要人保護プログラムにより、偽名を使わされるという説を採用。
私の通う小学校に、転校生が現れた。
昏い瞳と、強い意志を感じさせる口元が印象的だった。
「シノ……ハラ、ホウキだ。よろしく頼む」
ぎこちない自己紹介。
というより、新しい名前に戸惑っているように思えた。
両親が離婚でもしたのか。
想像とはいえ、プライベートに踏み込みかけた自分を戒めるように、私は首を振った。
そして、拍手をもって、私のクラスメイトは彼女を迎え入れた。
子供は新しいものに興味を抱く。
彼女の周りに、生徒たちが集った。
彼女は世界を拒否しているように思えたが、どう転ぶかは予想できない。
周囲の無邪気な興味が、彼女を傷つけるかも知れないし、傷を癒すかも知れない。
私は、孫を見守るような気持ちで、それを見ていた。
あっという間に、彼女は孤立した。
周囲を受け入れようとしない彼女に対する反発といえば言葉は綺麗だが……最初は、子供らしい、自分の思い通りにならない存在に対する癇癪だ。
クラスから浮いていた私は、気づくのが、少し、遅かった。
暴力に対し、彼女は暴力で応えた。
喧嘩両成敗だ……私の前世の子供時代なら。
いや、1人に対し複数人で……という部分で、少しゲンコツの数が変化するかもしれないが。
彼女の『暴力』は、大きな怪我をしないように、見切られたもの。
子供にはわからない。
そして、おそらく保護者はそれを認めない。
難しい時代だ。
前世でも、その傾向は出始めていた。
集団は集団を守るために個を排斥し、個を主張すればするほど集団が壊れていく。
この世界でも、その答えは出ていない。
ただ、大きな騒ぎにならなかったあたり……学校関係者が尽力したのだろうか。
もしかすると、彼女の環境に配慮を求めた結果なのかもしれない。
だとすれば、私が想像しているよりも、彼女の家庭環境はよくないのだろう。
問題にはならなくても、彼女は、やはり孤立した。
反発ではなく、恐怖だ。
そして、異物に対する排除。
彼女の持つ『暴力』とは、別の『暴力』が彼女を取り囲む。
そこでようやく、私は腰を上げた。
私の、周囲からの評価は『変わった子供』。
成績こそ優秀だが、読書と機械工学に興味を持つだけの子供。
こういう、集団における政治力というか、コミュニティに対する影響力は小さい。
根本的な解決は無理だ。
子供たちの世界は、総じて狭い。
この世界が辛いなら、別の世界に目を向けさせる。
あるいは、別の世界があると気づかせること。
私にできるのはその程度。
彼女と接触する。
すぐにわかった。
彼女の目は、過去だけに向けられている。
おそらくは、かつての家族に。
ふっと、前世の……上司の言葉を思い出す。
『今が辛いなら、未来を思え。未来が見えないなら、過去を懐かしめ。現在、過去、未来の全てが辛いという人間は、そう多くないのだから』
今が辛いということは、辛くなかった過去を持っているということだ。
詭弁のたぐいだろう。
それでも、優しい言葉ではあると思う。
知らず、私は笑っていた。
私の過去は、未来は、そして現在は……どこを指しているのだろうと。
「何がおかしい!」
どうやら、私の笑みは彼女のカンに障ったらしい。
そういうつもりではなかったのだがというのは、責任放棄だ。
人は、考える葦であり、個人であるがゆえに、他人を理解できない。
つまり、人は誤解し、誤解される生き物だ。
他人と触れ合うということは、他人の誤解と付き合っていくということを意味する。
前世の経験からくる多少の鍛錬と知識が、彼女の手加減された攻撃を、わずかながら受けることを成功させた。
「……なにか心得があるのか?」
何がどう転ぶかわからない。
彼女の暗い瞳が、私を見た。
それまで、何も見ていなかったような瞳が、見たのだ。
説明するのは難しい。
奇妙な連帯とでも言おうか。
まあ、彼女は子供で、私は前世で何人もの孫を腕に抱いた経験のある人間だ。
相手が二十歳ぐらいの女性でも、子供のように思ってしまう。
三十歳を超えてようやく……ぐらいの感覚だ。
そんな私が、トゲだらけの彼女を、適当に受け流しながら、一定の距離を保ったまま、見守る。
子供の距離感ではない。
そして、おそらく彼女はそれを受け入れた。
ただ、私の趣味とも言える工作を、嫌な目で見るのだけはやめて欲しかったが。
木工細工には嫌悪を向けないのに、なぜか金属ものというか、機械工作に嫌悪を向ける。
まあ、人の趣味や、好き嫌いに口を出しても仕方がない。
ああ、それと、私を修行させるのもどうかと思う。
これでも、体はそこそこ鍛えている。
技術者は、体が資本だ。
飯を食い、睡眠をとる。
それが、結果的には最も仕事に集中できる。
ただ、ここぞという場面での集中力や体力は、体力がなければ生み出されない。
「身体で覚えろ!」
彼女は私を容赦なく(大きな怪我をしないように)打ちすえる。
少しばかり、懐かしい。
戦後、孫の時代には否定されたが……前世で、私が子供の頃は当たり前だったやり方だ。
教育としては、前者が正しい。
ただ……。
逸般人を生むための鍛錬なら、後者が正しい。
異論は認める。
そして、私もできれば抗議したい。
「シノハラ。お前、私をどうするつもりだ?」
「無論、強くする」
待って。
お願い、待って。
子供の無邪気さは、時に残酷だ。
私は、それを身をもって知っている。
真っ先に思い出すのは、孫娘に残り少ない髪の毛をむしられたことだ。
愛する孫によって、『なが~い友達』の命を奪われたのだ。
涙をこぼす私に、『じいじ、痛いの?』と心配そうに見つめる孫娘。
どうしろというのだ。
いったい、どうすればよいというのだ。
あのとき、私は孫に向かって首を振り、空を見上げるしかなかった。
「ええい、だらしがないぞ!」
罵声というか、奮起を促す言葉を浴びながら、私は空を見ていた。
地面に倒れた状態で。
いろいろおかしくなって、笑ってしまう。
「お、おい。打ちどころが悪かったか……?」
途端に、おろおろし始める彼女がかわいい。
イタズラを見つけられた子供のようだ。
大怪我をしないように手加減もされているし、狙う場所も痛みはあっても急所を外している。
そして、身体の痛みなどは一時的なものにすぎない。
私にしてみれば、孫娘のやんちゃの方がよっぽどきつかった。
失われたものは、二度と帰ってこない。
ただまあ、私と彼女の関係が、周囲からどう見えるかについて……考えるのは私の役目だろう。
「シノハラさんに、あなたがいじめられているという噂があるの」
「事実無根です」
教師に向かってきっぱりと。
曖昧さは、余計な憶測を生む。
というか、この時点で『噂』とか言ってるあたり、保身を意識した大人であることがうかがえる。
こうした手合いの、あしらいには慣れている。
本人たちが納得している。
何の問題もない。
あなたの責任にはなりません。(問題にならないとは言ってない)
この、3点セットでおしまいだ。
それと並行して、
「剣の修行というのは、全員が同じ修行をするのか?」
「当然だ」
「体調が悪い時は?」
「もちろん、考慮する」
「生まれつき、身体が弱いものは?」
「む……」
ゆっくりと、彼女の言質をとりながら。
足の速いものがいる。
絵の上手いものがいる。
身体が大きいもの、小さいもの。
人という生き物が、『ひとりひとり、別の生き物である』ということを、本当の意味で理解させていく。
強いもの。
弱いもの。
別の価値観。
誤解やすれ違い。
娘や息子に話したように。
孫たちに語ったように。
自分が、これまでに出会った人を例に挙げ、語っていく。
彼女は時折癇癪を起こしたが、私は粘り強く語り続けた。
彼女は強情であったが、素直でもあった。
彼女は幼かったが、大人でもあった。
もしかすると、時期が良かったのかもしれない。
感情のもつれは、時間経過によって解れることもあるが、こじれることも少なくない。
「理解はした。だが納得いかん」
「ん、それでいい」
理性と感情は別物だ。
それを完全に制御したとき……失われるのは、人間性だろう。
まったく制御できないのも、問題だが。
そう、身体を鍛えることはやぶさかではないが、私が目指すのは空であり、そこへ至る技術者や開発者の……。
「さあ、今日もやるぞ」
「……ちょっと待とうか」
「……嫌なのか?」
「いや、そういうわけではないんだが……」
「ならいいだろう。それに、私の見たところ、お前にはそこそこ資質がある」
「……そうなのか?」
彼女が笑う。
「なぜなら、お前は私の動きを目で追えている」
「目で追えても、身体が……」
「身体がついてくれば、お前は強くなるぞ!」
私と彼女の、平和な日々はしばらく続いた。
平和にもいろいろある。
前世でもよく言われた。
家庭円満のコツは、女性を立てることだと。
「……シノハラさんのおかげかしら?」
教師が私に向かって言った。
「シノハラさんもそうだけど、あなたも随分……その、子供らしくない子供だったから」
「自覚はあります」
教師が笑う。
「気づいてないの?あなた、最近感情を見せるようになったわ……子供みたいにね」
「人並みに、喜怒哀楽の感情を備えているつもりなのですが……」
「あぁ、うん……そういうところがね」
ため息をつき、教師が目を揉む仕草をした。
「……まぁ、今更ね。シノハラさんも、悪くない表情を浮かべるようになったし……いいのよね、これでいいのよ、きっと」
私にではなく、自分自身を納得させるように、教師がつぶやく。
大人の、というより、教師には教師の気苦労があるのだろう。
残念ながら、私には前世の記憶はあっても、決して万能ではない。
ましてや、人の心をきちんと理解するなど、とてもとても。
職員室を出たところで、
「高岡!こんなところにいたのか」
恥ずかしい話だが、私はまだこの世界での自分の名前に慣れていない。
不意を突かれると、まだ少し反応が遅れてしまう。
彼女は私の手を取り、引っ張っていく。
「昨日はあと少しだったからな。今日こそは、見切りのコツをつかんでもらうぞ」
「……それができるのは、いわゆる達人というやつじゃないのか?」
「馬鹿な事を言うな!1寸残しなど、初歩の初歩だ」
自分の常識は他人の非常識。
ブーメラン効果があるので、口にはしない。
「別の流派の話だが、額に米粒をはりつけ、3人に切りかからせて米粒だけを切らせてようやく免許皆伝らしいぞ。ウチの流派だけの話じゃない」
これが、基準と価値観が違うといういい例だ。
私を衝き動かしているのは空への憧れで、修羅とか、剣鬼とか、そういうものはお呼びじゃないのだが。
私は無手。
彼女は竹刀。
彼女はひたすら竹刀を振るう。
私は、足を動かさずに竹刀を目で追い、上体の動きだけで距離感を保つ。
ふ、と。
私たちを見ている教師の姿が見えた。
すぐに目を逸らされたが。
まあ、いじめとしか思えないか、この光景は。
……楽しくないわけではないのだ。
子供の成長は早い。
そして、できなかったことができるようになる喜びも確かにある。
「そうだ!やはりお前は、筋は悪くない!まあ、良いとも言えないが」
私は、あらためて彼女を見た。
老人補正を抜いても、可愛いのだろう。
私に嫉妬した子供たちが、棒きれを手に襲いかかってくるぐらいに。
先日、年上を含めた子供たち数人に棒きれで襲いかかられたのだが、一度も触れさせることなく、相手が疲れてへたりこむまでかわしきることができた。
今も、彼女が手加減しているのは、私にもわかる。
これでも、『悪くない』程度なのか。
なんとなくだが、彼女の周囲にいた人は……ちょっとばかり逸般人過ぎるのではないだろうか?
偽名は、シノハラかシノノメのどちらにするかで迷いました。