惻隠の情   作:坂口

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34話 舞鶴鎮守府(4)

男と龍驤が執務机の上に広げられた海図を挟み、互いに手に持っている万年筆でメモ書きや数字を(しる)していく。互いの口をつくのは最低限の確認であり、身に刻まれている確固たる知識を疑う気配が二人からは見られない。

そんな二人の(かたわ)ら、港湾棲姫は執務室に置かれている段ボールを隣の寝室へと移動させている。

彼女にとって荷物の重量は大した事がないはずだが、繰り返される単純労働によって彼女の額には薄い汗が浮かんでいた。

 

 

 

遅めの朝食を終えた三人は、長らく食堂のテーブルに座ったままでいた。

早朝に所属艦娘の全員が出撃したわけでは無い。その為、食堂で待機していれば天龍の様にフラリと現れた艦娘と対面できると予想した結果である。

しかし、長らくその場に留まっていても、天龍以外の艦娘と顔を合わせる事は無かった。

既に時間は経過していた。陽は高く上っており、午前と午後の境目になりかけている。

 

「皆は(かすみ)でも食べているのか?」

 

男が皮肉とも取れる言葉を口にし、静かに立ち上がる。

遂に、我慢の限界に達したのだろうか。

男の目の前に座っていた龍驤はその声を聞くや、ぐにゃりとテーブルの上に身体を投げ出した。

何とも言えない緊張感が彼女の身体を固くしていたのは言うまでもないだろう。

そのまま三人は執務室へと移動し、一日の業務を開始させたのだった。

 

 

 

 

「…………ま、現状の防衛海域はこんなもんやろ。横須賀と大湊が海域を広げるって話は聞いてへんし、佐世保は今まで舞鶴(ここ)の海域も防衛しとったから変化はあらへんあらへん」

 

龍驤がそう締めくくると同時に、赤で囲った部分を斜線で色付けしていく。

白と黒と赤。味気なかった海図に色が付き、一目で保有海域を認識する事ができる。

 

「とはいえ、舞鶴鎮守府(ここ)の防衛海域の規模が分からん……」

 

男がグリグリと地図上の舞鶴鎮守府を何重もの丸で囲っていく。比較的、敵愾心(てきがいしん)が薄そうな長門に聞けば良いのかもしれないが、舞鶴鎮守府は日本海側と太平洋側を問わずに出撃を繰り返しており、長門が全ての海域を把握しているとも限らない。

 

「…………龍驤、艦載機は飛ばせるか?」

「あぁん? 何するん?」

「早朝に出撃した所属艦娘を追いかける。睦月は単装砲が破損している。安全策を取って防衛海域を出る可能性は低いだろう。他の艦娘がどのような海路(うなじ)を選んでいるかは分からんが、成員(メンバー)次第じゃ交友関係を(かい)する事が出来るかもしれないからな」

 

男の言葉に腕を組む龍驤。しかし、改まった機会を設けて対面するよりも、日常の彼女達を追いかけた方が自然体の舞鶴鎮守府を見据える事が出来るだろう。

納得したかのように龍驤が腰から巻物を抜き取り、広げる。

一目で飛行甲板だと分かるその表面には『航空式鬼神召喚法陣龍驤大符』と書かれており、陰陽道の香りが色濃く表れていた。

 

巻物を広げた方とは逆の手に、数枚の紙人形が握られている。

龍驤が(まじな)いの様に何かを口ずさみながら紙人形を飛行甲板に滑らせると、紙人形はすぐさまその形を変え、三台の艦載機が窓の外に飛び立っていった。

龍驤の動きを見守っていた港湾棲姫が艦載機を追いかける様に窓の外に手を伸ばす。まるで獲物を見付けた大型犬である。

しかし、港湾棲姫の手が届くはずもない。

三台の艦載機は窓際の港湾棲姫をおちょくるようにクルクルと宙を舞い、彼方へとその姿を消していった。

 

(みやび)だな。他の艦娘もそうやって艦載機を飛ばすのか?」

「ウチのやり方は独自色が強いから……。大体の艦娘は弓を使って艦載機を飛ばすで。矢が艦載機になるんや」

 

龍驤の実技に男の好奇心が刺激されたのか、様々な質問を投げかけていく。

そんな男の純粋な姿勢に悪い気はしないのか、龍驤は窓際に立ちながら丁寧に質問に答えていった。

 

「…………さて、そろそろ質問タイムは終わりや。とりあえず、どこを探す?」

「任せる」

「おお、なんや……。…………、…………」

 

男の言葉を聞き、龍驤が集中するかのようにその口を(つぐ)んだ。

そして、視線を宙に向ける。しかし、己の目に映る光景を見ていない。

目の前に存在するものではない、その先を見据えていた。大量に流れ込む情報を吟味する様に彼女は静かに(まばた)きをすると、首を回し、男の方に合図をする。

 

「……睦月がおったで。予想通り、近海を回ってるみたいやね」

「見えてるのか? 聞こえてるのか?」

「ぼんやりと見えてるで。…………艦載機に乗ってる妖精さんの視界なんちゃうかな?」

 

睦月を追いかける事にした龍驤が再び窓の外に目を向ける。

と、その時、龍驤が慌てた様に大きな声を出し始めた。

 

「……っと、おお?! なんやねん!! こっちに向かって撃ってきとる! ウチは敵やあらへんのに…………!!! 撤退! 撤退!」

 

龍驤が慌てた様に顔の前で両手を(せわ)しなく動かす。

ほどなく、回避行動には成功したのか、疲れたような笑顔を男に向ける龍驤。

執務机の海図に近付くと、太平洋の一部に大き目の囲いを記した。

 

「でも、おおよその予想はついたかな。睦月がここにおったって事は……この付近はウチらの海域やな」

 

そして再び、龍驤は窓際に立ち視線を宙に向ける。

と、その時、何かに気付いたように眼前の海面を見渡した。

 

「おっと、長門が帰還したみたいやね。…………おーい! 補給しに戻ったの!? それとも、今日の出撃任務は終わりやの!?」

 

確認できる範囲に戻って来たのだろうか、男がチラリと海面に目を向けると、辛うじて誰かが埠頭から上陸する様子が見えた。

豆粒が動いているようにしか見えないのだが、身長などの外的特徴によって判断できない事も無いだろう。

 

何が嬉しいのか、窓から身を乗り出して長門がいるだろう方向に手を振る龍驤。

彼女の様子はまるで年相応の少女である。深海棲艦との戦中でなければ、まるで憧憬(どうけい)の先輩に色めく破瓜なる少女であろう。

そんな龍驤の様子に興味はないのか、男は海図に目を向け何かを考えている。

しかし、港湾棲姫はそうでは無かった。跳ねる龍驤の姿を熱心に見つめ、視線を向けて欲しいのか男の肩を必死に揺すっていた。

 

「…………?」

 

港湾棲姫の方を見るが、港湾棲姫の視線は龍驤に釘付けであり、爪先は龍驤の方を示していた。

何が珍しいのか、男が首を(かし)げながら龍驤の方に目を向けると、港湾棲姫が何に興味を示しているのかがはっきりと分かった。龍驤の動きに連動するかのようにひらひらと遊ぶミニスカートから、描かれているのか、編み込まれているのか、可愛らしい絵柄が見え隠れしていたのだ。

 

「ああ、あれは熊だな。山に住む動物で……」

「クマー……?」

 

男が海図を裏返し、簡素な説明図を描く。四足で毛むくじゃらのそれは目付きが鋭く、手には魚を持っていた。

しかし、ピンと来ないのか男の説明に首を傾げる港湾棲姫。しかしそれも当然であろうか。生活圏が違うのだ。本物と出会う事は滅多に無いだろう。

 

背後の二人が和やかに関係の無い動物の話をし始めた。

その様子に何かを察したのか、窓際の龍驤が慌てた様に自分のスカートを押さえつける。

 

「…………。…………?! 見んといて! ウチの下着見んといて!」

「柄物を履いてるのか。鳴本は知ってるのか?」

「何でそこで司令官の名前が出てくるねん! アホ! アホ!」

「やはり海に出ていると、陸が恋しくなるのか?」

「死ね!」

 

フー、フー、と荒い息を吐きながら、威嚇する様に男を()()ける龍驤。

 

「長門はこれから演習場で自己鍛錬みたいやね! スケベな誰ぞとは大違いやで!」

「彼女からは強い愛国心が感じられるな」

 

男が満足そうに頷き、静かに立ち上がる。

スカートを押さえつけたままの龍驤が警戒しながら男の動きを視線で追うが、男は龍驤の視線を気にした様子も無く、静かに廊下の方へ足を進める。

 

「愛国心が強いのは素晴らしいが、功を急ぐ必要も無いだろう。入渠施設の準備をしてくる」

「…………艦娘思いやね。まあウチはもう少しここで皆の様子を見んで。防衛海域を理解せぇへんと出撃編成も考えられへんだろうし」

 

龍驤が再び窓の外に目を向け、男は廊下を歩む。

入渠施設と聞いた港湾棲姫は慌てた様に段ボールの中身をその場にぶちまけ、目当ての品であろう石鹸とヘチマを手に取ると、急いで男の後を追いかけるのであった。

 

 

 

 

入渠施設に辿り着いた男は下駄箱に靴を放り込み、内部の様子を確認する。

脱衣所は広く、横須賀鎮守府の作りと同様であった。棚があり、脱衣籠があり、片側の壁には全身を映す鏡が張られている。

 

ガララ、と目の前のスライド式の扉を開け、浴場の様子を見る。

当然、お湯は張られておらず、使い古されていない新品同様の桶や椅子が片隅に積まれていた。

浴槽は何種類もあるが、一際目立つ場所に置かれたそれは傷付いた艦娘を癒す為に用意された浴槽である。共用銭湯では無く入渠施設と言う名が付いているのもその為である。

しかし、今回は用いる必要はない。

気分転換、汗を流すと言った行為であるならば、大した効能も無い普通の浴槽に湯を溜めるだけで十分だろう。

 

 

 

ボイラー室は入渠施設の外側、上階に向かう階段の陰にあった。

扉を開けると中は真暗であり、左手で壁際を探り電灯を蛍光させると、温暖な光が室内に広がっていく。

しかし、長らく使われていないのか床には埃が溜まっており、乾いた空気が口の中の水分を奪っていった。

 

「…………?」

 

ボイラー室の様子がおかしい。男にはそうとしか思えなかった。

常々、入渠施設を利用するのならばボイラーは稼働していなくてはならない。しかし、男が立っているボイラー室に温度は一切感じられず、灰や木屑(きくず)(わずら)わしさも感じられないのだ。だからと言って鼻に突く燃料の臭いもしない。長い期間、使われていなかったのかもしれない。

もしくはボイラー室担当者が、潔癖すぎるほどに綺麗好きであったのだろうか。

 

誰もいない室内を歩き、配管や無骨なハンドルを触ってみる。

その時、視界の隅に小さな人型が目に入った。生きているのか死んでいるのか、空虚な顔色の妖精が大勢、配管に寄り掛かるように体育座りをしていたのだ。

動かないのならば怖くはないのか、港湾棲姫が妖精に見える物体を爪先でつつく。右から順に突いていき、何の反応も示さないそれらに満足するかのように港湾棲姫が摘まみ上げた。

その瞬間、突然に妖精の身体がブルリと震えだす。驚いた港湾棲姫がポトリと妖精を床に落とすが、妖精は勢いよく立ち上がり、今までの生気の失われた状態が嘘だったかのように、男の方に自分の存在をアピールし始めた。

 

「………………」

「………………」

 

しゃがみ込み、妖精と会話をし始める男。

そんな中、妖精の動きが伝播(でんぱん)したかのように体育座りしていた妖精がモゾモゾと動き出し、活動を再開させる。

妖精の顔が赤らんでいくのとは反対に、港湾棲姫の顔が青白く変わっていった事に気付くものは残念ながら誰もいなかった。

 

「そう……。いや、お湯を張るだけで良い。誰かが怪我をしたわけじゃないからな」

「………………」

「…………いや、燃料なんてそこら辺に……」

「………………」

「燃料が足りない? 熱源であれば薪で良いだろ……?」

 

男と妖精の話が噛み合っていないのか、互いに首を傾ける。

そんな様子の二人を見て、周りの妖精も首を傾ける。

しかし、(らち)が明かないと考えたのか、男が疲れた様に立ち上がり、傍らの港湾棲姫に声を掛けた。

 

「……乾いた木を探してくる」

 

 

 

 

目当ての品を妖精の目の前に置き、港湾棲姫が爪を使って分割する。

それを受け取った男がボイラーに入れていき、港湾棲姫と何度かそれを繰り返すと、火が点いたマッチをボイラーに投げ入れた。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

男と港湾棲姫と妖精が、並んでボイラーの様子を見つめる。

 

「はい」

 

不意に男から手渡されたうちわを不思議そうに見つめた港湾棲姫だったが、パタパタとボイラーに風を送り始める。

すると、徐々に火の勢いが強まっていき、ボイラー室も同じようにその室温を上げていった。

 

「……! ……!」

 

妖精が嬉しそうにピョンピョンと跳ね回り、熱源から直接的に熱を受けている港湾棲姫が額の汗を拭う。男は軍服の上着を脱いでおり、積まれた薪をどんどんボイラーに投入していった。

 

「と、燃料が無くても熱源は作れるわけで」

「……! ……!」

 

ボイラーに火が点いた事により、己の魂にも熱が入ったのか、妖精達の動きがどんどん活発になって行く。ボイラー室を駆け回り、機械を動かしていく。ハンドルを交互に協力して回し、水栓を開放し始める。

男が頭の高さにある小窓を覗きこむと、湯気の出ている水流が浴槽に溜まっていく様子を見る事が出来た。

 

「後は任せても平気だろう」

「アツイ…………。ツカレタ…………」

 

男の声に港湾棲姫が立ち上がり、ボイラー室から出て行ってしまった。

この暑さは堪えたのだろうかと、男が静かに笑う。

 

「ハヤク! ハヤク! アワ、アワ!」

 

開け放たれた扉の外から、港湾棲姫が男を必死に呼んでいる。

その様子は、男の瞳に愛らしく映っていた。

 

 

 

 

「邪魔するで!」

 

大量の湯気が浴室に響いた声と同時に薄らいでいく。

男が浴槽から声の方に視線を移すと、開かれた扉から大小の人影が入ってくるのが見えた。

 

「こ、こんな時間に入浴するのは初めてだ……」

「ええからええから!」

 

ぴちゃぴちゃと静かな水音が男に近付いて行く。そして、ある程度の距離まで近付けば、湯気など関係なく互いの姿を把握する事が出来る。

 

「だいぶ入渠施設におるやん? 仕事はええんか?」

「今までボイラー室にいたからな。一息ついたのは先ほどからだ」

 

胸元と局部を手ぬぐいにて隠す龍驤の背後には、その身を己の手で抱いた長門が遠慮がちに男の方をチラチラと見ていた。

長門の肌は健康的な色をしており、腰元の締まりが目立つのと同様に、割れた腹筋がその存在感を発揮していた。

 

「なかなか鍛えてるな」

「あ、あまり見ないでほしい……」

 

男の言葉に、恥ずかしそうに顔を俯かせる長門。

己の身体的特徴を指摘されるのが恥ずかしいのか、はたまた異性に肌を見られるのが恥ずかしいのか。

 

「港湾棲姫はどこ行ったん?」

 

龍驤の言葉に男がある位置を指差す。

そこは俗に言う水風呂と言われる場所ではあったが、そこでは幸せそうな顔をした港湾棲姫が静かに肩まで漬かっていた。

 

「調子は上々か?」

「…………悪くは、無い」

 

男の言葉に、長門が答える。

しかし、言葉は続かない。男は静かに長門の肢体を見ており、長門は恥ずかしそうに顔を背けるだけであった。

数秒が数十秒となり、数十秒が一分を超えた時、忍耐の限界を超えたのか、横に立っていた龍驤が男の頭を勢いよく引っ叩いた。

 

「変態か!」

「…………? 長門が何か言いたそうにしていたから待っていただけだが」

「わ、私の責任か!?」

「イ、イヤらしい目をしとったやないか!」

「目のやり場に困っていただけだが」

 

にべもなく答えた男に不満はあるのか、しかし何も言わずに龍驤は洗い場の方へと歩いて行った。

長門も龍驤の後に続くのだが、背を向ける長門に向かって静かに男は言葉を投げかけた。

 

「裸の付き合いというわけでは無いが、色々と聞かせてほしい」

 

男の言葉に長門が振り返ると、そこには精錬な形をした一人の提督が立っていた。

取りつく島が見当たらない、その思考が読めなかった今までの男の雰囲気とは異なっている。

一見、長門の脳裏に思い出されるは、鬼島稔が舞鶴鎮守府に着任したあの日の事である。

 

あの日。

自己紹介のあの場面。

所属艦娘が息を飲んだ、あの瞬間。

 

恐ろしい物を見たかのように、長門の背筋が静かに震えた。

しかし、瞬きをした次の瞬間には、やはりそこに立っていたのはいつもの男であった。

 

「妖精に話を聞くと、色々面白い事を教えてくれるからな」

 

長門の様子を気にかける事も無く、男は再び浴槽にその身を沈めた。

 

「……ああ」

 

自分の見間違いであった。それだけの事である。

長門はそう結論付けると、洗い場で身体を泡立てる龍驤の隣に座り込む。

何気ない動作に、身体が違和感を感じていた。

このような日常を過ごすのは、一体どれくらいぶりなのだろう……。

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