七人が反対に挙手をした為、考えるまでも無く却下されたのだ。
「………………」
本来ならば、龍驤の異動も却下するべきである。
しかし、泣き
彼女は感情的であり、男との同行を嫌がっている。これは、更なる火種となり得る。
大本営にて立場を上げるチャンスだと、元帥は口元に
「……鳴本君の熱意に負けたよ。彼女の一時異動願いは私が受理をしておく」
「ウソやろ?! なんでウチが…………おかしいやん! 絶対に…………ウワァアアアアアアン」
「ありがとうございます元帥。この御恩、決して……」
「いやいや、良いのだ。良いのだ」
己の一手が通った事に安堵する鳴本雷太。
そして、鳴本の計画を全く聞いてなかった龍驤。彼女は本気で泣いていた。
男と港湾棲姫は静かに立っており、三人の様子に何の興味も抱いていないようであった。
執務室での騒動は龍驤が泣き止むまで続き、その後四人は、静かに執務室を後にするのであった。
◇
大本営から離れ行く二台の車を目にしながら、会議室にて数人の男が
「あとは、時間の問題か」
「くくっ、新任の彼には悪いが、まあ、これも人生経験と言うやつだ。日本国の為の尊い犠牲であろう」
「……龍驤の同行を許したのは、
「はっ、彼女は感情的であり、新任との同行を酷く嫌がっていました。二人の間に、横須賀鎮守府にて何かが問題が起きていたのではないでしょうか。不仲な感情が鎮守府内に広がれば、それは面白い結果に…………」
「くっ、最高であるな。ついでに、彼女を理由に資材の支援も打ち切ろうではないか。『十分な戦力にて、資材の確保は存分に行うが宜しい』などと言えば、
「待て。監視役なのであれば、彼女の出撃は認められまい。海上にて出撃するのであれば、誰が男を監視するのだ」
「…………はっはっは、それもそうであった。これは面白い。彼は単なる不良債権を受け取っただけなのか。嗚呼、笑いが止まらん」
「自ら死地を目指すとは、なかなか見所のある若者であるな」
ひとしきり
彼には助けが無い。大本営からの支援は無く、向かう鎮守府は狂犬病に侵された野犬の巣と言っても過言では無い。
ゼロからのスタートですらない。マイナスから始まるのだ。
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―――
舞鶴鎮守府の前に、一台の乗用車が停まる。中から出てきたのは三人。
白い軍服を来た男。
不安げに鎮守府を見つめる港湾棲姫。
両目を腫らした龍驤。
三人の内面に潜む感情は様々であった。
喜、怒、哀、楽。
どのような感情でさえ、己の一歩を踏み出す原動力と化す。
足元の草花を踏む音だけが辺りに響き、目の前の鎮守府からは何の物音も無い。
三人を迎え入れる案内役もいない。
舞鶴鎮守府。
忘れ去られていた鎮守府。
一筋縄ではいかないその鎮守府は、まるで
「楽しみだな」
静かに発せられた呟きは誰かに対したか。それとも独り言か。
正門を開く音に掻き消されるそれは、それでも強く、胸に刻まれていた。