惻隠の情 作:坂口
狭い部屋の中でテーブルを間に挟み、一人の男と、部屋の薄暗い雰囲気とは正反対の色彩を持った白の異形が、言葉も漏らさず手元の茶碗に盛られたご飯を黙々と食べていた。
間にテーブルを挟み互いが座しているとはいえ、その体格の違いは一目瞭然だった。男は黒地にハーフのカーゴパンツを履いており、上半身には薄着のシャツを着ている程度だ。目に入る腕や脚には太さがあまり見られず、背筋も多少曲がったその姿勢から男の威厳は感じられず、実に頼りなく見える。
対する白の異形だが、こちらは男より二回り程度大きく見える。白地の衣装を身に纏っており、太ももや胸元は実に肉付きが良く、健康的な体型である。
背筋の伸びた正座という美しい姿勢で食事をしているのだが、テーブルの上には二本の箸が無造作に転がっており、手元にはその身体には似合わない小さめのスプーンが握られていた。その凛とした姿勢とは裏腹に表情は常にビクビクと不安そうにしており、伏し目がちだがチラチラと対面の男の様子を観察しているようだった。
臆病そうな雰囲気を醸し出しているが、眉間の辺りには鋭い角が生えている。そして、スプーンを持った手元には鋭い爪が見えており、その気になれば目の前の男を途端に切り裂き、血祭りに上げる事も
毛色の全く異なる二人だが、何の問題も無く仲良く食事を始めたわけでは決してない。
玄米を炊き終えた男が室内に戻った時に、彼女は大人しく座って待っていた。満足そうな顔をしながら男が飯盒をテーブルの上に載せると彼女はビクリと身体を震わせたが、男は気にした様子も無く二つの茶碗にご飯を盛り始める。
片方を彼女に渡すが、彼女は小さく顔を横に振る。しかし、それを見た男も顔を横に振り、碗を彼女に押し付ける。彼女は決して受け取ろうとしないのだが、その度に男は異様な形相で碗を押し付けていた。薄暗い室内で、
「…………ナゼダ」
「いっぱい食べてくれよ」
淡々とした言葉ではあったが、有無を言わせないような力強い言葉が彼女に襲い掛かる。ハッとした顔で彼女は顔を上げるのだが、男は彼女の様子に興味がないのか、マイペースで食事を進めている。
「…………」
男が自分と会話する気がない事を悟ったのか、彼女は再び食事を始める。黙々と、もぐもぐと、無駄の一切ない単なる栄養補給である。部屋の薄暗さと、彼女の悲壮さと、男の薄い存在感。まるで救いの無い、最後の晩餐のような場景であった。
◇
「ワタシガ……コワク、ナイノ…………カ?」
テーブルの上の
「怖いさ」
男が静かに返事をし、彼女を見つめる。言葉とは裏腹に表情は非常に穏やかである。彼女に対する恐怖は全く感じられない。
「港湾棲姫。人型の深海棲艦。故に知能を持っていると想定される」
「深海棲艦。撃沈された艦や沈んでいった船の怨念が
「人を憎み、艦娘を憎む。海中資源を望んだ人類に降りかかった厄災とも言われる」
まるで何かの教科書を音読しているような、ハッキリとした口調でスラスラと言葉を紡ぐ。言葉の通りなら、自分が危機に晒されていると理解しているはずだ。だが、彼女を目の当たりにしながらも、表情から穏やかさが失われる事は無い。男の言葉を彼女は静かに聞き入れている。受け入れている。つまり、つまり、つまり。
「…………」
「空腹は満たされたか? 怪我の治りも早いようで、体調は万全か?」
「…………」
「ここは深海棲艦と敵対している人間の住まいだ。君はもう抑えられないだろう。その本能のままに、君の
男の声量が大きくなり、彼女に詰め寄る。
否、間のテーブルが邪魔で距離は縮まっていない。
だが、片方が手を伸ばせばすぐさま掴める距離だ。
「ほら、一族の恨みとかあるだろ! 仲間の恨みとか! おい! その角は飾りか?! その爪は!! 艦娘を砕き、人を裂き、血肉を
タガが外れた様に、男は
「……シナイ」
静かに右手の人差し指と左手の人差し指を交差させ、拒絶の意を示した。
「…………はぁ?」
「ニクンデナイ」
「………………」
「タタカワナイ」
「………………」
男の張り詰めていた糸が、緩んだ。
場の空気が、緩んだ。
「…………君は、人間を忌み嫌ってないのか?」
港湾棲姫が、コクリと頷く。
「…………君は、艦娘と争って、怪我を負ったわけだろ? 復讐心はないのか?」
港湾棲姫が、コクリと頷く。
「いや、おかしいだろ! だって、お前は…………」
「…………ラブ アンド ピース」
港湾棲姫がそう呟くと、男は気が抜けた様に後ろに倒れ込んだ。口からは「あ~」と気の抜けた声が漏れ、身体は溶けた様に床に沈み込む。
「………………海に、帰らないのか?」
「………………」
男が辛うじて顔を上げながら港湾棲姫に疑問を投げると、港湾棲姫は小さく頷きを返す。
「………………行く当てが、あるのか?」
「………………」
今度は、首を横に振る。
「そうか」と男が呟くと、その部屋は一気に静けさが増した。
先ほどの喧騒の残り香が全くせず、別空間に放られたと言われても信じざるを得ないほどである。狂気とも思えた男の表情は呆けたようになっており、港湾棲姫は恥ずかしそうに俯く限りであった。
「………………」
「………………」
二人は何も言葉を発する事がない。港湾棲姫は男をチラチラと見つめていたが、男は天井を見つめている。故に、交わらない。
二人は最後まで沈黙を守り続け、陽が沈み、全てが闇夜に包まれた頃合いになっても一言も言葉を発する事は無かった。互いが寝息を立てる頃には、互いに意識を深く沈みこませていた為、やはり最後まで互いの音を聞く機会は明朝まで得られなかったのだった。
ver1.01 2019/01/21
ver1.02 2019/08/08