惻隠の情   作:坂口

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36話 ショートランド諸島(2)

砂浜に立てば上空には厚い雲が重なっており、水平線に夕闇とも思える赤みが辛うじて確認できる。しかし、暗雲の狭間(はざま)()える赤色は不吉な火難(かなん)想起(そうき)させる。

海上にも赤は咲いている。目の前の海面には駆逐ロ級や駆逐ハ級などがギーギーと歯軋りの様な音を立てながら悠然と泳いでおり、(よだれ)を垂らしながら汚く開かれる口内はヌラヌラと赤黒い。近付けば血の臭いが漂ってきそうである。

濁度(だくど)が高く腐敗した海では、本来であれば命は生まれない。油膜が張っており、暗い褐色かと思えば、銀白(ぎんぱく)が映える。不自然な色彩が(ひらめ)く海は偽物以外の何物であろうか。

不規則な渦潮(うずしお)。生臭い風が吹き、海面を覆い尽くすほどの深海棲艦が耳障りな音を響かせる。

 

最果ての地獄ならば、どれだけ恵まれていた事だろうか。

しかし、現世(うつしよ)である。無数の命を(はぐく)み続けていた地球は、刻々と姿を変えようとしている。

眼前に広がる光景を見て、精神に異常をきたす事も無く、正気を保つ事は可能であろうか。

 

深海棲艦は蚕食(さんしょく)を止めない。海中を食い荒らし、大地を()む。終わりなき食欲は元始(げんし)の行動原理であり、終える道理はない。それ(ゆえ)に、深海棲艦の侵攻は人類への仇敵(きゅうてき)となり、互いの生存を()した最終決戦へと続くのであった。

 

「キハ、スンダ?」

 

砂を踏む音と共に、一人の女性が現れる。全身を黒く染め、長い黒髪。ル級である。

彼女は無言で水平線に視線を送る鬼島の背中を見ているのだが、ル級の声に反応を見せる気配は無い。

 

「………………」

 

彼女は気にした様子も無く、鬼島の隣に立つ。

そして、足元に手のひら大の鉱物を二つ放ると、再び口を開く。

 

「ショクジ、ヨ。ケッカモ、ノコシテイナイノニ…………」

「…………人間はこんな物は食わん」

 

鬼島は足元の鉱物を拾い上げると、海に投げ込んだ。

飛沫(しぶき)を上げながら海中に沈む二つの鉱物を追うように、数匹の駆逐ロ級や駆逐ハ級が水中に沈み込む。しかし、すぐさま口元からゴリゴリとした音を立てながら駆逐ハ級の姿が海面に現れた。口元は血が(したた)っており、咀嚼(そしゃく)するたびに何かの肉片や汚い汁が飛び散っていた。遅れて浮かんできた駆逐ロ級の腹は(えぐ)れており、鉱物を飲み込もうとしたハ級に巻き込まれた事が見て取れる。同族でさえ容易に殺めるその姿に、知性の欠片も感じる事は出来ないだろう。

 

「人間は貴様らと違って雑食では無い」

「………………」

 

己の気遣いを踏み(にじ)られたのだ。ル級の顔に(けん)が浮かぶのは当然だろう。

しかし、睨み付けるル級に(ひる)む様子も無く、鬼島は静かに海面を見据え続けるのであった。

 

 

 

 

洞窟の広い空間に鬼島とル級が再び姿を見せると、岩場の上に器用に寝転がっていた黒フードの深海棲艦(レ級)は身を揺らしながら立ち上がり、二人の元へと降りてきた。

そのままチラリと目線を向けると、二人に背を向け一画(いっかく)へと歩いて行く。

 

そこには足が折れ、不安定となっている木製のテーブルが置かれていた。

(かたわ)らには乾いた藺草(いぐさ)が積まれており、本来であれば座布団代わりにそれを敷き広げるのだろう。

横の岩壁は綺麗に削られており、平らになっている。ぐにゃりとした白線や図形などが(えが)かれているが、何を意味しているのかは一見(いっけん)では理解する事は難しいだろう。

 

「……ここは、どこだ」

 

鬼島が再三繰り返した言葉を再び口にすると、黒フードの深海棲艦(レ級)は得意げな顔をしながら岩壁の図形をバンバンと叩き始める。そこには大小様々な、(いびつ)な円が何個も(えが)かれていた。その上には広い空白があるのだが、一部には太い芋のような絵が描かれている。

鬼島は静かに(いびつ)な円の集合体に注視していたが、数分後、何かを読み取ったのか、(つぶや)くように一つの単語を口に出す。

 

「南西諸島か……」

 

大小の歪んだ円。中心の円は豪州大陸を表しており、付近に散らばった小さな円は様々な諸島を表していた。

描かれた図形が島や大陸だと分かれば、理解は進む。右上の太い芋は日本列島であり、付近の大きな線は露西亜や朝鮮半島であろう。

普及している海図と比較すれば、どうしてもお粗末な出来としか言いようがない。しかし、黒フードの深海棲艦(レ級)は自慢げに壁画を鬼島に見せ付けており、鬼島の呟いた正解に満足そうに首を(うなず)かせるのであった。

 

「ココダゾ」

 

円の集合体の一つを黒フードの深海棲艦(レ級)が指差す。その瞬間、己の位置を把握した鬼島の感情に揺らぎが生まれた。

その場所には覚えがあった。南西方面海域には早い段階で攻め込んでおり、結果は上々。駆逐棲姫を打倒し、舞鶴所属の艦娘達に凱旋パレードを行わせた記憶が鬼島の脳裏に蘇る。駆逐棲姫を打倒した地点からもう少し。東への航海を指示していれば、この地点も発見可能だったのではないか。

仮定の一つとしてではあるが、その際に目の前の二人の討伐に成功していたとすれば、何とも笑える話であろうか。

 

 

 

だが、事の起こりは残酷であった。

鬼島稔の指示にて南西諸島海域の『渾作戦』は成功した。それにより駆逐棲姫は轟沈された。

結果、防衛海域を突破された深海棲艦は選択を迫られる事となった。そして、深海棲艦が選んだ戦略は強引とも思える横須賀鎮守府への襲撃であった。

舞鶴鎮守府の戦果が引き金となった事実を、当然ながら鬼島稔は知る由も無かった。

日本海軍と深海棲艦。異種間の争いは無情の現実、表裏一体の瀬戸際にて行われていたのだった。

 

 

 

呼吸を整え、感情を抑え込んだ鬼島は冷静さを保つ。

物事を都合よく計算するのは弱者の一手であると即断する。仮に三年前にこの場所を制圧していたとすれば、今度は別の場所に本拠地が移っていただけの話であると己を納得させる。

(ゆえ)に、舞鶴鎮守府の戦力で目の前に存在する二人の深海棲艦を轟沈させる事の可不可(かふか)は、考えるまでも無かった。

 

「……ニンゲンガ、ヒツヨウ」

 

思考を正常化させた鬼島が言葉を作る前に、ル級が口を開いた。

岩壁の海図を見ながら(うれ)いを含んだ口調でポツポツと語る。それは一見、誰に向けた言葉でも無かった。しかし、黒フードの深海棲艦(レ級)は黙ってル級の様子を見守っており、鬼島の耳には嫌でもその声が入り込んでいた。

 

『人間が必要なんだ。大敵である艦娘が海原(うなばら)巡遊(じゅんゆう)しているのは『テイトク』と言う存在の協力を得ているからに違いない』

『今までは我らだけで彼奴(きゃつ)らを抑え込む事は可能だった。しかし、大きな争いを境にそれだけではダメだと悟った』

『集団戦にて奴らの拠点を破壊する事に決めた。一つ目は成功した。我らの恐ろしさを植え付ける事が出来たに違いない』

『しかし、二つ目で失敗した! あんなちっぽけな拠点に、奴らに、敗走を余技(よぎ)なくされた!』

『数だって奴らの何倍も揃っていた! 敗北の道理など存在しなかった! だが、結果はどうだ! クソ! クソ!』

 

耳障りな音が鬼島の耳を侵食していく。己の理性的な部分が拒否反応を示しているのを感じるが、それを塗り潰すかのような怨念が、ル級の口から次々と零れ落ちる。過去の情景を思い出しているのか、ル級は身体を震わせ、爛々(らんらん)とした(まなこ)が両の握り拳を見つめていた。

 

 

 

「ソコデ、ニンゲンヲ、ツカウンダ」

 

 

 

苦痛を耐えるような面持(おもも)ちの鬼島と、憎しみが溢れ出しているル級を小馬鹿にするような、空間に不似合いな明るい声が場を支配した。

声は明るい。しかし、込められた雰囲気は重い。無邪気な子供の様に赤い瞳を輝かせた黒フードの深海棲艦(レ級)は、鬼島の顔を覗きこむように言葉を告げる。

 

『何人か人間を拾ってみた。だが、全員ダメだった』

 

精神に直接的に働きかけるような波長が、鬼島の身体に襲い掛かる。深海棲艦から発せられるノイズに対し、言語中枢が物欲しそうに渇望(かつぼう)しているのを感じ始める。

 

『我らを目にすると、ほぼ全員壊れる。発狂して死ぬか、おかしくなるかの二通りだぞ。使い物にならない人間は千切って(かたまり)に加工したが……』

 

目の前に立つ化け物は異形の存在である。

それ(ゆえ)に、(まじな)いの様な手段にて籠絡(ろうらく)を試みているのだろうか。

だが、鬼島稔は悟っていた。理性でいくら拒絶しようが、本能が、動物的な部分が、深海棲艦の凄みを受け入れ始めているのだろうと。

耳に届くノイズは、いつの間にか雑然とした言葉では無くなっていた。甘美的(かんびてき)な発声は、違和も無く鬼島の脳に受け入れられた。

 

「…………お前は驚かないな。何でだ? 我々を侮っているのか? それとも、馬鹿だから分かってないのか?」

「……貴方はドウ思うの?」

「………………。そう言えば、初対面の時に炎に突っ込もうとしていたぞ」

「あら、ジャア馬鹿な方かもね?」

 

先ほどまで苛立ちを見せていたル級が、口元を抑え、鬼島を(あざけ)るように小さく笑う。

そんなル級の様子と鬼島を見比べる黒フードの深海棲艦(レ級)は、楽しそうに鬼島に問い掛ける。

 

「お前、馬鹿なのか?」

「…………知らん」

「馬鹿は『テイトク』になれるのか? お前は『テイトク』か?」

「ネェ。『テイトク』は白い見た目をシテ、気品があるラシイわ。でも、コノ人間は…………」

 

黒フードの深海棲艦(レ級)とル級がまじまじと鬼島の姿を観察する。

しかし、誰がどう見ても、鬼島稔は白くなかった。海に投げ出された鬼島がどうやってこの島に連れて来られたかは不明であるが、全身が浅黒く汚れており、背面は引き摺られていたのか、血液や粘着質な液が付着していた。知性的な眼鏡も軍帽も、手袋も着用していない。乱れた頭髪は自由気ままに跳ね回っており、整った七三には程遠い、無造作な髪型となっていた。

 

「…………まあ、テストは合格しているわけだからな」

「ツギの結果次第ってところかしらね。フフフっ」

 

好き勝手を言われ放題の鬼島であったが、本人としては既にどうでも良くなっていた。

そもそも、会話の端々(はしばし)から察する事が出来るが、やはりどう考えても足りてない様子にしか鬼島には感じられなかった。

体調が異常をきたし、交流が円滑となったのは悪くないが、だからと言って鬼島は深海棲艦に白旗を上げるつもりは一切なかった。

つまり、深海棲艦の言葉通りに行動を起こす必要性など全く無く、隙あらば自害を行う事も(やぶさ)かでは無くなっていた。

 

 

 

―――だが、(ある)いは…………

 

 

 

「お前、『テイトク』になる気はあるのか? 『テイトク』ってなんだ?」

「…………知らん。考えた事も無い」

 

鼻を鳴らし、ワザとらしいほどに相手を小馬鹿にした鬼島稔の態度に、目の前の深海棲艦から驚きと苛立ちの声が上がった。

片や鬼島稔の胆力に感心し、片や同胞を馬鹿にされていると感じたのか、怒りの色を見せる。

 

「アナタ、我らのオソロシサを知らないのネ? 確かに、貴方達の大地への侵入はナンドもジャマされているけど……貴方をコロスのなんて、一瞬ナノヨ? 試しにその両足、食いチギッテあげまショウか? 我らに必要なのはニンゲンの頭脳だけ。ソレ以外は食い散らかしても………イイのよ?」

「食いすぎると失血で死ぬぞ。そんな事も分からんか。単なる食事の為に日本国の防衛海域に飛び込むとは良い度胸だな。感心する」

 

はっはっは、と鬼島が高らかに笑い、対面のル級が顔を赤くしながら身体を震わせ始める。

そして、静かに立ち上がったル級は完全に臨戦態勢であった。目の前に立つ鬼島の心臓を射抜く為に、己の艤装を展開させようと両腕に力を込め始めるのだが――――それは黒フードの深海棲艦(レ級)によって止められた。

 

「ナ、ナゼ止める! コイツは『テイトク』でも何でもナイ、ただのバカな人間だ! ワタシは知っている! 今しがた、海上へ出るノハ『テイトク』かバカな人間のドチラかだ! 今マデの人間は全員馬鹿でノロマのグズだ! こいつも白くナイ! ワタシの苛立ちがナクナル前に、今スグ殺すゾ!」

 

鬼島稔は、やはり白くなかった。

薄汚れた身形(みなり)と野性味が残る雰囲気。無精髭が生えていない事で辛うじて浮浪者とは異なっていたが、何人に尋ねようとその姿を見て『提督』と答える者はいるはずもないだろう。

 

「まあ、待て。…………お前、面白いぞ。今までの人間とは全然違うんだな。なんでだ? …………だが、ここまで我らをコケにしたのだ。それなりの考えがあっての事なのだろう? 先ほども言ったが、テストは一度きりだ。失敗は許さない。我が同胞が一匹でも轟沈した瞬間、貴様の身に死よりも恐ろしい兇悪(きょうあく)が刻まれる事を覚悟しておけよ」

「私が貴様らの期待に応えられるかどうかは、知らん。そもそも深海棲艦と対話するのも初めてだからな。貴様らが私に何を求めているかもさっぱりだ。…………だが、興が湧いた。そして、私は相手が誰であろうが、負け戦をする趣味も無い。私の指示通りに動けるのならば、貴様らに面白い世界を見せてやろう」

 

虚勢には見えない鬼島の態度と、その言葉に、ニヤリと笑う黒フードの深海棲艦(レ級)

ル級はその横で恨めしそうな顔をしていたのだが、上下関係には逆らえないようであり、異議を唱える事は決してなかった。

 

鬼島は周囲に漂う雰囲気を意に介す気配すらなく、己の前髪を両手でかき上げた。

今までの雑然とした無造作な髪型は、荒々しく後ろに流される。整った七三は完全に姿を消し、総髪(オールバック)となった鬼島の目には一際強い光が宿り始めていた。

長年、崩す事は無かった軍人としての毅然(きぜん)とした姿とは違う、荒々しさの入り混じった姿には言いようの無い威圧感が生まれていた。

 

この日、深海棲艦の本拠地であるショートランドにて、一人の男が覚悟を決めた。

周辺を囲むのは無数の深海棲艦であり、様々な異音が島中を覆っている。もちろん、洞窟内にもその音は響き、反響し、叫喚(きょうかん)となって耳障りな異音となる。

しかし、そのような喧騒にも気にする様子を見せない鬼島稔は、(ただ)一点、眼前の深海棲艦をも貫きかねないその視線で、一体何を見据えていたのだろうか。




Q.35話の鬼島さんと36話の鬼島さん、キャラ違くない?
A.良い所に気が付きましたね
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