奴隷蛮行――そのメイド、特殊につき。   作:紙谷米英

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奴隷蛮行【2-1】

【2】

 

 一二三五時のヘリフォードを、一陣の突風が吹き抜ける。突如、市街上空に木星じみた積乱雲が発生していた。それは周囲の水分を奔放に吸収し、終末を予期させる影を地上に落としていた。降り注ぐ陽光は分厚い迎撃網に阻まれ、天使の梯子さえ垣間見えない。街を彩る春模様に、終止符が打たれた。

 水蒸気の天幕が天候の主導を握って間もなく、下剤を投与された胃腸の如き唸りが、ブリテン島に響き渡る。雷鳴に貴重な洗濯日和の死を察した主婦が、方々で洗濯物の取り込みに躍起になった。軍人街の妻たちは、子供と自分の下着を最優先で保護すると、まだ空模様に気付かぬ近隣住民へ警報を発して回った。呑気に庭で寝転ぶ飼い犬を屋根の下に匿い、花木のプランターを風除けで覆った。木々からけたたましく鳥の群れが飛び立ち、野良猫が路地裏へと駆けてゆく。一転してゴーストタウンと変じた住宅街を、黒のフォード・トランジットが道に迷った様に右往左往していた。

 型落ちしたトランジットはシャシーにガタが来ており、ステアリング操作ひとつで金属摩擦に喘いだ。劣化したタイヤはグリップが利かず、角を曲がる度に尻が激しく振れる。尻が大変なのは、車内でも同様であった。ろくでなしの首謀、バンの助手席に座すジム・カヴィルは物理的な据わりの悪さから、運転手のジェイソン・マッキニーを睨んだ。その実、マッキニーはおんぼろ車輌が残す最大性能を引き出していので、むしろ勲章に値する働きを見せていたのに。

「こいつは好都合だな」

 とうに味のなくなったガムを悠々と咀嚼しながら、ルーカス・ダウダルは後部座席から陰気な無人街を眺めていた。

「なあにが好都合なもんか。最悪だぜ」

 対するバーニー・スプリングが、頬のにきびを潰して悪態をつく。ダウダルとスプリングの間に押し込まれたバイロン・ラスキンは黙りこくり、心身共に縮こまっていた。後席の三人に比べれば、前席の二人の尻はずっと健康であった。ヘリフォード市街に入るまで、後席の三人は座席の庇護にあやかっていた。その座席は今や取り払われており、三人の尻は鋼が剥き出しの床に直に触れていた。タイヤが小石を踏み付けると、衝撃が三人の臀部を痛撃した。小柄で肉付きの悪いラスキンは、年増車輌との延々たる騎乗位で神経が摩耗していた。彼らの防護をになっていた後部座席は丸ごと外されて、後部荷室の角へ転がされていた。一人の、奴隷の少女と一緒に。

 スプリングはにきびの汁を拭うついでに、奴隷の肩を小突いた。少女は鞭で打たれた様に身をすくませると、激流に打ち上げられた川魚の如く身悶えた。頭に目の粗い麻袋が被せられており、ブロンドの髪の先端が覗いている。手足を後ろに拘束されており、白い肌に麻縄が深く噛み付いていた。ブラウンを基調とした上質なお仕着せから、傍目にも少女が高級性奴隷であると窺えた。

「こいつは確かに売り物になる。だけど、たったの一人じゃ割に合わねえだろ」

 スプリングの苦言に、ルームミラーを介したマッキニーが加担する。

「少なくとも、俺らの人数と同じだけは攫わないとな」

 マッキニーの発した動詞に、少女が取り乱して喘ぎ、トランジットのリアゲートを蹴り始める。スプリングが暴れる奴隷を引き寄せると、麻袋の側頭部の辺りを拳で打ち据えた。少女は殴り飛ばされても尚、気丈に身をくねらせ、不自由な口で罵りを結ぼうとした。

 パネルバンを駆る、社会の落伍者が五人。まともな手段で食い扶持を稼ぐ当然に迎合出来ず、多数派から爪弾かれた無知な愚者。同種と利害観の一致した彼らが行き着き、即席で実行に移した暗い思惑……それが高級奴隷の誘拐、及び密売であった。奴隷を人質に、その雇用主から身代金を取るのは、警察の捜査が介入するリスクが高い。仕入れた商品を早々に換金する方が、ずっと足が着きづらい。裏社会の業者との取引で利益が減じるとしても、五人が五年働くよりずっと高額の現金が転がり込むだろう。ともかく、五人を統率するカヴィル当人は、それが最善と信じていた。

「あんまり商品に傷を付けるな。そいつには高値が付く」

 頭目カヴィルの無感な口振りに、スプリングが歯を剥いた。

「ご高説どうも。じゃあ教えてくれよ、このくそ天気でどうしろって? 奴隷どころか女ひとり、何処にも残っちゃいねえ! みーんな屋根の下だからな!」

 スプリングは大仰な手振りがラスキンのこめかみを小突いた事への謝罪もなしに、そのまま助手席のヘッドレストに腕を回した。

「なあカヴィルさんや、教えてくれよ。あんたの賢い計画とやらをさあ?」

 助手席が前後に揺さぶられると、座面の基部が厭な軋みを上げた。カヴィルは舌打ちすると、マッキニーの股間に投げやった地図で、現在地を探った。数十秒に渡り、カヴィルは湿気と手油でよれた紙面を相手に格闘した。その間、マッキニーはハンドルを小刻みに切り続け、なるべく一度も通っていない道を選んで、首領の決断までの時間稼ぎに勤しんだ。背後のチンパンジーが凝視する中、カヴィルは呼吸を荒げて、脂ぎった巻き毛を掻きむしった。やがて汗が鼻の頭を濡らし、手油でよれよれの地図をふやかす。その一滴が、隘路で入り組んだ区画に着弾した。カヴィルは袖で額を拭い、抜け毛の絡む指で塩気たっぷりの着弾座標を示した。

「この辺りで網を張る」

「奴隷がいる根拠は?」

 チンパンジーが、椅子をぎいぎい鳴らすのを止めた。

「……ここは私道が多い。資産家も多い筈だ」

 焼き切れたニューロンの出任せでしかなかったが、それを聞いたスプリングは座席から手を放した。カヴィルはストレスを含んだ二酸化炭素を排出し、地図を隣の膝に放り戻した。剣呑で臭い空気に、マッキニーは閉口したが、爪で跡を付けられた区画へとハンドルを切った。そこに、高級住宅街などありはしないと確信しながら。


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