奴隷蛮行――そのメイド、特殊につき。   作:紙谷米英

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奴隷蛮行【10-1】

【10】

 

 クラプトンは陸軍の指揮車輌に乗り込むと、フロア中央の机を通り過ぎ、壁際のホワイトボード前へ直行した。クラプトンの一歩後ろを、サングラスを外したニーナが追従していた。ふたりのコートから滴る雨水が床を濡らしたが、車内に詰める四人の情報部員は気にも留めなかった。

 「報告しろ」とクラプトンが命じる前から、情報部員の男ひとりがタブレット端末を手に立ち上がった。

「状況は悪化しつつあります。十分前の交渉で、犯行グループはこれ以上の引き延ばしを認めない旨を通達しています。以降はこちらからの電話にも応じません。直後に、トイレの換気窓から店の電話が投げ捨てられるのを、偵察チームが確認しています」

「十分前か」クラプトンは、事件の情報が集約されたホワイトボードを睨んだまま、語を継いだ。「交渉人の意見は?」

「犯行グループと接触する手段はまだありますが、主導権は敵方へ渡ったと判断しています。また、電話口の容疑者の言動が支離滅裂になっているそうです」

「ラリっていると?」

「その可能性が高いかと」

 情報部員は努めて冷静を保っていたが、言葉の端々に僅かな焦りがあるのをを、クラプトンは聞き取っていた。ホワイトボードから一枚の写真を剥ぎ取ると、そこに写る男の風貌を検めた。写真は容疑者筆頭のジム・カヴィルのマグショットで、数年前に車上荒らしで検挙された際に撮られたものだった。

 情報部員は、指揮官の次の発言を辛抱強く待った。お相手は齢六十に近いのだと自分をなだめすかしていると、我慢の時が終わった。

「交渉人は十二分に責務を果たしてくれた。にもかかわらず、容疑者は我々の厚意を無碍に、平和的な解決案を棄却した。こちらも相応の強硬策を採る頃合いだろう。

 現時点を以て、本件はSAS連隊D戦闘中隊による直接介入を主軸として収束にあたる。全部署に、警戒を強めるよう通達しろ」

 指揮官の決定に情報部員は力強く頷き、現場のSAS隊員との通信を担う担当官に指示を飛ばした。通信員が手元のマイクのスイッチを入れる寸前に、クラプトンが付け加えた。

「偵察……いや、狙撃チームに伝えろ。いつでも撃てる状態にしておけ、と」

 通信担当は肩をすくめて、命令に背いた。「それは無理です。ずっと前から、薬室に初弾を込めさせていますから」

 部下の実直な仕事を目の当たりに、クラプトンはいくらか不安が和らぐのを感じた。慢心を覚える前に気を張り直すと、濡れ鼠のコートを空いているスツールに放り、店舗の見取図が拡げられた机に向き合った。

 見取図には、人質と容疑者の位置や、建物の構造的に弱い箇所といった要点が記されていた。リアルタイムで情報が書き加えられるので、空白の部分はほとんど残っていない。情報は見取図に直接書かれず、その上に重ねた透明なシートに書かれている。アナログではあるが、シートを新しいもの交換するだけで、この単純な指揮所は秒ごとに変わる状況に対応できる。ヒトそのものを完全に模した人工知能が生まれない限り、情報技術における人間の地位は揺らがない。

「心意気は結構ですが、具体的なアプローチはお考えで?」

 ニーナの軽口に、作戦指揮に使うヘッドセットの具合を調節するクラプトンの眉が歪む。

「それを今から探すんだ。イカサマにワンペアで勝つ道筋を作るんだよ。暇を持て余しているなら、お前も突入部隊に加わるか?」

 ニーナは鼻で笑った。「ご冗談を。わたくしまでお高い人質に取られてしまいますわ。そういった嗜好でしたら、謹んで拝命しますが」

 クラプトンは無視を決め込み、店舗の見取図を相手取って、やるべき作業に没頭した。

 悲しいかな、口の減らない女兵士の言う通りで、SASは次の一手に欠いていた。警察から引き継いだ情報では、事件解決の突破口として不十分であった。

 店内の監視カメラは、低解像度の画がコマ送りで送られてくるといった劣悪な性能で、重要なタイミングを見定めるのには使えない。

 今や個人の裁量で発砲を認可された狙撃チームも、店舗正面のバリケードやシャッターの隙間という、ピンホールカメラのような視界しか得られなかった。

 外壁越しに集音マイクで音を拾う試みも、降り続く豪雨がノイズを生み、何とか人声を拾えても、女の嗚咽や知性の乏しい罵詈雑言くらいのものであった。

 情報不足による戦術的不利と、採光窓がないふざけた建築設計に、クラプトンは周囲に聞こえないよう、ため息を漏らした。事件の解決には、極めて正確な情報を、迅速に得られる手段が不可欠であった。

 歯がゆさで眉間にしわが寄り、苛立ちを紛らわそうとして、二メートル四方の指揮机の周りを練り歩いた。衛星軌道が三周目を迎え、店舗屋上の見取図の前ではたと足を止めた。

 屋上中央には空調の換気装置とダクトが、南側の隅にはスプリンクラー用の貯水タンク設けられていた。店内に繋がる通用口はなく、貯水タンク近くに備え付けられた点検用の固定梯子《タラップ》が、屋上へ通じる唯一の経路だった。

 クラプトンは再び店内見取図を見下ろして思案し、それから弾かれるように身を起こすと、情報部員たちに命じた。

「展開中の隊員から、腕の立つ者を引き抜け。CTR(近接目標偵察)をやらせるんだ。山岳小隊所属か、機械に強いやつが欲しい」

 言い終える前に双眼鏡を掴むと、指揮車輌のスライドドアを開け放った。機材で暖まった車内に、冷風が吹き込む。百メートルと離れていない正面に、店舗の出入口が見えた。

 クラプトンは濁った水たまりに降り立つと、全身を雨に晒しつつ、店舗の左側の壁が見える位置を探し歩いた。目的のアングルを見つけると、双眼鏡で貯水タンク――正確には、その近くのタラップを観察した。

 タラップに転落防止の囲いはなく、全体が赤茶色の錆に覆われていた。強雨にめげず目をこらすと、どうやら横棒が二本ほど失われており、脆弱な構造材が強風に煽られて、今にもへし折れそうになっていた。

 タラップの観察を終えたクラプトンは、指揮車輌へと駆け戻り、屋上の見取図を前に陣取った。車内で待機していたニーナが、濡れた頭をタオルで拭った。

「老体に無茶を強いるのは、あまり褒められませんね」

「老体が無茶をしないから、こんな世の中なんだよ」クラプトンは赤い油性ペンのキャップを弾き飛ばし、屋上見取図に文字を書き込みながら、情報部員に尋ねた。「CTRに使える隊員は用意できたか?」

 情報部員が、監視カメラの映像から目を離さずに答えた。「ふたりいます。山岳小隊のトラヴィス・パーセル伍長。それと、航空小隊からダニエル・パーソンズ上等兵が志願しています。両者の経歴は――」

「いや、そのふたりで異存ない」クラプトンはペンのキャップを戻し、顔を上げた。「そいつらをここに呼べ。直に要旨説明《ブリーフィング》をしたい」

「承知しました」

 情報部員がマイクのスイッチに指を掛けたその時、クラプトンが急な待ったを入れた。

「先程の人選に問題が?」戸惑う情報部員に、クラプトンは少し砕けた口調で応じた。「クラッキングを受けた警察の間抜け面、お前らにも見せたかったよ」

 四人の情報部員が、揃って破顔した。「前々からバックドアを作っていましたからね。楽なもんでしたよ」

 警察の指揮系統車輌のブラックアウトは、この四人が引き起こしたものであった。彼らは矢面に立つSAS隊員を後方支援すると同時に、試験運用中の電子戦部隊に属していた。

 事件の発生直後、警察のデータベースに侵入した電子戦のエリートたちは、サヴェジ日用品店の麻薬取引と地元官憲の癒着を暴いた。さらに関係筋を辿ると、ひとりの駐英ルーマニア大使館職員に行き着いた。この職員こそバグウェルの妻の不倫相手であった。

 この間男には麻薬ブローカーという裏の顔があり、テロ組織との関与が濃厚として、かねてより首都のMI5(軍情報部第五課、保安局)の監視対象リストに挙げられていた。MI5に限らず、こうした諜報機関は国家権限を傘に、SASやSBS(特殊舟艇部隊、SASのライバル的存在)に汚れ仕事を下請けさせていた。バグウェルが見せられた盗撮映像も、とあるSAS隊員が暗い路地に身を潜め、ゴミバケツの陰から望遠で取ったものであった。特殊部隊として腹に据えかねる雑用であったが、今回は泥中のダイヤを掘り当てる幸運に恵まれた。件の大使館職員の収入源のひとつに、サヴェジ日用品店の名があったのだ。

 特異な嗜癖でもなければ、わざわざ中年女を好んで抱く大使館職員などいない。この男の目的は、バグウェル夫人の垂乳根の他にあると、クラプトンのすけべ心は断言した。本能由来の勘に狂いはなく、このルーマニア人はバグウェル夫人から警察組織内部の情報を聞き出し、他の犯罪組織に売るという魂胆があった。もっとも、肝心の夫人が自分へのロマンスに狂ってしまったのと、その夫がいつまでも昇進しないせいで、計画は成就しなかった。

 英国内に浸透する海外マフィアにとって、これらの情報は屁でもない。だが、ウェストマーシア警察はどうか。いくら無能とはいえ、犯罪組織と繋がりを疑われる警官の存在は都合が悪い。それならいっそ、大失態を犯すかもしれない人質救出作戦の指揮を、妙ちくりんな陸軍少佐に譲り渡す方が賢明というのが、警察上層部の判断であった。

 かくして、クラプトンは地元警察を現場から排除し、当局から事件の総指揮を引き継いだ。機密情報を漏洩したかどでMI5の小言を受けるのは避けられないが、次男坊の恋人を五体満足で救出できるなら、それ以外は些末でしかなかった。何より、この生来の問題児は背広組の嫌味に屈する器ではなかった。

 真に不憫なのは、バグウェル巡査部長である。彼は明日にも家庭裁判所の受付で妻の不徳をがなるだろうが、その先で待ち受けているのは慰謝料や恩赦ではなく、防諜機関による訊問の日々である。

 救いがまったくない訳ではない。バグウェルのいなくなったヘリフォードの街は、少し綺麗な景観を取り戻せるのだから。

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