惻隠の情   作:坂口

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5話 日常(3)

 男が朝食の準備を始めると港湾棲姫は投げ渡された布巾を使い、たどたどしい手付きでテーブルを拭き始め、食器を用意する。とはいえ、箸とスプーンだけなのだが。

 

 睡眠から目覚めた男は変わらぬ様子で今日と言う日を過ごし始める。先に目が覚めていた港湾棲姫は昨日のような事が起きるのではと、内心、不安げにしていたのだが、男の親しみも無く遠慮も無い自然な様子に流されるまま付き合ってしまう。

 

 今朝の食事は昨晩と同じ、玄米を炊いただけのものだった。

 しかし、昨晩とは違い、調味料がテーブルに置かれている。塩と醤油だ。

 男は静かに醤油をご飯に垂らし、黙々と食べ始める。

 彼女も男を真似して醤油を掛けるのだが、加減が分からなかったのか、碗に盛られたご飯が悲しいがな黒一色になってしまった。そんなもの、食べられる筈が無い。一口食べると彼女の顔色が変わり、口の中で咀嚼(そしゃく)したご飯を碗に吐き戻してしまった。

 

「………………」

 

 男は溜め息一つ。彼女の碗のご飯を飯盒に戻し、混ぜる。

 白みが増え、バランスの取れた醤油ご飯になった。

 彼女は男の方を一度見つめ、嬉しそうに、恥ずかしそうに、申し訳なさそうに俯いた。男はそれに対し別段反応を見せる事も無く、食事を再開する。

 

 港湾棲姫と出会って一晩経ったわけだが、男はこの部屋から彼女を追い出すつもりがないようである。別に情が湧いているわけでは無く、単に「拾ったから、住まわす」というだけなのだが。

 彼女も同じだ。それが許されるのであれば「拾われたから、住む」という感じである。

 

「ここは人気が無いけど、少し離れた場所には横須賀があるんだ」

「………………?」

 

 突然の男の言葉に彼女は顔を上げ、小首を傾げる。

 

「ここでは金属を拾って生活している。街で金属を売って、食材を買い、ここで眠る。毎日、それの繰り返し。たぶん、一生、このままだろうな」

 

 男の話が終わり、食事が再開された。

 港湾棲姫は少し頭を働かせ、きっと彼なりの自己紹介なのだろう、と結論付けた。

 

「ワタシハ、ウミデ、シズカニ、クラシテイタ」

 

 彼女の言葉に、男がようやく顔を上げる。

 

「…………マタ、シズカナクラシニ、モドリタイ……」

「戻れるさ」

 

 思いがけない力強い断定に、港湾棲姫は驚くような顔で男を見つめてしまう。

 

「戻れるさ。我が日本国は衰退の一途を辿っている。誤魔化してはいるが、十数年。もしくは、過去と同様の規模の大乱を深海棲艦がもう二、三度起こせば、我が日本国は再起不能に陥る。……おめでとう、我が領土は深海棲艦のモノになったな。これで静かに暮らせるはずだ」

 

 男からの思い掛けない返答に、港湾棲姫は思考が止まる。別に彼女はそんなつもりで言ったわけでは無い。だが、確かに種族の違いがある為、このように受け取られても仕方がなかったのかもしれない。

 男は食事を再開する。港湾棲姫は顔を俯かせ、顔を上げ、しかし何も言う事が出来ず、碗をテーブルに置き、再び手に取る、という落ち着きのない行動を始めてしまった。

 

「だが、大元帥閣下…………天皇陛下だけは駄目だ。手を出すな。如何(いか)に日本国が滅びようと、天皇陛下が有らせられれば、再興は可能だからな。我が日本国は領土を意味しているのではない! 天皇陛下の有らせられる場所、それこそが(いしずえ)となり、再び我らの誇りが、日、出ずる国に、繁栄に繋がるのだろう」

 

 意を決して彼女が謝罪をしようと口を開いた瞬間、先手を取られた。

 そして、突然の発言に港湾棲姫は目を白黒させる。だが、別に男は怒っているわけでも無いようだった。それが分かり彼女は安心する。しかし次の瞬間、どこからともなく鼻歌が聞こえてきた。音の出所はもちろん正面の男からである。

 彼女は自分の耳を疑った。何故なら今までのやりとりの中で男が上機嫌になる理由が見つからなかったからである。男の情緒(じょうちょ)が不安定になっていると彼女は当たりをつけた。口を開いたと思えば黙する。退廃的だと思えば、力強く論ず。そして今度は突然に上機嫌になってしまった。

 怖い、とても怖い、港湾棲姫の目にも涙である。

 

 男は最後まで上機嫌なまま食事を続け、おかわりまでする始末であった。対する港湾棲姫は彼の様子が気になるのか、食事に集中する事もままならず、碗の中に少しのご飯を残したまま朝の食事を終えてしまったのだった。

 

 

 

 

 食事と片付けが終わると、男はふらりと扉から外に出て行ってしまった。

 慌てた様に、港湾棲姫は後を追う。

 

 男は毎日変わりがない。

 岩場に向かい、テトラポットの上に立ち、上半身の衣類を脱ぎ捨てる。

 それを港湾棲姫は興味深そうに見つめている。そんな視線を気にする様子も無く、軽く身体をほぐし、男は静かに入水する。

 

「………………!」

 

 何かを閃いたように、そして後を追うように、港湾棲姫が勢いよく海面に飛び込んだ。「バシャーン!」と大きな音と水飛沫(みずしぶき)を上げ、港湾棲姫の大きな身体は海中に沈んでいく。

 自分の隣に大きな音を立てて飛び込み、海中に沈んでいく彼女を男は茫然とした表情で見ていた。

 

 一秒、二秒、三秒。

 

 浮力の影響か、すぐに彼女は浮かんできた。

 水中から顔を出した彼女はそのまま身体を引き、水面に立つ。

 勢いよく身体を振ると、纏った水滴が、男の顔に飛ぶ。

 

「…………楽しかったか?」

「ミズアビ、オワリ?」

 

 少し物足りなさそうな顔をしている彼女に、男は苦笑する。

 

「水浴びじゃなくて、仕事だよ」

 

 男はそう言うと、海面に浮かんでいる板状の物や球状の物を集め始める。

 それを見た港湾棲姫は、朝食時の会話を思い出す。

 

「…………ゴミ、ヒロイ?」

 

 港湾棲姫が水面を進む。目に入った物を手当たり次第に集めていく。

 海上は、自分の領域だと言わんばかりである。

 本日は晴天なり。

 一足進む毎に水面(みなも)を揺らす。しかし、荒々しい波では無い。心地良い揺らぎだ。心地良い風が彼女の身体を撫で、飛沫がキラキラと舞う。陽射しに反射したそれは、まるで宝石のようである。

 彼女は小さく微笑んでいる。ここには敵はいない。彼女を害する者がいない。男は港湾棲姫に対し、初対面にも関わらず、恐れず、媚びず、立ち向かわず、反目(はんもく)せず、自然体のままで接した。

 こんな自分にも居場所があるのだと、港湾棲姫はわずかな心地良さを感じていたのだ。

 

「………………」

 

 自分にはやる事が無いと察したのか、男は静かに海面から上がり、テトラポットの上に立つ。

 そんな彼の様子に彼女は気付き、両手で手を振った。それに反応した男が手を振り返すと、更に彼女は大きく手を振り返した。男は手を振る。振り続ける。時には、腕を天に突き出し、両手を水平に。頭上で交差し、一気に振り下げる。

 

「………………!」

 

 港湾棲姫は途端に嬉しくなる。彼の意図が伝わってくる。種族は違えど、言葉を交わさなくても、通じ合う事は出来ると知ったのだ。

 男と彼女のゴミ拾いは、太陽が真上に届く頃まで続いた。二人の共同作業は、上々の結果に終わる。大海原を縦横無尽に翔け、男の元に帰ってきた港湾棲姫をテトラポットへと引き上げる。

 男が背後の岩場を見ると、大小様々な、金属片や鉱石。銃創が曲がったり、持ち手の取れた銃火器なども並べられていた。

 

「今日の食事が、豪華になるな」

「タクサンノ、ゲンマイ?」

 

 港湾棲姫の言葉に、男は笑った。そんな彼を不思議そうに見つめる彼女だが、楽しそうな男の様子が嬉しいのか、小さな笑い声を零す。

 全身が水に濡れた彼女の衣類はぺったりと身体に張り付き、身体の凹凸を強調させている。自己主張している角と鋭い爪に目を(つぶ)れば、実に扇情的で強い刺激を男性に与える格好である。しかし、対面している男から汚れた情欲が湧き出た様子は微塵も見られない。

 

 ただ、ただ、無邪気に。ただ、ただ、楽しく。

 

 テトラポットの上には、地位も立場も種族も何も関係ない、ただ、二人の男女が、幸せそうに立っているだけだった。

 

 

 

 

 横須賀の中央街から少し離れた陰鬱な雰囲気の闇市。そこから帰路へと向かう男の姿があった。片手には袋を持っており、ネギや大根などの野菜が顔を出している。

 足は早足。その姿は細身で伸びた毛髪と顔の無精髭はこの闇市に溶け込んでおり、誰も気に留める者はいない。時刻は夕暮れ。その足なら辺りが暗くなる前に、彼が住む廃屋に間に合う事だろう。

 

 

 

「いやぁ、壊れた銃火器なんて、珍しい物を持ってくるんだなぁ」

 

 闇市に張られた天幕の下で、二人の男が興味深そうに、男が持ってきた物品を眺めていた。二人にとって男は馴染み客である。ほぼ毎日闇市に顔を覗かせ、適当な金属や汚れた衣類などを持ち込んでいた。

 だが、本日の物品は別格だった。鉄や銅は量が多く、艦娘の艤装や部品も壊れてはいるのだろうが、立派な形を保っている。一つ一つ大事そうに手に取る男が、ふと、床敷に置かれた一斗缶に気が付いた。

 

「おい、そこの一斗缶に入った石はなんだべ? おめ、こんなん、使い道あるんか?!」

「んん? あ、それ、知らんが。あの男の忘れもんと違うか?」

 

 二人の男が興味深げに石を取り出し観察していると、頭上から物静かながら威圧のある言葉がかけられた。

 

「おい、貴様ら。この場所で店をやるのは禁じられているはずだ。まずは証明書を見せろ。店の中もだ。…………おい、やれ」

 

 二人の男が驚いて顔を上げると、そこには間違うはずもない、警官の姿がある。慌てて周りを見ると、自分達以外の行商人たちはしっかりと片付けを始めており、物品に見惚れてぼんやりしていた自分達が見せしめに選ばれたのだと理解してしまった。

 男たちの周りに並べられた物が、警官たちに回収されていく。二人は反抗する様子も無く、大人しく指示に従っている。警官は治安を維持しているだけで、二人は単に運が悪かった。それだけなのだ。

 

「……とまぁ、警官の仕事には闇市の指導もある。別に厳しく取り締まる必要はないが、野放しにしてやる道理もない。ほどほど、と言うものさ」

「はっ! 勉強になります」

 

 仕事をそつなくこなす警官隊の傍ら、彼らの仕事を熱心に見ている数人の男女がいる。服装を見れば、一目でその所属が分かる。彼らは軍服を身に纏い、姿勢正しく、上官と思わしき男の話を聞いていた。

 

「君たちが海軍になるのか、陸軍になるのか、はたまた警察官になるのか、それは分からない。……だが、必要なものは規律であり、日本国を……」

「学童の御指導中、申し訳ございません! 憲兵殿に、見て頂きたい物が御座います!」

 

 一人の警官が、慌てた様子で手のひらサイズの石を憲兵と呼ばれた男に見せている。

 ()()を見た男は一瞬で表情を変え、辺り一面に怒号を響かせる。

 

「なぜボーキサイトが民間人の手にあるんだ!! おい、誰かが横流ししてるんじゃねぇだろうな! 貴様ら、今晩は眠れねぇと思えよ!!!」

 

 眉が吊り上がり、怒りの形相で男二人に詰め寄る。

 

「見せもんじゃねぇぞコラ!!! おい、手前らもチマチマやってねーで…………おい、早く上層部に連絡しろよこのグズ!!!」

 

 先ほどとの様子とは一転、そこには指導官では無く、一人の憲兵の姿があった。怒号が飛び、戸惑いを隠せない闇市の雰囲気。油断すれば、誰彼構わず身柄の拘束が起きそうな気配である。

 先ほどまでの日常の空気は、一瞬にして消え去ってしまった。

 横須賀の街は眠らない。




日本軍は

・海軍
・陸軍
・憲兵
・警察隊

の全てを取り仕切る組織です
軍学校を出たら、資質に応じて振り分けられます
軍学校で優秀な者は、士官学校に編入します

基本的に、軍学校に年齢制限はないものと考えて下さい
なので、同学年でも年齢にバラつきがあります

と言う設定で宜しくお願いします
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