前回から間が空いてしまったので簡単な粗筋。
クロエルの扱きによりレベル55前後まで育ったクレマンティーヌ。
敵の強さを何となく察知できるようになったのでモモンを相手に油断はないが……。
漆黒の剣を殺さなかった彼女は果たして鯖折りを回避できるのか。
〈疾風走破〉〈超回避〉〈能力向上〉〈能力超向上〉
クラウチングスタートのようなポーズの構えを取って、クレマンティーヌは油断なく四つの武技を発動させると己の身体能力を引き上げる。
戦いで緊張するのは何時以来だろうか。つい最近行ったクロエルとの模擬戦でもしたにはしたが、実戦ではないのだからあれはカウントしなくて良いだろう、とクレマンティーヌは詮無いことを考える。
見据えた先には一対のグレートソードを両手に構える漆黒の戦士の姿。
高級感あふれる重装備が見掛け倒しということはあるまい。武器や鎧の重さを全く感じさせないその物腰からは、常人の枠を外れた恐ろしいほどの膂力が如実に伝わってくる。あの身体能力から放たれるグレートソードの一撃は、果たしてどれほどの威力を有しているのか……。
ぞわり、と産毛が逆立つような感覚に捕らわれる。しかし――
(……素人か、こいつ?)
――漆黒の戦士、モモンの武器を構える姿を見てクレマンティーヌは僅かに首を捻る。
見た目とは裏腹に隙が多く拙い構え。しかしその身に纏う雰囲気からは、高いレベルに到達しているだろう強者の力を感じ取れる。
高いレベルと拙い技術、そのちぐはぐな二つの印象にクレマンティーヌは強烈な違和感を覚えていた。
(まーいいや。打ち合ってみれば何か分かるだろうし)
分からないのならば飛び込んでみればいい。意を決したクレマンティーヌの行動は速く、限界まで引き絞られたバネが弾けるが如く、引き上げられた能力に乗せて一気にモモンの下へと突進してゆく。
(速い?!)
予想を遥かに超えたスピードを見て驚愕したのはモモン。
今まで出会ってきたこの世界の人間の中でも頭一つ抜けていると言っていいだろう。しかしてその驚愕は脅威を感じてのことではなく、嬉しい誤算という意味合いが強い。
この程度だろうと当たりを付けていた獲物の質が、予想以上に良質だった。ただ、それだけのことだ。
迫るクレマンティーヌを目で捉えながらモモンもまた迎撃に入る。
如何に速いと言っても捉えきれぬものでもない。その実体が前衛職ではないモモンと言えどレベルは100、頂に至った者の身体能力はこの世界の住人とは一線を画しているのだから。
「ふん!」
力みのある声と共にモモンの振り上げた右手のグレートソードがクレマンティーヌへと振り下ろされる。
脳天に打ち込まれると思われたグレートソードだったが、クレマンティーヌはそれをモモンの左手に小さく跳んで回避する。彼女の背中すれすれを奔った剣が大地に激突すると、さながら小規模の爆発でも起きたかのように地面が抉れ、土を飛散させた。
モモンの攻撃は終わらない。今度は左手に持ったグレートソードでクレマンティーヌの胴を突くが、頭から地面に激突する勢いで仰け反って、上体を水平に折り曲げたクレマンティーヌのすぐ上を剣が通り過ぎてゆく。
初手で地面に突き刺さっていたグレートソードをまたぐようにブリッジの姿勢となったクレマンティーヌは、軽やかに足を上げて一度バク転をしてみせるとすぐさま立ち上がり反撃に転じ、腰に差していたモーニングスターで抜刀抜き打ちの一打をモモンの肩口に叩き入れる。
「ぬっ…!」
ガァアンと金属同士の派手な衝突音と共に刹那の火花がモモンの視界を染める。
一瞬が過ぎ世界にまた暗闇が戻った頃にはクレマンティーヌの姿はもうそこにはない。見れば彼女はモモンの剣の間合いから十分に距離を取り、無感動に手に持ったモーニングスターを睨んでいた。
(欲はかかずに即離脱か…思っていたよりも慎重だな。しかし曲芸師、いや軽業師か? ああいうバク転とか取り入れた戦闘ってかっこいいよなー。俺もやってみようかな?)
人間だった頃の――鈴木悟だった頃の残滓がモモンに忌憚のない素直な感想を抱かせるが、この姿でバク転は似合わないかと思い直す。彼が悠長にそんなことを考えていられるのは偏に肩に受けた攻撃のダメージが全くなかったからである。
(パッシブスキルの〈上位物理無効化Ⅲ〉を抜けない所からしてレベルは60以下みたいだな。しかしレベルに40以上の開きがあっても攻撃が掠りもしないとは…これが技量の差ってやつか? 勉強になるな)
モモンはかつて出会ったリ・エスティーゼ王国最強の戦士、ガゼフ・ストロノーフのことを思い出す。カルネ村という場所で見た彼の戦いぶりを思い返し、目の前のクレマンティーヌが彼をも凌駕する実力の持ち主だとモモンは評価する。
「…刺突剣は使わないのか? 腰に四本もぶら下げておいて飾りということはあるまい」
「言われなくても使いますよーっと。にしてもかったいなーその鎧。アダマンタイト製?」
クレマンティーヌが眉をひそめながら握っているモーニングスターを持ち上げ軽く揺らして見せ、柄の先端に鎖によって繋がれている棘付きの柄頭が振り子のようにプラプラと揺れた。
金属製の柄頭に付いている棘が幾つか折れてしまっているのに対し、それを受け止めたモモンの鎧の方は僅かなへこみが生じた程度だ。クロエルによって鍛えられたクレマンティーヌが全力で振り抜いた一撃であったにも拘らずその程度のダメージしか受けていないことからも相当な硬度だと伺える。
(しかもあのヤロー、私の一撃を受けてよろけもしなかった)
まるで巌でもぶっ叩いたかのような感触を思い出し、クレマンティーヌは更に警戒度を引き上げる。
もともと英雄の領域に足を踏み入れていたと自負する彼女はこの短期間でさらにレベルアップを重ねて成長している。その彼女の膂力をもってしても微動だにしなかったモモンという存在はどう考えても異質だ。
(あいつやっぱりエルちゃんと同じレベルの…いや、だとしてもあのお粗末な剣技は何? ガキのチャンバラじゃあるまいし)
「どうした、来ないのか?」
思案気にこちらを窺うクレマンティーヌに、モモンが悠然と佇んだまま言葉を投げる。
その言葉には動く気配のないクレマンティーヌに焦れた様子はなく、どちらかといえば次は何を見せてくれるのかと期待しているような節さえある。
クレマンティーヌはその余裕の態度が気に食わなかったが、待ってくれるのならばと遠慮なく考察を再開する。
(何となくだけどレベルが私より高いのは分かる。でも技量が全然釣り合ってないのはなんなのさ? エルちゃんがやったヨウショクとかいう育成方法でレベルを上げたとしたってもう少し剣筋がしっかりしてなきゃおかしいし)
相手のレベルを朧気ながらに感じ取れるようになっていたクレマンティーヌにとって、モモンという人物は何ともちぐはぐな印象を受ける存在だった。
高いレベルを持っているにも拘らず戦士としての技量は底辺にあると言ってもいい剣筋のお粗末さ。仮に養殖による育成方法を殺す対象を拘束した状態で行うような生ぬるい環境で行ったとしても、高レベルになるまで生物を斬り続けたのなら多少は技術が洗練されてもいいはずだ。
なのに、その技術がモモンには抜け落ちている。
まるで剣を使い始めて日が浅いような、それでいて数多の実践を潜り抜けてきたようなその態度。多くの矛盾で形成されたかのようなモモンの人物像に、ふとクレマンティーヌはアベリオン丘陵で養殖を行っていた時のクロエルとの記憶を思い出す。
それはクロエルが次々に召喚するモンスターたちを屠りながら感じた彼女の素朴な疑問から生じた会話だった。クロエルが振るう「召喚士の悪意」なる杖はMPを消費してモンスターをどこからか転移させてくるアイテムだ。
MPの自然回復力を上昇させる指輪や苗木を併用してクロエルはそのアイテムを使っていたらしいのだが、魔法を使わない戦士職である彼女が長時間MPを枯渇させることなくモンスターを召喚するさまにクレマンティーヌは疑問を持ったのだ。
―ねー、エルちゃん。エルちゃんって魔法戦士かなんかなの?
――んん? 自分は普通の戦士職っすよ。剣術と索敵と搦め手、あとは自然治癒力を上げるために使える職業を何個か齧った程度っすか…その途中で面白い職業が取れたんすけど…その話はいいっすね。なんか気になることでもあったっすか?
―その杖って魔力を消費するんでしょ? 補助アイテム使ってるとはいえ、なんで
――それは単純にレベルが高いからっすね。レベルが上がれば普段使わないステータ…能力も微量ながら上がるっす。それが蓄積されていけば不得意な分野の能力であっても低レベルの人と比べれば超人といって遜色ないほどに育つっすよ。巨大なハンマーだろうと軽々と振り回せるほどの力を持つ魔法詠唱者。第十位階魔法を放てるほどの魔力を保有した戦士…ま、どちらもそれを使いこなすためのスキルや魔法を覚えてなければ宝の持ち腐れっすけど…レベル100に至るということはそういうことっすよ。
(……まさか)
クロエルとの記憶を反芻しながら、クレマンティーヌの頭の中である仮説が浮かび上がってくる。
(まさかあいつ、戦士じゃない? ……高レベルの魔法詠唱者?!)
認めがたい真実に行き着きクレマンティーヌの身体がその衝撃に泡立つ。
ありえない、と思ってもレベルと技量が釣り合わないモモンという矛盾した存在に対して、それはこれ以上なくしっくりとくる仮説だった。
(つまり、遊ばれてるってことか……この私がっ、クレマンティーヌ様が!)
御しがたい憤怒の炎が立ち上るのをクレマンティーヌは感じた。
己の超人的な能力の上に胡坐をかき、使えぬ剣をあえて振るい格下の戦士相手に児戯に興じる。それは何と傲慢で、理不尽な人間性であろうか。
遥か高みより戦士の矜持を蟻の如く踏みにじり、嘲笑う者。クレマンティーヌの中でモモンの人物像は大凡そのように定まった。同じ高レベル到達者であってクロエルとこうも違うかと彼女は苛立つも、やがて深呼吸とともに感情の高ぶりを抑えていく。
(落ち着け、むかつくが勝てねー相手なのは確定だ。あいつが遊んでるってんなら私としても好都合、本気にならないうちに隙を見つけて逃げてやる……ただ)
クレマンティーヌが腰を落として再びクラウチングスタートのような構えを取ると、それに反応してモモンも一対のグレートソードを軽く持ち上げ構えた。
真剣そのもののクレマンティーヌの面持ちに対してモモンはどこか楽しげに呟く。
「来るか」
(……せめて一矢、報いてやる!)
クレマンティーヌが駆ける。
両者の間合いは瞬く間に縮まり、すぐさま剣の間合いへと至るだろう。先に動いたのはクレマンティーヌ。彼女がモモンの剣の間合いに到達する前に持っていたモーニングスターを彼の顔面目掛けて投げつける。
クレマンティーヌの走る速度に乗せて恐るべき速さで飛来するモーニングスターだったが、モモンもまた驚異的な反応速度をもって右手に持っていたグレートソードを振り上げ迎撃する――
「ちっ」
――が、そこで舌打ちをしたのはモモン。
なまじ幅広の大剣を持っていたがためにそれを盾として扱ってしまったが、眼前に迫るモーニングスターを剣で防いでしまえば一瞬とはいえ自分の持つ剣の腹で視界が塞がる。
自ら己の視界を塞ぐ悪手に気づき、モモンは内心毒づいた。受けるのではなく避けるべきだったと。
グレートソードが完全に振り上げられ視界が開けた時にはクレマンティーヌの姿はそこにはなく――いや、視界の下でふわりと揺れる金髪の髪の毛を僅かに捉えモモンガとっさに視線を下すと、そこには彼の足元でしゃがみ込み胸を反ってこちらを仰ぎ見るクレマンティーヌの笑顔があった。
彼女の両手には切っ先を垂直に立たせた一対のスティレット。どちらも剣身を人差し指と中指で挟み込むようにして柄に引っ掛ける、野球のフォークボールの握りを思わせる特殊な持ち方で握られていた。
モモンが反応するよりも早くクレマンティーヌのスティレットが閃く。
その場で跳ねるように立ち上がった勢いを加えて突き上げられた一対のスティレットは、それぞれ吸い込まれるようにモモンの両脇へと刺しこまれる。鎧の繋ぎ目を狙ったその一撃は正しく目標を捉えたはずだが、剣先から伝わってくる感触が思っていたものとは異なりクレマンティーヌは眉を顰めた。
「ぐっ!」
ダメージこそなかったものの両脇に受けた衝撃に思わずモモンの口から声が漏れる。
すぐさま反撃に転じようとするも、クレマンティーヌが自分の剣の間合いの内側に入り過ぎていることにはたと気付くと振り上げた両手の動きを止める。互いの身体が密着するほどに接近していた場合こうも大剣は当てづらくなるのかとモモンは妙な関心を覚えた。
(実際経験してみるとしてみないではこうも違うか……勉強になるな)
そうと分かれば、とモモンは両手のグレートソードを躊躇なく手放しクレマンティーヌを拘束せんと彼女の背中に両腕を回す。しかし先の行動でもたついたために彼が抱き留めるより早くクレマンティーヌは腰を深く落して抱擁を逃れていた。
(ならこれはどうだ!)
モモンは間髪入れずに右足を軽く引くと、今度はクレマンティーヌの顔面目掛けて膝蹴りを繰り出した。互いに触れ合うほど接近した状態でしゃがみ込んだクレマンティーヌとモモンの膝の距離はほぼゼロ距離に近い。回避不可能と思われた攻撃を眼前に捉えてクレマンティーヌは――
〈流水加速〉
――武技を発動して回避してみせた。
「何?!」
突如クレマンティーヌを中心に空間一帯の時間が引き延ばされるような感覚が支配する。
思考速度はそのままにまるで粘性を持った空間で身体を動かすようなもどかしさ、されど全てがスローモーションのように流れる世界でクレマンティーヌだけがその枷から外れたかのように生き生きと動いていた。
(これが武技……!)
ユグドラシルには存在しなかったこの世界独自の発展スキル。もし習得することができればナザリックにとってどれほど有益かとモモンは右手のスティレットを逆手に持ち替えながら自分の膝蹴りの横を抜けていくクレマンティーヌを眺める。
すれ違いざまにスティレットをモモンの膝裏、鎧の繋ぎ目に刺しこむつもりだろう。分かっていてもクレマンティーヌの武技の効果が解除されるまではなす術がない。
「くっ!」
ガリィッと膝裏を掻く感触と引き延ばされた時間が急速に戻っていく感覚を同時に味わいながら、モモンは落としたグレートソードを拾い上げてすぐさま後方へと振り返る。
すでにクレマンティーヌはモモンの剣の間合いから抜け出しており、安全圏でまたクラウチングスタートのような体勢を取りながらモモンを睨め上げている。一見優勢に状況を支配していたにも拘らず、クレマンティーヌの表情に余裕はない。
それもそのはず、彼女は先の攻防を通してモモンという存在の理不尽さを更に痛感させられていたのだから。
(糞が! 全然堪えてない!)
両脇と右足の膝の裏。どちらも鎧の隙間をかいくぐった完璧な一撃のはずだった。
しかしどちらも期待していた肉を突き刺す感触は得られずに、硬い何かに阻まれるような感触が返ってくるばかりで、まるで大型モンスターの太い骨に刃を突き立てたような気分だった。
モモンも呻き声こそ漏らしていたがそこに苦痛の色はなく、どちらかといえば不覚を取ったことへの驚愕や不満から出たものと思われる。事実、彼は現在も全く支障がなさそうに動いている。
(何かの魔法か、それともマジックアイテムか……いや、そんなことはどうでもいい! 問題なのは私の攻撃が一切通用しないってことだ!)
高レベルの人間の強さや物資の常識外れっぷりはクロエルとの短い付き合いの中で十分に思い知らされている。こちらの常識が通用しないのであれば、どんな攻撃手段を取ったところでダメージを与えることができないと想定して
攻撃の通用しない相手を前に、クレマンティーヌの闘志は未だ折れていなかった。
「ん? ……あれは、
両者が睨みあっていると突然大地が揺れて、視界の隅――ナーベが戦闘をしている辺りで二体の巨大な骨の竜が出現したのが見えてモモンは思わず呟く。
「せいかーい。お仲間のナーベちゃん、だっけ? 魔法詠唱者には最悪な敵だよー。助けに行ってあげた方がいいんじゃないかのなー?」
モモンの注意が骨の竜に行ったのを幸いと、クレマンティーヌもナーベを出しに使う。
闘志は萎えていないが向こうに行くなら行ってほしいというのがクレマンティーヌの本音だ。内心骨の竜を召喚したカジットのファインプレーに称賛しながらモモンの反応を待つ。
「いや、必要ないとも。ただこちらの戦闘の邪魔になっても困るのは確かだな……」
そう言ってモモンは一呼吸置くと、声を張り上げる。
「ナーベラル・ガンマ! ナザリックが威を示せ!」
それだけ言うとモモンはグレートソードを構えてクレマンティーヌへと注意を戻した。
「これで邪魔が入ることもあるまい。さぁ、戦闘の再開と行こうか」
モモンの対応にクレマンティーヌは内心ため息をつく思いであったが、ここに至っては仕方がないと再びモモン目掛けて走り出す。
カジット達のいる方向で一際大きな閃光が上がったが、もうそれを気にする余裕はクレマンティーヌにはなかった。
* * * *
慢心していたのかもしれないな、とモモンは思った。
(また当てられたか…)
自分の首に刺しこまれたスティレットの剣身を他人事のように眺めながらモモンがグレートソードを振るう。
薄っすらと汗を滲ませるクレマンティーヌがそれを紙一重で回避すると、モモンの間合いから離脱を図る。しかしそれを逃がすまいとモモンもまた距離を詰めて追撃を行う。
相手の出方を待つだけではなく、此方から打って出ることで新しい発見があるかもしれないというモモンの好奇心が積極的に剣を振るわせる。そして、それらを回避してくれるだろうというある種の信頼がクレマンティーヌに対して芽生え始めていた。
ダメージを負わない状況下での、この世界の熟練の戦士との死合。これほど整った環境で近接戦闘を学べる機会はそうあるまい。そうモモンは内心ほくそ笑む。
しかし――
(もしもクレマンティーヌの攻撃が通っていたら、負けているのは俺かもな)
――モモンの冷めた部分がそう、自嘲する。
勿論、これは漆黒の戦士モモンとして戦った時の仮定の話だ。彼の本職は魔法詠唱者。本来の実力を発揮したのなら、例えクレマンティーヌの攻撃が通る状態であったとしても負けることなどありえない。
しかし、レベル差を経験と技術で覆すことができるかもしれないという可能性はこの戦いでクレマンティーヌが十分に示してくれた。
クレマンティーヌの攻撃を無効化しているモモンのパッシブスキル〈上位物理無効化Ⅲ〉はレベル60以下の相手を対象にしたスキルだ。レベル100であるモモンとクレマンティーヌのレベルは最低でも40の開きがあるということになり、それに加えて異形種であるモモンは人間種よりも基礎となるステータスが軒並み優れているという点がある。
それほどの能力差がありながらモモンの攻撃を悉く躱し、常に動きながら針孔に糸を通すような精確さをもって鎧の隙間から
(……慢心していたのかもしれないな。俺も、ナザリックのシモベ達も)
この世界に来てからというもの、モモンが出会った人間は弱い者ばかりだった。
カルネ村を襲った信仰系魔法詠唱者の集団も、王国最強と謳われる英雄も、精神の輝きはともかくとして強いといえる人間はついぞ見なかった。
そのせいなのかユグドラシル時代と違い脆弱な人間種が蔓延るこの世界にあって、元々人間嫌いであったナザリックのシモベ達はその蔑視に拍車を掛けているように見える。
しかし、確かにこの世界の人間はレベルこそ低いかもしれないが、経験則に基づく技術等においてナザリックに劣ると言い切れるのだろうか?
階層守護者はまだいい、レベルは100に設定されており装備やスキルも潤沢だ。しかしそれ以外のシモベであったらどうだろうか?
相応の経験と技術を積み、装備を整えたクレマンティーヌのような実力者が数多くいた場合、果たして相手のレベルが低いからと言って勝利できるのか?
そう上手くはいかないだろう、とモモンは思う。現に、目の前の女はモモンに対してそれは違うと証明し続けている。
(ナザリックの意識改革、そして強化のためにもこの女は確保しておきたいな……それにしても、さっきから何を狙っている?)
ナザリックの未来を憂うことを一先ずやめ、モモンはクレマンティーヌへと意識を向ける。
なまじ精確な攻撃を繰り出すがために彼女もモモンに自分の攻撃が通用しないことは重々承知しているものと思える。だというのにその目はまだ勝負を捨てていない。
(まだ何か見せてくれるのか)
警戒と期待がない交ぜとなった高揚感、されどアンデッドの精神抑制が行われるほどではない。
モモンの胸は躍っていた。
* * * *
(化け物がっ! 好き放題しやがって!)
右手から来た突きをクレマンティーヌがサイドステップで躱す。
しかしその突きはモモンの腕が伸び切る前に強引に引き込まれ、なぎ払いとなってクレマンティーヌを追撃する。すぐさま上体を横に反って剣の下を潜るも、髪を掠って数本の金髪が宙を舞う。
少しずつ、目の前の戦士の攻撃や防御が噛み合ってきていた。
(動きに対応し始めてる……! これ以上成長されたら本当に対処できなくなる!)
汗を散らし、僅かに荒い呼吸を上げながらクレマンティーヌはモモンの猛攻を捌き続ける。ダーク・エルフ国を出発するときクロエルから貰った持久力向上の指輪がなければ今頃疲労困憊で動けなくなっていたかもしれない。
しかし指輪の効果があるとはいえクレマンティーヌの疲労は確実に溜まってきている。対するモモンは疲れた様子もなくあの重装備でまだまだ健在だ。戦闘が長引けば長引くほどにクレマンティーヌの方が不利になっていくのは明らかだった。
「はっ!」
「なめるなぁ!」
モモンが右手のグレートソードを引いて突きの構えを取りつつ本命の左手のグレートソードによる斬り上げを放てば、拙いフェイントを見せるなと言わんばかりにクレマンティーヌが吠えカウンターの刺突をモモンの左肩に叩き込む。
モモンが積極的に間合いを詰めてくるようになってからクレマンティーヌは一撃離脱の戦法が取れず、戦闘は剣風吹き荒れる激しい接近戦へと変貌している。
(――まだ――これも違う――これも駄目――)
この戦いに勝ち目がないことはクレマンティーヌも承知している。
生き残るには逃げるしかない。しかし、簡単に逃げ切れるほどモモンという存在は甘くない。ならば、チャンスを待つ必要がある。
慎重に、執拗に、執念深く、ただ只管にそのチャンスが巡ってくる機会を待つ。獲物を狙う獣がそうであるように。
一度でも当たれば全てが終わるだろう死の嵐が吹き荒れる中、クレマンティーヌは我知らず歯を剥き出して口角を上げた。
「嗤うか、クレマンティーヌ」
「んー、そんな顔してた?」
意識していないことを指摘され、クレマンティーヌは若干興を削がれたかのように首を傾げるが、しかしすぐに気持ちを切り替えると剣風の中に身を任せる。
それは良い兆候だった。目的に至るための意識が最適化された結果、心に余裕が生まれ笑みという形で現れたのだろう。心なしか彼女の動きにも疲労を感じる前の軽やかさが戻ったように見える。
(そうだ、エルちゃんとの地獄の模擬戦に比べればこいつとの殺し合いなんてどってことない! クレマンティーヌ様の本領を見せてやる!)
己を鼓舞してクレマンティーヌが舞う。
横凪の一撃が来れば腰を深く沈めて剣の下を掻い潜り、斬り落としが落ちれば横に跳ねてひらりと躱し、突きが来れば剣の側面にスティレットの刃元を押し付け軌道をずらす。
そして――
「ふん!」
――モモンが諸手を掲げて二本のグレートソードを袈裟形に同時に振るう。
Xの軌道を描くように左右から迫る斬撃にクレマンティーヌは目を見開くと、次の瞬間亀裂めいた笑みを深めて両手に握るスティレットをそれぞれ逆手に持ち直した。
(何か仕掛けてくるか!?)
咄嗟に警戒したモモンであったが一度勢いに乗ってしまった剣の軌道を修正するなど不可能だ。
クレマンティーヌはスティレットを逆手に握ったまま、胸のあたりで軽く腕を交差するような構えを取って動かない。このまま行けばモモンのグレートソードはクレマンティーヌの両肩から入り、腰辺りを抜けて彼女の肢体をバラバラに引き裂くだろう。
だが、これこそがクレマンティーヌの狙っていた展開だった。
〈――不落要塞〉
その衝撃はモモンの内と身、どちらに受けたものだったのか。
ありえない光景が目の前に広がった。モモンの二つの斬撃が直撃する瞬間、クレマンティーヌはその二つの斬撃を細身のスティレットで受け止め、あまつさえ弾き返して見せたのだ。
モモンの怪力によって放たれた、スティレットの十倍以上の重量を持つグレートソードの一撃を、細剣をもって弾き返す光景は正に驚愕の一言に尽きる。
(防御系の武技か!)
驚愕から覚めたモモンがいち早くこの現象の正体に当たりをつける。
恐らく効果は剣の防護と威力の無効化といったところか。興味深い武技ではあるが、それよりもここからクレマンティーヌが何を繋げてくるかが不可解だった。
モモンの今の状態は無防備と言っていい。全力で振るったために大きく弾かれた両腕は、その反動で左右に大きく開いて伸び切っている。
ここから一体彼女が何を仕掛けてくるのか――変わらず急所への刺突か、それとも新たな武技による攻撃か。
〈流水加速〉
そして次の瞬間、モモンの世界の時間がゆっくりと流れ始める。
すべてがスローモーションとなった世界の中で、常と動けるのはクレマンティーヌのみ。
彼女は両手に持ったスティレットを構えると、無駄のない動きでそれぞれをモモンの左右の
(何を――)
攻撃ではない。そう気づいてモモンが困惑している内にもクレマンティーヌの動きは止まらない。
スティレットの剣身半ばまでをモモンの腕当てに刺しこんでからは、今度は尺を無理やり縮めようとするかの如く左右両方のスティレットを弓なりにしならせ、その柄頭の方をモモンの上腕当てと肩当ての間の隙間に無理矢理ねじ込んで行く。
全ての工程を終えた時に〈流水加速〉の効果が切れて、モモンも再び動き始め――
「はぁ!?」
――そして思わず素に戻って声を上げた。
両腕が曲がらない。それに気づいてモモンは漸くクレマンティーヌの先の行動を理解する。
肩から前腕にかけてモモンの装備によって固定された彼女のスティレットが、モモンの肘の稼働を許さない。今やモモンの両腕は、肘窩を中心に添木で固定されたようなものだった。
「まだ終わりじゃないんだよ!」
モモンの意識が両腕に向いている内に、クレマンティーヌが腰に下げていた残りの二本のスティレットを取り出し、彼の双眸目掛けて突き立てる。次いで起こったのは炎と雷による閃光だ。
彼女の武器に込められた魔力、〈
「……ククク。はははは」
炎と雷に焼かれながら、笑いを漏らしたのはモモンだった。
不覚を取った身でありながらその胸中に怒りはない。むしろ感心しているといっていい。
「そうか……クレマンティーヌよ。お前は、
モモンはクレマンティーヌの姿を捉えながら楽しげに呟く。スティレットが突き刺さっていようが眼前を魔法の光に晒されようが関係ない。彼の持つ位階魔法〈完全視覚〉はその程度の障害ならば何の問題もなく見通せるのだ。
モモンの視界に映るは背中を向けて駆けるクレマンティーヌの姿。〈疾風走破〉も使用しているのかかなり速い。
そう、彼女は逃げていた。
(まさか両腕と視界を奪っての逃走が目的だったとは……この一撃で仕留めたとは思わなかったのか? 欲をかかずに武器も捨てて逃げるとは……やはり俺のような存在の情報を握っている可能性が高いな)
逃げるクレマンティーヌをモモンは情けないとは思わなかった。
むしろ確実を期すために敢えて死地に身を置き、生き残るために戦い抜いた姿に敬意すら感じている。
「ただ感心していられれば楽なのだがな……この姿で追いかけては格好がつかんか。
両手をぴんと伸ばして両目に剣を突き立てたまま鬼ごっこをする趣味はモモンにはない。故に彼女の捕縛は潜伏しているシモベ達に任せることにした。
程なくして遠目にクレマンティーヌが倒れこむのが見えたので彼も行動を開始する。
「〈
モモンがそう詠唱すると纏っていた全身鎧が消滅し、鎧によって両腕に固定されていた二本のスティレットがカランと音を立てて地面に落ちる。
鎧が消失し本来の――
ユグドラシルにはない魔法の武器が四本も手に入ったのは僥倖だ。腕の拘束に使った二本も何かしらの魔法が込められているようなので帰った時の楽しみとして鑑定せずにとっておく。
(それにしても鎧にあんな弱点があったとは……今回の戦いは本当に勉強になったな)
ユグドラシルにいた鍛冶屋のNPCのセリフの中に「防具は装備するだけでは意味がない。性能を見極め正しく運用してこそ真価を発揮する」といった蘊蓄があったが正にその通りであろう。
まさか鎧の隙間につっかえ棒を刺されて動けなくなるとは考えてもみなかった。
(まぁ、ゲームじゃできない仕様だからその発想自体がなかったわけだが……ゲームのプレイヤースキルだけに頼っていたら足元を掬われるか)
ユグドラシルは自由度の高いゲームではあったが、現実の全てが再現できていたわけではない。ゲームではできない現実に則した戦い方、それを学ばなければ手痛いしっぺ返しを食らうだろう。
漆黒の戦士モモンからナザリックの統治者であるアインズに戻った彼は、増え続ける課題に内心ため息を付きながらクレマンティーヌの元へと歩いて行った。
アインズがクレマンティーヌの元に辿り着くと彼女は地面にうつ伏せになって倒れていた。
いや、正確には拘束されているといった方が正しいか。彼女の肢体には現在地面から生えた無数の漆黒の細い手で掴まれており、まるで地面に縫い付けられているかのようだった。
(レベル30の
種族が違うし別に他意はないんだろうが…と、アインズが詮無いことを考えているとこちらの存在に気付いたのか、クレマンティーヌが唯一自由な首を巡らせ彼の姿を視界に捉えた。
「!? アンデッド……
「残念、当たらずとも遠からずとだけ言っておこうか。さて、先ほど振りだなクレマンティーヌよ。姿が変わっているが私が分かるか? もう一度言うが私はお前を逃がすつもりはないんだ」
「何を言って……! その声……そーゆーことかよ、糞が。まさに正真正銘の化け物だったわけね」
クレマンティーヌの不遜な物言いに影の悪魔の拘束が強まり苦痛の声が彼女から漏れるが、アインズが手を振ってそれを制す。
「ふむ、少々躾が必要か? まぁそれは追々やって行くとして……とりあえずはおめでとう、とだけ言っておこうかクレマンティーヌよ。己の価値を示したことで天秤は傾いた。お前を我がナザリックに招待しようじゃないか」
「何を……勝手に」
「お前には色々と聞きたいこともある、故に拒否権はない。まぁここではなんだ、細かい話はナザリックに帰ってからにしよう」
アインズはそう言って言葉を切ると何もない空間に片腕をかざす。
〈
「先にナザリックで待っているがいい。何、時間はたっぷりとあるのだ……たっぷりとな。戻ったらゆっくりとお話をしようじゃないか。なぁクレマンティーヌよ」
「いやだ、助け――」
すべてを言い終える前に、引き摺られるクレマンティーヌは漆黒の闇に溶けるように飲み込まれ、同時に漆黒の扉も霞のように消えてゆく。
まるで最初から何もなかったかのように、静まり返った墓地にアインズが一人佇む。
(終わってみればあっけない……ナーベラルの方も片付いたようだな……静かだ)
――誠の静謐とはこういうものか。
生物としての音を失って久しい死者は、音のない夜に耳を傾け、ナーベラルとハムスケが駆けてくる間ひと時の孤独を楽しんだ。
* * * *
(はぁぁ……疲れた。部屋に帰ってベッドでゴロゴロしたい)
気絶したンフィーレアをハムスケの背中に乗せながら、再びモモンの姿を取っているアインズが心の中でそう呟いた。
ンフィーレアの救出は無事終了した。途中合流したハムスケがアインズの真の姿を見て驚いたり、ナーベラルが回収してきた喋る黒いオーブを見て逆にアインズが驚いたりと色々あったが、救出自体は問題なく進んで後は街に帰るだけとなっている。
ただ、絶望のオーラではなく帰りたいオーラを発しているアインズの背中を見るに、彼が帰りたがっているのはエ・ランテルの街ではなくナザリックにある自分の部屋であったことは間違いない。
アンデッドである彼には精神的にも肉体的にも疲労とは無縁のはずなのだが、人間であった頃の残滓が彼に休息という人間的欲求を取らせたがっているのかもしれない。
それも然り、アインズにとって今回の事件は難易度の低いクエストだったかもしれないが、面倒くさい類のクエストであったことは間違いないのだ。
リイジーとの交渉に並行してンフィーレアの探索、民衆を守りながらのアンデッドとの市街戦、クレマンティーヌとの闘い、断腸の思いで
(あとはンフィーレアを届けて冒険者組合に報告に行けば完了なんだ……もう少しだけ頑張ろう)
ともあれ全ては終わったことだ。反省は後程するとして、残っている雑務を片付けるべくアインズは無理矢理気分を上げるとナーベラル、ハムスケへと振り返った。
「よし、回収作業が終わったならンフィーレアを連れて凱旋――」
『アインズ様』
言いかけるアインズの頭に声が響く。〈
ちょっと間が悪いな、と思いながらも声の主がアルベドだと気づいてアインズは耳を傾けることにする。ナザリックの階層守護者を統括する立場にある彼女からの報告ともあれば、優先度はンフィーレア救出よりも高い。
アインズはナーベラルやハムスケに向かって手をかざして待機するよう促すと、アルベドとの通信に意識を向けた。
「アルベドか? お前が直接報告するとは珍しいな。何かあったのか?」
『はい、ご報告したき儀がございます。よろしいでしょうか?』
「こちらも後は帰るだけだからな。構わん、報告せよ」
アインズが肯定の意をもって先を促すと、彼女は躊躇うかのようにややあって口を切る。
『――アインズ様。シャルティア・ブラッドフォールンが何者かに殺されました』
「…………は?」
間の抜けた返事が、夜のしじまに浮かんで消えた。
結論:魔王からは逃げられない。