奴隷蛮行――そのメイド、特殊につき。   作:紙谷米英

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奴隷蛮行【4-1】

 

【4】

 

 ヘリフォードじゅうを探しても、聴覚への不快指数で、サヴェジ日用品店に比肩する施設は類を見ない。乱雑に積まれた商品が絶えず地滑りを起こし、散乱した商品を客が踏み越えていく。陳列棚は利用者の粗野な物色に蹂躙され、物品の破砕音がやむことはない。雑誌の発売日には、新刊がグラビアのページを破り取られる痛みに咆哮する。レジの奥でリピート再生されるスプラッタ映画が、十五分ごとに金切り声で時を刻む。たまに頭上から聞こえるがさごそは、ネコをも食い殺すネズミの王の健在を示している。そういった鼓膜を蝕む不浄の日常が、今はひとつも聞こえない。

 平生に比べると、店内は不気味なまでに静まりかえっていた。(敷地面積)の空間には、決まった場所を行き来する足音と、男の低い呻り声、それから、少女のすすり泣く水音が木霊するばかりだ。薄いコンクリートの外壁を隔てた戸外では、降りしきる雨が天井を叩き、人類の油断を見計らった雷鳴が大気を引き裂く。占領下の強制収容所めいた環境音は、実際、それに近い状況から生じていた。

 切れかけた蛍光灯が明滅する下で、兵役年齢の男が五人、店内を練り歩いている。背骨が折れそうなほどふんぞり返るその手には、大小様々な銃器が握られている。五人の武装集団を除いて、店内に男性は存在しなかった。もっと厳密に言えば、店内の"人間"は、彼ら五人だけだった。

 五人のごろつきは、埃の舞う店内を大股で闊歩し、時々立ち止まっては、地べたで縮こまるヒトならざるものに銃口を向けた。にやける男たちの示威行為の矛先では、上玉の性奴隷らが身を震わせる。そこでは十五体の奴隷が、アウトロー五人の人質に取られていた。全員が両手を背中で縛られ、リノリウムの床に座らされている。人質の大半が、膝を抱えて嗚咽を漏らしている。それ以外は生気の抜けた瞳で、蛍光灯に求愛するハエを追っていた。ただひとりの例外を除いて。

 ――ほんと、ついてないな。

 ブリジットは肩を落とし、整った鼻をため息で鳴らした。他の奴隷と同じく、ブリジットの両手首も麻縄で拘束されていた。引き締まった小振りな尻を、冷たい床が苛む。彼女がいるのは、長大な陳列棚に挟まれた通路のなかごろで、店舗の中央近くに位置していた。

 ブリジットは手首をひねり、何度目かの縄抜けを試みたが、麻の戒めに隙間を作るには至らなかったので、無用な労力とは潔く決別した。

 武装集団は、奴隷たちの両足までは縛らなかったが、その場から移動したり、立ち上がることを禁じた。この禁則を、人質らは従順に受け入れた。表面上は、ブリジットもそうしていた。誰の目からも疑いようなく、サヴェジ日用品店は立て籠もり犯の支配下にあった。その事実を不承不承に認識した上で、ブリジットはこの窮状を脱する案を模索していた。この汚らわしい店舗から速やかに離脱し、仕事終わりの主人を温かい夕餉で迎えるという予定を、どうにかして元のレールに戻そうとした。

「……ごめん、こんなことになるなんて」

 不意に対面から掛けられた声に、ブリジットははっ顔を上げた。自分の爪先から三メートル正面で、自分のものと酷似したメイド服に身を包む少女が、目蓋を赤く腫らしていた。

「気にしないで。それに、すぐに助けが来るから、心配ないよ」

 言いながら、ブリジットは意識的に笑顔を繕った。自分をこの騒動に巻き込んだ要因への嫌味ではなく、思い掛けず再会した旧友を気遣っての行動だった。

 思案に耽溺するあまり、辛気くさい表情を浮かべていたであろう己を、ブリジットは戒めた。――一番つらいのは、この子だもの。私がしっかりしなきゃ。

 目蓋を涙で腫らす旧友を、ブリジットは盗み見た。濃いブロンドの髪が雨に濡れて垂れ下がり、涙で薄化粧が崩れていた。それでも、見る者を惹きつける美貌は健在だった。不謹慎ではあるが、調教施設にいた頃の彼女になかった、儚げな魅力すら、ブリジットは感じていた。

 ブリジットとリタがいる場所は、他の人質から大きく隔離されていた。理由のひとつは、厄介事を持ち込んだリタへの、他の人質による罵倒を収束させるためだった。もうひとつは、額面通りの意味で、ブリジットとリタが他の奴隷から抜きん出ていたからである。社会に適合する才能が皆無なごろつき五人でさえ――むしろ、本能も丸出しのけだものだからこそ――その二体の奴隷の質に気付いた。彼らは二体の性奴隷を他の人質より有用な交渉手段と見なし、その価値を失うのを恐れた。浅ましい皮算用でしかないが、一応は物事を考える真似をする個体がいるらしいと踏んで、ブリジットは犯行グループの錬度を推し量った。

 ――だとすると、ちょっと困るな……。

 旧友を思いやるブリジットの脳裏で、チェスの名人戦の如き攻防が繰り広げられていた。無限大に枝分かれする未来がのひとつひとつを、ブリジットは走査していった。自分が理想とする数時間後の展望から逆算し、そこへ至る糸口を求めて、最も低リスクで確実な解を洗い出そうとした。高精度のAIをして致命的なエラーを吐き出す難題であったが、小さな使用人はその最適解を弾き出した。

 独力で組み上げた作戦に、ブリジットは最善を尽くしたという確信があった。それでも彼女は、手中の案の実行に二の足を踏んだ。にわか作りの計画は、完成と同時に減点方式で採点された。ブリジットの分析眼は、垣間見えた光明の、その裏に落ちる影の規模を推し量った。彼女が導き出した数式は、ボタンの掛け違えひとつで核爆発を起こす危険を孕んでいた。

 その作戦には不確定要素があまりに多く、完璧な使用人の仕事に程遠い出来に、ブリジットは己の未熟を痛感した。さりとて、手札は限られており、プランBを熟考する猶予もなかった。

 ――そう、あるものでやるしかない。

 自らの主人が属する組織の戒律を胸中で反芻すると、ブリジットの深い蒼色の瞳が決然と輝いた。その奥には、必要とあらば、昆虫の踊り食いさえ辞さない覚悟が宿っていた。

 

 

―三年前―

 

 ブリジットとリタは、奴隷調教施設での同期で、三年間の苦楽を共にした仲だった。当時、身売りのショックから記憶を失っていたブリジットに寄り添い、彼女の心を繋ぎ止めたのがリタだった。本名はマーガレットだが、本人は愛称以外で呼ばれるのを忌み嫌った。事業の失敗の補償に自分を売った親が与えた名というのもあったが、一番の理由は、かの"鉄の女”マーガレット・サッチャーを想起させるためである。

 薄っぺらい紙切れ一枚で人権を失ったにもかかわらず、リタは己の信念を曲げなかった。調教施設での彼女は常に毅然として、奴隷への命令に理不尽な点が一点でもあれば、とことん食って掛かった。リタの論説には隙がなく、将来の商品に傷を付ける訳にもいかないので、誰もがリタの扱いに閉口した。彼女の前では、人間階級の優位は死んだも同然だった。リタはいつしか、関係筋から『レディ・スレイヴ』の異名で畏れられるようになった。奴隷階級に没しながら、彼女は己の高潔と正義に忠実だった。

 対して、記憶喪失からアイデンティティを手放したブリジットは悲惨だった。その心は赤子も同然に空虚で、現実逃避に籠もる殻さえ失っていた。集団社会で弱者が淘汰されるように、同期の奴隷の八つ当たりの矛先がブリジットへ向けられるのは、ごく自然な成り行きであった。ブリジットは現地奴隷社会のヒエラルキー最下層に置かれ、日夜、同性の陰湿な責めに晒された。理由なき無形の暴力は、丸裸の心身を着実に蝕んでいった。

 ブリジットの崩壊が秒読み段階にまで迫った折、その日は訪れた。ある朝、ブリジットの独房めいた個室に、新たな収監者が放り込まれた。状況を飲み込めないブリジットの手を、その来訪者が握った。

「あたし、リタ。今日からルームメイトになるから、よろしくね!」

 自分とよく似た顔をほころばせる女に腕を揺さぶられ、ブリジットは唖然とするばかりだった。それが、リタとの出逢いだった。


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