皆さんに楽しんでいただけたらと。(にこ)
「千冬ねぇは、あれで私生活はだらしないんだよ……料理はダメだし、部屋は俺が掃除しなきゃ、すぐに魔窟になっちまうし……」
一夏くんの愚痴を、黙って聞き続ける。
束さんから聞いた話と、世界に出回っている情報の上澄み程度の知識が私にもある。
姉弟2人きりの生活。
中学生の千冬さんに、物心ついたばかりの一夏くん。
守られ続けた一夏くん。
男としての複雑な気持ちは、私にも理解できる。
うん、でも……そろそろ、一夏くんも、視野を広げる時期か。
年長者として、姉として……千冬さんは、強くあらねばならなかった。
一夏くんがそうであったように、千冬さんもまた、強いストレスを感じ続けていたに違いないのだから。
私は、口を開いた。
なあ、一夏くん。
もし、千冬さんが私生活でもしっかりしていたら、君はどう思う?
いや、どう思ったかな?
「え、そりゃ……助かる、よ?」
どこか戸惑ったように、一夏くんが答える。
「せめて、ゴミだけでもきちんと捨ててくれればそれだけでも……いや、分別せずに捨てて、余計に手間がかかる未来しか見えない……」
そんな一夏くんの様子を微笑ましく思いながら。
……うん。
一夏くんが、千冬さんを尊敬しているのは承知で言うよ。
君は、生活にだらしない千冬さんのサポートをすることで、どこか救われていなかったかな?
自分だって、役に立てるんだって。
千冬さんのためにできることがあるって。
「……っ」
思い出してごらん?
君は、5歳や6歳の頃から、きちんと家事ができたのかな?
それ以前はどうかな?
それ以前は、千冬さんが家事をしていたとは、思わないかい?
「それっ……は、周りの人が……助けて、くれたり……」
一夏くん。
千冬さんは、ブリュンヒルデであり、世界最強とも呼ばれる存在だ。
まあ、私から見れば、可愛らしいお嬢さんなんだけどね。
ここでいう世界最強って意味は、『人』との戦いに長けていることを意味するね。
人との戦いで重要なこと。
相手の思考を、相手の狙いを、相手の気持ちを読むことだ。
そんな彼女が、まだまだ子供だった一夏くんの気持ちが、見抜けなかったと、本当に思うかい?
「……」
千冬さんはね、心優しくて素敵な女性だと思うよ。
君のことを思いながら、君とともに生きてきた。
姉として、年長者として。
一夏くんも、もう子供とは言えない年齢だ。
今なら……いや、そろそろ気づくべきだ、千冬さんの優しさに。
人は、目的があるから頑張ろうと思う。
人は、誰かに頼りにされるから胸を張って生きていける。
千冬さんの目に見えるだらしなさは、君のためになされたものだ。
「カップめんの容器をテーブルの上に置きっぱなしにしたり、洗濯物は脱ぎっぱなしで散らかしてるのは……」
ちいさく頷き、言葉を返す。
仕事関係のスーツだけは、まともだったりするんじゃないかな?
思い当たるフシがあったのだろう。
一夏くんの、目が泳いだ。
「いや、でも……まともなら……あんな環境で……平気な顔なんか……」
千冬さんはきちんと仕事をしている。
ブリュンヒルデとして、マスコミへの対応もそつなくこなしている。
なあ、一夏くん。
千冬さんは、君が思うよりずっと……大人なんだよ。
そして、君のことを、大切に思っているんだよ。
だから、それができる。
「あの……ずぼらや、魔窟も、全部……俺の、ために……」
うなずき、言葉を続けた。
汚れた部屋や、下着姿で部屋を歩き回る、酒に酔って寝転がる……。
人として、うら若き女性として、抵抗もあっただろう。
それでも、彼女の目には一夏くんが映っていた。
自分の羞恥や、人としての尊厳よりも。
なによりも。
大事な家族である、一夏くんの事を思っていたからこそ、それができたんだよ。
もう一度、いや私は、何度でも言える。
千冬さんは、優しくて、家族思いの素敵な女性だってね。
一夏くんが、手で顔を覆ってうつむいた。
「ち、千冬ねぇ……お、俺……何も知らずに、さんざん愚痴って……」
優しい気持ちで、しばし彼を見守る。
深い、愛情で結ばれた姉弟。
すれ違うようなことがあってはならない。
彼の肩の震えが収まり始めた頃、私は声をかけた。
いいんだよ、一夏くん。
今までどおりでもいいんだ。
わかっていて、それでも飲み込む。
それもまた、家族の愛情の形なんだから。
君はそれを知ったことで、今まででよりも、もっと優しい気持ちで、千冬さんに向き合えるはずだ。
「ああ」
顔を上げた一夏くんの顔は、少し大人になっていた。
人とつきあうということは、誤解とのつきあいでもある。
それは家族でも例外はない。
それでも、できる限り理解しあえる優しい関係であってほしいと私は願う。
私は、その手助けが出来ただろうか。
別の場所。
「ねえねえ、今どんな気持ち?どんな気持ちかな、ちーちゃん?」
「や、やめろ……やめて……」
両手で顔を隠し、床の上で小さく丸まる千冬の周りを、束が跳ね回る。
「ねえ、ちーちゃん。『わかっていて、それでも飲み込む』のが、家族の愛情の形だよ!これから、ちゃんと同じ生活を続けるんだよね!」
「や、やめてくれ……束っ……」
「束さんさぁ、ふーちゃんを洗脳するような悪人だからねぇ……」
「あ、謝る!謝るから、もう……」
プルプルと震える千冬の姿を記録しながら、束は心ゆくまで反復横跳びを続けたそうな。
「千冬ねぇ、何してんだ?」
「え、あ、いや……いつも
一夏は、優しい目で千冬を見つめた。
千冬の作業は、掃除とは呼べない。
むしろ、散らかしていると言えるもの。
ああ、あいつの言ったとおりだな、と一夏は思う。
考えてみれば、あの短期間で部屋を魔窟にできるなんて尋常じゃない。
この光景も、前ならきっと、苛立ちを隠さずに『余計なことするな』などと口にしていただろう。
今まで姉の演技に気づかず、生活破綻者と思い込んでいた自分を一夏は悔やんだ。
そんな気持ちを優しさでくるみ込んで、一夏は笑顔を浮かべた。
「いいよ、千冬ねぇ。千冬ねぇは外で働いているんだから、家の中は俺に任せてくれよ。家族なんだ、遠慮しないでくれよ」
「い、いや……あ、あぁ……頼む。どうも、私は……こういうのが苦手でな、その、すまん」
不器用な優しさを見せる姉の背中。
一夏は、これまでにない優しい気持ちで見送った。
部屋を追い出されて、千冬は両手で顔を覆った。
「……以前の、ちょっと蔑む感じの方が、100万倍はマシだった……」
一夏が文句を言い、自分が軽く手を出して黙らせる。
あのやりとりの中に、幸せがあったのだと気づいてしまった。
もう、あの頃には戻れないのだ。
膝から崩れ落ちたところに、何故か用意してあったお酒。
飲まずにはいられない。
酒は、こういう時こそ飲むべきだ。
その後、悪酔いして、床でじたばたしているところを一夏に見つかってしまう。
全てわかっているよという弟の視線を受けて、世界最強は一気に酔いが覚めた。
なのに、酔っ払った演技を続けざるを得ない状況に絶望する。
その夜、きれいに掃除された自分の部屋で、世界最強は枕を涙で濡らした。
彼女の名は、織斑千冬。
世界の多くの女性から憧憬を向けられる、ブリュンヒルデである。
束 :「束さんとちーちゃんは友達だよね!」
千 冬:「ああ、もちろんだとも!」(がっちりと握手)
束 :「ところでさあ……束さん、新しい生贄、じゃなくて友達が欲しいんだぁ」(軍師の目)
千 冬:「ほう、それはいいことだと私も思うぞ」(新たな獲物を探す野獣の眼)
クロエ:「……世界から戦争がなくならない理由を知りました」
心が殺伐とするから、絶対に続かない。
明日は、おまけというか、小ネタ集。