奴隷蛮行――そのメイド、特殊につき。   作:紙谷米英

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奴隷蛮行【9-3】

 帰れたはずの家を思い出したことで、リタはまたもしおれてしまった。ブリジットの懸命な励ましも甲斐なく、老け込んだ面持ちで自嘲にふけった。

「あんたはびっくりするほど変わったね、ブリジット。施設にいた頃は、あたしの後ろで小さくなってるだけだったのに。軍人さんとの暮らしは、そんなにエキサイティングなの?」

 ブリジットは穏やかに首を振った。

「心安らかな日々だよ。旦那様はちょっと不思議な感性をお持ちだけど」

「あんたが言うなら、相当な奇人ね」

 ブリジットは二重に苦笑しつつ、居住まいを正した。

「私が変われたのは、リタのおかげ。リタがいなかったら、今の私はいないもの」

「じゃあ、失望させちゃったね。あんたが慕う『リタ』はもういない。今になって考えると、施設でレディ・スレイヴなんて陳腐な革命家を気取っていたのは、他人に舐められないための口実だったのかも」

 リタは天井を仰ぎ、切れかけの蛍光灯に求愛するハエを目で追った。

「買い手が付いて……今のおうちに引き取られた時に、レディ・スレイヴは死んだ。旦那と奥様は、高飛車なあたしを娘も同然に扱ってくれた。小言まみれの秘書や家政婦長(ハウスキーパー)も、あたしの意見を頭ごなしに否定しなかった。あの家は、そのままのあたしを受け入れてくれた。向こう見ずなレディ・スレイヴを――意地っ張りなリタを求める声なんてなかった。

 だから、失う怖さを知った。今ここにいるのは、ただ臆病なだけのマーガレット。ほんと、皮肉よね。奴隷の肩書きを誰より疎んでいたあたしが、喜んで自由の下僕に成り下がるなんてさ。施設で偉ぶって説教してたくせに、今じゃこのざま。だからお願い、幻滅してね」

 そこまで言い切ると、リタはうなだれて耳を膝で塞いだ。彼女は敬虔なプロテスタントではなかったが、実の親に身を売られた時でさえ恨まなかった神に、初めて唾吐いた。心の内で万物をひとしきり罵ってから、二四時間後の自身がどうなっていようが、二度とブリジットに相まみえないよう祈った。恨み節を奏した手前、祈る先がなかった。

「本当にそう思ってる?」

 純粋無垢な問い掛けが、塞いだ耳へと滑り込む。出逢った時からずっと好きだった囁き声が、丸裸の心を突き刺した。「あのぶっきらぼうが、一年そこらで矯正されるとは信じられないけど」

 リタが知る限り、ブリジットは一度たりとも挑発的な物言いをしてこなかった。野ウサギのようにいち早く逃げるのが常だった旧友の言葉に、リタは反射的に食って掛かった。「何が言いたいの」不機嫌な声音で応じた直後、リタは肺の中の空気が凍結する心地を味わった。

 隣に、知らない女がいた。その微笑みこそブリジットと瓜二つだが、臆病だった彼女と相反する、猛々しい意志を身にまとっていた。

 言葉を失っているリタに、女は穏やかに告げた。

「リタはまだここにいるよ。その身を焦がして、自分の理想を最後まで貫いた女傑。ずっと頑張ったせいで燃え尽きたように見えるけど、灰の中でまだ赤く燻っている」

 旧友の異常に面食らうリタの鼻に、ブリジットのそれがぬうと接する。

「ねえ、『リタ』だったら、こんな時にどうするだろうね?」

 額面通り、眼前に迫ったブリジットの深く蒼い瞳に見据えられ、リタの頭の中で色々な言葉が飛び交う。恐怖、未知、憎悪、嫉妬、欲望。わななく唇が、たどたどしく音を紡ぐ。

「もう諦めて、ブリジット。あたしは無力な自分を受け入れた。それでいいじゃない。大体、見栄や虚勢で武装した男五人を倒すのは無理だよ」

 あわや表面張力を超えんとするリタの言葉に、ブリジットは間髪入れず確認した。「ということは、十分な武力があればいいんだね?」

 不可解な言動にどう反応すべきか首をかしげるリタをよそに、ブリジットはリタの背後を覗き込んだ。突飛な行いに気圧されたリタが何か言うのも意に介さず、その手のいましめを熟視すると、やがて呟いた。「……うん、これならやれそう」

「どういうこと?」

「心配しないで。リタの意志はしっかり継いだ。今度は私が救う番だから」

 一方的な意志表明に混乱するリタに、ブリジットは不敵な笑みを浮かべた。

「"危険を冒すものが勝利する"、そうでしょ?」

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