抜けるような晴天とはこのことで、空は高く青く澄み渡っていた。学園にはぞろぞろと生徒たちが集まってきている。
教室の中、こはるは緊張で身を固めながら座っていた。鞄の中からは微かに香ばしいクッキーの匂いがする。自分を助けてくれた章人のために、昨晩時間をかけて焼いたものだ。ラッピングも手が込んでいる。
「作ったはいいけど、厚出くんが甘いもの苦手だったらどうしよう……好きな食べ物聞いておけばよかった……」
こはるは今にも泣きそうな顔で呟いた。すると、急に教室内がざわついたので視線を上げる。リュックを背負った章人が教室に入ってきた。
「学校来るなんて珍しいな! なんかあったのか?」
明るい茶色の髪を逆立てた男子が章人の背中を叩いた。
確か竜崎くんだったかな──とこはるは昨日のクラス内での自己紹介を思い返す。ひとしきり授業をやった後に、担任の小関がこはるのためにクラス全員が簡単な自己紹介をするように促したのだ。竜崎陽一。彼はとにかく元気で、運動全般が得意だと言っていた。
バシバシと嬉しそうに背中を叩き続ける陽一と、全く表情を変えない章人は対照的だった。
「お、おはよう……」
おずおずと挨拶するこはるに、章人も挨拶を返した。
「これ、昨日のお礼に! 苦手だったら捨ててもいいから!」
意を決して包みを突き出す。章人はしばらく包みを見つめていたが、受け取った。その場で包み紙を開き、花の形のクッキーを口に放り込む。
「え、なになに? こはるっちとすでに知り合いなの? どゆこと?」
陽一が興味津々といった様子で章人の背中にのしかかった。クッキーに手を伸ばすが章人に阻まれる。
こはるは密かに『こはるっち』という愛称で呼ばれたことを喜んでいた。今まであだ名などつけてもらったことがなかったからだ。
「厚出くんには昨日危ないところを助けてもらったの」
「へえ、ショートでも人助けするんだなあ」
その言葉が終わらないうちに章人に無言で頬を捻り上げられ情けない悲鳴を上げる。すぐに解放されたが赤い跡が残った。頬を押さえて涙目の陽一をよそに、やった本人は涼しい顔をしている。
仲がいいんだなあ、とこはるは羨ましく思った。こんな風にじゃれあえるのは、幼い頃に別れた親友だけだった。
「こはるっちはさ、なんで杯学に来たの?」
陽一が無邪気に尋ね、こはるは思わず口ごもる。この学校には自分と同じ特異体質の子供たちが集まっているとはいえ、傷口から花が咲くような奇特な体質を軽々しく教えてしまって引かれないだろうか。
「俺は爬虫類体質、皮膚が鱗みたいになったり壁に張り付いたりすんだ!」
あっけらかんと陽一が自分の体質について述べ、ワイシャツの袖をまくる。その言葉の通り、蛇やトカゲの鱗に似た皮膚が現れた。みっしりと並んだ鱗は艶をもっており、光の加減で緑や青にきらめいた。
「ショートは帯電体質で、あそこにいるお嬢様は──」
「ちょっと!」
陽一が指で示した先にいた女生徒が怒りをあらわにした。
優美な巻き髪、目がさめるほどの美人である。制服は他の生徒とさほど変わらないが、重厚なロングブーツを履いている。前面には金属の板が入っているようだった。
「体質のことは触れられたくない人だっているのよ! 軽々しく口にしないで!」
そう言うと、ブーツの踵を鳴らして教室を出て行った。陽一は肩をすくめる。
「美人なのにちょっとヒステリックなのが玉にきずなんだよなあ」
「……おまえがデリカシー無いんだと思うけど」
章人が冷静に口を挟む。周りで見ていた何人かの生徒も頷いてみせた。
「おいおいおい味方ゼロ?!」
こはるはどうしても彼女のことが気になり、出ていった女生徒を追った。彼女は足早に廊下を進んでいる。少し躊躇ったあと、こはるは思い切って声をかける。
「あのっ、蔵石さん!」
──だったはず。
自己紹介の時の記憶を辿りながら、間違えていたらどうしようとこはるは冷や汗をかいた。思えば、あの時も彼女は不機嫌そうな顔をしていた。
蔵石重音、彼女の名前はまさしくそれだった。重音は振り返りこそしなかったが、歩みを止めた。その背中に向かってこはるは話しかける。
「さっき、私がまごついてたから庇ってくれたんだよね? ありがとう」
すると、勢いよく重音は振り返り眉間に皺を深く刻んだ顔をみせた。
「庇う? 私が? ただ私に飛び火したのが嫌だったからに決まってるじゃない!」
怒りを露わにし、声高に叫んだ。ミシッと嫌な音がして、重音の立っている場所を起点に、床に亀裂が走る。その気迫と怒号に気圧され、こはるは半歩後ずさりした。
「貴女たちのような下級市民と私が同じ学び舎にいることだって気に入らないんだから、金輪際関わらないでくださる?」
そう言い捨てるが否や、カツカツと足音を立てて歩き去る。彼女の歩いた床は次々とひび割れていき、くっきりとその足跡を残した。
金輪際関わるな、そのフレーズがゆっくりこはるの中へ浸透していく。理解した時、止めようがない程涙が溢れる。
『また』拒絶されてしまったのだ。自分の不必要な行動、言動のせいで。心臓をフォークで抉り削られているのと錯覚する痛みを感じた。
「うわあ、ひどいなこれは。また蔵石さんかな? これじゃ恐竜の足跡だよ」
言葉とは裏腹に目の前の有様がさほど大したことではないような軽さをもって、担任の小関が現れた。色違いの瞳が揃って弧を描き、こはるに微笑みかける。
こはるは小関に連れられ、保健室のベッドへ腰掛けていた。手には養護教諭の毒島が淹れたココアの入ったマグカップが収まっている。
「ちょっと落ち着いたかい?」
「はい、すみません……」
転入早々泣き顔を晒した羞恥で俯くこはるの様子に、小関はまた微笑んだ。毒島は介入せず、デスクに向かってカルテの整理をしている。ベッドに向かい合わせで置いた丸椅子に座り、小関はこはるの目線に合わせるため、細めの体躯を屈めた。
「君の知っている通り、この学園は様々な事情を持った人たちが集まっている。自分の意志で来た人もいれば、止むを得ず訪れた人もいる」
すうと伸びた指を組み合わせながら小関は続ける。
「思春期真っ盛りの少年少女でありながら、そこにさらに己が持つ体質や事情が複雑に絡み合って、学園の中は解かれていないパズルのようなものなんだ」
絡めた指の間から、青い瞳でこはるを覗く。保健室の窓から差した光が瞳の中で拡散し、きらきらと輝いている。こはるは、一瞬自分がさっきまで泣いていたことを忘れてその瞳に魅入った。澄み渡った海の色、あるいは初夏に入った頃の突き抜けるほど高い空の色。優しい、とこはるは感じた。
「かくいう僕も、そこにいる毒島先生も、かつてはこの学園の生徒だったんだよ。今もこうして学園に残り、パズルを解くお手伝いをしている」
名前を出されて毒島はちらりとこちらを見たが、軽く肩をすくめて作業に戻った。担任の教育方針には口を出さないらしい。
こはるは改めて小関の姿をまじまじと見た。現世離れした双眸は特殊な体質によるものだったのだ。それでも、その美しさは羨ましく思えた。自分の、傷口から開く花の生々しい様子が脳裏によぎり、目を瞑る。
「解けるのは一年先、いや十年先かもしれない。それでも、同じく謎に立ち向かってる人たちが周りにいるって勇気が湧かないかい?」
小関はこはるのふわふわした頭の先をそっと撫でた。大人の手のひらに温もりを感じてはっとし、こはるの視界はまた潤んだ。
「ここにいる誰しも、君を傷つけたいわけじゃない」
不器用なだけでね、と続けて言いくすくす笑った。話が終わったのか不意に彼は立ち上がり、毒島に自分の分のココアを要求した。が、あえなく断られ、しょげ返る。その様子にこはるは思わず吹き出した。
ひとかけらチョコレートが溶かされているココアは毒島の特製で、身体の奥底からじんわりと温まる。優しい甘さで肩の力が緩むのを感じた。
──お父さん、お母さん、私とても良い学校に入ったみたい。
こはるは来た時と同じように小関に連れ立って保健室を出た。マグカップはしっかりと空にして。