惻隠の情   作:坂口

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3章・再興
31話 舞鶴鎮守府(1)


夕暮れの光を背にし、舞鶴鎮守府は確かな存在感を放っていた。正門を支える門柱には厳かに『舞鶴鎮守府』と彫られており、ボロボロであった頃とは異なる、威風的な雰囲気が滲み出ていた。

敷地内の芝は丁寧に手入れがされており、黄色と赤色の光が優しく緑を覆っていた。天龍の一撃によって崩壊していた執務室の壁も元通りになっている。大本営、もしくは近隣事業所から出向してきた海兵や工兵が必死になって手入れや修繕をしていたのは間違いないだろう。

 

「………………」

 

男が門柱を撫で、感慨深げに目を(つむ)る。元より、叶わぬ夢だったはずであろう。

しかし、紆余曲折(うよきょくせつ)か運命の悪戯か。彼は白の軍服に身を包み、日本国の為に己の義勇を奮う事を許されたのだ。

 

「…………何しとるん?」

 

自分よりも背の高い正門を押し、鎮守府の方へ向かおうとしていた龍驤が怪訝そうに顔を向ける。

しかし男は龍驤の方へ視線を向けたかと思うと、何も答えず、黙って敷地内へと入ってしまった。

 

「普通、レディーファーストとちゃうん? 何でウチが支えんと…………」

 

龍驤が腫れぼったいな両目で隣に立つ港湾棲姫を見上げるが、港湾棲姫はどんどん先へ進む男と龍驤を困った顔で見比べた後、慌てた様子で男を追いかけるのであった。

 

「………………」

 

龍驤が不服そうな視線を二人に浴びせるのだが、男も港湾棲姫も、全く気にした様子が無い。

気にした様子も無く、鎮守府の入り口へ向かう事もせず、どんどん敷地内の脇道へ逸れて行くのであった。

 

「ちょ、そっちは演習場しかあらへん! 何で目の前の入り口を無視してそっちに……!!!」

 

龍驤の大声もどこ吹く風か。

いや、港湾棲姫が困った顔をしながら龍驤の方をチラチラと見、男の裾を引っ張っている。

しかし、男は龍驤の声に反応を見せない。何か確固たる目的があるかのように、只管(ひたすら)に演習場への道を直進するのであった。

 

 

 

 

「水平線が燃えているな」

「キレイ…………」

 

演習場に辿り着いた男は、海面に夕陽(ゆうひ)が照らすその輝きを視界に反射させていた。

港湾棲姫もその美しさに万感(ばんかん)胸にせまる思いがあるのか、声を出す事も忘れ、静かに立ち(すく)んでいた。

 

「これを見れただけでも舞鶴鎮守府に来た価値はあったな。今までは太平洋側だった。場所が変われば空気が違う。匂いが違う」

「………………」

 

男の言葉に心が揺さぶられるのか、港湾棲姫は静かに瞳を潤ませ、男の顔を覗く。

体格差がある為に上から覗きこむ形になってしまうのだが、それでも男は力強く港湾棲姫の瞳を見返していた。

 

「君の瞳の色は情熱の色だと思っていたが、なるほど。夕陽的な輝きも宿しているのだね」

「…………ワカンナイ」

 

港湾棲姫が恥ずかしそうに両手でその赤くなった顔を隠そうとする。

陽の光によって白の肌が火照りを見せている。それとも、彼女の感情がその頬を染め上げているのだろうか。

 

しかし、男の手が伸びた。

右手を伸ばし、港湾棲姫の手が己の顔を隠すよりも早く、彼女の頬に触れる。

 

「俺は地平線に染まる赤色を見ると、三年前を思い出す。血塗られた情景が浮かぶ。燦々(さんさん)とした海の色が徐々に赤黒く一面を照らし、次の瞬間、仲間が次々と死んでいったよ」

 

男の右手は震えていた。言葉は吐き捨てられる様に地面に叩き付けられ、その耳障りな反響が二人の間を抜けて行く。

ふと、港湾棲姫の頬から男の右手が離れる。男は数歩、演習場の周りを歩くと、ほどよい大きさ、こぶし大の石を拾い上げる。そして、自然体の様相で、近くに並んでいたドラム缶に投げつけた。中身は空だったのか、激しい金属音が辺りに響き渡ると、男の表情には忌々し気な色が強まっていた。

 

「…………あの日から、俺は金属音を受け付けなくなった。戦場を思い出し、自分の胸に仄暗い感情が浮かぶようになった」

 

男の独白に、港湾棲姫が驚いた顔をする。

鎮守府の提督は、執務室にて指示を出せば勤まる様な肩書では無い。艦娘を用いて深海棲艦と戦闘を行うとは言うが、砲撃の轟音や爆雷の激しさは無線通信を通して嫌でも聞こえてしまうだろう。弾が跳ねる音や海面の飛沫(しぶき)の音だけならマシな方だ。己の轟沈を覚悟した悲愴を聞いても尚、提督は一難が去るまで淡々と指揮を執り続けなくてはならないのだ。

 

「……提督として生きるには、生き辛い身体をしているんだ。何かあったら、助けてくれよ」

「………………」

 

港湾棲姫は静かに頷いた。

それを見た男は満足そうに静かに笑うと、再び赤く染まった水平線の向こうを見つめるのであった。

 

 

 

 

「遅かってん」

 

二人が鎮守府内の執務室へと辿り着くと、目の前の執務机には龍驤が座っていた。その姿勢は悪く、椅子に寄り掛かる事によって投げ出された両足は執務机の上に載せられており、不満ありありな瞳は執着(しゅうちゃく)する様に二人の様子を捉えていた。

 

「窓から見てたで。演習場でイチャイチャイチャイチャ。鳴本司令官と離ればなれになったウチに対する嫌味か? 嫌味なん?」

「…………それは良いとして、この状況を説明してもらいたい」

 

男が執務室の床に所狭しと並んでいる、大小様々な段ボール箱に視線を移す。床に置いてある段ボール箱は男と港湾棲姫の私物が入っており、(あらかじ)め先に舞鶴鎮守府へと送られていたのだった。

そして、その段ボール箱は全て開封されていた。港湾棲姫が慌てた様に中身を確認するのだが、特に内容物に異変があるわけでもないようで、本当に開封されただけのようであった。

 

「人の荷物を勝手に開けるのは感心しないな」

「な、なんでウチが悪いみたいになっとんねん! ウチがここに来た時からこうなってん!」

 

龍驤が怒りを隠そうともせずに、男に突っかかる。

しかし、男も容赦はない。静かに執務机の龍驤に近付くと、その顔をどんどん近づけ、龍驤の両の瞳を真正面から見返すのであった。

 

「ち…………近い! 顔が近いんやって…………!」

 

龍驤がどうにか離れようと身体を後ろに倒すのだが、既に背もたれには限界が来ており、それ以上、龍驤の顔が離れる事は無い。

しかし、それでもどうにか。龍驤の必死の思いに応えるかのように椅子は後方に景気よく倒れつつあり、己の身の危険を察した龍驤は必死に両手を上げてバランスを取るのだが、傾いたその姿勢は重力に抗う事は出来ず、豪快な音を立てながら椅子ごと後方へ倒れるのであった。

 

「…………私物が査閲(さえつ)されたのか?」

 

男が港湾棲姫に続くように、近くの箱に目を向ける。しかし、やはり異変は無いようであった。

そんな中、男は大きな箱に重ねられた手頃な箱を手に取り、中からティーカップを取り出した。

そこには土が盛られており、黄色い花が三輪ほど活けられていた。

 

「……アッ!!!」

 

港湾棲姫が嬉しそうに声を上げ、男の持つティーカップに近付いていく。

男は床に倒れ込んで頭を押さえている龍驤を(また)ぎ、窓辺にそれを飾る。

港湾棲姫は花に夢中で足元を見ていなかった。その為、龍驤をぐにゃりと踏みつぶす。龍驤の口からは「う゛っ!」と鈍い(うめ)き声が漏れるのだが、そんな龍驤を心配する人物はこの部屋に誰もいなかった。

 

「……横須賀で外出許可を貰って、こいつを拾ってきた。枯れると思っていたけど、案外強いんだな」

 

その花は男の元々の住居の近く。岩場に生えていた小さな花であった。

海風が吹き(さら)す為に早々に枯れると思われていたが、男が様子を見に行けば思った以上に強く成長しており、仲間も近隣に群生していた。

 

「…………アナタ、…………ワタシ」

 

港湾棲姫が目を細め、黄色い花を指差す。

真ん中に目立っている花を指差し、男を指差す。

一番背の高い花を指差し、自分を指差す。

 

「………………ホッポ」

 

そして、一番小さな花を指差したかと思えば、港湾棲姫の口から出た言葉はそれであった。

港湾棲姫の思い掛けない言葉に、男は疑問の言葉を向ける。

 

「……龍驤じゃないのか?」

「………………」

 

港湾棲姫が首を振り、力なく、小さく笑った。

その笑顔は(はかな)げで、すぐにでも消えてしまいそうであった。

 

「………………荷物の事は置いといてな、大きな問題があんねん……」

 

龍驤が腹部を押さえながらよろよろと立ち上がり、力強く棚の方へ指を向ける。

そこには何も入っておらず、空の書類棚だけが静かに存在感を発揮していた。

 

「……何も無いな」

「そうや! 何もないんや! 普通なら前任者の集めた資料とかが入ってるのに、何もないんや!」

 

深海棲艦との争乱に必要な事。それは何に()いても情報である。

海は生きている。一度でも同じ状態にはなり得ない。その為、海上にて収集した情報は無二の記録となる。

鬼島稔が何よりも重用(ちょうよう)していた代物。これまで唯一無二の成果を出し続けてきたのは、様々な観点から情報を読み解いていたからである。

それが、この部屋には無かった。

天候、海流、深海棲艦の出現頻度、パターン。

艦娘の癖、出撃に用いる燃料、弾薬数。得手不得手な陣形など、今まで積み上げてきた事象が、全て不確定となる。

なぜ鎮守府運営に何よりも大切な物が欠けているのか。舞鶴鎮守府を修繕した際に、大本営のデーターベースへ移送されたのだろうか。

 

「アンタは本来、見習いの位置づけやん! そないな新参者が……今までの情報も無しに、深海棲艦と戦えるわけあらへんやろ……」

 

龍驤が悔し気に奥歯を噛み、足元を見る。

(ただ)でさえ問題がある鎮守府である。新任提督が何の手助けも無く深海棲艦と戦える(はず)が無い。

大本営の考えが龍驤には理解できない。しかし、だからこそ自分が監視役に選ばれたのだと腹を(くく)ると、男に一喝する。

 

「きばりや! アンタは何もでけへんヒヨッコやけど、ウチが何とかしたるわ!」

 

龍驤の熱を浴び、面倒くさそうな顔をする男。

しかし即座に表情は改まる。男は何を思ったのか、港湾棲姫の頬を突っつき始めた。

 

「何も出来ないってさ」

「ムゥ……」

 

港湾棲姫の顔がぷぅ、と膨らみ、忌々し気に龍驤を睨み付ける。

両目は吊り上がり、身に(まと)う雰囲気は(さなが)ら、獲物を前にした捕食者のようである。

 

「な、何でそないな顔でウチを見るんや! ウチが言っとんのはコイツの…………ああ、もう何でもあらへん!」

 

今まで見た事がない港湾棲姫の威圧に耐えかねたのか、後退(あとずさ)った龍驤が降参とばかりに両手を上げる。

その時、廊下から重々しい音が聞こえてくる。金属が擦れ合う様な高音。そして、緊張感のある吐息が。

 

「…………う、動くな! 貴様は既に包囲されている! 抵抗は無駄だと知れ!!?!」

 

そこには身を固くした長門が艤装を展開し、港湾棲姫を鋭く睨み付けていた。

執務室に緊張が走る。港湾棲姫は視線を龍驤から廊下へ移し、龍驤は慌てた様に長門に説明を始めようとする。

しかし、長門の決死の警告を意に介す様子も無く、誰よりも先に動いた者がいた。

 

「……本日、舞鶴鎮守府に着任した。よろしく頼む」

「……!!?! あ、ああ! だが、挨拶は後回し…………」

「ちょ、ちょい待ち! これはちゃうねん! そいつは無害や。せやから艤装は解除してええで!」

 

男と長門。二人の間に龍驤が入り込み、緊張の面持ちを崩さない長門に事の成り行きを説明し始める。

話の腰を折られた男は静かに執務机の元に近付き、二人の様子を見つめる。

港湾棲姫は興味が無くなったのか、窓際に飾られた花をその爪で静かに愛で始めていた。

 

―――――――――

 

――――――

 

―――

 

「…………鬼島提督じゃ、ないのか…………」

 

龍驤の説明を受けた長門は、力を失ったようにその場に座り込んでしまった。

 

「そうか、私達は鬼島提督に見捨てられたか……」

「いや、見捨てるとか見捨てへんとかそないな話やないねん。大本営は、もっと長い視点で物事を考えて…………ああ! アンタの事や! アンタもなんか言えや!」

 

執務室に座り、静かに辞令を読み直していた男が長門に視線を移す。

しかし、特に言う事は思い浮かばなかったのか。長門と視線を交わして数秒、再び手元の辞令に目を向けた。

 

「……まあ、言いたい事や思う事があるのは分かる。せやけど、不本意ながらも他の艦娘にこいつを紹介せぇへんといけへん。皆は部屋におるんか?」

「分からない。時々、食堂で顔を合わせる事もあるが、特別に言葉を交わしたりはしないからな。私から声を掛けても良いのだろうか……。どうしてもな、そのような勇気を持ち合わせていないんだ。天龍は気さくに話をしてくれるが、そういう意味では、他人と話をするのは久しぶりな気がするな……」

「な、何でやん。二週間程度の休暇もらってたやん。舞鶴鎮守府から市街に出れば、市場なり娯楽なりあるやん。誰かと……」

「…………そうか。そんな楽しみ方もあったのだな。私達は何年も兵器として生きてきたからか……。ははっ、すっかり失念していたな」

 

長門の退廃的な態度を見て、龍驤は舞鶴鎮守府の深刻さを思い出す。

しかし、だからと言って気の利いた言葉を都合よく生み出せるわけでも無い。彼女達が過ごしていた日常は、彼女達にとっては非日常であった。伊丹元帥が彼女達の為を思って設けた休養日も、彼女達の(たが)われた仲を修復するまでには至らなかったようである。

それも当然であろう。彼女達の冷戦は一時の迷いから生まれた感情では無い。だからこそ時間を置いて冷静になった今、更なる憎しみとなって舞鶴鎮守府に蔓延(はびこ)っているのだろう。

 

「…………皆と対面を果たそうと考えていたのだが、集合させるのは難しいのか? それなら、こちらから出向くとするか」

 

龍驤と長門の話を盗み聞いていたのか、男が静かに執務机から立ち上がった。

足取りは迷うことなく廊下へと辿り着き、そのまま進行方向へと歩き始めた。

 

「ちょ、どこへ行くん!?」

「艦娘寮にいるのならば、艦娘寮だろうな」

「ば、馬鹿か! なんで初対面の男に艦娘のプライベートルームを侵略されんといかんのや! 常識的に考えてみい!」

「常識的に考えれば、上官の無作法に目を瞑るのは部下の仕事だろう」

「ああ?! あんた自分の事を上官だと思っとるん? なんも結果出してないのに、態度だけは一人前ってやつやな!」

 

隣を歩き、噛み付かんばかりな表情で睨み付ける龍驤に、男は疲れたような顔を見せる。

そんな男と龍驤の態度に長門は慌てた様に声を掛けようとしているのだが、二人の間に声を上げる事が出来ないのか、宙に浮いた手はどちらに届く事も無く時間だけが経って行った。

 

「…………ならば、食堂で待つ。向こうから出向くのならば問題はないだろう」

「……誰もこんかったら?」

「待てば良いだけの話。そもそも、資料が無いのであれば執務室にこだわる必要もないしな」

 

男が港湾棲姫の方へ身体を向け、手を差し出す。港湾棲姫が男の手を握ると、二人はスタスタと食堂の方へ歩いて行ってしまった。

 

「…………夕食には早いけど、何か食べたいものはあるか? 材料が無いのであれば、まだ市も開いてるだろう。早めに買い物に……」

 

後を追う龍驤と長門の耳には、男の優し気な声が聞こえてくる。

龍驤は男のそんな態度が気に入らないのか、隠す事も無く苦々しい表情を向けていた。

 

「ウ チ は た こ 焼 き が 食 べ た い !」

「白米を箸休めにたこ焼きを食うなんて、関西者は気持ちが悪いな」

「なんやと!!!! 喧嘩うっとんのか! うちは関西者じゃあらへんし!」

「艦娘の地元はどういう事になるんだ?」

「……すまない、意識した事は、無い」

 

不意の問い掛けだったが、長門は冷静に答えを返す事が出来た。

しかし、頭の中に渦巻くは大本営への不信感と、目の前の男の存在理由である。

誰よりも優秀であった鬼島稔が外され、見るからに新人の男を据える意味が、長門には理解できなかった。

 

否、目を背けていた。

舞鶴鎮守府は捨てられたのだろうという鬼島稔の言葉が、長門の胸に何度も反芻(はんすう)していた。

着任した新人提督。その片割れにはなぜか港湾棲姫の姿がある。

もしかしたら、港湾棲姫は大本営の新たなる試作品であり、それを試す為に舞鶴鎮守府へ送られたのだろうか。

港湾棲姫は深海棲艦である。敵対するは、艦娘であろう。

つまり、深海棲艦は無能な自分達を処分するために……。

 

そこまで考え、長門は必死に頭を振ってその考えを脳裏から消し去った。

しかし、一度思い浮かんでしまった思考は、即座に変更できるものでもない。

 

この日より、舞鶴鎮守府は再び動き出す。

主導を握る者によって、天国にも地獄にもなり得るアトランダム(無作為)な日常。

叶う願いは、誰の救いとなるのだろうか……。

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