一夏と鈴の喧嘩から数日が過ぎ、クラス対抗戦当日が来た。
第一アリーナの観客席で箒とセシリアが並んで座っていた。周りが騒がしいなかこの二人だけは異様に静かだったが、先に口を開いたのはセシリアだった。
「一夏さん、大丈夫かしら」
「アイツなら大丈夫に決まっている、この私が訓練したんだぞ」
「お言葉ですが箒さん、あなたが一夏さんに教えていたのはISの格闘戦における基本中の基本ですわよ」
「何を言っている!今日アイツが闘う相手はその格闘が主体ではないか。それよりもお前が教えていたことが邪魔だったんじゃないか?」
「生憎ですが射撃は一夏さんの今後の為を思って教えていますのよ」
「だが一夏が使わなければ意味が無いではないか」
この箒の一言のせいでこの後、言い争いが始まり千冬に見咎められ喧嘩両成敗ということで、二人とも殴られ終了と、最早見慣れた光景が広がっていた。
シンは一人静かに試合が始まるのを待っていた。
以前アリーナを散策したさいにたまたま人通りが無い通路にアリーナ全体を観ることが出来る場所を見つけ密かに自らの特等席としていた。
「ほぅ、いい場所を見つけたじゃないか間薙」
突然の声にシンは思わず身構えてしまった。
「ふっ、そう構えるな。何もとって食うわけではない、それにこの通路は管制室の次に良い場所だと思っている」
その口許には微かな笑みが浮かんでおり、そして口ぶりはまるで猫や何かをからかっているような雰囲気だった。
「ところでシン、ここには慣れたか?」
「まだ、わからない……です」
それはシンの正直な感想だった。この世界、この場所に来てせいぜい数週間、慣れないことの連続で肉体的にも精神的にもあまり落ち着く暇がなかった。ただ良かったと言えるものは日々の食事と……ここまで考え心の中でかぶりを振った。
「シン、今ここには私とお前以外誰も居ないしカメラといった類いは無い。だからここでは教師と生徒ではなく…あまり良くないんだが友人と話すようにして構わない、だから何か言いたいことは無いのか?」
「大丈夫。特に無い」シンはただ一言呟くように言った。
「…わかった、そろそろ試合が始まるから私は持ち場に戻る。それから楽しめることは楽しんでおけ、何事もな。それとお前のISの待機形態についてだが化粧用のナノスキンシートを貼れば隠せる筈だ」
「すまない」
「私に礼を言うくらいなら山田先生に礼を言え。私の気が回らないところに気が付いてくれたのだからな」
シンはそうした千冬や真耶に気を使わせてしまった事に少し苦い思いが有ったがそれ以上に二人の思いやりが嬉しかった。
そう言うと千冬は何も無かったかのように通路を歩き、またシンも同じく何事も無かったかのようにアリーナへ向き直り、試合開始を待っていた。
もうすぐ試合が始まるというのに一夏はISも装着せずにただただ先日の鈴とのやり取りを思い返して悩んでいた。
「俺、鈴に何か起こらせるような事言ったかな?」
一夏がいくら考えようとも答えは出ず、自らを鈍いということすら気づいていない一夏が乙女心を分かるはずもなく無情に時は流れ、そして来た。
「馬鹿者、何をしている。さっさとISを展開してアリーナへ出ろ!」
千冬の怒声がピットに響き渡った。
「ち、千冬ねぇ!」
「織斑先生と呼べと言っているだろう、時間が押しているから早くしろ!」
一夏はアリーナで鈴に怒った理由を聞くことにして自らのIS『白式』を展開して、一気にアリーナへと飛び立った。
試合が始まり数分が経ち二人の戦いは一時均衡を保っていたが、徐々に一夏が鈴のIS『甲龍』の武装『衝撃砲』の前に押され始めていた。
「まずいな」
「まずいですわね」
箒とセシリアは一夏の試合を見守りながら互いに語り合っていた。
「私なら常に死角に回り込みそこから斬りに行くが…」
「えぇ、鈴さんの衝撃砲は広範囲で発射可能ですから近、中距離と隙が無いですわね」
「雪片弐型しか無い一夏ではやはりこの戦いは厳しいだろうな…」
勝負を焦った一夏が瞬間加速で距離を詰め、決めようとしたが、瞬間、アリーナの天井が割れ、一機の灰色のISが降り立った。
試合を見ていたシンは新たなIS、そして遮断シールドが発生したのを見て、直ぐ様ピットに向かった。
ピットは暗く、コンソールを見ても何がどうなっているのか分からなかった。
「千冬さん、私をアリーナに入れてください!」
「織斑先生、わたくしをあのISの迎撃に向かわせてくださいまし!」
「篠ノ之、ここでは織斑先生と呼べと言っているだろう……まったく、一夏といいお前といい覚えられんのか…」
箒とセシリアの二人もまた同じく遮断シールドが発生した事がわかった途端、急いで管制室にやって来たのだった。
「それにオルコット、今は教官や三年の人間が向かっている。お前のブルー・ティアーズは本来一対多、お前は多対一の訓練は受けているのか?」
「い、いえ…それは……」
セシリアはいままで全てを自分だけでこなせると思い、多対一の訓練は疎かにしてしまい、セシリア口ごもってしまった。
「そう言う訳だから早くここから避難しろ」
二人は渋々管制室から出ていくと千冬はため息をつきキーボードを叩いた、するとディスプレイに表示されたレベル4の文字、しかも現在遮断シールドは制御不能の事態に陥ってしまっている。これが意味することはアリーナ内は完全に隔絶され、逃げることも、助けに行くことも出来なかった。
今は三年生によって構成された10人から構成されたチームを向かわせているがどれだけ時間が掛かるか分からない。その一分、一秒が中にいる二人を危険に晒している。その事は千冬の眉間にシワを寄せるのに十分だった。
「鳳、一夏…」
千冬の口から知らず、二人の名がこぼれていた。
三年生、11人からなるチームが必要となる機材を抱えピット入ると、ピット内は暗く、何か濡れたものを叩き付けている音が聞こえ、思わず女生徒の一人が闇の中へ声を掛けた。
「誰!」
しかし返答は無く、依然として淡々と叩き付けている音が響いている、その事が女生徒達の恐怖を掻き立てた。そして誰かが灯りを付け、そこに居たのは間薙シンであった。
「ひっ…‼」
誰かが小さく悲鳴を上げた。彼女達の目の前にいるのは世界で二人目のISの男性操縦者、間薙シンであったがその姿を直視出来た生徒は少なかった。
彼女達の目に写る隔壁は血に濡れ、彼の姿も血の色に染まっていた。その事は一瞬で彼女達に悟らせた『彼は隔壁を壊そうとしていたのだ』と…
「間薙君、そこから下がって。ルミ、装置起動させて。エミ、準備して!」
彼女達のリーダーであろう人物は手早くチームに指示をするとシンに下がらせ一番後ろにいた生徒に彼を任せた、自身は隔壁の横にあるコンソールにケーブルを差し込もうとして隔壁を一目見て、血以外のなにが付着しているのが見えたので先にケーブルを差し込み、目を凝らして見るとそれは白く粉々になったシンの骨だった。彼女は吐き気を覚えたが、口に手をあてみんなの手前もあり何とか堪える事が出来た。
忙しなく動く彼女達の後ろでシンは一人の生徒の手当てを受けていた。
「大丈夫ですか?痛くないですか?それにISがあるのにどうして使わなかったのですが?」
「大丈夫だ、それに俺が傷つくのはいい、心を傷つけられる事がもっと痛い。だがISの事は完全に忘れていた」
「そうですか。ふふ、そうですか。えぇ、ですが手の傷は本当に大丈夫そうですね」
彼女はさも面白そうに笑った。すると彼女の手から淡い緑の光が出たかと思うとシンの傷は瞬く間に塞がり、シンの手は何事も無かったのように綺麗になった。
シンは誰にも聞こえないように小さな声で生徒に話し掛けた。
「……サイファーか」
「えぇ、正解です。どうです?この姿も良いでしょう」
サイファーの姿は一目見ただけなら金髪で何処かの国の生徒とも、自分と同世代とも思えるが、しかし中身は大魔王だから笑えない。
「しかし、貴方は貴方の力をもっと理解したほうがいい。貴方の力は今は失われていますが、その身にはしっかりと刻まれているのですから」
そう言ってサイファーはシンの頬の刺青を撫でた。
「…わかった、ありがとう。それともう少し余計な物を外しておいてくれ」
「わかりました、近いうちに更新しておきましょう」
そしてシンは血まみれの制服を脱ぎ捨て、ISスーツ姿になると、ISを展開した。
「ちょっと、間薙君何してるの‼」
しかしシンはそんな声も無視し、腰を落としスラスターを一度に吹かし、隔壁へと向かい、目の隅にISの投影ディスプレイが写った。そこに表示されていたのはワンオフアビリティー《貫通》。それを意識しながら隔壁へと殴りかかった。