奴隷蛮行――そのメイド、特殊につき。   作:紙谷米英

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奴隷蛮行【1-1】

【1】

 

 不運という事象は、往々にして理不尽な来訪者である。空港のトランジットで荷物を紛失される。海外出張中に、祖国がクーデターが勃発する。たまたま私用で訪れた公共施設で自爆テロが発生……と、現世の不幸は枚挙に暇がない。

 

 昼飯時前のイングランド西部を、柔らかな日差しが包んでいた。外国人の多くは、イギリスという国を誤解している。ロンドンがあたかもイギリスの首都であるという、ひどい思い違いがまかり通っている。幻想の錐を払えば、ロンドンはブリテン島の首都ではなく、観光客と投資家を標的とした狩り場でしかない事実が露呈する。この陰湿なはりぼてをユーモアと捉えられる者こそを、大英帝国は歓迎する。イングランド内陸部に位置し、ウェールズ国境と接する州――ヘリフォード・シャーは、そんなイギリスの偽りない姿を垣間見るのに相応しい場所と言えよう。

 

 手付かずの自然と、広大な農地、牧草地帯を突っ切るように、片側一車線の自動車道が走っていた。往来のまばらな自動車道の傍らにぽつんと建つガソリンスタンドに、薄汚れた黒のパネルバンが駐まった。いびつなへこみをこさえた後部ドアがスライドし、二十代前半らしき男ふたりが降りる。片方がバンの埃を被った給油口を開き、スタンドに備え付けられたセルフ式の給油ノズルを握った。もう一方は、並みならぬ緊張の浮かぶ面持ちで、せせこましい売店へと足早に向かった。車内には三人の男が残り、落ち着きなく眼を泳がせている。如何にも自信なげで不審者然とした様子だが、ここで警官の職務質問を受ければ、その理由もおのずと知れるだろう。

 男らは皆、とある陳腐でよこしまな目論見に衝き動かされていた。服装は一様に、擦り切れたジーンズを履き、上着はくたびれたフーディやデニムのジャケットである。平日昼間に定職にも就かず、じめじめと締まりのない面構えは、世間から落伍した若者像を体現していた。

 売店のガラス戸が開き、先のろくでなし一号がビニール袋を両手に現れた。男は往路と同様に小走りでバンへ戻ると、手にした袋を後部座席に放った。各々が袋へ我先にと群がり、調達されたの菓子やブリスターパックの惣菜を食い散らかし始めた。車内に充満するすえた体臭に、チョコレートと植物油のそれが添加される。給油が終わるや、働き詰めのエンジンが再始動し、そこに古い機械油と、手入れされていない空調の排気までもが加わった。きしむ車軸に悲鳴を上げさせつつ、バンはガソリンスタンドを後にした。

 陽の高いA49国道を北上する五人組は風体に違わず、ろくでなしの類であった。大学に行かず、幼少より軽犯罪を繰り返しては、幾度も留置所に叩き込まれてきた。先天的な遺伝子異常を除けば、こうした若者が増加する要因は、劣悪な家庭環境に帰すとする資料も少なくないが、その親も同様の家庭環境に身を置かれていたというのは、想像に難くない。極めて広範な目で見れば、悪童誕生のメカニズムは、親族間の連綿たる遺伝子の欠陥とも受け取れる。地上に生を受けた時点で、個人の生の設計図は、その大半が完成してしまっているのが現実である。であるが、望まずして被害者の認定を受けた彼らへ、労働者の憐憫が寄せられる道理もない。資本主義や共産主義、果ては破綻国家の第三世界といった不能の共同体でさえ、この理は適用される。学歴と資格のないまま劣等感にいじけて社会に自身をねじ込めなかった者の末路が、このスクラップ寸前のパネルバンにたむろしていた。

 社会の爪弾き者の筆頭――助手席で腕を組む二六歳のジム・カヴィルは両の眼が異様に小さく、その頭に黒い巻き毛が不潔に絡み合っている。歯茎の痩せ衰えたすきっ歯は、噛み煙草で色素沈着を起こしていた。手指の爪は伸びっぱなしで、何本かが不揃いに欠けている。

 カヴィルは菓子の油に汚れた指でグローブボックスを開き、道路地図を取り出した。皺だらけの地図には赤い印が点々と記入されており、それが商業地区に集中している。カヴィルは道案内するでもなく、バンを運転する相棒――ジェイソン・マッキニーの膝へ地図を放り、頭上の日除けを下ろした。マッキニーは首領の横暴を、右の眉を僅かに下げるだけでいなし、肩の脂肪に食い込んだシートベルトの具合を直した。巡回警官の停止命令を警戒して、シートベルトを装着しているのは、この車内にマッキニーひとりだけだった。

 車内は張り詰めた空気が充満し、乱れた呼気と、後部座席の一人――ルーカス・ダウダルの、ガムを咀嚼する音が不快指数を跳ね上げていた。ねちっこい水音に第四のろくでなし――バーニー・スプリングが舌打ちを発すものの、音の主は我関せずとサイドウィンドウに頭を預けている。無言の抗議に、スプリングの貧乏揺すりが始まった。不快な音と震動、それらを生み出す二人に挟まれ、後部座席中央の最年少――バイロン・ラスキンは苦悶に眉間を歪めて爪を噛んだ。

 バンは淀んだワイ川を越え、窓外を流れる平坦な田園風景が、都会然となりきれない灰色の街並みへ変じてゆく。右手には、この近辺では数少ない観光資源、ヘリフォード大聖堂がちんまりと佇んでいる。不心得者の代表、カヴィルの苔色の瞳が、コンソールのデジタル表示を睨んだ。時計のセグメント数字の真ん中で、コロンの点滅が規則正しく秒を刻む。間もなくAMの表示がPMに切り替わり、画面にゼロが三つ並ぶ。カヴィルの瞳に、貪欲な暗光が宿った。ここからの一時間が、彼らにとっての勝負時であった。


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