奴隷蛮行――そのメイド、特殊につき。   作:紙谷米英

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奴隷蛮行【1-2】

 正午のイギリスはヘリフォード市街。英国らしからぬ、うららかな春の陽光の下を、日用品の買い出しへ赴く女性がまばらに歩む。大半はいわゆる主婦層であるが、彼女らと距離を取って日陰者に徹する存在があった。『それら』はみすぼらしい身なりもいれば、それなりのお仕着せを与えられた個体も確認される。世間一般が認知するところの、メイド装束も珍しくない。二一世紀にもなって時代錯誤も甚だしい一種の忌むべき慣習が、ここイギリス連邦に根深く残っている。

 彼女らは単なる使用人ではない。職務をあてがわれた施設を清掃し、雇用主の面倒を見、時として彼らの下卑た欲望を満たすためにその操を穢される持たざる者。それこそが現代イギリス連邦の暗部が一端、奴隷である。

 現代イギリスにおける奴隷は、その大半が奴隷を商品とする民間企業によって売買されている。奴隷企業は、商品となる奴隷を複数のルートから調達する。極貧家庭の親が口減らしに娘を売り飛ばす例は多く、また、生活苦から自身を企業に身請けさせるケースもある。地下で奴隷企業と繋がりを持つ悪辣な孤児院や協会の存在も確認されており、奴隷関連の汚職や生臭坊主が新聞の一面を飾る事も珍しくない。メディアの執拗な口撃にもかかわらず、英連邦の奴隷史は綴られ続ける。こうした犯罪の温床と化した業界は、SNS上で誰が言い出したか、昨今では「女王のスラム街」などと蔑称されていた。

 如何なる形であれ、身を売られた奴隷はそれまでの経歴や個人情報を社会的に抹消される。履歴によっては、一般の斡旋企業を介して調理人や清掃員として派遣される事例もある。が、大概は全ての自由を剥奪された上で、型落ちした家電製品の如く買い叩かれ、使い潰される。

 古来より紛争の絶えない地球において、自国の戦火を逃れようとして、不法入国を働く難民は常に存在する。正当な手続を経ていない難民は、現地政府により母国へ強制送還され、時として虐殺の対象となるのが常であった。

 それが一転して、近現代の彼らには欧州在留が認可されている。新品の衣類を支給され、十分な食事を与えられ、所持品を検められ、専門機関に身元を洗われ、貨物船に鎖で繋がれ……そうして数日中にフランスのカレーからドーバー海峡を渡り、ブリテン島へと搬入される。各国が混迷を極める難民政策に、イギリスはその並外れたユーモアで一条の光を紡いだ。難民を自称する侵略者を自国の利益に変換するシステムが一朝一夕で構築され、欧州への難民流入は激減した。手土産もなしに保護を要求するだけの難民が、無限大の経済効果を生む商品へと変じたのである。植民地は広大な奴隷牧場としての機能を付与され、後進国での誘拐ビジネスを欧州諸国は公明に支援していた。

 二十世紀後半になると、この奴隷事業も翳《かげ》りを見せる。情報インフラの拡充により公民権運動が興り、ソ連の崩壊で植民地の独立に歯止めを掛ける存在は失われた。奴隷制も世論の熾烈なバッシングを逃れられず、長い歴史に幕を閉じた。表向きには。

 現在、奴隷制を公認する国家はイギリスただ一国であるが、そのビジネスモデルは有史以来不変である。東欧ではネオナチが若い娼婦を拉致してマフィアに引き渡し、手数料を稼いでいる。トルコへの不法入国に失敗した青年は、炭鉱夫としてアフリカで高く売れる。出自の全てを剥奪された彼らは、今日も労災なき苦役を命綱なく強いられ、腹のせり出した館主の陵辱に瞳を曇らせる。倫理の問題ではない。人間は家畜への依存なしには生き長らえないのだから。

 ここ、ウェールズにほど近いヘリフォードの街も例に漏れず、快い日差しを受ける奴隷らの表情には影が落ちている。商業施設のウィンドウを磨く少年が、磨き粉で荒れた手の痛みに顔を歪める。一ペニーの駄賃もなしに家を出された少女は、ぼろ切れ同然のお仕着せを繕う端切れさえ買えない。灰色の街に、灰色の労働力が、行き場なく漂っていた。

 そんな奴隷の中で、異彩を放つ存在があった。横断歩道で歩行者信号の切り替わりを待つ集団に混じる彼女は、あらゆる面で他の奴隷、ひいては女性と異なっていた。信号を無視して車道へ駆け出す人々なぞ何処吹く風、律儀に青信号の点灯を待機した彼女は、毅然とした足取りで革ブーツの踵をアスファルトに響かせ、二階建ての大手商業施設〈マークス&スペンサー〉の自動ドアをくぐる。必需品を記したメモを手にする少女は、実用性を重視したブラウンのメイド服に身を包み、くすんだブロンドの頭上に控えめなホワイトブリム(メイド用のカチューシャ)が揺れる。身の丈は高からず、背中でよじれなく交差するシルクのエプロンと、それに劣らず無垢な肌が眩しい。着衣の上からでも窺える、すっきりした身体のラインは、老舗の工芸品と見紛うばかりだ。美醜に五月蝿い自称英国紳士が、雁首(がんくび)を揃えて情欲を催す美貌が、さも当然と備わっている。何処か眠たげな碧眼は何か考えに耽っているのか、見る者を妖しげな印象に惑わせる。少々のあどけなさが残る化粧っ気ない面持ちも、果たしてそれが本性かも定かでない。

 欲求不満を隠せない主婦、勤労意欲の片鱗もない移民の店員、不景気に曇る奴隷で満ちた店舗一階を、そのメイドはのどかな微笑みで悠々歩み、店に備え付けの樹脂籠を脇に抱えた。指先につまんだメモに従い、目当ての商品を機械的に籠へと収めていく。頻繁にこの店を利用しているらしく、経路の選択にも迷いがない。ショッピングカートも使わず、商品の溢れる籠を苦ともしない辺りに、いささか人間離れした気味悪ささえあった。線が細いくせして自信に満ち、それを裏打ちする実力が瞳の奥底に覗き見える。気が抜けている様で、他に抜きん出て垢抜けて狡猾な演技派。はばかりなく言ってしまえば、同性から倦厭されるきらいがあった。極めて打算的な一面を覗かせるも、誰も容易には咬み付けないこの奴隷。その名を、ブリジットという。


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