鋼の鬼   作:rotton_hat

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旅立ち
ユグドラシル最後の死闘


 それは、絶望より産声を上げし者である。

 それは、それ故に疎まれ、迫害を受けし者である。

 

 故に足掻き、故に踠き、

 

 故に怪物と呼ばれ、追放された者である。

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

 

 その日、DMMO-RPG「ユグドラシル」が12年の歴史に幕を下ろそうとしていた。

 日付の変更と共に滅ぶだろう終末の世界で、それでも最後までこの世界に残ったプレイヤーたちは思い思いの時を過ごしその瞬間を待っていた。

 

 そのプレイヤーもそんな中の一人だった。

 ギルドに所属しないものなのか、群れるのが嫌いであったのか、はたまたゲーム内にフレンドが一人もいないボッチなのかは不明であるが、そのプレイヤーは人の通わぬ樹海の奥で、暗い木々に囲まれるなか不自然に一本だけ立っていた淡く発光する桜の下に、独りまんじりともせず座っていた。

 

 見た目は生物というよりも無機物を思わせる。頭から爪先まで全身を覆った、武骨で装飾っ気のない赤黒い全身鎧には年季を思わせる細かい傷や錆がいくつも浮かび、唯一の露出部分といえば項垂れるようにして地面を睨む、のっぺりとしたフルフェイスの兜に引かれた視界を通すための細い線のような2つの穴だけだった。全身鎧にも関わらず線が細く見えることからモデルのような体型なのだろう。

 

 片足を投げ出した体育座りのような姿勢で背中は桜の幹に預け、3尺余(約1m)あろうかという大太刀を己の肩に立てかけている。

 その姿を見る者があれば栄枯盛衰の儚さを感じたかもしれない。それは人と言うよりは忘れられ朽ちていった遺跡の石像であり、役目を全うし終には動かなくなったガーゴイルのような印象だった。

 

 プレイヤーの名は「クロエル」と言った。

 外見とは裏腹に人間種の女性で名前の由来は種族名を捩ったものである。職業は武器から察せられる通り「侍」を筆頭とした近接戦闘職と搦手を併せたPvP特化型。ユグドラシル主催の大会などには参加しなかったため公式記録こそ残っていないが、それなりに有名なソロプレイヤーだったらしく、いつの頃から「狂犬」などという全くありがたくない二つ名を賜っている。

 

 何だかんだと言いながら最後まで駆け抜けてしまったな、とクロエルは終わりゆく世界の中で独り物思いに耽る。

 思い返してみてもクロエルはこのユグドラシルというゲームに正直あまりいい思い出がない。初めてこの世界に立った時、一等宝くじ並みの抽選に当たったらしく、とある祝福という名の呪いを授かり絶望し、ほとほと対処に困って迂闊にもネットにてその情報を提示したところ特定され、その呪いを望む一部の者たちの妬み嫉みからPKという名のリンチを受ける羽目になったのが不幸の始まりだった。

 

 それでも数少ない支援者や持ち前の負けん気でじわりじわりと実力をつけていきPKを何とか撃退するまでに至るも、その頃には呪いの副次効果で試行錯誤のすえ作り上げた自慢の外装が見るに堪えない状態に変貌し嘆き、一度偶発的にPvPを行い仲良くなった二種類の大太刀を使い分けて操るプレイヤーにギルドへの勧誘を受けた時は、理由を聞いてみて実力を認めたとかではなく異形種のプレイヤーと勘違いされてと分かりクロエルはリアルで涙目になりながら誘いを辞退した。

 

 外装を恥じ全身鎧を纏うようになり、終わりの見えないPKとPKKの報復合戦の連続で心は荒み、仲間を作る暇もなく我武者羅に刀を振り回しているうちに孤立を深め、対して敵は増える一方の悪循環。対人戦の技術向上に伴い呪いのメリット部分が徐々に表に出始め、ようやく勝率が安定して他のことにも気を回せる余裕が出てきたと思ったら、プレイヤー間では誰彼構わずPKしてくる「狂犬」というレッテルが定着しており、もはや修正不可能なほどに孤立を深めた状況に陥っていた。

 

(なんでここまで続けられたんっすかねぇ…)

 

 正直、いい思い出なんて殆どない。

 仲良くしてくれた数少ない友人たちもすでに引退して久しい。一人ぼっちで、呪詛を吐きながら襲い掛かってくるプレイヤー達とただ只管に切り結び、死体の山の中でふらふらと当てもなく彷徨い続ける日々。

 

(好きだったんスかねぇ…)

 

 こぼれ出た思考にまさか、と小さく首を振るもクロエルは改めてその考えに着目してみる。やなことばっかりだ、どこで間違えた、もうやりたくないと散々思いながら次の日にはコンソールを繋げ、ユグドラシルの世界に降り立っていたのは何故だろうか。

 

(PKとかじゃなくても罵倒されるだけでも結構心にくるんすけど何で…もしかして自分Mなんじゃ…いやいやいや)

 

 ふとスキル〈手負いし獣の六感〉が発動し、クロエルは思考の海から浮上し顔をあげる。探知系のこのスキルが発動するということは近くに危険な存在が現れたか、若しくは不可知系のスキルを使用し探知から逃れる何者かが攻撃を発動、または探知範囲外からの攻撃の接近を意味する。

 

 クロエルの視線の先、暗い影を落とす密林の木々の奥から突如高速で何かが飛来した。

 迫る物体に彼女は坐した姿勢をそのままに、肩に立てかけていた刀を軽く持ち上げると、全身鎧の姿からは想像できぬ俊敏さを持って刀身を閃かせこれを迎撃。

 目にも留まらぬ居合を披露したクロエルは残滓をもってゆっくりと刀を鞘に納めると立ち上がり、先ほど撃ち落とした飛来物に目をやる。そこには矢尻を縦に綺麗割られた矢が9本地面に転がっていた。

 

「くそっ、全部撃ち落としてやがる。相変わらず滅茶苦茶な反応速度してやがるなこいつ」

「やっと見つけた…ってあいつの後ろの桜って『永久の桜花』!? もしかしてこいつ、こんな淋しいところ拠点にしてんの?」

「おい、時間ねーんだからお喋りはその辺にしとけよ。さっさと狂犬狩り終わらせて盛大に打ち上げすっぞ」

 

 不意打ちが失敗したとみるや姦しく密林の奥から姿を現したのは6人組のプレイヤーPT、クラン「黒の狩人」のメンバーだった。PKやPKKを行うプレイヤーを獲物と称し狩りを楽しむ少数精鋭のPK集団である彼らとクロエルの因縁は深い。彼女がPK目的で襲い掛かってきた彼らを返り討ちにしてからというもの粘着されるようになり幾度となく死闘を繰り広げた間柄である。

 彼らを視認するやげんなりとした様子で、しかし何時でも攻撃できるように鞘の鯉口を握ったクロエルは心底鬱陶しそうな声音で「黒の狩人」の集団に声をかけた。

 

「…何でここに居るっすか。自分、この場所は誰にも教えた覚えないんすけど。何っすか、ストーカーっすか。自分にも遂に春が来たっすか」

「アホかっ! お前みたいな化け物面に誰が好意を寄せるかってんだ! 一度兜脱いで鏡見てから出直してこい!」

「ぐむっ、真実だけに言い返せないっす…いや、でも本当に何でこの場所を? ここは自分以外は未踏破のエリアのはずですし、いつも転移スクロールで飛んで帰って情報収集系の魔法対策も厳重にしたつもりっすが」

「…今日で最後だしな。駄目元でGMコールしてお前の居場所を聞いてみたら、あっちも無礼講なのか口が軽くなってたぜ? 拠点に引きこもったまま安らかに逝けると思うなよ狂犬」

「GM…う、裏切ったっすね…」

 

 嘗て彼女を助けてくれたGMが今回は敵に回っていたらしい。

 クロエルしか知らないはずの未踏破エリア。当然彼女が独力でそんな場所を見つけられるはずもなく、昔孤立を深めるなか周りが敵だらけの状況に心が折れかけていた時、何を思ったのか初めてGMコールを使用して「居場所が、欲しいっす…」と消え入りそうな声でGMに懇願したのが切っ掛けだった。当時GMからの反応こそなかったのだが、後日インベントリに見慣れぬ転移スクロールと情報収集系の魔法の対策について箇条書きで描かれた手紙が入っているのに気づきクロエルは泣いた。ついでに転移後目の前に飛び込んできた「永久の桜花」を見つけて、GMの粋な計らいに更に泣いた。

 しかし、天秤をいつまでも傾けたままにするほどGMもクロエルに甘くはなかったということだ。

 

 そして「黒の狩人」の6人とクロエルの双方の間にある空気が変わった。もはや言葉は不要、ということなのだろう。限界まで膨らんだ風船が眼前で弾けるのを待つような緊張の中、瞬間、爆発するような目まぐるしさで7人のプレイヤーが同時に動く。

 

「のど飴、龍♂狩りっ、そっち行くぞ! 絶対抜かすな、死ぬ気で後衛守れ!」

「くそがっ、桜のせいで回復速ぇ! 場所変えないとジリ貧だ、誘導しろ!」

「最終日だし大盤振舞だ、回復させても構わん! 薬★チュー、最上級治癒薬投げまくれ!」

「ギャー! そんなもんこっちに投げるなっす!!」

「避けんなゴラァ!」

 

 傍から聞いているとどこか緊張感の欠ける怒声が飛び交うが、戦闘そのものはまさに激戦と言って憚られぬほど激しいものであった。

 クロエルを相手取る「黒の狩人」の編成は前衛3、後衛3に分けたバランス型。リーダーであり双剣使いの火力に重きを置いた「マインティス神」、素早い身のこなしと短剣によるクリティカルを狙った暗殺者スタイルの「のど飴」、PvPに置いてリアルヘイトは集められないという理由からヘイト収集スキルを一切排しシールドスキルに特化させある程度の機動力を併せ持つ大盾装備の軽鎧戦士「龍♂狩り」を前衛に、連射スキルを持って攻撃の隙を埋め且つ状態異常を絡めながら矢をばらまく弓使い「トンボとり」、調合スキルによりトンボとりが使う状態異常毒の補給や各種ポーション投擲による敵の牽制や味方の援護を器用にこなす「薬★チュー」、味方へのバフや回復を的確に行いPTの潤滑油としての役割を果たす紅一点「サー姫」を後衛にしたその連携たるや、流石はユグドラシルに最後まで残った廃人プレイヤー達だと称賛されるべき洗練された働きを見せていた。

 

 しかし、それにクロエルは抗っていた。

 支援などそこにはなく、独りぼっちの戦争を続けていた。

 

 前衛を貫き後衛を潰そうと、恐るべき速さで矢とポーションの雨を打ち落としながら駆け抜け、行く手を阻んだ龍♂狩りの盾に刀を浴びせ、同時に背後からクリティカルを狙い短刀を振り抜こうとするのど飴に振り向くことなく鞘の石突を叩きこんで吹き飛ばし、次の瞬間には鞘から手を放し針型手裏剣に持ち替え双剣を構えて突撃してくるマインティス神に牽制とばかりに投げ付ける。

 

 龍♂狩りとの盾と刀による鍔迫り合いもそれと同時に終わった。フレンドリーファイアのないユグドラシルに置いて、敵は肉壁にはならず射線は通る。クロエルは龍♂狩りの背後から迫る矢の風切り音とのど飴へと飛ぶのであろう回復魔法の飛来音を聴きながら重心を左に置くように体を傾け、次の瞬間には弾けるように逆方向へと奔り龍♂狩りの右側面を潜るように抜けた。円を描くような摺足による音もない歩行術で、左に抜けるものと思って構えていた龍♂狩りは予想を外すこととなり背後へと抜けたクロエルへと慌てて振り返る。

 

 そこには、龍♂狩りに背を向けて迫る矢を刀で撃ち落とすクロエルの姿。

 トンボとりの援護射撃は間に合っていた。龍♂狩りはクロエルの無防備な後姿に勝利を確信する。ここで彼がスタン効果のあるシールドスキルを使えば、後続で駆けつけるマインティス神とのど飴が間違いなく止めを刺してくれる。

 勝った、間近の勝利に内心喜色を浮かべる龍♂狩りはシールドスキルを使おうとした体制のまま硬直した。なぜ、と思うも直ぐに理解する。龍♂狩りの足元に一本の針型手裏剣が突き刺さっている、〈影縫い〉という対象の回避を殺す、すなわち対象を一時的に行動不能に陥れるスタン効果のあるスキルを使用したのであろう。クロエルが矢を打ち落とす際に片腕で刀を振り回していたことを鑑みるに、龍♂狩りの背後へ抜ける際空いた片手で放ったものと思われる。やられた、と龍♂狩りが再びクロエルへと視線を戻すと、そこには迎撃し損ねた何本かの矢を身体に受けながらも再び走り出す彼女の背中と、それを追うマインティス神とのど飴の姿があった。

 

 さてどう出るか、とのど飴は赤黒い全身鎧を着こむ「狂犬」の背を追いながら考える。

 先ほど鞘で受けたカウンターダメージは既にサー姫の回復魔法によって癒えた。吹き飛ばされたことにより多少距離を稼がれてしまったが、そこは持ち前の敏捷さが生きて先に彼女の背を追っていたマインティス神をも追い抜き差し迫っている。龍♂狩りが一時的に行動不能に陥っているがそれでも現状は5対1。クロエルが前衛を貫いて後衛に攻撃が届く可能性ができたと言えば聞こえはいいが、実質は前衛と後衛で挟み撃ちができる状況に追い詰めたと言った方が正しい。薬★チューとトンボとりが弾幕を張り、更にその後ろでサー姫が回復支援を行えばまず後衛は瓦解しない。となれば、前衛ののど飴に続きマインティス神、遅れて行動不能から回復した龍♂狩りが背後から追いつき完全な包囲網が出来上がることだろう。

 クロエルと後衛の距離がどんどん縮まるが、その間にも彼女のHPは削られていく。流石に駆けながらの迎撃では精度に欠けるらしく、薬★チューの攻撃ポーションの投擲やトンボとりの矢の雨を完全に防ぐことができずにいるからだ。

 と、ここでクロエルの口から何時もの軽い口調とは異なる朗々とした声が響き渡る。

 

 ――武士道は死狂ひなり。一人の殺害を数十人して仕かぬるもの。

 

「〈侍の聖句〉だ! 大技来るぞ!」

「〈剣閃〉か!?」

 

 職業に「侍」を取得している者に強力なバフをかけるこの葉隠の一節が詠まれたということは次の手で強力な攻撃スキルを打ってくるのは間違いない。何度も彼女と剣を交えたことのある「黒の狩人」の一行は、彼女が持つ最高火力の全体攻撃スキル〈剣閃〉を警戒した。

 居合抜きの極意ともいえるそのスキルは抜刀と共に独楽のように一回転しながら一閃を放ち、全方位の敵に対して強力な斬撃を浴びせるスキルであり「黒の狩人」はこれに何度苦汁を味あわされたか分からない。

 誰もが〈剣閃〉に警戒して身構える中、のど飴だけは違和感を覚えて警戒の色を少し変えちらりと自分の後ろに目をやった。そこには未だ行動不能から抜け出せない龍♂狩りと、のど飴を吹き飛ばす原因となったクロエルの刀の鞘が転がっている。

 ()()()()()()()()()()()

 

 〈剣閃〉は居合抜き派生のスキルだ。当然刀を鞘に収めた状態からではないと居合抜きのスキルは発動しない。逆転を狙うために判断ミスが許されない状況でクロエルが無駄にバフをかけるとは思えず、となれば別の狙いがあるはずだとのど飴は引き延ばされた一瞬の思考の中で判断する。凡ミスするようなタイプではないと敵ながら信用を置いているのだ。

 では、何を狙っているのか。鞘を捨てた状態ならばのど飴たちが一番警戒していた〈剣閃〉が使用されることはない。一体――とここでのど飴の背中に強烈に冷たいものが走るのを感じた。

 あった、この状況からクロエルが逆転する方法が一つだけ。そして、その布石はもう打ち終わっている。打ち終わってしまっている。のど飴が正解に辿り着き、慌てて仲間たちに呼びかけようとした時には既に状況は動いてしまっていた。クロエルの動きが突如豹変し、怪物染みた速さで後衛の前に取りつくとあっという間に3人を斬り伏せていたのだ。薬★チュー、トンボとり、サー姫が光の泡沫となって消えていく中、血塗れの怪物が油断なくこちらに振り向いた。

 

「狂ォ犬んんんんんンン!!!」

 

 マインティス神の怒号が森の中に木霊する。後衛は全滅し、先頭を走っていたのど飴も一瞬のうちに距離を詰められ首を刎ねられた。彼の怒りは仲間を討った敵に対してのものだったのか、それともまんまと敵の策に嵌ってしまった己の不甲斐なさに対してのものだったのか。

 

 侍スキル〈捨て鞘〉。

 人も刀も帰る寄る辺を持っている。しかし死地に置いて、帰郷の未来を捨ててでも戦い続ける覚悟を体現したこの行為は、使用者が死に近づくほどステータスに上昇補正をかける。

 

 布石は既に打たれていたのだ。

 クロエルが龍♂狩りと鍔迫り合いを行っている時に。のど飴を鞘で押しのけ、襲いくるマインティス神に咄嗟に鞘を捨てて針型手裏剣に持ち替え牽制をして見せたあの時に。

 今思えばあの時、慌てて武器を持ち帰る必要などクロエルにはなかった筈だ。鞘を武器にしてマインティス神の攻撃を受けてもよかったし、そのまま投擲武器として扱うことでも充分牽制にはなっていたはず。だが、クロエルはあの時そうした行動に出なかった。鞘を武器として扱わず捨てる必要があったからだ。

 後は〈捨て鞘〉のバフがかかっていることを悟られぬように自身の動きを制限し、後衛が放つ弾幕をその身に受けてダメージコントロールを行いステータス調整、駄目押しの〈侍の聖句〉を使い一気に能力を強化すると隠していた力を開放し、「黒の狩人」の予想を遥かに超えた動きで一息に4人も斬り伏せて見せた。〈捨て鞘〉のスキル自体、これまでクロエルが使用せずに隠し通していたこともあり、知識として知っていながら気づくことに遅れたことが悔やまれる。

 

 マインティス神は剣の間合いに入るや否や両手に握られた双剣を掲げ一気に振り下ろす。クロエルが迎え撃つように刀を持ってその一撃を受けるが、その動きは先程の驚異的な身体能力が影を潜めており動きに精彩を欠いている。〈侍の聖句〉によるバフ効果が切れたのだろう、あれは強力な能力向上スキルだが効果時間は短く、何より効果が切れれば能力が一定時間弱体化するというデメリットを持つ短期決戦用のスキルなのだ。幸い〈捨て鞘〉の能力上昇値が生きているので互いの効果を打ち消しあっている状態だが、実質バフ無し、〈捨て鞘〉発動状態なので居合抜き系統のスキルも封じられ手札も限られている中、無傷のプレイヤーを後2人も相手取らなければならない。

 クロエルの理想としては〈侍の聖句〉の効果が切れるまでに5人斬りを果たし龍♂狩りとの1対1に持ち込みたかったのだが、予定よりも敵が密集しておらずマインティス神との距離が離れていたため失敗に終わった形だ。

 何度もぶつかり合ったことのある両者は互いの手札と知り尽くしている。今日がユグドラシル最後の戦いになると考えたクロエルはこの日まで隠し通してきた〈捨て鞘〉を使って初見殺しの賭けに出たが、これで完全に種切れとなってしまい、後は純粋な戦闘技術のぶつかり合いへと移行してゆく。

 

「〈双剣乱舞・狂刃の嵐〉!!」

「〈三重の錬磨・空蝉〉! …うぐっ、〈玉鋼〉!!」

 

 マインティス神の嵐のような双剣による連撃に対しクロエルは回避スキル〈空蝉〉を三重で発動。しかし避けきれないと見るや攻撃を一瞬だけ完全無効化するスキル〈玉鋼〉を発動し相手の攻撃を弾き、すぐさま反撃へ転じる。

 袈裟斬りの斬撃を浴びせようとクロエルが上段に刀を構えたと同時にマインティス神が横に飛び、入れ替わるようにして大盾を構えた龍♂狩りが飛び込んでくる。咄嗟にクロエルが後方へと小さく跳ねれば〈シールドバッシュ〉のスキルで振り抜かれた大盾が彼女の胸部をかすって火花を散らす。同時に鳴った瞬間的に金属同士がぶつかり合う音は、後退しながらクロエルが放った針型手裏剣をマインティス神の剣が弾いた音だ。

 〈影縫い〉のスキルを纏った針型手裏剣を強引に間に割って入ったマインティス神が左手の剣で叩き落し、同時に右手の剣を外向きに払うよう振り抜きクロエルに真一文字の斬撃を放つ。対する彼女はその一撃を、右手に持った刀を垂直に胸元に掲げ左手を刀身に添える構えをもって迎え、剣の腹で攻撃を防ぐや流れるように受けた体制そのままに大きく一歩踏み込み、同時にその勢いを殺さず上半身を素早く捻ってマインティス神の胸板へと自身の左肩を叩きつける。

 ぐふっと空気の漏れる音がしマインティス神がたたらを踏む。勝機と見たかクロエルが刀の切っ先を地面に向けた脇構えから一気に斬り上げるが、そこに待ち構えていたのは龍♂狩りの大盾だ。マインティス神の背後にいた龍♂狩りが、咄嗟に仲間の襟首を掴んで後方へと引き剥がしながら大盾を前に突き出していた。しかし永遠の様な一瞬の中で、何時までたっても大盾で受けるはずの衝撃が伝わってこない。龍♂狩りが疑問を覚えるより早く視界の隅で何かが動いた気配がして、ハッとそちらに振り向けば左目に、喉に、心臓に、的確にクリティカルを狙う神速の刺突を見舞われた。

 

 ――最初の斬り上げは、ブラフか。

 

 龍♂狩りは残った右目で刀を引き抜くクロエルを眺めながらふっと笑う。何笑ってるんスか、と不機嫌な声がした気がしたが、そこで龍♂狩りの意識は途切れた。

 スキル〈陽炎〉。武器を構えた状態から殺意だけを飛ばし、あたかも攻撃を行ったかのように対象に錯覚させる、戦士職の使える数少ない幻惑系のスキルの一つ。偽りの攻撃に龍♂狩りが反応したのを逆手に取り、クロエル自身はその大盾に身を隠し、機を見て相手の側面へ飛び出すと、間髪入れずにスキル〈三段突き〉を急所へと突き入れてみせたのだ。

 

「糞がぁあっ!!」

「ゲぶっ!?」

 

 一人倒して安堵する間もなくマインティス神の双剣を受けクロエルが呻く。〈捨て鞘〉の恩恵を得るために受けたダメージに加えて、自然回復量を差し引いてもこの追加のダメージは痛い。HPもレッドゾーンに足を踏み入れているだろう。

 

「デバフかかってんのに問題なさそうに動きやがって! 羨ましいんだよその祝福!!」

「こんな呪い譲れるもんなら譲りますー! そんときゃPKリンチや孤独な生活とかその他諸々もれなくセットで付いてくるっすけどね!!」

「俺だったらもっとうまく立ち回れるわっ! コミュ障だから回り敵ばっかなんだよ!!」

「カーッ、言っちゃいけないことを言ったっすね! レディーには優しくしろってお母さんに言われなかったっすか!!」

「誰がレディーだ!!」

 

 1対1になった途端に、堰を切ったように言葉の応酬を始める両名。激しい剣戟の中、二人の感情がぶつかり合う。クロエルとマインティス神の付き合いは長い。それこそクロエルにとって数少ない、引退していった友人たちよりも。

「黒の狩人」内でも何度もメンバーの入れ替えは行われている。マインティス神はその中で唯一最初から最後まで残り、今日この日までクロエルと鎬を削りあった最強最後の存在。

 今日で最後なのに、他に何か語るべきことがあるのではないかと思っても、これが彼らの日常だった。敵同士でありながら、お互いを知りすぎている者同士の歪で不器用な交流。

 

「一人で何も問題ないみたいな面しやがって! 実際問題なさそうなのも気に食わねぇ!!」

「勝率で言ったら負けの方が多いっすよ! そんなに勝ちたきゃ復活アイテムでも使って物量で押せばよかったじゃないっすか!!」

「んな格好悪い勝ち方できるかぁ!!」

 

 LVが同格であるのなら戦いは数だ。より人数が、よりアイテムを豊富に持った方が単純に強い。クロエルはプレイヤーとしては確かに強いが個人の殲滅力には限界がある。例え一人で何人も斬り伏せたとしても、その間に他の仲間たちがそれぞれ復活に回り物量戦で押し切ってくるのならば勝利など皆無に等しい。

 クロエルにとって「黒の狩人」はただの敵だが、何かしらの矜持を持ってそうした戦法と取らずに戦ってきたことには一定の敬意を示している。治癒薬を投げ付けてくるのは勘弁願いたいという思いはあるが。

 

「そんなんだから自分一人に苦戦するっすよ! …まぁ、嫌いじゃないっすけどね!」

「お前にデレられてもなんも嬉しくないわっ!」

「ひどい!」

 

 軽口のような言葉の応酬を交えながら一進一退の攻防は続く。

 マインティス神が剣を振り下ろせばクロエルが刀を担ぐような構えを取って鍔で受け、そのまま接近して柄の先を打ち付ける。接近しているのならば、と今度はマインティス神がその脇腹に膝を返す。クロエルが身体をくの字に曲げて後ろに飛べばマインティス神が合わせて接近し追撃の双剣を振るい、しかしその剣は片や刀で受けられ、片や手首を打った裏拳により軌道を変えられる。

 これまでの攻防にお互い決定打はなく、しかしマインティス神はクロエルが全身鎧の繋ぎ目という繋ぎ目から血を滴らせているのを見てこの勝負に王手をかけたのを確信する。

 

「幕だぁ狂犬! ()()()()()()!!」

「だから手数の多いスピードファイターは嫌いっす!」

「さっき嫌いじゃないって言ってなかったかぁ!?」

「うるせーっす!!」

 

 クロエルが駆けだす。その背をマインティス神が追いかけながら、先にあるものにちらりと視線を向ければ「永久の桜花」が儚げに発光していた。この桜の木には特殊な力があり一定の距離まで近づくと、近づいている間だけHPとMPの自然回復力の向上、デバフ、状態異常から脱却するまでの速度を高める効果がある。クロエルの目的は自然回復量の向上による出血ダメージの打ち消し、そして未だに残っている〈侍の聖句〉解除後のデバフからの逸早い脱却であることは間違いない。しかしその効果範囲に辿り着けたとしても劇的に回復速度が上がるわけでもないので、クロエルはマインティス神に追いつかれた時点ですぐに止めを刺される可能性が高かった。剣を交えていた時よりも〈捨て鞘〉によって高められたクロエルの身体能力が、彼女が虫の息だと如実に語っている。その場に留まれば出血ダメージだけで敗北は必須、ならば、走るしかないのだ。

 

「最後まで変わらねぇ、往生際の悪さはユグドラシル1だぜ!!」

「たとえ倒れたって敵に『もう二度と相手にしたくない』と思わせれば自分の勝ちっす!」

「ぬかせっ!!」

 

 脚の速さはクロエルの方が上だ。

 彼女は「永久の桜花」の効果範囲に辿り着くだろう。だが、それまでだ。桜の幹とマインティス神に挟まれた時点で彼女の足は止まる。決着の時が近い――

 

 ――と、そこでクロエルの重心が一気に傾いた。

 

 転んだのかとマインティス神は一瞬目を剥いたが、しかしすぐに違うと彼は悟る。クロエルが極限まで体を縮め、弾けるバネのように水平に跳躍、頭からのスライディングを決行したと分かったからだ。「永久の桜花」の効果範囲にはまだギリギリ届く距離ではない。焦りから判断を誤ったかと一瞬マインティス神は思い、そして彼女の先の地面に転がっている物に気付いた。

 

「なっ?!」

 

 それはクロエルが捨てた鞘だった。

 なぜそんな所に、とマインティス神が考えた所で最悪の予想が浮かび上がる。まさか、予期していたのだろうか、と。自分の体力が極限まで落ち、出血ダメージで死に体になる所まで予期した上で、「永久の桜花」と地面に落ちている鞘が直線状に並ぶ立ち位置まで戦いながら移動していたのだろうか、と。

 

 鞘を掴んだクロエルがスライディングの勢いをそのままに地面に激突し、苦痛の声を漏らしながら「永久の桜花」まで転がっていく。勢いが弱まれば転がった状態で無理やり地面を蹴り身体を跳ね上げ、背中から桜の幹に激突し尻餅を搗くことでようやく停止する。

 それは、奇しくも最初の奇襲トンボとりの矢を全て打ち落とした時に見せた、居合の姿勢そのままだった。

 

「クロエルウウウウッ!!」

「終わりっす」

 

 マインティス神が初めて彼女の名を呼びながら双剣を振り下ろし、同時にクロエルの必殺の居合抜きが閃いた。

 

「…俺はお前が大嫌いだったよ。何時も一人で突っ張ってて、誰に何されようが、どこ吹く風、どんなに叩き伏せたって諦めねぇ。死ぬ瞬間まで噛みつく往生際の悪さ」

 

 マインティス神が苦痛に顔を歪めながら膝をつき、臍下から胸部まで縦一文字に伸びた傷から血を吹きだす。先に剣を届かせた、クロエルの勝利だ。

 

「…でも、最後まで曲がらなかったな…一人で、駆け抜けやがっ、た…格好、いいよ、お、ま…」

「マインティス神…」

 

 最後の戦士が倒れ、再び森の中に静寂が広がる。

 クロエルは脱力して「永久の桜花」に背を預けると天を仰ぐ。頭上には「永久の桜花」の枝が無尽蔵に伸び、満開の花を風に揺らして花弁を舞わせていた。

 マインティス神の今際の言葉を反芻しながら、クロエルは最初の疑問へと立ち返る。

 

 何でここまで、ユグドラシルというゲームを続けることができたのか。

 

 正直、いい思い出なんて数えるほどにしかない。憎まれ、憎んで、戦いに明け暮れる日々。

 しかし、本当にそれだけだろうかとクロエルは考える。本当にそれだけならば、マインティス神の先程の台詞がこうも抵抗なく胸にストンと落ちてくるだろうか、と。

 憎み合っていただけじゃない。内心、お互いを認め合っていたからこそクロエルは腐ることなく、どんなプレイヤーの挑戦にも応え、そして挑み続けることができたのではないかと、そう、初めて感じた。

 

(ああ、何だ…)

 

 その考えに至ったとき、クロエルの胸中に温かい感情が広がっていくのを感じた。

 

(…自分、ちゃんとこのゲームを楽しんでたっすね)

 

 そう、楽しかった。楽しかったのだ。

 クロエルは兜の中で柔らかく微笑む。それに気付かせてくれた「黒の狩人」のメンバーに敬意を、そしてこの最期の日を充実した気持ちで終わることのできる幸せに感謝を送ろう。

 

 クロエルは静かに目を閉じ、顔を伏せる。

 

 そして物言わぬ石像となって、その時を待ち続ける。

 

 ユグドラシルという世界が終焉を迎える、その時を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クロエルは気付かない。

 実は先刻から、戦闘の最中から森の様相が変化していたことに。

 

 クロエルは気付かない。

 先に倒した「黒の狩人」、薬★チュー、トンボとり、サー姫、のど飴の4名は光の粒子となって消えたのに、後に倒した龍♂狩り、マインティス神の死体が未だにこの場所に残っていることに。

 

 クロエルは気付かない。

 

 サーバーダウンの時刻、午前0時は当の昔に過ぎているということに。

 




 おまけ・捏造一覧

・クロエル、黒の狩人
 そもそも。
・手負いし獣の六感
 常時発動型の探知スキル。精度が高く便利。
・永久の桜花
 淡く発光する大きな桜の木。近くにいる間だけHP/MP回復速度向上。
 デバフ・状態異常からの回復速度も早まる。持ち歩けない。
・祝福(呪い?)
 デメリットが多そうな祝福。正式名称、詳細情報は次の機会に。
 アンデッドじゃないのに治癒薬が嫌いな様子。激しい運動は控えましょう。
・居合抜き
 高速の抜刀術、色々ありそうですが割愛。
・影縫い
 公式にあるスキルですが「行動不能になる」という解釈で書いてます。
・侍の聖句
 少しの間だけ俺TUEEができるけど、効果が切れたら弱体化して地獄を見ます。
・捨て鞘
 HPが減るほど能力値が上昇するMスキル。居合系統の技ができなくなるので使いどころが難しい。
・剣閃
 リ〇クの回転切りみたいな技です。効果範囲広し。
・双剣乱舞
 双剣スキルの連続攻撃回数を増やします。
・狂刃の嵐
 連続攻撃スキルです。
・三重の錬磨
 魔法三重化の侍バージョンの様なもの。
・空蝉
 残像を作って回避します。
・玉鋼
 一瞬だけ攻撃を無効化します。
・シールドバッシュ
 盾で攻撃します。
・陽炎
 攻撃姿勢から殺気だけ飛ばして、相手に攻撃したと誤認させるフェイント技です。
 ゲーム内では実際に分身が出てきて攻撃するエフェクトになっている。
・三段突き
 3つ急所を素早く突くクリティカル技です。


最後までよお読みいただいてありがとうございます。

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