始発に間に合ったので帰ります。(震え声)
ハイ〇ースされた。
歳を取ると、たまに若者が使っているコトバを使ってみたくなることがある。
いや、少し混乱している。
もう一度、状況を確認しよう。
箒と別れ、学校の教師にもう一度挨拶をし、施設に向かって学校を出て……すぐ。
ハイ〇ースされた。
確か、盗難にあいやすい車だから……という由来だったか。
……。
……。
とりあえず、金銭目的ではないだろう。
なるようになる、とまで達観はできないが。
私は無力だ。
そして、思っていたよりも世界は残酷なのかもしれない。
たぶん、なにかのファッションなのだろう。
服装も独特だが、頭につけたうさぎの耳が、どこか微笑ましい。
私を見つめるお嬢さんの、目元のクマに親近感を覚えた。
デスマーチ中は、みんなこんな感じだったなあ。
戦闘機をともに開発していた仲間を思い出す。
分野は違うが、ともに仕事に励んだ技術屋を称する連中を懐かしく思い出す。
言葉こそおどろおどろしいが、当事者にとって『デスマーチ』はお祭りのようなものだ。
終わった直後は、『もう二度としない』、『地獄が終わった』などと思うのだが、酒を飲み、ひと晩ぐっすりと寝ると……また、『デスマーチ』を望んでいる自分に気づくのだ。
今までの試行錯誤が、形になっていく。
全てが、あるべき場所へと収まっていく、あの感覚。
あの、眩しい光を思わせる達成感は、言葉では表現しづらい。
もちろん、楽しくないデスマーチもある。
予算や日程の都合上、帳尻合わせというか、本当の意味で完成しない時がそうだ。
達成感も何もない、徒労感に包まれ……不満と虚しさだけが残る。
と、想い出に浸っている場合じゃないな。
老人の悪い癖だ。
若いお嬢さんに、少しアドバイスを。
お嬢さん、睡眠時間は、90分を1セットで、1日3回が最も効率が良いと私は思う。
もちろん、個人差はあるから、微調整は必要だが。
「……」
お嬢さんの浮かべる表情に、既視感があった。
この、『何言ってんだ、こいつ?』という感じの、呆れたような……。
ふっと、さっき別れたばかりの、箒の顔が浮かんだ。
頭の中で、目元のクマを除去。
そして、口元を、きゅっと引き結ばせて……。
予感。
それを、口に出す。
もしかして、箒の……お姉さんですか?
一瞬だけ目が細められ……お嬢さんの口から、妹への愛が迸った。
少しばかり要領を得ない話だったが、重要なのはここだろう。
『妹の箒のことが大好きだけど、事情があって一緒にはいられない』
微笑ましくなる。
いや、姉妹が一緒に生活出来ない事情というのは、決して微笑ましいものではないのだろうが。
なるほど、なるほど。
妹の箒のことが心配で、色々と聴きたくなってしまったのかと納得した。
私は、話した。
箒のことを。
私の知る限り、できるだけ客観的に。
私の主観は、主観だと断った上で、自分がどのように箒と関わったかを、話した。
そして、謝罪した。
箒と、うまく接することができなかったこと。
もっと、彼女の世界を広げてあげたかったこと。
語りだすと、後悔ばかりが胸に浮かんでくる。
自分は万能ではないと戒めても、孫娘に対してもっと何か出来たのではないかと思ってしまう。
うつむく私の手を取り、お嬢さんが首を振った。
「箒ちゃんのことを、そこまで気にかけてくれてありがとう……本当に、ありがとう」
その目がかすかに潤んでいるように思える。
妹への愛情。
なのに、一緒には暮らせない。
私から話を聞くあたり、会うことも制限されているのか。
世界の理不尽さを呪いたくなった。
私の話になった。
姉として、妹の友人のことを知りたいのだろうか。
気を遣わせたくないので、両親の件をのぞいて、今までの生活をさらりと話す。
工学への興味。
技術者を目指していること。
およそ、興味を持たれないだろうと思っていたことに食いつかれた。
女性でこの分野に興味を持つ人は少ないという先入観もあった。
しかし、お嬢さんは普通に私の話についてくる。
もしかすると、この世界に生まれてからずっと、私はそういう内容を語る相手を求めていたのかもしれない。
つい、熱が入った。
空だ。
空への憧れだ。
私の原点。
私の全て。
抑圧された末の、狂おしいまでの渇望。
他人に、それもお嬢さんに語る内容ではないと思いつつ、止まらなかった。
こうやって、空への憧れを語っている時こそ、自分が自分でいられる気さえする。
複葉機を語る。
私が技術者になった頃にはもう、兵器としては時代遅れもいいところ。
理屈じゃない。
時速250キロだからどうした。
空を、兵器とか、スペックで語るな。
空は、自由で、憧れだ。
もちろん、複葉機が私のゴールじゃない。
この世界の技術体系を調べて、ピンときた。
私の中で、おぼろげながら形をとりつつあったもの。
夢。
自由。
『アレ』を作ることが出来るのではないか。
「よーし、落ち着こう!落ち着こう、ねっ!」
お嬢さんに止められた。
ちょっとばかり、熱が暴走したらしい。
すみませんでした、ちょっと夢中に……。
息を呑む。
私を見る、お嬢さんの瞳が、心なしかグルグルしていた。
「時代は空じゃなくて、
さっきと同じように。
妹である箒への愛情を語るように、彼女の口から飛び出すものがある。
残念ながら、彼女の話は専門的で、私には断片的にしか理解できない。
それでも、熱は伝わる。
想いが伝わる。
言葉では伝わらないもの。
それが大事な瞬間だってある。
エネルギー保存の法則。
熱意は伝わる。
熱は、理解し合える。
相手の熱が、自分の熱になり、自分の熱が、相手の熱になる。
技術者や開発者は、集まると、1+1が3にも4にもなる組み合わせがある。
それは素晴らしいことなのに、なぜか『あいつらは集めちゃダメだ』などと言われることがある。
人はひとりでは生きていけない。
なんだってそうだ。
科学だって、工学だってそうだろう。
彼女の口から、ISの話が出た。
ツッと、心臓に氷の針を穿たれた気持ちになる。
若き科学者を思う。
彼女の事を思う。
「あ、あれー?なんだか、テンションダウン?」
確かに、私の目から見てもISは可能性の塊だ。
だからこそ、その可能性を無駄に食いつぶされていく現状が悲しい。
私でさえそうなのだ。
本人は……。
目頭が熱くなるのを感じ、手で隠した。
「う、うおっ!?泣いた?え、泣かした?箒ちゃんのお友達を泣かしちゃった!?」
動揺する気配。
なんとか首を振る。
「お、男の子だからかな?ISに乗れないからかな?」
いや、違うんです。
言葉を出し、首を振る。
そして、語る。
私の思うこと。
IS開発者。
若き科学者。
彼女の感じているであろう、絶望。
そして、悲しいまでの覚悟。
止まらなくなる。
思えば、私に話し相手はいなかった。
知らず知らずのうちに、抑圧されていたのかもしれない。
気が付くと、お嬢さんが……両手で顔を覆って、肩を震わせていた。
……。
妹の事を思うあまりに、誘拐まがいに私をここへ連れてきたこと。
独りよがりな私の思いに共感し、他人のために涙を流せること。
感受性が豊かで、愛情深く、優しい人なのだろう。
箒は、こんなお姉さんと引き裂かれて、生活することを強いられているのか。
お嬢さんの頭に手を伸ばしたが、うさぎの耳が邪魔だった。
なので、後頭部を、優しくなでる。
お嬢さんの優しさは、きっと彼女にも届くと思いますよ。
効果がなければ無意味などとは言いません。
あなたのその優しさは、無意味なんかじゃない。
「……もう、やだぁ……この子……」
しまった。
お嬢さんにしてみれば、子供に慰められるようなものだったか。
しばらく、何も言わずに頭を撫で続けた。
「……あ、あのね……そんなに深く考えてなかったかもしれないよ?」
だったら、何故お嬢さんは顔を覆って、肩を震わせているのですか……と、口にはしない。
そう思っていないなら……。
私のためだ。
私の心を軽くしてあげようと……。
彼女の頭を撫でる手に、一層優しい気持ちがこもった。
そうかもしれません。
「そ、そうだよ……そりゃ、色々と考えはあったけど……そういうのとは違うかなって……」
私は、ただ一言。
心を込めた。
ありがとうございます。
「いや、その……ほら、研究者とか、世間知らずって言うよね!しかも、彼女はとびっきりの天才なんだから!そういう、世の中の凡人どものことを考慮するとかじゃなくてさあ!」
研究や開発にはお金がとてもかかりますね。
「えぅっ?」
私は子供だが、子供ではない。
それゆえに、彼女に気を遣わせないために、私は語る。
優れている研究者。
結果を残す開発者は、資金を調達する能力が必要となる。
その研究開発に利益を見込むから、人は資金を提供する。
資金を上手く調達するということは、人の欲を知ること。
人の欲を知り、自分の研究内容をプレゼンする能力。
世間知らずの研究者は、太っ腹なパトロンに恵まれない限り、資金には恵まれない。
だから。
彼女の頭を撫でていた、私の手が止まる。
……彼女は、わかっていたと思います。
自分の研究の行く末を。
我が子とも思える発明の未来を。
世界に向けて絶望を叫びながら。
一筋の未来を信じていた。
彼女の覚悟と、気高いあり方を、私は尊敬します。
「……どうしよう……褒められながら、ディスられてる……」
ディス……?
知らない言葉だ。
やはり、若ぶっても限度はあるな。
「えっとね、天才だから、子供の頃から他人の名義とか使って投資を繰り返してさ、稼いでたんだよ、きっと」
少し、笑ってしまう。
投資というのは、人の欲を計算することだから。
投資で稼ぐというのは、それこそ世間知らずにはできないこと。
まぐれ当たりはあっても、それを重ねることはできない。
でも。
ここは、彼女の優しさを受けとっておこうか。
もしも、箒に再会することがあったら、素敵なお姉さんの話を聞きたいなと思います。
「ひんっ……えぐえぐ」
迂闊だった。
一緒に暮らせない深い事情があるのだ……。
自分の無神経さに腹が立った。
空ではなく、周囲を見渡す。
小さな公園の、片隅に設置されたベンチ。
人はいない。
平日ならこんなものだろう。
小さく息を吐く。
ありふれてはいるが、話題を変えよう。
そういえば、お嬢さんのお名前は……?
ビクッと、彼女の体が震えた。
頭につけた、うさぎの耳がピコピコ動き始める。
「……」
……いや、あの。
あ、私は……高岡冬樹と言います。
「…………た」
た?
「束さんとは、私のことだよぉーっ!」
衝撃。
暗転。
目を覚ますと、私は知らない場所にいた。
お嬢さん、箒の姉……たばね、さん?……の姿はない。
周囲に目をやる。
公園ではない。
個室?
どこか生活を感じない。
懐かしい。
仮眠室を思い出す。
私は、再びハイ〇ースされたようだ。
褒め殺しで、束さんに大ダメージ。
そして主人公、わりと気質はマッドである。(震え声)
1話の『監視という名の護衛』は伊達ではない。