世界は残酷で、子供は無力だ。
空を見上げる。
空は、何も語らない。
ただ、自分の心のあり方を、そこに投影するのみで。
前世の記憶の、歌謡曲が心をよぎった。
さて、どうしようか。
自分のことはいい。
よほどの悪意に巻き込まれない限り、なんとか生きていけるという自負はある。
遠回りを余儀なくされても、最終的に私が目指すのは空だ。
そこにたどり着けるかどうかは問題じゃない。
ただ、私はそこを目指し続ける。
そう、決めている。
空を見上げながら、心の中で、両親に、別れを告げた。
醜い、しかしながら、理解できてしまう争いを続ける親戚連中に見切りをつける。
というか、親戚連中は最初から私に見切りをつけている。
まあ、人を一人養うのは大変だ。
それがわかるから、怒るほどのことでもないと思ってしまう。
私のそんな態度が、殊更に親戚連中へのヘイトを集めてしまうのが皮肉といえば皮肉だが。
怒りを隠そうともせず、何人かの人が私にこの後のことを説明してくれた。
どうやら、この世界のこの国は、児童福祉がそれなりに充実しているようだ。
まあ、なんとかなるだろう。
衣食住に関して、私の欲望は乏しい。
問題は、私が望む道へつながる……学びの機会、そして就業のチャンス……そこに、私の手が届くかどうか。
時代の流れも、少し逆境にある。
ISの影響。
女性しか動かせない。
女尊男卑の流れ。
根底にあるのは、男女平等とは言えなかったこれまでの世界に対する反発心か。
どちらも理解できる。
ただ、『ISに乗れるから女性は尊い』という言い分には苦笑を禁じえない。
かの科学者は、ISコアを、限定して世界にばら撒いた。
『ISに乗れる女性は貴重』だが、乗れない女性は貴重でも何でもない。
どうやら、女性なら無条件で乗れるのではなく、ひとりひとり、適性のようなものがあって、女性であっても動かすことができない存在も少なくないとか。
まあ、そのへんはみんなわかって言っているだろう。
結局は、大義名分として使われる。
どちらかというと、その大義名分を心から信じている者たちに、哀れみを感じる。
そこにしかすがれないというのも、辛いとこだろう。
そういう連中は、上の人間にいいように使われるのが世の常だ。
とはいえ、そういう流れがあるのが現実だ。
男性として、私が技術者として就業するための障害にならないとも限らない。
結局は、私にそれだけの能力があるかどうか。
運があるかどうかの問題だ。
だから、私のことはいい。
問題は、彼女だ。
シノハラホウキ。
転校当初の精神状態は脱した。
ただ、彼女の世界は狭い。
確実に、私よりも狭い。
何度か、彼女に人を紹介しようとしたが……挨拶はした程度。
まるで興味を持たなかった。
学校の授業は受ける。
教師の問い掛けに、答えはする。
教室に、『クラスメイト』がいることを認識してはいる。
彼女は、『私』しかいないことを、『それでいい』と思ってる。
依存というのとは少し違う。
どこか斜に構えた『世界とは、そういうものだろう』という感じだ。
彼女に対する初期対応を間違えたのだろうか。
前世では、孫たちはもう上から下まで、子供と言える年齢ではなかったし、私の子供たちは皆健在だった。
もしかすると、ただひとり孫を残した老人の心境というのは、こういう感じなのだろうか。
心配だ。
彼女との会話には、『家族』の話が出てこない。
礼儀の上で、敢えて深く考えることをしなかったが、今の私と似たような状況だったりするのか。
両親の離婚、もしくは再婚。
新しい家族との確執。
いくらでも思いつくケースがある。
大人としての、人生の先達としての傲慢な部分。
彼女に、より良い環境を、願ってしまう。
何が彼女にとって良いのか、そんなことなど分かりはしないのに。
人生は何が起こるかわからない。
塞翁が馬。
瓢箪から駒。
私は、前世の記憶も含めて、こんなにも無力だ。
孫娘のために、何もしてやることができないのか。
……違う、孫娘と違う。
自分の思考に苦笑する。
いつの間にか、私の目線は、孫娘を案じる老人のものになっていた。
この世界においては、私と彼女は同級生だというのに。
ああ、私は変な子供だ。
親戚連中に、引取りを断られても仕方ない程度には。
自分に言い聞かせるように、心の中でつぶやいた。
ひとつ、思いついた。
妙案とは言えない。
ただ、現状を揺り動かす役には立つだろう。
恨まれてもいい。
それでも、『世界』には、『学校』には、『私』以外の『誰か』がいるのだと、彼女自身の気づきになってくれればそれでいい。
結局、彼女に何もしてやれない『心残り』を解消するために、私は傲慢であることを選んだ。
私に残された時間は短い。
まずは、教師に話を通した。
両親の件、転校の件を、みんなには知らせないこと。
そして……。
私は、荒れた。
いや、荒れた感情を装った。
教室で声を荒げる。
クラスメイトを威嚇する。
机を蹴飛ばすだけで、萎縮する子供は少なくない。
怪我はさせない、というのは言い訳だな。
多くの人間は、暴力そのものではなく、暴力の気配に恐れを抱く。
身体は無事でも、心の怪我までは、わからない。
どこまでも傲慢な私は、彼女一人のために、クラスメイトに怪我を負わせようとしている。
みんなを傷つける私を、彼女が止める。
これが、『泣いた〇鬼』作戦だ。
あ、
少し動揺したが、ちょうど教室に彼女が現れ、私を見た。
さあ、こい。
来いよ、シノハラ。
私の乱暴を止めるために、来るんだ、シノハラホウキ。
「……」
待って。
『何してるんだ、あいつ?』みたいな表情で、そのままスルーしちゃダメだ。
いきなり、作戦変更を余儀なくされた。
この孫娘は手ごわい。
転校の件は伏せ、『泣いた〇鬼』作戦を説明した。
赤鬼と化した孫娘に、竹刀で滅多打ちにされた。
うん、それだ。
それを、クラスメイトの前でやればいいんだ。
同じことじゃないか。
再び滅多打ちにされた。
「私は、知り合いを選ぶ。他に言うことはない」
うーん。
「そもそも、なぜ私があいつらを助けねばならないんだ?」
うん……うん?
「私が加勢すべきは、お前だろう」
お気持ちはありがたく。
孫娘の、これからの人生のために、伝えたいことがある。
どう説明すればいいのだろう。
社交性とか、しがらみとか……世渡りとして必要な最低限の技術というか。
……なにやら、自分自身に返ってきた。
うん、私も少し考えたほうが良さそうだ。
泣いた〇鬼作戦を、修正した。
私ではなく、別の人間に青鬼役をやらせる。
というか、学校生活というのは集団生活だ。
私がその役をやらずとも、助けを求めている『誰か』は存在している。
言ってはなんだが、学校における孫娘の評判は悪い。
大人の社会だと、それほど単純ではない。
しかし、子供の社会の評判は、わりと不安定だ。
特に何も説明しなかったが、何かを察したのだろう。
私を見る目に、疑惑の色がある。
「……おい」
弱い者を助ける。
何か問題があるか?
「本人が強くならねば、なんの意味もないだろう」
強いとは、なんだ?
明確な答えなどない問いを投げかける。
当然、言葉に詰まる。
反射的な言葉を返してきたら、正論でたたきつぶして黙らせる。
彼女の、強さを語る。
彼女の強さが可能にする、何かを語る。
彼女の強さでは、できないことを語る。
彼女のできないことをできる、強さを語る。
強さとは。
助け合えること。
誰かに、自分の強さを分け与えられること。
納得させるつもりはない。
ただ、そういう考え方もあると、頭の中で理解してもらう。
助けられた下級生が、彼女に礼を言った。
隠れて、こそこそと。
戸惑う彼女を微笑ましく思いながら、私は言葉を投げる。
なぜ、こそこそと礼を言うんだろうな?
「……なぜだ?」
想像でしかないが、理由は二つ。
お前に迷惑をかけたくない。
お前と関わることで、いじめがひどくなるかもしれないから。
「……」
彼女は私を見、そして地面に目を落とし……空を見上げた。
「……私は、強くないのだな」
それも、答えの一つだ。
立ち止まらず、考え続けること。
それが、大事なことだ。
私は傲慢だが、贅沢は言わない。
解決は望まない。
ほんの些細なきっかけ。
それさえあれば、彼女は飛べる。
両親の四十九日が終わる。
家を出る日。
施設へと向かう日。
彼女に、さよならを言う日。
……これはいけない。
いきなり、腹部をつま先で蹴り上げるのはとても危険です。
なんとか急所を庇えた。
彼女との訓練が、役に立ったと言えるだろう。
こうされることを仕方ないと思う気持ちもある。
大怪我をさせないための配慮が、感じられない一撃。
痛くて苦しいけど、孫娘のように思う彼女が、配慮をなくす程度に私のことを気にかけていてくれたことが嬉しい。
自分の孫が、お菓子やお小遣いではつられなくなっていく過程は、悲しいものだ。
「ふ、ふざけるなっ!ふざけるな、ふざけるなあっ!」
世界も、時代も、そうではないかもしれないが、女の子が乱暴なのはよくない。
「お前がおかしなことを言いだしたのは、やり始めたのは、このためだな、言え!」
胸ぐらを掴まれてガクガクされる。
もう少し。
もう少しで、声が出せるから。
もうちょっと待って。
赤鬼と化した彼女が文句を言う。
転校することを黙っていたことに対して、怒る。
そして、涙を流す。
私は、かつて孫たちにそうしてやったように、頭を撫でてやった。
私の両親の件については、言うべきではないだろう。
そう思った。
「なぜだ、なぜ、私にそこまでしてくれる?」
「大事な存在だから」
歳を取ると、若さを眩しく思う。
孫に、己を投影する。
希望を、未来を見る。
大事に思わないはずがないのだ。
「ま、まままま、ま、待て!」
びよん、と。
バネのようにはね起きて、彼女が距離をとった。
「大事な存在とは……大事だということかっ!?」
「全ての人間に愛を振りまくような聖人ではないからね」
彼女の、未来を思う。
明るい、将来を願う。
老人特有の、若者に対する傲慢な願いだ。
「いや、それは困る……嫌ではないが、困るというか、その……なんだ」
まあ、孫からすれば迷惑な思いだろう。
実際、『ウザイ』と言われたこともある。
彼女が、深呼吸を始めた。
そして、ブツブツと呟き……私を睨みつけた。
「私は、心に決めた相手がいるのだ!」
ほほう。
剣の修行ばかりと思ったら、そんな相手が。
うん、ちゃんと心を開いた相手がいるのなら安心だ。
孫娘の思わぬ告白に、心がほっこりする。
思えば、私は婆さんとは見合い結婚だったし、若者がいう恋愛という感情には疎いところがある。
残念ながら、見守るぐらいしか出来そうにない。
「お、怒らない……のか?」
まさか。
そんな相手がいると知って嬉しく思うよ。
自分の心をあずけられる相手がいるというのは、幸せなことだ。
本当に、嬉しく思うよ。
そして、安心できた。
彼女が、私を見た。
ああ、そんな瞳をしていたのか、と思う。
可愛い、ではなく、綺麗だと思った。
「箒だ。私のことは、箒と呼べ」
ああ、友達と認めてもらえたんだなと、少し楽しくなった。
いくつになっても、こうして誰かに認められることは嬉しい。
「私の心は、その、心に決めた……のものだ。だから、お前にはやれん……謝らんぞ、私は!」
綺麗な瞳で私を見つめたまま、彼女が、箒が、手を握ってブンブンと乱暴に振る。
「友だ。お前は、私の友だ。離れても、それを忘れるな。いいか、絶対だぞ!」
冬樹。
「えっ」
私の名前は、冬樹。
この先、苗字がどうなるかわからない、だから。
そう呼んでくれ。
箒が、そう願ったように。
友というのは、そういうものだろう?
箒の唇が震える。
ゆっくりと、開く。
「ふ、冬樹……元気でな」
「ああ、箒も……幸せにな」
手を振って別れる。
振り返らずに、空を見上げる。
空は、何も語らない。
私にはただ、新しい生活が待っている。
目指す先は決まっている。
そこに行くまでの道筋が変わるだけのことだ、きっと。
これが、箒のポテンシャルだ。(強弁)
そして、今日はここまで。
続きは、ちょっと日があきます。