【9】
十三時四五分、サヴェジ日用品店を包囲していた警察車輌が、列を成して規制線の外へと走り去っていった。青い回転灯の最後尾が見えなくなると、別の車輌群が入れ替わりにやってきた。いずれも車体をオリーブ色に塗装されており、英国陸軍所属を示すステンシルが施されていた。
大雨の中で慌ただしく陣形を組む軍用車両を眺めながら、リチャード・クラプトンは額の雫を拭い払った。
「ろくでなしの邪魔はあったが、山をひとつ越えたな」
「次にもっと大きな山嶺がお見えでないようで」
隣で発せられた女の物言いに、クラプトンはむっとなった。
「まあ、怖い」
おどける銀髪の女を睨んで一秒、クラプトンは大きくため息をついた。バグウェルから籠城事件の指揮権を奪ってここに至るまでの気苦労が、不要な言い争いから彼を遠ざけた。何より、ふたまわり年の離れたこの女を言い負かせる気がしなかった。
よどんだ緑色の車体を勘定しつつ、ニーナは隣の上司の神経をつついた。
「それにしても、随分と頭数を集めましたね。お上からお叱りがあったらどうしましょう」
「あとでお前が何とかしろ」
「相変わらず、使用人の使いが荒い旦那様ですこと」
ぶすっとする上司を脇目に、ニーナはくすくす笑った。"主人を手中で転がしてこその使用人"、それが彼女の矜持である。
それに、彼女がこの緊張下でクラプトンをおちょくるのは、確たる理由があった。
籠城事件の発生直後、クラプトンはブリジットが人質のひとりである事実を、地元警察の知人から聞き知っていた。状況を理解するや、クラプトンは固定電話と携帯電話ふたつを同時に使って、三つの仕事に取り掛かった。ひとつは、地元メディアに対する徹底的な情報統制。次に、事件対応の直接指揮権の獲得。最後に、ブリジットの雇用主――血の繋がらない次男坊に、地元での事件発生を知り得ぬよう取り計らうことだった。だが、どうやって?
スマートフォンひとつで地球上すべてのメディアを閲覧可能な現代において、時の運はクラプトンに味方した。翌年に控えたロンドン・オリンピックに向けて、かの次男坊は警備体制や緊急時の対応の確認と指導という名目で、首都へ日帰り出張していた。これを好機と、クラプトンは現地の部下に連絡すると、次男坊から情報インフラを剥奪し、身柄を首都に留めておくよう指示を出した。仔細は現地の部下に一任していたが、上手くいくという算段があった。そうでなければ、今頃は電話口の次男坊からヒステリックな受けていたに違いない。
クラプトンは魔法瓶の煎茶をすすり、背後の針葉樹に身体を預けた。「まったく、夫婦揃って手が掛かるったらない」
「"蛙の子は蛙"とも いいますからねえ」
煎茶を気道に詰まらせ、クラプトンは激しくむせた。