奴隷蛮行――そのメイド、特殊につき。   作:紙谷米英

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奴隷蛮行【11-1】

【11】

 

 不安、焦燥、混乱……。次々と浮かんでくる感情に目を瞑り、リタはなすべきことに集中しようとした。ブリジットに促されるまま、彼女のスカートに手を突っ込み、指先の感覚に意識を研ぎ澄ました。

 冷静を装ってはいたが、無心ではいられなかった。ここ数分間のブリジットに起因する出来事で、リタの心は右へ左へすさまじいボディブローを受け続けた。

 ブリジットが持ち掛けた計画は、気乗りのするものではなかった。立ち塞がる悪人を打ち倒し、さっさと家に帰る。ただそれだけ。そんな詳細の明かされぬ企みに軽率に加担したのは、単なる自棄か、それとも旧友に詐欺の才覚があったのか。前者であってほしいと祈ったが、手首に残る生温かさが全てを物語っていた。

 ブリジットは変わった。いや、変えられてしまったのかもしれない。リタの内で、今のブリジットを受け入れるべきか、無意味な葛藤が繰り広げられていた。少なくとも彼女にとっては、それだけ衝撃的な体験があった。

 リタの腕をいましめる縄を解くのに、ブリジットは口、特に舌を使っていた。ぬめりと潤った肉が縦横無尽に皮膚をのたうつ感覚に、リタは未だに鳥肌が治まらなかった。友人が女として熟した現実を肌で知り、えも言われぬ悔しさを抱いた。そんな場合ではないと頭で理解していても、指先で触れる艶めかしい柔肌が妙な気持ちを引き起こさせるので、ブリジットは魔性の落とし子なのだと、リタは自らを納得させた。

 その証拠に、誘拐犯に見つかるかも分からぬ恐怖の最中でさえ、ガーターベルトのすべすべした生地と、もっと滑らかなふとももを愉しもうとする自分がいる異常性を、リタはどこかで認めつつあった。気を緩めて「綺麗だね」などと口走れば、即座に舌を噛み切ろうと、リタは自戒した。

 あまりに場違いな物思いから一転、突如として指先に訪れた固く冷たい感触に、リタは縮み上がった。

「これなの?」

 すぐ目の前で、長いまつげが揺れている。「もう少し下だね」そう言ったブリジット顎に、麻縄の繊維が張り付いているのが見えた。直視してはいけない気がして、リタは作業に戻った。

 ごわごわした生地を数センチなぞると、指先が再び固いものに触れた。リタが目配せすると、ブリジットは小さく頷いた。目的の物体は見つけた。あとは、スカートから引き出せばいい。

 物体が収まる収納スペースは、ベルクロで蓋をされていた。大きな音を立てないよう、ゆっくりと剥がすと、平坦な金属の感触があった。掌に収まるそれをつまみ上げ、入る時と同じく、そろりと手首をスカートから引き抜いた。

 外気に触れた途端に、リタの手が震えだした。想像していた通りの物体が、自分の左手にあった。ほのかに艶のある、黒い折り畳みナイフ。慣れない手つきで刃を振り出すと、小気味よい作動音でロックが掛かった。

 ブリジットは無言で、リタに背を向けた。引き返せないところに至ったのを悟り、言い逃れできない状況から脱する一心で、手の震えを押さえ込んだ。力を込める必要はなかった。鋭利に磨かれた切っ先は、パスタのように麻縄を断ち切った。最後の一本がぶつりと裂けるのと時を同じく、リタの緊張も終わりを告げた。

 ぐったりとしな垂れかかるリタを、ブリジットはそっと肩で受け止めた。

「よく頑張ったね、えらいえらい」

 おおっぴらに頭を撫でる訳にもいかないので、鼻先で頭頂部に触れて労いの意思を表した。親友の震える手から〈ゼロ・トレランス〉のナイフを受け取り、背後で刃を畳んだ。切断された縄は、スカートのポケットに隠した。

 潤んだ瞳で、リタは尋ねた。「次はどうするの?」ブリジットがナイフを振りかざして敵のど真ん中に突っ込むのではないかと、気が気でなかった。

「お掃除の準備をする。あまり時間は掛けられないけど」

 リタの怖れに反して、ブリジットは冷静そのものだった。ナイフを右手の袖口に滑り込ませると、付属のクリップでカフスに留めた。様々な角度から袖を観察して、武器の輪郭が見えないように調節した。

 右方でドアが開く音が聞こえ、大股の足音が続いた。息を呑むリタに、ブリジットは密接した。エプロンのポケットから、リタの手首を縛っていた麻縄を取り出し、今度は自分の手首に巻き付けた。染み込んだ唾液が、すっかり冷えきっていた。

「あいつが戻ってきたよ」

 怯えきったリタに、ブリジットは何度も「大丈夫だよ」と囁いた。

 ふたりの視線の先――十メートル先の会計カウンターに、奴隷誘拐の主犯格と思しき男がやってきた。右手の先で、店内で見つけた黒いショットガンが揺れている。トイレから戻った男――ジム・カヴィルはスツールにどっかと尻を落とすと、カウンターに両脚とショットガンを投げ出した。

 凶悪な行いを目の当たりに、ブリジットの中で新たな怒りの火種が爆《は》ぜた。――〈モスバーグ〉になんて真似を! 実績あるショットガンへの無礼に、あわや立ち上がりそうになったが、射線上のリタに危険が及ぶので、今のところは矛を収めた。

 カヴィルは弾かれたように脚を床に下ろすと、苛立ちを隠そうともせず、黒い巻き毛の生えた頭を掻きむしり始めた。ブリジットは、横目で動向の観察を続けた。男はしばらく汚い声で呻くと、カウンターの内に屈んで姿を消した。数秒後に立ち上がったカヴィルの指先に、小さなビニールの包みがつままれていた。中身の透明な結晶が、蛍光灯の光を受けて輝いていた。

 息を荒げるカヴィルの口角が、にんまりと歪む。包みをカウンターに置くと、ショットガンを取り上げ、銃床で包みを押し潰した。それから銃床を軽く浮かせて、包み目掛けて数回叩きつけた。大した運動ではなかったが、大粒の汗が顎から滴っていた。

 カヴィルは微細運動のままならない手で包みを破り、砕いた結晶をカウンターに広げた。粉末を指先で三つの筋に分けると、カウンターに鼻をこすりつけるようにして、粉末を吸い込み始めた。

 知性を欠いた異様な光景に肝を冷やしたリタが、ブリジットの手を掴んだ。

「あれは何なの?」

 リタの手が外から見えないか注意しながら、ブリジットは答えた。「スニッフ……粉末状の薬物を、鼻孔から摂取してるの。あの感じだと、アッパー系だろうね」

「アッパー系って?」門外の言語を淡々と述べられ、リタは得体の知れない疎外感を抱き始めていた。

「強い興奮作用がある薬物の総称だよ」

「つまり……ハイになるってこと?」

「ヘロインと違ってね」

 これ以上の薬物談義は毒になると判断して、リタは話題の切り口を変えた。

「ところで、ブリジットはどうしてこんなくずのたまり場に来たの?」

 ごもっともな追求に、しばらく振りに少女然とした困り顔が見られたので、リタは少しほっとした。

「ちょっと、やんごとなき事情があってね」整った太めの眉が、いたく恥ずかしげに下がる。主人に褒められたい一心で酒の探訪に労した使用人、果たして誰が責められようか。

「本当に? 変なクスリとかやってない?」

 かつての庇護者に、ブリジットは力強く頷いた。「主人の資産を、犯罪の肥やしになど致しませんとも」

 視界の外から複数の足音が聞こえたので、ブリジットとリタは人質としてあるべき姿勢を取った。足音はすぐに遠ざかり、会計カウンターへと近づいていった。ボスの鼻息を聞きつけて、誘拐犯ふたりがドラッグをせびりに来たらしい。三人の口から汚い言葉が飛び交い、すぐに口論へと転じた。人質への警戒が疎かになった隙に、ブリジットは新たな敵をじっくり見据えて、情報をかき集めた。

 ひとり――バーニー・スプリングは軽薄そうなにきび面で、もうひとり――バイロン・ラスキンは線が細く、あどけなさの残る容貌だった。ブリジットの予想通り、両者共に店の占拠前より装備が充実していた。スプリングは冷戦期を彩ったチェコ製のサブマシンガンを握り、パンツのベルトにもチェコ製の拳銃を挟んでいた。ラスキンの手にも、同じ拳銃が大事そうに収まっていた。

 口論の末に、スプリングは薬物の包みをカヴィルから受け取った。ラスキンは何も貰えず、カヴィルに胸をどつかれると、足取りも重く元の配置へ戻っていった。

 あのふたりは虚弱すぎる。

 自分の計画に不適格と判断したふたりから視線を外し、ブリジットは真反対へと捜査の目を投げた。店舗正面を塞ぐバリケードの近くで、誘拐犯のひとりが右往左往していた。

 やや肥満気味の男――ジェイソン・マッキニーの手には、オーストリアが誇るポリマーフレーム拳銃が握られていた。完璧なメイドの絶対条件に、類い稀な視力は含まれていない。だが、"完璧で危険なメイド"が備えて困るものでもない。ブリジットは十メートル離れた銃の刻印を読み取り、それが四〇口径仕様のグロック22だと識別した。

 マッキニーが他に銃を持っていないと判断すると、続けてその身振りに着目した。終始落ち着かない様子で、バリケードの隙間から外を窺っている。ブリジットが知る限り、誘拐犯で一度も薬物に手を出していないのは、マッキニーだけだった。奴隷の監視に手は抜かないものの、機会があれば独りで逃げ出す気がした。寛大な目で見れば、彼もまた誘拐の被害者なのかもしれない。

 身体は丈夫そうだけど、こちらの誘いに乗るとは思えない。

 ブリジットは唇を噛み、会計カウンター奥の壁に掛かるクォーツ時計を盗み見た。一四一〇時。その時計が五分遅れているのは、入店時に確認していた。五分早いのと遅いのでは、まるで結果が違ってくる。諸々が緩いイタリア人とて、パスタの茹で時間に妥協はしない。

 そろそろ、のんびりもしていられないかな。

 ブリジットは目蓋を閉じてひと息つき、乾麺の棚に背を預けた。全身の緊張を解こうとして、曲げた膝を伸ばした。滞った血流の改善に身じろぎし、腹腔の筋肉をフルに使って深呼吸を繰り返す。横隔膜の反復運動が血中の二酸化炭素を排出して、肺の空気が一新される。動脈を無垢な酸素が走り抜け、脳の性能限界が引き上げられる。

「ブリジット、大丈夫?」

 穏やかならぬ声音に、ブリジットはそっと目蓋を開いた。数秒前と比べて、鮮明な視界が得られた気がした。

「考えていたより難しいけど、やれると思う」

「そうじゃなくて、あんたが心配って話なんだけど」

「どうして?」

 きょとんと頭上に疑問符を浮かべるブリジットに、リタはにわかに頭痛を覚えた。

「あのね、ブリジット。あの五人を倒す理由が、ひょっとするとあたしのためだとしたら、無茶はしないで。ここから出るのに時間は掛かるだろうけど、この街は特殊部隊の拠点に違いないし、最悪の事態にはならないと思わない?

 誘拐犯のやつらも薬物に夢中で、あたしらを奴隷商に売り渡す目的を忘れてる。ブタ箱行きの運命を受け入れて、最後の晩餐を決めてるようには見えない?」

 たどたどしい説得を、ブリジットは目蓋を下ろして聞いていた。返事がなかったので、リタは語を継いだ。

「それにさ、ほら……相手が犯罪者でも、奴隷が危害を加えるのはまずくない? 穏便に事件の解決を待つべきだよ」

 ブリジット唇が、微笑みを浮かべた。「そうだね」

「じゃあ――」

「だけどね、リタ」

 それまで一度も見せなかった爽やかな笑顔に、リタは言葉を失った。「私、これでもすっごく怒ってるんだ」

 目蓋の合間から覗く、深い蒼の瞳。その奥底で揺らめく激情に、リタは気圧された。

「大切な友達を攫って、自分の住む街を穢して、好き勝手やってくれちゃってさ。その上、旦那様のおゆはんも用意できてないの。だから――」

 ブリジットは大きく目を見開き、会計カウンターでウォトカをラッパ飲みするカヴィルを見据えた。

「むかついてるんだよね」

 そこに、リタの知るブリジットはいなかった。弱虫で物腰柔らかく、鼻歌交じりに家事を片付ける少女の裏の姿を間近に、リタは腰を抜かした。

 目尻に涙を溜めたリタが何か言おうとするのを、ブリジットは「しーっ」と指を立てて制した。いたずらっぽい微笑みに、先の狂気は感じられなかった。それが余計に恐ろしかった。

「来た」

 ブリジットの視線の先で、巨漢の誘拐犯――ルーカス・ダウダルがいた。店の占拠からずっと、ダウダルはガムを噛みながら棚の合間を練り歩き、人質を脅して回っていた。

 「こんなことはやめよう」そう言いたくとも、リタの喉は嗚咽めいた呼気しか発せずにいた。

「あの、すみません」

 ブリジットのか細い声に、五メートル離れたダウダルの足が止まる。巨大なスニーカーのつま先が、真っ直ぐブリジットへ向けられる。充血した眼球がぎょろりと揺れて、二体の奴隷に焦点を定めた。ガムを噛む度に、血色の悪い唇を割って、ヤニで黄ばんだ歯が覗き見えた。

 粘ついた視線で視姦してから、ダウダルはがに股で奴隷との距離を詰めた。迫り来る巨漢に、たまらずリタの目尻が引きつった。

「ここから先は、私に任せて」

 旧友に気休めのひとつも言えない己を、リタは恨んだ。何が旧友をこうも変えてしまったのか、それはリタの理解の範疇を超えていた。今はただ、レディ・スレイヴとかいうままごとの延長がブリジットを悪い子にしてしまったと、自責に囚われるばかりであった。

 ダウダルはブリジットから十センチと離れていないところで足を止めると、腰を折って気味の悪い笑みを満面に尋ねた。「どうした、お嬢ちゃん?」逆三角形の上半身から巨峰めいた影が延び、ブリジットとリタを呑み込んだ。

「その、ずっとお手洗いに行きたくて……」

 ブリジットの声帯は、リタと出逢う前に使っていた声音を再現していた。性悪の嗜虐心、ひいては下卑た性欲を煽る音だが、それこそが狙いだった。

 ダウダルはほんの少し考え込む芝居を打ってから、ブリジットの肩を掴んで立たせた。「来い」

 野太い腕に牽かれて、ブリジットは会計カウンター、そしてその右にあるトイレへと連れ去られていった。ほんの一瞬、肩越しに振り返った顔に、恐れはなかった。最後まで親指を立てて見せた後ろ手が見えなくなると、リタは声なく泣き崩れた。

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