『はろはろー!みんな大好き、うさぎさんだよぉー!』
いつもどおりの語りかけ。
おそらく、見ている人は、いつも以上に戸惑っていることだろう。
お前ら、どこにいるんだ、と。
『いやー、月を見て跳ねてたうさぎさんは、思い余って月までやってきちゃいました!』
『勢い余って、メイド少女は月まで連れてこられました』
と、クロエさんが続く。
ひろがる
ああいうやりとりが、挨拶というか一種のお約束なのだと私も理解した。
会話のきっかけ、みたいなもの。
いや、ふたりとも。
私をじっと見て、何を期待しているんだ?
『しょ、少年です……思えば遠くに来てしまいました』
よくわからない言葉を口走ってしまった。
あとで、編集できないだろうか。
そして、私たち3人は宇宙の魅力を紹介した。
宇宙の怖さを語った。
憧れの場所、人類のフロンティア。
そして、危険な場所。
広い宇宙に、ちっぽけな地球。
ノリノリで、束さんが語る。
飛び出そうぜ、と。
いつかって、今さ、と。
うん、そろそろか。
『いまさらだけど、うさぎさんの正体は、ISを開発した、篠ノ之博士だよ!博士号、持ってないけどさ』
『『えっ!?』』
私も、クロエさんも、素で驚いた。
てっきり、海外の大学か何かで飛び級でもしてるとばかり。
いや、しかし……論文が認められれば、どこかの大学から……。
認められて、ない、か。
まあ、束さんの方が受け取り拒否、という可能性もあるか。
『そーだ、そーだ、驚いたか!私たちの謎装備、不思議な科学の力は、ISをはじめとした、最先端をぶっちぎった、うさぎさん印の子供たちだよ!』
『科学ってすごいー(棒)』
クロエさんは、本当にノリがいいな。
動画でも大人気なのはいいが……妙な連中に目をつけられたりしないだろうか。
まあ、何はともあれ。
既に一部ではバレバレだったかもしれないが、束さんはあらためて自らの正体を明かし……。
静かに、語り始めた。
ISは、元々宇宙活動用に開発されたものだということ。
そのコンセプトを。
その機能を。
描いていた、未来への展開を。
実演とばかりに、クロエさんが宇宙を舞う。
そして、最後に……束さんは、頭を下げた。
白騎士事件は、自分の子供っぽいわがままに過ぎなかったと。
世界に与える影響を、深く考えることもせずに起こしてしまったと。
ISを、世界を。
迷走させた責任の一端は、自分にあると。
私も、クロエさんも、その部分には反対した。
きっと、世界は彼女に責任を取らせようとするはずだと。
暗黙の了解と、明言だと、その重みが違う。
そして、迷走と。
今の世界に、半ば喧嘩を売る発言。
それと同時に、爆弾を。
『さてさて、勘のいい人は気づいたかな?そう、少年の装備!今、宇宙にいる、少年の装備は、なんだろうね?』
さて、出番か。
……束さんも、クロエさんも、スパルタだったなあ。
操縦に関して、なんとか、人並みにはなれたと思う……程度。
『全世界の紳士諸君に男の子ぉ!男が乗れる、ISの登場だよぉ!』
空ではなく、宇宙か。
勝手が違うなあ……。
それにしても、男『が』乗れるISかぁ。
束さんも、意地の悪い表現をするなあ。
女には乗れないISなんだよなあ……これ。
青い地球を眺めながら。
束さんとふたり。
クロエさんは、動画の妨害や削除の動きに対して対抗している。
なかなか、阿鼻叫喚らしい。
「始めちゃった……」
始めちゃいましたね。
これで終わり、ではなく。
始まり。
束さんの後始末の始まり。
「ねえ、ふーちゃん。これは……他人のソラを否定する行為じゃないのかな?」
少し迷って。
私は、それに同意した。
そういう影響は、確かにあるでしょう。
それでも、世界の選択そのものは、確実に増えると思います。
物事には、必ず良い面と悪い面があります。
よく、『〇〇の良いところだけを見習って』などと言いますが、あれは表面的な見方でしょうね。
力が強いということは、何かを傷つける可能性が高くなる。
手加減したつもりが、相手は怪我をしたりする。
束さんは、『ちーちゃん』の強さが、本人に良いことだけをもたらしたと思いますか?
「……ちーちゃんはさぁ、ずっと苦労してたよ。たぶん、今も。でも、あの強さがなければ、ちーちゃんも、いっくんも、もっと苦労しただろうね」
束さんの視線は、青い地球へ向けられている。
この世界でも、地球は青く見える。
都合の良い、プラスだけを積み上げる何かは、幻想だと思う。
良い面と悪い面。
プラスとマイナス、差し引きでプラスになるかどうか。
誰かのプラスが、誰かのマイナスになることもある。
利権争いなどは、その最たるものだろう。
そして、『何』を基準に、差し引きプラスになるかどうか。
束さんは、『世界』を基準にした。
私も、クロエさんも、それに頷いた。
私たちは、不利益を被る者たちから、悪と呼ばれるだろう。
そして、利益を得られる者たちが、いろんな顔をして寄ってくるだろう。
まあ、これまでの生活も、決して平和と言えるようなものでもなかったが。
束さんを見る。
地球を見つめる、彼女を見る。
うん、センサーで全方位見えてるだろっていうのは、野暮だ。
優しいという言葉。
ほぼ、良い意味で使われる。
束さんは、優しい子だ。
人の気持ちを、思うことができる。
人の反応を、気にかけることができる。
でも、人の気持ちと、反応に、過敏に反応してしまう。
臆病と、言い直すこともできるか。
最初からその傾向はうかがえた。
身内に優しい束さん。
身内に愛情を注ぐ束さん。
世界を変えようとして、失敗したあとの束さんだ。
ある意味、彼女は世界に背を向けて閉じこもった。
人の気持ちに目をつぶる。
人の反応が気になるから無視する。
怖いから。
逃げたいから。
臆病さを、攻撃性へと転じる。
そんな、束さんの未来もあったのかもしれない。
優しさひとつとっても、いろんな未来へとつながっていく。
子育てや、孫への教育が、難しいとされる所以だろう。
束さんは、今、始めたばかり。
それでも、褒めて、いたわってあげるべきだろう。
優しくて、臆病な束さんが、振り絞った勇気。
世界へと語りかける勇気。
自らの失敗を認める勇気。
私は、彼女の思いを、尊いと感じる。
私は、ゆっくりと手を伸ばした。
うん、束さんには悪いけど、
彼女の頭を撫でる。
彼女の頭部を撫でる。
前世も含めて、最高に意識を集中しながら撫でている。
IS装備で、女の子の頭を撫でるって……難易度高いなあ。
私も、束さんも、しばらくそうしていた。
ところで束さん。
この一連の流れで、『隠し玉』ってどれぐらい使ったんです?
「2割ぐらいかなぁ」
……殺意というか、愉悦心が高すぎじゃないですかねえ。
「これから束さんは、常に利用価値のある存在でなきゃいけないからね」
まずは、女尊男卑の根拠を破壊した。
ISが、女性にしか乗れないという幻想を壊した。
まあ、女性主権団体などは認めない方向に走るんだろうけど……ある程度の数のコアと、少数の現物をばら撒き終わってるからなあ。
厄介なことに、女性主権団体はそれをもたらした束さんの存在を守ろうと動く集団だった……束さん本人の意思とは関係なく。
今回の件で、それが、敵に回る可能性が高い。
白騎士事件の後がそうだったように。
政治力学的なバランスが変わる。
社会が変わる。
抑圧された男性側の反動も心配だ。
控え目に言っても、大混乱か。
いろいろプランがあったが、比較的穏やかなものを、私たちは選んだつもりだ。
せめて経済的な混乱は最小限に抑えたい。
その答えが、男が乗れるISだった。
急激な産業の興亡は避けられると思いたい。
しかし、女ISと男ISが協力すると発動する能力って、世界はいつ気づくだろう。
言葉として正しいかどうか自信がないが、ワンオフアビリティではなく、ペアオフアビリティー。
独りではなく、協力し合うことによって得られる能力。
今の世界に向けた、束さんの、メッセージだ。
ちなみに、私と束さんのペア、私とクロエさんとのペアでは、発動する能力が違う。
そういう意味では、ペアでワンオフなのか。
本当にもう、束さんは……どこまで飛んでいくんだか。
たぶん、聞いてないけど、その奥もあるんだろう。
彼女は、人を驚かせるのが好きだから。
「ごめんね、ふーちゃん」
何がです?
「最初のさぁ、ふーちゃんを保護って、あれ、嘘なんだ……束さん、あの時ついつい衝動的に、ふーちゃんをさらっちゃったんだよ」
おかげで私は、最高の環境で、空を目指すことができました。
感謝してます。
「ふーちゃんはぶれないなあ……」
束さんの苦笑に、私は笑みを返した。
この世界に生まれて。
箒と知り合い、友と認められ。
その縁で、束さんと出会えた。
不思議な気分だ。
まあ、考えても仕方のないことか。
「ふーちゃんはさぁ、おじいちゃんなの?姿を変えてこの世界にやってきたの?それとも、記憶を持った生まれ変わり?」
自分でもよくわかってないのだが。
私は、前世のことを少し話した。
そして、空を願いながら死んだこと。
「そっか……この
彼女にねだられ、もう少し詳しい話をした。
人生を語るというのは、少し面はゆい感じがする。
「……まあ、ふーちゃんはふーちゃんなんだけどさ」
束さんがうつむき、顔を上げた。
「ふーちゃん。この世界に生まれてくれてありがとう」
優しい笑顔を浮かべて。
束さんが泣いた。
箒ちゃんと出会ってくれてありがとう。
箒ちゃんのことを気にかけてくれてありがとう。
束さんにその存在を気づかせてくれてありがとう。
束さんを認めてくれてありがとう。
……。
……。
多くのありがとうが、重ねられていく。
何でもないようなことが、彼女にとっての救いだったことに気づかされる。
何でもないようなことが、彼女にとって必要だったことを知る。
彼女に、限界が近づいていたことを思い知る。
もちろん、私も束さんには感謝している。
でも、それとは別に。
この世界で、あのタイミングで。
私が彼女に出会えたこと。
私のありがとうは、誰に向けて投げるべきなのか。
私は、祈るような気持ちで……青い地球に向かって頭を下げていた。
遠い、遠い、空の下。
老女が、首を傾けるようにして空に浮かぶ月を眺めた。
いや、年老いた彼女の目には、『おそらく』そうなのだろうという程度にしか認識できないのだが。
彼女は、穏やかに、ベッドの上で死を待っている。
父の上司から、勧められたというよりねじ込まれた見合い話。
『ほうっておくと、どこに飛んでいくかわからない危なっかしい男だ。あなたにはぜひ、あの男の港というか、船の錨になってもらいたい』
見込まれたことはともかく、身の危険を感じて、父とともに相手の噂を集めて。
『天才』『鬼才』『奇才』『異才』『馬鹿』……などなど、出るわ出るわ。
ぎゅっとまとめて、『普通じゃない』と納得するしかありませんでしたよ。
ゆっくりと。
ひと呼吸ひと呼吸、覚悟を決めて。
いざ目の前に現れたのは、普通の方でした。
普通、というと語弊があるかしら。
好青年。
紳士。
見合い相手の私を気遣うことのできる、善き人でした。
……空のことを語りだすまでは。
結婚はしたものの、ほとんど家に帰ってこない。
それが、夫の気質によるものか、職場のせいなのか、わからなくて。
それでも、たまの帰宅には、私を気遣うようにお土産を渡してくれる、優しい夫。
ある日、銃を突きつけられて夫と対面させられて。
『余計な研究などするな!命令に背けば、細君や両親を殺すからな!』
ああ、船の錨とは、そういう……。
すとん、と胸に落ちる物があり。
私は、背筋をしゃんと伸ばして、笑うことができました。
あなた、睡眠と食事はとってくださいね。
あの時のあなたの顔……。
初めて、あなたの妻になれたと思いました。
妻は、夫を守るものでしょう?
あなたが、私を守ってくれたように。
戦争が終わり、空を見上げるあなたを見るのが怖かった。
空を奪われたあなたを見るのが辛かった。
私は、あなたを地面に縛り付けるように、次々と4人の子供を産んで。
良き夫、良き父親。
よく、羨ましがられました。
でも、あなたから、『天才』『鬼才』『奇才』『異才』『馬鹿』といった評価は消えてしまいました。
残されたのは、『とても優秀な』というもの。
時折、ふっと、空を見上げるあなたに。
私は、良き妻でありますか……と、聞けずにいました。
孫が生まれて。
甘くとも、甘過ぎはしない、いいおじーちゃんになっても。
あなたは時々、ふっと空を見上げる。
息子や娘、孫たちのように、『何を見てるの?』と聞けない私でした。
6人目の孫が死んだときは、私も、娘夫婦も、しっかりとその手で支えてくださいました。
空を見上げることはあっても。
あなたの足は、しっかりと大地に根付いていました。
長い夫婦生活、あなたに諭されたことも、叱られたこともあります。
でも、怒られたことはありませんでした。
ごめんなさいね。
あの時。
私、あなたに怒ってもらいたかったのよ。
もちろん、75歳になろうかというあなたの体のことも心配だったのだけれど。
『残り少ない人生、好きにさせろ』と怒ってくれたら……。
なのにあなたは、『そうか、家族に心配させるわけにいかないな』と。
変なことを考えず、飛ばせてあげれば良かった。
なんとなくだけど、落下して水しぶきを上げるあなたを見ることになったんじゃないかと思うの。
そしてあなたは、頭をつるりと撫でながら、『失敗した』と、笑ってみせるの。
それでよかったじゃない……きっと。
生まれ変わってもう一度……は、考えないわ。
あなたの相手は、一度で十分。
私は、十分すぎるほど、恵まれた。
それよりも、せめて……。
神様、仏様。
あの人に、空を飛ばせてあげてください。
自由に、飛ばせてあげてください。
私の命も、魂も、全てあげます。
私は、あの人にたくさんもらうばっかりで。
私は、あの人の空を、奪ってしまったから。
見合いの場で、臆面もなく空を語るあの人に。
惹かれた私からの、お願いです。
どうか、あの人に。
私が奪った空を、返させて、ください……。
遠い、遠い、遥か遠い空の下。
先立たれた夫と同じ歳になった夜。
老女は、空に祈りを捧げながら目を閉じた。
彼女が、その祈りの行方を知ることはない。
しかし、その優しい祈りは、彼女の愛する夫の願いと重なり、叶ったのだ。
そして、遠い、遠い、遥か遠い
彼女の優しい祈りは、巡り巡って、愛する夫とは別の誰かを救ったのかもしれない。
そう。
たとえば、優しい、寂しがり屋のうさぎさん、とか。
みなさまが、優しい気持ちになれたのなら幸いです。
束さんとおじーちゃん、そして愉快な仲間たちの閉じた世界エンドも考えなくはなかったんですが、やはり、束さんには前を向いて、多くの人とつながってもらう未来を描いて欲しいな、と思いました。
『泣いたうさぎさん。』、これにて閉幕です。(原作行方不明)
この世界線だと、IS学園は、共学になっていくんだろうなぁ。(白目)
高任先生の、次回作にご期待下さい。(この一言、最近癖になってきた)
明日は、恒例のおまけ話です。
タイトルは、『泣いたブリュンヒルデ』。(愉悦)
クロエ:「これが……正妻の破壊力、ですか。お母様とお呼びしても?」
正妻?:「あらあら、もうしわくちゃのおばーちゃんですよ、私は」(優しい微笑み)
お似合いの(賢者の贈り物的な)夫婦だったのではと思われる。