楽しい夜は、既に終わった。
思い返せば高揚感は蘇り、僅かに心躍る瞬間を味わえるのだが。これが続くのも、あと数日が限界だろう。
祭りが終わった後の様な感覚は嫌いではない。それも含めて、全てを堪能するのが薫の主義である。しかし、今回に限っては『もっと』と言いたくなった。
ギリギリの世界。小さな気の緩みで決着が付くような、拮抗した生き物同士の戦闘。それを極限に達するまで求めていたい気持ちがある。
この世界における娯楽が少ないための弊害だが。その一方で人為的に用意された場所に、かなでとの決着を求めるのは勿体ないとも思う。何より、自らの矜持としてそれは許されない。
「本当の決着をつける時、お前等が邪魔すると容赦しないからな? 仲村」
SSSの本拠地――校長室の来賓用ソファへゆったりと腰掛け、笑顔で紡がれる言葉にゆりの表情が歪む。苗字を呼ばれた不快感と、笑顔の奥に隠れている殺気を理解した結果だ。
だいたいが、今回の作戦に薫を加担させられた時点で行幸である。これ以上は下手に触れないのが無難な存在である事ぐらい、彼女は重々承知しているのだ。
故に、瞳を閉じて不快感を押し込め。軽く肩を竦めるだけで答えにする。
「こっちだって、出来るならアンタまで敵に回したくないわよ。今後は、ガルデモのライブから離れた場所で作戦を展開することにするわ」
「賢明だな。だが、あの食券を巻き上げる作戦。アレは、まるで幻想的な演出のようで気に入っている。そのうち、是非ともまたやってくれ」
何かを思い出してうっとりするバケモノの思考回路は、もはやSSSを束ねる少女にも理解できない。盛大な吐息を送ってもみるが、ゆりの反応そのものを楽しんでいる節があるので逆効果のだろう。
何時の日にか、こんなのと本気でタイマン出来る存在と親友になれるなど。今の彼女は予想することすら出来ない事だった。
「そういえば、作戦も終わって四日も経った今頃に何の用なのよ」
「ああ、危うく忘れるところだったな。戦利品の内容を聞きに来たんだよ、私は。詳細は話さなかったが、どうせ生徒会長の秘密を探っていたんだろう? 例えば、家捜しとかで」
空間が凍った。ここで沈黙することが肯定となってしまうことを理解して尚、黙らざるを得ない。
薫という生き物が、家捜しの事実を知ったところでかなでに告げ口をしないのは明白だが。だからと言って、収穫を教えていいものか。
二秒の迷いを吹っ切って、無駄なのを承知で何事もなかったかのように装う。
「残念ながら、全くよ。めぼしい収穫はなかったわ」
「…………なるほど、その様子なら『Angel Player』は発見していないな。それ以外には興味など無いからどうでもいい」
聞き慣れない単語に、ゆりの表情が困惑の色を濃くする。そうなることを知っていて、喉の奥を鳴らすような不思議な音で笑うバケモノは素早く退室した。
呼び止める声など軽く無視される。追いかけたところで見失う。残していくのは、疑問が浮上してしまった相手をあざ笑うかのような声だけ。
靴音と声の重反射が、薫の居場所を包み隠す。投げやりな情報を掴まされたゆりは、壮絶に嫌そうな表情になっていることだろう。それが愉快でたまらない。
「本当に愉快犯ね。あなたは」
不意に、背後から来た声に足を止める。
振り返るまでもない。その落ち着き払った声が誰の物なのかぐらい、本人の姿を見なくともわっていた。しかし、会話をするのなら顔が見えた方がいい。
軽く鼻を鳴らして、綺麗に身体を半回転させた薫は。その瞬間に薄い刃の切っ先を、鼻先に突きつけられた。
下手に動くと、顔を一突きにされそうな状況で笑みを作る。
「よお、生徒会長。手荒い歓迎だな、涙が出そうだよ。ところで、ここでやり合うと色々巻き込むぞ?」
死なない事への絶対的な自信――だけではない。瞳の中で、僅かに覗く狂喜が口の端を吊り上げているのだ。
バックリと左右へ避けた口元と、校舎の外で放課後の部活に勤しむ生徒たちを見て、小さく吐息したかなではそのまま手を下ろす。同時に、薄刃の剣も姿を消した。
「助かるな。お互い、前ので手札は七割ほど開示してしまったことだし。また、新しく何かを追加しなくては面白くならない」
「……あなた、彼女たちに話したの?」
喉を鳴らして笑う男の言葉を、彼女は無視する。いちいち取り合わずに、こうして顔を合わせに来た要件をさっさと口にした。
それはお互いの共通点があるからこそわかる言葉。主語の欠落した確認の台詞だ。
会話の内容を無視されて、しかし欠片も気にしない薫は肩を竦めてみせる。
「大丈夫、私は何も喋ってはいないさ。むしろ、生徒会長の部屋が家捜しされたようだが?」
「パソコンにはパスワードが設定されているわ。彼女たちが見ることは無理よ」
そうかい。と鼻を鳴らし、視線をグラウンドへ。
部活動に勤しむ『元からこの世界にいた生徒』たちの、活気溢れる空間へと目をやる。
今日も、残すは四分の一だ。そのうち全天は茜色に染まり、夕焼けを愛でるうちに暗闇が押し寄せるだろう。
退屈な一日はリセットされ、また何もない一日がリピートされるに違いない。
「消えたくなった?」
「いいや、そもそも私は消えられない。この世界の根幹部分、構築ルーチンのもっと奥。0と1の二進数で構築される基礎OSから組み込まれたデータの塊に過ぎない。青春を謳歌出来なかった子等のため、この世界が崩れないために用意されたアップデート不要の高機能アンチウィルスソフトウェア。それこそが私。なんせ『over master(人以上)』だ、そう簡単に消えられるはずもない」
知っているだろう? と笑う男は、口の端を歪に吊り上げた。
快楽を求め、適当に日々を過ごし、あまりの退屈が押し寄せようと、彼が誤作動を起こすことはない。
世界の表面部で揺らぎがあろうと、根幹が無事なのなら問題など起こらないように設計と設定がされている。
故に、薫は尚更退屈へと陥っていくのだが。これは嘆いて改善するような出来事でもない。
「特に『Angel Player』がバレても問題はないが。まあ、まだ変に戦力を付けられても困る。お前がパソコン経由で自身に付加させ、私がこの世界を支える集積回路で駆動させるプログラム。これは使う者が使えば絶大だ。特に仲村とかな」
冗談めかした声は、歌うように笑う。誰にも真意を掴めないような、底無しの暗さを宿す瞳を弓なりにして。
死後の世界からシステム的アシストを引っ張り出す。それが彼の『Angel Player』運用方法であり、あくまで中継変換器として利用されているに過ぎないソフトの正体だ。
薫ほど根幹部分からシステムに触れ、世界の改変を行うことは出来ないにしろ。かなでも少なからず同じ事をしている。その事実が、当初の彼には嬉しくてたまらなかった。
この身体が解放される事はない。解き放たれる事は、直結して世界の崩壊を意味するはずだ。
なぜ感情など与えられたのか、どうしてただのアプリケーションを実行するだけの存在にしなかったのか。わかるはずもない命題よりも、こうして向かい合って話し合える存在の方が愉快に決まっている。
関係なんて敵でも味方でも知人でも友人でも仇でも何でもいい。こうして会話をしている瞬間こそが、彼にとってとても心地いい瞬間であるのは間違いなかった。
だいたいの状況を理解したかなでは、最後にもう一度だけ小さく吐息すると踵を返す。
追うことはない。呼び止めることもない。薫はただ、それを見送るくらいしかする事が出来なかった。状況によりけりだが、彼に意志ある住人の行動を制限できる権限は備わっていないのである。
だから、小さく呟く声もかなでに届くことはない。
「ああ、退屈だ」
彼は知らない。
少し先の未来。彼が最も気に入り、最も嫌い、最も救われる存在が現れることを。
鼓動のない、少年の事を。
イレギュラーの乱入で世界が改変され。薫にとってどう影響したかは、また別の話で語られることだ。