奴隷蛮行――そのメイド、特殊につき。   作:紙谷米英

16 / 49
奴隷蛮行【3-3】

 アンブローズ・バグウェルは新米警官から訊き出した地点を目指して、靴底を引きずるように歩いた。三日前の誕生日から、彼の表情筋は憎悪以外の形を取らなくなっていた。季節外れの寒気に手指の感覚は失われていたが、代わりに膝の関節が粗挽きされるような痛みを訴えた。

 下半身の疼痛にバグウェルの限界が訪れると同時、目当ての車輌を視界に捉えた。その巨大なバンは塗装こそ他のパトカーと変わりないものの、アンテナの針山がルーフに林立していた。近くの地面で無数の配線がのたくっており、途中から一つに束ねられてバンの内部に引き込まれている。バグウェルはバンのリアゲートに迫ると、真っ赤にかじかんだ拳を叩きつけた。せわしない殴打に扉が開かれると、戸口のドアボーイを押し退けて車内へ踏み入った。バンの荷室は薄暗く、精密機器が散乱して立つ場所を探すにも一苦労だった。三人の制服警官が車内に詰めており、各自が複数の液晶画面と睨み合っている。凡庸な警察車輌を装うこのバンには、凶悪犯罪に対抗するハイテクの粋が尽くされていた。付近に展開する警察官の通信基地局としての機能は勿論、国内のニュースやSNSをリアルタイムで追跡し、有事とあれば監視カメラをハッキングして映像を同期、さらには偽りの映像を流して欺瞞もこなす。それはさながら、移動式の司令部と呼べる代物であった。

「現状はどうなってる?」

 防水制服の滴を払うバグウェルの問い掛けに、最奥の席の巡査が振り返る。その目元に疲労と、挨拶もなく自分の縄張を濡らす上司への敬意が表れていた。通信監視を務める巡査は口を固く結び、人質事件のあらましが整理されたクリップボードを差し出した。労力の染みた資料へバグウェルはは一瞥もくれず、上着のポケットへ両手を突っ込んで沈黙を貫いた。資料が空を漂う十秒が過ぎ、監視官は肩をすくめて目頭を揉んだ。――我らが巡査部長殿は、外様のデスクワーク組に口頭での要旨説明をお求めだ。監視官は舌打ちを寸前で押し殺し、鼻梁をずり落ちる眼鏡の位置を直した。疲弊した脳が、決死の合理化を以て自我の維持を試みていた。「大切な仕事道具に、ゲロが付かずに済んだじゃないか」と、祈りめいた呪詛に神経をつなぎ止めると、監視官は埒外の任務に取り掛かった。

 監視官が手垢にまみれたマウスを握るや、矢印形のポインターが五基のディスプレイ上を縦横無尽に飛び交う。目まぐるしく切り替わる画面と、おぞましいビートを刻むのクリック音の合間を縫って、監視官の要旨説明が挟み込まれる。死にゆく脳細胞の処理限界を振り切る負荷に、バグウェルは眩暈を覚えた。許容量を超える負荷に顔を背けるロートルをよそに、端末を駆る巡査の瞳が爛々と煌めき、不規則な情報の濁流から砂金を洗い出す。

 

 ――四月十五日、十二時四十分。現地の通報を統括する管制室に、一件の通報が飛び込んだ。

「黒いバンが、囚人護送車に突っ込んだ」

 この通報を皮切りに、市民からの立て続けの緊急連絡に電話回線がパンクする。

「囚人服の男が路地に向かって走っているのを見た」

「二十くらいの男たちが、犯罪者の脱走を手引きしたみたいだ」

「銃を持った連中が、女の子を追いかけてる」

「うちの子が、何処にもいないの! 早く連れ戻してよ、こんな天気じゃ死んじゃうじゃない! 首輪は緑色の革製で――」

 十二時四六分。個人の携帯電話が発した十七件目の通報に、現地の警察官は戦慄した。

「もしもし、え? 事件か事故かだって? そんな場合じゃないんだって。サヴェジ日用品店ってきな臭い店なんだけど、そこに武器を持った連中が押し寄せてるんだよ。人数は……うわっ! おい、今の聞こえたか! 銃声だよ! こんなとこいられない!」

 市民の嘆願を聞きつけ、法の尖兵が雄叫びを上げた。ウェールズ各地でパトカーのサイレンが唸り、手漉きの公安職員は一も二もなく現場へ急行した。法執行官らが現地に到着すると、既にネタを嗅ぎつけた地元マスコミがうようよしていた。警察は出歯亀の排除に奔走する合間に、サヴェジ日用品店の従業員を自称する外国人ふたりに任意同行を求めた。また、立て籠もり犯が籠城を始める前に解放された民間人へも事情聴取が行われ、これが奏して本件に関する貴重な情報が得られた。なお、店舗従業員らは不法滞在と麻薬密売のかどで、拘置所での追求が確定している。

 短時間で作成された資料によれば、本件の容疑者はカーディフ出身の無職、ジム・カヴィルを筆頭とする、五人組のならず者であった。四月十五日の午後一二時四三分、サヴェジ日用品店を武装占拠した犯行グループは十五体の高級奴隷を人質に取ると、店内にバリケードを築いて籠城、徹底抗戦の意図を表明する。事件解決の初期段階として、犯罪交渉人が籠城犯と電話連絡を取ると、電話口のカヴィルは荒唐無稽な条件を提示した。一つ、自分たちを安全快適に離脱させるVIP車輌の手配。二つ、「金塊でいっぱいのスーツケースをいっぱい」。加えて、店舗に接近する動きがあれば、人質の殺害もいとわぬ考えをほのめかせた。受話器の間近で銃の撃鉄を起こす音を残し、カヴィルは電話を切った。降りしきる豪雨の下、法の守護者たちは不平等条約に頭を垂れる他なかった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。