ブリジットが現状を以て平静を保っている依拠を得たことで、リタの表情が晴れた。「じゃあ、そのご主人がもうすぐ助けに来るんだね?」
犯行グループに聞こえぬよう耳打ちして、親友の明るい肯定に備えた。
「それはないかな。今日は首都へ日帰りの出張に赴かれたから」まるで歴史書の如く、ブリジットはこともなげ言ってのけた。「だから、お疲れの御身をちゃんとお出迎えしたいんだけどね……」
それに、こんな醜態をあの人に晒せるもんですか。
ブリジットの目論見をよそに、リタは食い気味に問いただす。「でも、SASの基地そのものはこの街にあるでしょ? だったら、有事に備えて待機してる隊員はいるよね? この店の外は警察が固めているんだし、今すぐにでも突入できそうじゃない?」期待の眼差しは、焦りに泳いでいた。
ブリジットは完璧を自負する使用人だが、おためごかしばかりの営業マンではない。質問に対しては、必ず事実だけを述べる。「待機中の隊員はいるよ。既に先遣隊が到着しているはず」
「じゃあ――」リタの瞳に、輝きが戻りつつあった。
「でも、救出作戦にゴーサインが出る可能性は低いと思う」
求めていた甘言は、淡泊なひと息に打ち砕かれた。絶望に打ちのめされた哀情が雫となり、リタの頬を伝う。「どうして――」
「私たちの存在」留守電の機械じみた声が、痛々しい喘ぎを遮った。
「リタは、この店がどんな場所か知ってる?」数秒前の笑みはいずこかへ、抑揚のない問がリタへ投げ掛けられる。
「その……分からない。この辺りに来たのは初めてだから。攫われてからはずっと頭に袋を被せられてたし、逃げ出すのに必死だったから」
ブリジットは頷き、静かに語を継いだ。「ここはね、巷ではちょっと有名なドラッグ密売所なの。従業員は東欧のマフィアの末端で、麻薬の売上を元締めに上納してる」
「それと私たちに何の関係が――」
自ら回答に辿り着いたリタに、ブリジットが深く頷く。
「そう、人質すべてが高級奴隷という事実が、事件解決を遅らせている。
タグの情報から、人質の身許は調べがついているはず。容疑者の特定よりずっと先にね。もしも奴隷の所有者に権力者が混じっているとしたら、司法機関はメディアへ圧力を掛けなきゃならない。所有する奴隷が薬物中毒になっていたなんて世間に知られる訳にはいかないから、人質の救出より報道規制に人手を割く」
息継ぎもなしに、ブリジットの状況分析はつらつらと続く。「厄介なのは、私たちは奴隷は"モノ"だけど、その所有者は"ヒト"だってこと。薬物に依存する奴隷は、当然罰せられる。
でも、そんなどうしようもない奴隷を案じてくれる、変わり者のご主人様がいるかもしれない。ひとりか、あるいはもっと多くの声が、ばかな小娘の無事を願っているとしたら……事件への対応が慎重になるのは当たり前だよね」
ブリジットはそこでようやく肺の空気を循環させ、旧友へ屈託ない笑みを向けた。「ご主人に愛されてるんだね、リタ」
リタの頭が、ブリジットの胸に跳び込む。魚雷よろしく突っ込むなり泣きじゃくる後頭部を、ブリジットは脚で器用に腹へと抱き寄せた。
「よしよし、今までよく頑張ったね。偉かったね、つらかったね、跳ねっ返りだね、不器用な子だねー。
まったく、今度は何をやらかしたの? いや、大体は予想がつくけどね。ご主人と意見が合わなくて、家出でもしたんでしょ? で、今になってものすごく後悔してる。すぐに帰って謝りたいのに、こんなところで足止めを食って胸が張り裂けそう。そうだよね?」
災厄を招いた小さな隠し事を見透かす声に、リタの涙腺はこの日一番の緩みを記録した。