惻隠の情   作:坂口

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32話 舞鶴鎮守府(2)

閉め忘れたカーテンの間から差し込む薄明りが室内を照らし始める。

窓の外から聞き慣れない鳥の声が聞こえてくるが、彼女の頭はそれを認識しない。

むにゃむにゃと掛け布団をずらし、沈む意識に(あらが)う様に目を開けた龍驤の視界に入ったのは、何も無い空間であった。

はっ、と慌てた様に身体を起こし、ようやく彼女は思い出す。昨日(さくじつ)から舞鶴鎮守府に引っ越し、空いている艦娘寮の一部屋を間借りしていた事を。

己の体内時刻にて、まだまだ普段の起床時刻には程遠い事を悟る。彼女は小柄ながらも、横須賀鎮守府にて長らくエースを務めてきている。時計が無くとも空を見れば、大体の時刻は計れる。季節や位置も関係が無い。

舞鶴鎮守府の(しゅ)たる起床時刻を彼女は知らないが、艦娘寮に空気の動く気配はない。龍驤はもうひと眠りをしようと身体を横にするのだが、意識はどうにも覚醒してしまったらしく、気持ちの良い二度寝に洒落こむ事は難しそうであった。

 

その時、艦娘寮に大きな音が鳴り響いた。

有事の際に使用される緊急警報であった。

龍驤の脳裏に浮かぶは三年前。即座に窓から海面を伺うが、異変は見付からない。しかし、緊急警報が鳴っている以上、己が取る行動は一つしかない。艤装を展開し、窓を開ける。朝東風(あさごち)が龍驤の身体を撫で、彼女の意識を明瞭な状態にさせる。

切迫している時に呑気に階段を下りている暇は無い。そして、龍驤は舞鶴鎮守府所属の艦娘から見れば余所者(よそもの)である。初対面になるであろうこの事態に、遅れて登場する訳にはいかない。彼女は躊躇(ちゅうちょ)する様子も見せずに窓から飛び降り、海面に(つら)なる埠頭へと足を急がせるのであった。

 

 

 

 

(…………なんでや)

 

埠頭に到着した龍驤の目に入ったのは、一人の艦娘の姿であった。

龍驤は最短距離を駆け、この場に辿り着いた。警報が鳴り、即座に動いた。その行動は洗練されており、一線級の艦娘として申し分のないものであった。しかし、息を切らした彼女に前には既に待ち人がおり、何事も無いかのように、無表情に海面を眺めていた。

茶色のショートヘア―の彼女は、息が切れていない。額や首筋に汗も見えない。服装の乱れも見られず、ずっとその場で待っていたかのような佇まいであった。

 

「……朝から自主練でもしとってん。精が出るやん」

「……部屋にいましたけど」

「………………」

「………………」

 

言葉が続かない。龍驤としては聞きたい事は多々あるのだが、目の前の彼女からは静かながらもヒシヒシとした空気が放たれていた。その身体に無理やりにでも押し込めようとしている感情。喜気であろうか、怒気であろうか。

そんな埠頭の空気も長くは続かない。警報によって起こされた艦娘が、遅れる様に次々と集まってくる。彼女達の顔色は様々であった。焦り、疑問、戸惑い。しかし、隣接している海域を守るという意思は共通しており、彼女達の身に(みなぎ)るは深海棲艦に対する殲滅の一心であった。

そして最後に、いつの間にか鳴り止んだ警報から数分後。港湾棲姫を連れた男が埠頭に姿を見せるのであった。

 

空気が固まる。

 

二人が近付くにつれ、温度の無い緊張感が広まっているのを龍驤は感じていた。

海上を見やり、軽く身体を(ほぐ)していた艦娘は艤装を構え、息を整える。

目の当たりにしている現象は事実だろうか。見慣れた白い軍服は海軍提督の身形(みなり)ではあるが、それを着ている人物を彼女達は今まで見た記憶が無かった。そして、当然の様に後ろに付いている白の異形。打破すべき存在が陸地にてのうのう(・・・・)と闊歩している事実を彼女達は許す事が出来なかった。既に白い軍服を着た男に視線は向かない。背後を歩く港湾棲姫の一挙一動から目を離せない彼女達は、静かに己の身体に力を込める。

 

「………………」

 

男が立ち止まる。それぞれの場所に位地する艦娘ではあるが、男と数人の艦娘達の間合いは、既に互いに手を伸ばせば触れ合えるほどになっていた。

口も開かず、耳も閉ざす。冷たい視線が降り注ぐその中心点。そんな彼女達を気にした様子も無く、男は独特な感想を口にする。

 

「……鳴らすのは簡単だが、止めるのに手間がかかるな」

「……提督、早朝の緊急警報は何であろうか。深海棲艦が出たのなら、悠長にしている暇は……」

 

龍驤を除き、唯一の接点があった長門が男に声を掛ける。

 

「起床時に用いるベルと間違えた。申し訳ない」

 

長門の疑問に男が深々と頭を下げ、謝罪を口にする。背後では港湾棲姫が手に持たされているラッパを物珍しそうに見つめ、口に咥えたり離したりして遊んでいた。

 

男の言葉に動揺したのか、それとも長門の言葉か。

艦娘の間にざわめきが生じる。しかしそれは(ひと)()ちたものであったのか、互いに言葉を交わす者は誰もいなかった。

 

「提督? …………あなた誰。鬼島提督はどこ」

「……知らない名前だな」

 

周囲の様子を気にした様子も無く、茶色のショートヘア―の艦娘、睦月が口を開く。

しかし、素っ気無い返答に不満が生まれたのか、忌々し気な表情を男に向けると彼女は唇を噛み、躊躇(ちゅうちょ)なく左手の単装砲を男の足元に向ける。

 

瞬間、破裂音が空気を震わせた。

男の足元には(ひび)が入り、白の軍服に飛んだ破片が、穢れ無き純白に焦げ跡を残す。

睦月の周囲に立っていた艦娘は焦ったかのように発砲音に身を屈め、何が起きたのかを理解しようと必死になる。

 

「ア、アンタ、どういうこっちゃ! 殺す気か……!!?!」

 

薄煙が晴れた埠頭にて、龍驤が抗議と非難の声を上げる。

睦月は怯む事無く龍驤の顔を睨み付け、長門は何と声を掛けようか悩んでいるのか、宙に浮いた手が行く当ても無く彷徨っていた。

 

「……大本営の気まぐれで提督を変えられちゃ困るよ。私達は鬼島提督以外、必要ない」

 

睦月の冷たい視線が男の両目を貫いた。

そして、再び左手の単装砲を男に向ける。

 

「……脅しだと思ってる? 確かに、私達は人間を害する事は出来ないよ。でも、それって本当なの? 誰かが確認したの? …………今すぐ鬼島提督に会わせてよ。あなたがいなくなれば、違う人が鎮守府に着任するんだよね。それなら、鬼島提督が戻ってくるまで、私は、睦月は……」

「おい睦月! 止めろ!!!」

「いい加減にしやがれ! 提督に手を挙げて、問題視されねぇ理由がねぇ!!!」

 

慌てた様子の長門と天龍が背後から睦月を羽交い絞めにする。

しかし、そんな二人を睦月から引き剥がそうと、雷と電が必死になって長門と天龍に(まと)わりつくのであった。

如月は心配そうな目で睦月と男を交互に見比べており、皐月、文月、響の三人は、少し離れたところで喧噪から目を逸らしているのであった。

 

「………………ダメ」

 

互いが夢中になっていた為、港湾棲姫が艦娘に近付いた事を誰も気付いていなかった。

幽鬼のようにフラリと睦月の目の前に現れた港湾棲姫は、右手を伸ばし睦月の単装砲を掴む。

そして、(おもむろ)に銃口を上に押し曲げると、バキバキと鈍い音が続き、完全に上を向いたそれは既に兵器としての役割を完全に失っていた。

 

「…………嘘だろ」

 

長門と天龍が重なるように声を漏らし、港湾棲姫と対面していた睦月は冷静さを装っていたが、彼女の膝は震えており、無意識に数歩、その場から後退(あとずさ)っていた。

 

「…………彼女の艤装は大元帥から授かった物である。謝りなさい」

「………………!!?!」

 

疲れたようなその声に、港湾棲姫と龍驤が慌てて男に目を向ける。

男は静かに港湾棲姫を見つめており、それ以上、言葉を発するつもりはなさそうであった。

男の雰囲気に何かを感じたのか、港湾棲姫は慌てた様に睦月に近寄り、上を向いた銃口を再び握りしめる。そして、勢いに任せてそれを元の位置にまで戻すと、銃口は完全に根元から千切れ、地面に落ちてしまった。

 

「……チ、チガウ」

 

港湾棲姫が驚いたような顔で男を見るが、男は無表情で地面に落ちたそれを見つめていた。

キョロキョロと港湾棲姫が周囲を見る。龍驤、長門、天龍の三人は顔が引き攣っており、雷と電は腰が抜けたのか、その場に座り込んでいた。

睦月は瞳孔が開いた目で港湾棲姫を見つめていたが、足元は覚束(おぼつか)ないのかフラフラと後退する。

 

「睦月…………か。すまない。その状態では出撃もままならないだろう。工廠にて修理を―――」

「さわらないで!!!」

 

睦月が悲痛な声を上げ、海上に飛び込んだ。水飛沫が全てを打ち消すかのように彼女の身を隠し、次の瞬間。平静を取り戻したのか、普段と変わらぬ面持ちの彼女がそこに立っていた。

 

「…………出撃するなら成員(メンバー)と行け。旗艦、長門。睦月、皐月、響―――」

「お構いなく」

 

睦月はそれだけ言うと、海上を走りだす。埠頭に残った艦娘は彼女の行動を目にすると、思い思いに行動を再開する。

睦月に続いて海上に出る者。艦娘寮に戻る者。その場に残り、水平線を望む者。

最終的に埠頭に残ったのは、三人。己が考えた成員(メンバー)表を手に持った男と、港湾棲姫。

そして、龍驤。

 

「………………俺は嫌われているのか?」

「……ウチには何とも言えへん」

 

男の純粋な疑問に、龍驤が顔を歪ませながら答える。

そう、この男自体は特に問題は無かった、はずである。しかし、舞鶴鎮守府に所属している艦娘にとっての提督は、特定の誰かを指し示す言葉となっており、その呪いを解かない限り、彼に安寧な提督生活を送る事は許されないのだろう。

 

「……まあ、なんとかしていくさ」

 

男が乾いた笑いを零すと、顔を俯かせた港湾棲姫がそっと男の手を取る。

驚いた顔で港湾棲姫を見る男だったが、何を思ったのか、優しく手を撫で、工廠施設の方向に歩みを進めた。

 

(…………なんとかできるんか?)

 

龍驤の胸に何とも言えない不安な感情が次から次へと湧き起こる。

しかし、未だに二日目である。幸先が悪い雰囲気は残ってしまったが、だからと言って事態が好転しないとも限らない。

龍驤は静かに息を吐くと、二人に続くように、工廠施設へと歩みを向けるのであった。

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