「えー……今、何と言ったんだ?」
バグウェルは目をしばたたき、クラプトンの言葉の理解に苦心した。無理もない。なにせ、地球の裏側のちっちゃな島国だけで使われている言語なのだから。
クラプトンが鼻で笑った。
「誰も教えてくれないだろうから、私が代わりに言ってやろう。あんたはどうしようもない無能だよ」声音に、底暗い怒りが声音に含まれていた。抑揚ない侮蔑に間髪入れず、矢継ぎ早の糾弾がバグウェルに浴びせられた。
「周囲に害をもたらすしかない、出来損ないの粗大ゴミ。それ以外にどう説明がつく? 事のでかさが、まるで見えていない。
幸いにして今この時まで、あなた方の交渉人は職務を堅実に全うしている……あんたとは違ってね。上手くいけば、相手さんは無血開城、人質全員が無事に解放されるかもしれない。
だが一分後に何が起きるかなんて、いったい誰が説明できる? おっと、神のお導きなんて言うなよ。敬虔なお祈りで最善のシナリオが実現するなら、どうぞ今すぐ拝めばいい。甘ったれた願望がどう役立つか、私も見てみたいのでね」
クラプトンは両腕を広げ、その場で回ってみせた。バグウェルの存在など忘れているかのように、大仰な身振りを交えての独白が続く。
「ああ、そうさ。この世界には、誰かと考えを一にしない不信心者がうようよしてる。それなのに、堕落した市民は、平和が蛇口から無尽蔵に出てくると思っていやがる。いざ敵を前にした時に、そういう
そこまでひと息に言い終えると、クラプトンの顔から不意に怒気が抜けた。数秒前まで振り回していた腕を脇に垂らし、厚ぼったい目蓋を半分おろした。
「……だが、そんな無理を強いるのも酷ってもんだ」
肉付きの良い指が目頭を揉む。気の触れた陸軍士官にぽかんと口を開くバグウェルなど一顧だにせず、クラプトンは背後のオークに背中を預けた。
「わたしゃ性善説を信じてる訳じゃないがね、動物ってのは元来、同族を殺せないように作られてるんだ。血肉をむさぼることしか頭にないピラニアでさえ、同胞との争いとなると、ちっちゃな尾ヒレで互いをはたくだけ……おい、随分と可愛いじゃないか」
濃い口髭に縁取られた口角が、いびつに持ち上がった。
「だが、人間はどうだ? 同じ人種、肌色、信教でありながら、無防備な同種を殺しまくってる。不思議だと思わないか? いいや待て、思わなくてもいい。あんたの道徳なんかに興味はない」
バグウェルの鼻先に、一本指が立てられる。
「警察学校で教わらなかったか? 緑の豊かな牧場に羊がいっぱいいて、呑気に草を
安全な自宅で紅茶をすする日常をあえて捨て、市民の守護を最前線で担う牧羊犬を担うのが、我々軍人や警察官だ。羊がごく当たり前に浴する安寧を維持するためだけに、牧羊犬はそ身を死地へ投げ入れる」
やにわに、クラプトンはバグウェルに迫り、脂肪に覆われた胸板に指を突き立てた。
「それが、あんたときたら何だ。何でも良いから畏敬が欲しいと、ボスザル気分に酔いしれるだけの下心で大勢に迷惑を掛けているのが、どうして分からない?」
野太い指がたるんだ胸板を何度も突き、のけぞったバグウェルが後ろへ下がっていく。九十キロの脂肪が、たった一本の指に圧倒されていた。
「正直、この辺りの官憲の仕事には恐れ入ったよ」
クラプトンはバグウェルから距離を取ると、頭上の繁った樹冠を仰ぎ見た。
「突然の異常気象と、同時発生した凶悪犯の逃走による人員不足、指揮系統の混乱にもかかわらず、彼らは籠城現場の包囲と周辺住民の安全確保、情報資料の作成、犯罪交渉人の手配を、事件発生から一時間と掛からずに済ませていた。心より平伏するよ」
クラプトンの瞳に、冷たいものが宿った。
「そんな彼らの献身を、愚図の老いぼれがぶち壊そうとしている」
バグウェルは何か言いかけたが、クラプトンに先程より強く胸骨をどつかれて、息を詰まらせた。
「優秀な牧羊犬が、あんたのせいで要らん手間にかかずらっているのが、まるで分かっちゃいない。いいですかな、バグウェルさん。さっき申し上げた要求を復唱してあげます。その壊滅的なおつむじゃ、ひとっつも憶えていないでしょうからね。感謝していいんだぜ、お馬鹿さん?」
クラプトンはバグウェルの狭い額を爪弾くと、すぐ上の制帽をひょいとさらった。バグウェルが取り返そうと腕を伸ばすより先に、クラプトンは奪った制帽を自分の頭に被せた。据わりを整えながら、唇の片一方を意地悪くつり上げる。
「どうです、似合いませんか? 何なら、明日からあんたと交代しても面白そうだ」
クラプトンは自分の冗談に笑いながら、バグウェルにSASのベレー帽を差し出した。
「まあ、務まるはずもないでしょうがね」
バグウェルの中で