奴隷蛮行――そのメイド、特殊につき。   作:紙谷米英

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奴隷蛮行【1-3】

 ものの数分でメモの品目の大半を揃えたブリジットは、最後に酒類の棚へ向かった。抱える籠は、ジャガイモを始めとする農作物、肉、牛乳といった食材で満たされている。その上には、体格ばかり立派でいたずらに気を揉みがちな雇い主を慮り、大量のチョコレートが積み重なる。

 目的の陳列棚に到達すると、ブリジットは手始めに黒塗りの〈ベイリーズ〉の壜を取り上げた。続いてカクテル作りに定番の〈アンゴスチュラ・ビターズ〉の小壜を薬指で絡め取り、その手で自分のお気に入り――悪女の唇と見紛う紅が扇情的な〈ピムス〉をさらう。リキュール(混成酒)の補給を終えた時点で、買い物籠の重量は十五キロに迫ったが、ブリジットはよろめく素振りもなく、ウィスキーの陳列棚へとスカートの裾を翻した。

 木目プリントのシートを敷かれた什器には、多様な色形のボトルが店内照明に輝いていた。ブリジットは指差しを伴って、什器の最上段からウィスキーの品定めに掛かる。十八年ものの〈タリスカー〉や〈マッカラン〉といった高級品は、本日の補給リストに列席されていない。彼女の要求はもっと庶民価格で、角張った壜を採用している。一つ下の段では桁数が落ち着くものの、いささかブルジョア感が抜けきらず、凄まじく癖の強い〈ラフロイグ〉を私費で購入する程、彼女の主人は酔狂でもなかった。更に下の三段目に至ると、ようやくで日頃嗜むのに躊躇わない面々が並ぶ。ブリジットは穏やかな鼻歌を発し、飴色の液体に満たされた容器群を検めた。右端の値札から順に、視線と人差し指が楽しげなステップを踏む。この三段目にこそ、彼女の主人のお気に入りが陳列されているのだ。

 ――あの人はね、〈ボウモア〉じゃないの、ごめんなさい。お隣の、〈デュワーズ〉さんも、お呼びでない。〈シーバス・リーガル〉違うちがう。〈ジョニー・ウォーカー〉無難すぎ。良い線いってる〈バランタイン〉。でもでもやっぱり、あの人は――

 即興の小恥ずかしい歌詞を乗せた『英国擲弾兵(ブリティッシュ・グレナディアーズ)』の鼻歌が、はたと止んだ。流麗な指遣いが凍り付き、碧眼を縁取る長い睫毛が伏せられる。彼女の指差す先には、およそ壜一本分の隙間が棚の奥まで続いていた。愛らしい使用人の目尻から、微笑みが失せる。ブリジットは鼻歌と指差しを仕切り直し、三段目の残りと更に下の段までを(ねぶ)る様に走査した。

 ――いいえ、よくある間違い、きっとそう。だって、〈ジェムソン〉あるじゃない。〈パワーズ〉、〈キルベガン〉、〈タラモア・デュー〉。待って、誰かを忘れてる。ほらほら、そこにはアイルランドの――

 震える指が行き着いた先、最下段の左端に居座っていたのは、家計に優しい〈カナディアン・クラブ〉であった。硬直するブリジットを余所に、昼休み中の建築作業着の男が、脇からひょいとその壜を取り上げる。それからブリジットの容姿を二度見し、名残惜しげに会計の列へ消えていった。当のブリジットは、他人の当て所ない劣情になど構っている場合ではなかった。その心は目下、奈落の底に落ちてゆきつつあったのだ。


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