召還命令から間もなく、フード付きの防水ジャケットを着たSAS隊員ふたりが、指揮車輌にやってきた。両者とも二十代半ばで、取り立てて目立つ特徴のない風体であった。ジャケットの内側は、ポロシャツにジーンズというなりで、迷彩服を腕まくりという、いわゆるマッチョな軍人からはかけ離れていた。
クラプトンは形式的な挨拶に割く時間さえ惜しみ、ふたりを自分の隣に来させるなり切り出した。「CTRに向かってもらう。位置は、目標の屋上だ」
有無を言わせぬ口振りに、隊員ふたりはジャケットを脱ぐ手を取めて、戸惑いがちに頷いた。基地では不真面目の権化と名高く、自分の執務室にいる時は下着姿でくつろいでいる不良士官が、どうしても目の前の男と重ならなかった。雑念に捕らわれていたせいで、ニーナが投げよこしたタオルが、ふたりの顔面を直撃した。
クラプトンが、屋上の見取図を指し示した。「この嵐ではヘリは飛ばせないし、これ以上の衆目は惹きたくない。身ひとつで建物を登攀してもらう」
「貯水タンクの近くにタラップがあるが、かなり老朽化が進んでいる。それに、壁一枚を挟んだ先にレジがある。容疑者のひとり、カヴィルはここからずっと動いていない。こちらの存在が気取られずに屋上へ到達するのが大前提だ」クラプトンが目配せを受けて、頭にタオルを被せたパーセルが首肯する。険しい岩山や断崖絶壁と対峙する際、山岳小隊の技術は心強い武器となる。
クラプトンは緑茶を一杯すすり、ブリーフィングを続けた。「屋上に上がったら、店舗への侵入経路を探れ」
「ありました」
クラプトンの前に、モノクロ印刷の冊子が差し出された。ダニエル・パーソンズが書面の山から、店舗に設置された室外機の設計図を探り当てていた。
「聞かせろ」公私を問わず、クラプトンは若手の意見を重用する性質であった。これだけ聞くと出来た上官に思えるが、根本をたどると、単にものぐさな人間味が運良く機能しているに過ぎない。
軽い会釈で応じてから、ダニエルは説明を始めた。「室外機から延びる複数のダクトそれぞれに、整備用のハッチがあります。南京錠が掛かっていますが、解除は容易でしょう。
古い大型の設計なので、ダクトに潜り込んで店内へ侵入も可能と考えられます」
ダニエルの整然とした論を吟味しながら、クラプトンは室外機の設計図と向き合った。実際の軍事作戦が計画通りに進行しないジンクスを、クラプトンは身を以て叩き込まれていた。だからこそ、ダニエルの提案に落とし穴がないか、手を顎に注意深く反芻した。
三十秒間、誰も口を開かなかった。中隊の長がこれほど長く黙る異常事態に、ダニエルは不安を覚え始めていた。
ダニエルが自信の揺らぎに絶えきれず、何かを言いそうになったその時に、クラプトンが目線を上げた。
「必要だと少しでも思う装備は、残らず持って行け。もしもの場合に備えて、突入用の爆薬も忘れるな」
中隊長のおおよそ良好な評価に、ダニエルの気持ちが晴れた。壁に背を預けたニーナが、「もっとはっきり褒めてはどうか」と、半眼を向けていた。物言わぬ茶々に眉をひそめつつ、クラプトンは咳払いをした。「すぐに取り掛かれ。本件最大の防衛対象が誰なのか、ゆめゆめ忘れるな。D戦闘中隊の存続が、これの成否に懸かっている」
その場の男全員が、言葉の真意をくみ取って、深く頷いた。団結する男衆を、ニーナが遠巻きから面白くなさげに眺めていた。
クラプトンは熱い緑茶の紙カップを斥候ふたりに手渡し、自ら指揮車輌のドアを開いて、若者ふたりを送り出した。誰ひとりとして、指揮車輌に〈タイガー〉の給湯ポットが安置され、それを少佐が慣れた手つきで操作するのに驚かなかった。
クラプトンは、車内の者にも緑茶を配った。D戦闘中隊に配属された人員は、血中へのカテキン混入が課せられている。
湯気の立ち上る緑茶をすすりながらも、クラプトンは神経を緩ませずにいた。CTRの派遣は事態を好転させるだろうが、そこから解決の糸口を拡げられるかは、別の不確定要素が絡んでくる。SASは、狂信的なテロリストの対処に通暁している。反抗期が長引く、でかい赤子のおむつ交換ではなく。
クラプトンの手の中で、空の紙カップがひしゃげた。人間社会の落伍者、何の取り柄もないちんぴら風情に、大事な息子の命が脅かされている。犯行グループの顔写真を見返すと、ひとりずつなぶり殺したい欲求がふつふつと沸き立った。
頭に上った血を下げようと、クラプトンは他の資料に関心を向けた。手近なプリントアウトに、犯行グループが所持する武器の目録が記されていた。三八口径のリボルバー、水平二連ショットガン、折り畳みナイフ……いずれも詳細不明の安物と見られたが、その直後の記述に、クラプトンは呆れて目を剥いた。
元は警察が作成した資料に、SASの追記が施されていた。ルーマニア人店員の供述から、店内には、籠城犯が持ち込んだ他にも武器が存在することが判明していた。サヴェジ日用品店は麻薬のみならず、武器密売の末端市場でもあった。武器は会計カウンター内の金庫に、麻薬と一緒に保管されていた。ご丁寧に、数百発の弾薬まで添えて。金庫の鍵は、レジを開ければ見つかる、強大な火力が敵に渡ったと、想定せざるを得なかった。
司法の腐敗と外国人犯罪の横行、子育て下手な親のせいでノイローゼに陥るのを耐えつつ、クラプトンは敵戦力の再確認に集中した。
「Cz-75が三つ、九ミリのグロックがひとつ、Vz-61サブマシンガンに一二ゲージのモスバーグと……おい、手榴弾まであるのか?」
情報部員のひとりが即応した。「ロシア製の発煙弾と音響閃光弾です。殺傷能力はありません」
「殺虫剤を吸っても、同じことが言えるか? それに、埃に引火したら大火事になる。炎に犯罪者と人質の区別はない」
特殊音響閃光弾《フラッシュバン》は、屋内の敵を強烈な炸裂音と光で無力化する、SAS発祥の戦術兵器である。専門知識の下で使えば優れた効果を発揮するが、リンやマグネシウムの燃焼させる仕様上、火災の危険を伴う。事実、一九八〇年に駐英イラン大使館を占拠したテロリストの制圧に際して、SAS隊員の投じた一発がカーテンを黒焦げにしている。
目録の最後の項に差し掛かると、クラプトンは首をかしげた。
〈シグ・ザウアー〉P229――九ミリ口径、弾頭はホローポイント。強化スライドに換装、トリチウム発光の照準器を搭載。艶消しの黒。銃身下部に〈シュアファイア〉X300ウェポンライトを装備。
前述の武器よりずっと具体的な仕様が、無機質なタイプ文字ではなく、肉筆で記されていた。「製造番号等の刻印なし」の一節で、その武器目録は締められていた。
「こいつはどういうことだ」クラプトンは全力の不信感を込めて、ニーナの眼前に武器目録を突きつけた。
「どう、とは?」
「しらばっくれるな。これはお前の字だ」
クラプトンが目録の肉筆部分を示すと、ニーナは涼しい顔で肩をすくめた。「内容の通りです。何かご不明な点でも?」
クラプトンが今にも鼻から蒸気を噴きそうな形相で迫ると、ニーナは降参して、やれやれと両手を上げた。
「映像にはありませんが、間違いありません」
「詳しく話せ」
反省の色もなく、ニーナはおどけて肩をすくめた。
「そのP229は英陸軍で員数外となり、諸事情から裏市場に回ったものです。
現在の所有者は、とある家の次男坊を慕う女の子で、その子は思い人と嗜好を共有したがる性質があります。たとえそれが、銃のブランドの好みだとしても。ああ、なんといじらしい!」
大仰な手振りをまじえた独白は、クラプトンの感涙を誘うに至らなかった。
「その話が事実だとして、いったいどんな影響があるんだ?」
待っていたとばかりに、ニーナは手を打ち合わせた。「つい先日、可愛い娘さんから、使用人の心得を学びたいとの申し出を受けましてね。あんまり熱心にお願いされたので、わたくしも最後まで断り切れず、手解きを引き受けてしまいました。
初めは不安でしたが、とても飲み込みが早い子で、何でもこなせる優秀な素質を持っていました。こちらの指示を素直に聞いてくれるので、わたくしもつい魔が差して、ちょっぴり"いけない"ご奉仕なども――」
「もういい。聞きたくない」
クラプトンの肌が、みるみる青ざめていった。それまでの健脚が嘘のように、おぼつかない足取りでスツールにへたり込んだ。「なんてこった」威厳のかけらもない、ひどくうわずった声が零れた。
五里霧中で頭を抱えるクラプトンに、別方向から追い討ちが掛けられた。「第三カメラに動きがあります」情報部員の報告から、不穏な気配を感じ取った。
クラプトンは重い腰に鞭を打って、店内の監視映像を映すモニターに駆け寄った。粗い映像を情報部員が拡大すると、人質のひとり――ブリジットが、隣に座る人質の背後に首を押し込んで、もぞもぞと蠢いていた。
「おいおい、変な真似はよしてくれ……」
クラプトンが画面越しに祈った三十秒後、ブリジットがのそりと上半身を起こした。
それからすぐ、隣の人質がブリジットの腰の辺りに手を伸ばし、給仕服の内側をまさぐり始めた。
いったい何が起きているのか、映像を見守る男たちは、しばらく理解できずにいた。それでも、互いに顔を見合わせているうちに、揃って同じ考えに行き着いた。
束の間の沈黙を、クラプトンが破った。「負傷者の対応に備えろ。じきに必要になる」
想定外の事象に、指揮車輌は蜂の巣を突いた騒ぎとなった。如何なる仕掛けを用いたか、ブリジットは人質の縄を解いた。その意図は知れずとも、静観してもいられない。
海峡の向こうで燃え盛るパリを、ただひとり、ニーナだけが誇らしげに見つめていた。