星空は万人の前に平等に姿を現す。
それは王都の下層部においても例外ではない──が、だからといってそれを眺め楽しむものがいるかと問われれば素直に首を振れないのが実情ではある。
とりわけ、これより戦に臨まんとしている傭兵であればなおのこと、星々の輝きよりも気にかけるべきものが目の前にある。
地上に多数の人影=〈明けの明星〉前線部隊──天蠍宮/双魚宮──やや離れた区画に獅子宮──後方区画に宝瓶宮の治療拠点。
そのさらに後方──複数ある廃ビルの屋上にも人影=処女宮──そのうちのひとつ=分厚い双眼鏡を覗く若い
狙撃用携帯マットの上、朽ちたフェンスの合間からどでかい対物ライフルを非の打ち所のない伏射姿勢で構え続けるどでかい男=アリソン・ガスティール。
後ろに撫でつけられた
無秩序に並ぶ建築物。
地上に展開された〈明けの明星〉前線部隊。
遠方より淡い光と共に迫り来るロストの群。
夜空に瞬く星ですら、スコープを通して彼の灰色の目に映りはしても、心においては何色とも認識されず、ただただそこに存在する物体として把握されるばかりである。
そして──最近練習し始めたドラムの譜面が脳内で再現されヘビーローテーションしたり/任務直前に繰り広げた同じ処女宮のフランツとの鬼ごっこを回想したりすることはあれど──その精神は概ね没入一歩手前、無我の境地のすぐそばに居座り続けていた。
感情や意思の力を離れて別の領域へ至り、その状態を維持する──全ては彼が優秀な
不意に右耳の通信機に回線接続時特有のノイズが走った。
《人馬宮から処女宮の皆さんへー》
こちらの気まで抜けそうな、やや緊張感に欠けた声──
《ロスト群第一波がですねー、41秒後に“
《処女宮から人馬宮へ。了解》
簡潔な応答──狙撃部隊長こと
幹部2人の通信を聞き届け、伏射姿勢そのままに通信機を外す=狙撃に専念するため、観測手からの指示以外の余計な情報を
入れ替わりで耳栓を挿入──極小のクオリアによって人間の肉声とそれ以外の雑音を判別し遮断する優れもの=馬鹿でかい銃声をゼロ距離で鼓膜に叩き込まれる狙撃手には手放せない必需品。
観測手が言い渡す数字に従いスコープの倍率を調節/ライフルのグリップを握り直し再度の精神集中──速やかに没入状態へ移行。
「第一波“
観測手がカウントを開始。
鼓動が沈静化──あるのは虚無のような没入感のみ。
「6、5、4──」
安全装置を解除。
「3、2、1──」
スコープ越しに見据えた敵。
それを倒すだとか殺すだとか、そういった意気込みなどはまったく抱くことなく──呼吸をするがごとく極めて自然に、引き金を絞った。
「0!」
50口径から音速で射出された弾丸が、群の先頭にいたロストの頭部を一瞬で吹き飛ばした。
立て続けにあちらこちらから上がる発砲音=処女宮狙撃部隊による一斉射撃。
銃声が鳴る度に数を減らしていくロストたち──やがて咆哮を上げながら前線部隊と衝突する頃には、約2割の戦力を喪失していた。
「『ワルキューレの槍よ、希望を示せ』!」
「『スルトの杖よ、滅びを奏でろ』!」
最前線に躍り出る隻腕の青年/長い黒髪をたなびかせる女性騎士──
雷鳴/爆音/倒壊音/怒号/悲鳴──戦場に渦巻き響き渡る音・音・音。
耳栓をしていてもじわじわと聴覚に侵入してくるそれら一切を、しかし全く意に介することなく、虚無を抱いたまま観測手の指示を粛々と処理していくアリソン=
星の業の使用はせず──幸いにも今回現れたのはE級やD級のロストばかり=ライフル自体の素の出力で十分討伐可能──対物ライフルの破壊力を頼みにひたすら
星の業を使わずに済むならそれに越したことはない/というか副作用が面倒臭いからアレあんまり使いたくねえんだよな──虚無的没入感の4億光年彼方でそうぼんやり考えていると、
「狙撃目標地点変更。現在より300m後方、10時の方角。合図から3秒後、5秒後、7秒後に」
観測手からの指示=方角と距離から宝瓶宮の治療拠点。
ハンドサインで了解の意を示す/スコープの倍率を再調節──スコープ越しに覗いた先では複数のロストが治療拠点に接近中/既に1体が護衛戦闘員=リョウ・カガミと交戦中。
弱った人間と弱い人間が集まる場所がわかっているたぁ賢い奴らめ──内心で舌打ち=それもすぐさまエゴの下に埋没。
「カウント開始。1、2、──」
完璧で正確な3連射──再び指示が飛ぶ/引き金を絞る。
指示/狙撃/指示/狙撃──滞りなく遂行される支援狙撃/無慈悲に排除されていくロスト=順調そのもの──しかし拭えない違和感。
この若い観測手は文句無しに優秀だ。しかし
狙撃手と観測手の呼吸のズレ=トレーシングペーパーの厚み程の、取るに足りない誤差──しかしどうしても気になってしまう/つい比較してしまう──かつての相棒だった
とはいえ気にしたところでどうにもならないのが現実なわけで/そもそもそういったズレを修正して合わせることこそが己の得意分野であるわけで──多少の不満はあれど、今は自分の意志とライフルと弾丸がもたらすべきことをただもたらすべく努めるのみである。
そんな風に自分の思考が虚無的没入感の4億光年彼方で渦を巻いているのをぼんやりと感じながら淡々と仕事をこなす──不気味なオレンジの輝きを帯びた大剣を振り回すリョウがスコープに見切れる──よくまあひとりであんな大立ち回りができるもんだと感心しながら、彼の背後に迫っていたロストへ
いつの間にか治療拠点周辺のロストは全滅/前線に目を戻すとロストの群はほぼ鎮圧済=作戦終局。
後方支援の必要はなさそうだが万が一に備え狙撃体勢を維持・待機──しようとした矢先のことだった。
「敵襲!」
観測手の鋭い声が飛んだ。
咄嗟に伏射姿勢から身を捻って即座に起き上がる/敵影を視認──なんと同じビルの屋上、目と鼻の先にそれはいた。
給水タンクの残骸の上に佇む黒い影──
記憶違いでなければ未観測のロスト──恐らくクラウンタイプ/ランク不明/能力不明──何やら小さな声で呟いているのは聞こえるが具体的な内容は把握できず。
現時点で敵対意思の窺える行動は無し──しかしたった2人で対応するのは危険と判断したアリソン=右手を副次装備の拳銃に伸ばし/左手で観測手にハンドサインで救援信号を出すよう指示/下手にロストを刺激しないよう自分も沈黙し応援が来るまで待機──するはずが、
「──ア……リ……ソン……」
なんだと。
瞠目=動揺──名前を呼ばれただと?──そして不意に到来した重大な気付きに愕然。
「あの人はどこ……あの人はどこッ!!」
悲鳴にも似た絶叫=バレリーナが動いた。
タンクを蹴りアリソンめがけて弾丸のごとく一直線に飛来。
観測手共々素早く拳銃を抜いて発砲=
ギラリと光る爪を頭から振り下ろされるも間一髪で回避/横転/休む間もなく迫り来る第2撃を咄嗟に抜いたファイティングナイフで受け流す──なおも振り回される爪=無茶苦茶な軌道=まるで自棄かヒステリーを起こしたかのよう。
読めない動きに防戦一辺倒を強いられる/ついに見事な曲線美の脚から繰り出された鋭い蹴りが直撃──辛うじてガードは間に合ったものの、見かけ以上のパワーに踏ん張りが足りず吹っ飛ばされ/床を転がされた。
大きく隙を晒したアリソンへさらなる追撃を試みるべく踏み込んだバレリーナへ観測手が
金切り声──しかし撃ち抜かれた翼はその場で生え変わり再生/そして見る間に怒気を纏うバレリーナ=カッと固い音がしたかと思うと、次の瞬間には既に観測手の目の前に切迫。
観測手が声を上げるよりも/アリソンが再び銃の引き金に指をかけるよりも速く、巨大な爪が観測手の腹→胸倉→喉→顎→顔面を掬うように一気に抉り割いた。
一瞬のうちに凄惨に事切れた観測手──その姿を網膜に映しながら、動揺するでも/戦慄するでも/怒るでも/悲しむでもなく/蹴りを叩き込まれた横っ腹の痛みを押して/背を見せた返り血塗れのバレリーナの頭部を精密機械並の遂行力でもって正確に狙って発砲するアリソン。
が、バレリーナは後ろに倒れかけた観測手の死体を引っ掴んで盾に=驚異的な反射神経──挙句死体を投げつけてきた。
フルメタルジャケット弾を持参していないことを後悔しながらかわせば息つく間もなく赤に塗れた刃のような爪が迫る──受け流す/間合いを開ける/詰められる/かわす/追い縋られる──ギリギリの防戦を強いられて徐々に募る焦り=くそっ、応援はまだか。
焦りは挙動にも反映される=精密機械に生じたほんのわずかな、しかし致命的な誤差──振り回される爪/受け流すべくナイフを突き出した左腕──軌道を読み損ねた。
左半身に衝撃/夜空が視界の右側に=凄まじい運動エネルギーを受け流しきれず床へ叩き付けられたのだと遅れて理解。
次いで左腕に激痛と違和感──はっと見やる──肘から先が忽然と消失=ズタズタに割かれた断面から溢れた鮮血がコートのミリタリーグリーンをじわじわと赤黒く染めていた。
視界の端にナイフを握りしめたままの自分の左腕が転がっているのを認識すると同時に上に落ちてくる影=バレリーナ──咄嗟に残った右手で銃口を突きつけるが、その巨大な手に掴まれ/握りしめられ──バキャリ、と呆気なく腕も銃も諸共粉砕された。
「ぐ、ぅ……!」
骨肉を砕かれる生々しい感覚と激痛に呻き声が漏れる。
「ねぇ……あの人は……? あの人はどこ……?」
ロールシャッハテストのインク染み並にとっ散らかった血の海で、横たわるアリソンの上にしゃがみ込むバレリーナ=砕いた腕は離さぬまま。
「なんで……お前がここにいる、オディリア……!」
より近くで聞かされる彼女の声にどうしようもなく聞き覚えがあることが不可解でならない──彼の記憶には
「なんで、ですって?」
アリソンの言葉に一瞬にして冷たくなる声音──かと思えば、
「私がいちゃいけないの!?
急な激昂──しまった、と刺激してしまったことをアリソンが後悔したときには既に巨爪が大きく振り上げられていた。
万事休す──気休めにすらならないとは理解しながら防衛本能に従い短くなった左腕で咄嗟に顔をガードした直後──バァンッと大きな音を立てて、屋内と屋上を隔てる扉が蹴り開けられ吹っ飛んだ。
バレリーナが硬直/即座にアリソンの上から飛び退く──直後、ヒュッと空を切る音と共に視界に一筋の白光が閃いた。
軽やかに着地するバレリーナ/同時にアリソンを庇うように前に出た人影。
「遅くなってしまい申し訳ありません……!」
抜刀された
「デカブツ
「うっはぁ、大惨事もええところ……よぉ生きとったわぁ」
タラゼドに続き一足遅れて飛び出してきた2人──褐色の肌に傷痕と
「しぶといのが取り柄なんでな」
軽口で返すアリソン──実のところそろそろ失血死しそうな気がしないでもないが、気力を振り絞って意識を保つ。
その視線は見えずともバレリーナは増援の3人を忌々しげに睨み/タン、と軽やかなバックステップでフェンスの上に──3人が武器を抜いて追い縋る間もなくそのまま跳躍したかと思うと、次の瞬間には漆黒の白鳥へとその姿を変えて夜に飛び去っていった。
「……くそっ……」
どうなってやがる──朦朧とする意識の中で湧いて渦巻く疑問──何故彼女が墓の外にいる?/何故ロストに?/何故
回らない頭でいくら考えたところで答えが出るはずもなく──やがて貧血による失神で意識を失うその瞬間まで、アリソンには星空の彼方へ遠のいていく