「……おはよう、シノハラさん」
ああ、おはよう。
私を見て、周囲に視線を投げ、立ち去っていく同級生。
「おはようございます、シノハラせんぱい」
おはよう……元気そうだな。
嬉しそうに笑う、下級生。
私に関わることは、ある程度のリスクがある。
それでも、関わろうとしてくれるものがいる。
私といると、いじめられずにすむ……そんな打算があるのかもしれないが、まあ、悪くはない。
『リスクとリターンは表裏一体だからなあ……そういう意味では、0は究極のマイナスで、プラスでもある』
そんなトボけた言葉を思い出す。
冬樹は、転校先で元気にしているだろうか。
元気にしているだろうな。
あの、どこか掴みどころのない……それでいて、こちらを見守るような。
あいつなら、どこに行ってもマイペースで過ごしている気がする。
要人保護プログラム。
その言葉を何度聞いたか。
私もまた、この学校を去る時期が来た。
冬樹がいなくなって、まだ半月も経ってないというのに……皮肉なものだ。
転校先に、冬樹がいないことだけは確かだ。
もちろん、一夏がいるはずもない。
知り合いのいない学校を、全国の学校を転々とする。
要人保護プログラムだ。
子供だと思って、馬鹿にするな。
要は、『他人と親しくするな、他人と関わるな』ってことだろう。
空を見上げる。
時折、冬樹がそうしていたように。
すまないな、冬樹。
私は、友であるお前に言えなかったよ。
すまないな、冬樹。
私は、お前にリスクを背負わせてしまったかもしれない。
私の弱さが、お前にリスクを背負わせた。
独りは……嫌だった。
でも、要人保護プログラムだ。
自分から、他人に関わると……迷惑がかかるんだ。
相手もそうだし、護衛の人の手間を増やすという意味でも。
すまないな、冬樹。
私は。
お前の優しさに、甘えたんだ。
向こうから近づいてきたから仕方ないと、自分に言い訳をして。
要人保護プログラムを言い訳にして、他人と関わることを拒んだ。
それも、私の弱さだ。
姉さんを恨んだのも、私の弱さだ。
姉さんが全て悪いわけじゃない。
まあ、責任がないとは言えないだろうが。
強さを目指す前に、私は自分の弱さを認めなければいけなかったんだな。
なあ、冬樹。
すまない、ではなくて、ありがとうと言わせてくれ。
そんな機会が、いつか来るだろうと信じている。
職員室で、教師に挨拶をした。
以前は苛立ちを感じたよそよそしさが、今は許せる。
ふっ、と。
何気なく、冬樹のことを聞いてみた。
「……っ! え、ええ……元気にしてるんじゃないかしら?」
……。
……。
……。
それで、隠しているつもりか?
何があった?
何を知っている?
教師を問い詰めた。
殺気までぶつけた。
行方……不明、だと?
いや、違う。
なんだ?
施設とはなんだ?
なんのことだ?
あいつは。
冬樹は、親の仕事の都合で……引っ越したはずだろう?
……私のせいだ。
私に関わったから。
私が関わったから。
姉さんの妹である私に関わったから。
冬樹に、姉さんへと接触するための価値を見出したバカが出た。
視界が、歪む。
冷や汗が止まらない。
冬樹。
冬樹。
冬樹。
わが友!
行方不明になってから約半月か。
姉さんに何か、連絡はなかっただろうか。
いや、あの姉さんにとって、冬樹に何の価値がある?
姉さんは、冬樹が私の友だということも知らないだろう。
姉さんなら、『ふーん、それで?』と切り捨てるのが目に見えている。
姉さん。
やめてくれ、姉さん。
連絡。
連絡手段がない。
何が家族だ。
何が要人保護プログラムだ。
ふざけるなと、叫びたい。
着信。
わけもなく飛びついた。
『やっほー、箒ちゃん!束さんは今、箒ちゃんのお友達のふーちゃんと、飛行機作ってるんだぁ!あれ、箒ちゃん?もしもし?もしもし、聞いてる?』
聞くに耐えない罵詈雑言を浴びせかけた記憶がある。
恥ずかしい。
そして、反省している。
『冬樹』が説明してくれた。
姉さんが、冬樹を保護してくれたらしい。
あの日、学校を出てすぐ攫われた冬樹を、姉さんがちゃんと保護してくれたらしい。
保護している人が人だから、連絡もできなかったんだと。
今の生活を楽しんでいるから心配しないでくれと。
ああ。
姉さんに、心の底から感謝した。
何度も、何度も。
『……た、束さんは箒ちゃんのお姉ちゃんなんだぞ』
心なしか、姉さんの声が震えていた気がしたが、気のせいだろうか。
それにしても、冬樹を誘拐しようとしたのは、どこのどいつですか?
『た、束さんは天才だから、そういうの、あんまり気にしなかった……ごめんね』
いえ、姉さん。
そんな、下衆な連中はどうでもいいんです。
友である冬樹を救ってくれて、ありがとうございます、姉さん。
『あ、あはは……い、忙しいからまたね』
忙しいからとは言ったが、照れていたのだろうか。
まさか、あの姉さんが?
ああ、でも思い返していると……この数年、私は姉さんに真正面から関わってこなかったのかも。
……うん。
これも、ひとつのきっかけかも知れない。
今度、直接会うことがあったら。
笑顔で、『姉さん』と、呼びかけてみよう。
箒と電話して涙ぐむ束を、優しい目で見守るおじーちゃん。(妹と会話するだけで涙ぐむなんて……尊い)
あと、誘拐云々は、おじーちゃんのアドリブです。
次からまた本編。