【5】
アンブローズ・バグウェル巡査部長は嫌悪も露わに、クラプトンなる男のIDカードを睨んだ。樹脂製のホルダーに収められた英国陸軍の認識票は、眼前のリチャード・クラプトンが五六歳の少佐で、その身長が一七四センチメートルであると主張していた。添付された顔写真は、当人と同様にリラックスした笑みを浮かべている。
バグウェルは認識票が偽造品でないと認め――元より見分ける技能もないが――来訪者へ慇懃な視線を向けた。
「陸軍の将官殿が、何のご用で?」
「いや、そう仰々しいものではないのですよ。ただ――」
「いいから、手短に願いますよ。こっちも暇ではないのでね」
給与等級へのやっかみを隠そうともしない声音に、クラプトンが幾ばくも動じた素振りを見せなかったので、矮小な巡査部長の苛立ちがほとばしった。クラプトンは濡れた肩をすくめ、ゆっくりと頷いた。
「そう焦らんで下さいな。さっきも申し上げた通り、ちょっと込み入っておりましてね……ここで口外するのは、はばかられるのですよ。それに、落ち着いてお話しできる雰囲気でもないようだ」
バグウェルの肩越しに、クラプトンはバンの車内を一瞥した。薄暗い荷室で、三人の情報部員が、制御を失った監視機材の復旧に奮闘している。
「恐縮ですが、ちょいとお付き合い願えませんかね」
クラプトンはリアドアの脇へよけ、バンから降りるよう、うやうやしく促した。
「悪いが少佐、私はここの責任者だ。この場を離れるわけにはいかない身でね。他の者をあたって――」
「貴殿が突っ立っていたところで、彼らの作業の邪魔でしかない」
あっけらかんと言い放つクラプトンにたじろぎ、バグウェルは背後の荷室へ首を巡らせた。情報部の三人はあちこちの端末をいじくるのに忙しく、返事を寄越す余裕さえなくなっていた。クラプトンがゆったりとした口調で、再び車外へと手招きする。
「では、ご同行願いましょうか、バグウェル巡査部長?」
悠然と構える闖入者にバグウェルは呻き、不承不承ながら、ぬかるんだ地面に足を沈めた。
クラプトンの先導で、バグウェルは冷たい雨が降りしきる市街を歩かされた。途中で何度か曲がり、光の届かない路地を数本通過し、はたと足を止めるなり、来た道を戻るといった奇行を、クラプトンは繰り返した。業を煮やすバグウェルが意図を問うても、陸軍士官は口元に指を立てて語を継がせず、次第に二人の視界から警官とパトカーが消えていった。
そうして十分ほど歩き続け、街路樹としてそびえ立つオークの木の下で、クラプトンは足を止めた。「この辺りでいいでしょう」
「随分と道に迷われたようですな」
バグウェルの嫌みを、クラプトンは聞き流した。この十分間、彼が
二人の頭上で、よく繁ったオークの葉を雨が叩いていた。クラプトンはダッフルコートの懐から魔法瓶を取り出すと、付属のカップに湯気の立つ緑色の液体を注いだ。
「こうも冷え込むと、たまりませんな。おっと、申し訳ないが、貴殿の分はありませんよ」
「結構だ。それより、さっさと用件を言いたまえ」
「おや、煎茶はお嫌いですかな? まあ、好みは分かれるでしょうな」
バグウェルの肩が爆発寸前でわななくのを歯牙にも掛けず、クラプトンはずず、と日本茶を堪能した。
「さて……バグウェルさん?」
「巡査部長だ」
無用な階級問答に、クラプトンは応じなかった。「あなたのお望み通り、単刀直入に言いましょう」
陸軍士官は魔法瓶を仕舞い、同じ年頃の警察官と正対した。その顔から、腑抜けた笑みが消えた。
「進行中の籠城事件の全権、そいつを私に委譲していただきたい」