鋼の鬼   作:rotton_hat

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 厳かな静謐が支配する部屋だった。

 部屋、というよりは神域と表した方がふさわしいかもしれない。広く、高く、そして細部に渡るまで芸術的な細工が施された神秘的な空間だった。

 金と銀の細工が栄える穢れなき白い壁、七色の宝石が光り輝くシャンデリア、壁に垂れ下がる異なる紋章を記す四一枚の巨大な旗……そして、部屋の最奥に置かれた天を突くかのように高い水晶の玉座。

 

 ナザリック地下大墳墓・第十階層「玉座」の間。

 その日、ギルド「アインズ・ウール・ゴウン」の技術の集大成ともいえるこの神域に、七人の異形たちが集っていた。

 

「面を上げよ」

 

 静謐を破った声の主はアインズ。

 漆黒のローブを身に纏い虚空の腹に赤き宝玉を埋めた生ける骸骨。最奥の玉座に鎮座する姿はさしずめ不死者の王と言ったところか。その声に合わせて玉座の下に拝跪の姿勢で居並んでいた者たちが一斉に顔を上げた。

 

 彼らはアインズという頂点を除けばナザリックにおいて最上位の地位にある者たちだ。

 全十階層からなるナザリックの各階層を守護する栄誉を与えられた階層守護者たち。その全てがNPCでありながらゲームを超えて異世界に転移したのち、最初からそうであったかのように生命体として振舞い始めた真の異形。

 

 第一、第二、第三階層守護者。

 銀の髪、白蝋じみた肌に深紅の瞳が輝く漆黒のボールガウンを纏った吸血鬼の少女。シャルティア・ブラッドフォールン。

 

 第五階層守護者。

 拝跪の姿から直立歩行も可能か、2メートルを超える巨躯にカマキリとアリを融合させたかのようなライトブルーの外皮鎧を持ち、背中から一対の氷のスパイクを付き立たせた虫型の魔物。コキュートス。

 

 第六階層守護者。

 金の髪と褐色の肌、先端が長くとがった耳と緑と青のオッドアイが特徴的な双子のダークエルフの子供たち。竜の鱗でできた赤色のシャツに白地のベストと長ズボンを着る男装の陽気な姉、アウラ・ベラ・フィオーラと、竜の鱗でできた藍色のシャツに白地のベストとスカートを着け緑の短いマントを羽織る女装の陰気な弟、マーレ・ベロ・フィオーレ。

 

 第七階層守護者。

 黒のオールバックに日焼けした肌、長身の痩躯に纏うは丸い眼鏡とストライプ柄の赤いスーツ。知的なビジネスマンか弁護士を思わせる風貌の男だが、糸目から覗く無数にカットされた宝石の瞳と腰から延びる銀板を重ね合わせたかのような硬質な尻尾が人ならざるものだと教えてくれる。悪魔、デミウルゴス。

 

 そしてそれらの頂点に立つ守護者統括、アルベド。

 黒く腰まで流れる艶やかな髪と白き肌の対比が美しい絶世の美女で、肩から胸元までを大胆に見せるオフショルダーの白いドレスを身に纏い、胸元には蜘蛛の巣を思わせる細い金の装飾を煌めかせ、そして左右の側頭部から額を抱えるかのように生える一対の捻じれた角と腰から生えた漆黒の天使の羽は、堕落せし聖女のような背徳的な色気を漂わせている。

 

 役割上集えなかった第四、第八階層の守護者を除くナザリックの要達の顔を見渡しアインズは満足そうに一つ頷いて見せる。

 本来であればアルベドを進行役とし定型句の挨拶なども交えるところだが、優先したい議題があったためアインズが事前に省くように頼んでいたようだ。黙したまま主人の言葉を待つ守護者たちの表情は真剣そのものである。

 

「さて、忙しいところよく集まってくれたなお前たち、感謝しよう。話を始める前に……シャルティア、無理はしていないか? まだ、休んでいてもいいのだぞ」

 

 名前を呼ばれたことでぱっと花開いたような笑顔を見せたシャルティアだったが、次に見せた表情は沈痛なものだった。よく見れば泣き腫らしでもしたのであろうか、目元が赤く腫れており可憐な少女の顔にあって痛々しく映る。

 

「……大丈夫でありんす、アインズ様。いつまでも泣いたままでいりんせん。わたしもナザリックの階層守護者。いつまでも我が君の慈悲に甘えて蹲ってなんていられんせんから」

「……そうか」

 

 アインズのどこまでも優しく、労わる様な声音に守護者一同の目頭が熱くなる。

 思い出されるのは五日前のあの日のこと。

 ナザリックの玉座の間に同じように集い、何者かに殺害されたシャルティアを復活させた人のことだった。

 

 五日前、シャルティアは確かに無事に復活した。

 金貨五億枚という対価を払い、玉座の間にて一糸まとわぬ姿で復活した彼女を見てアインズは動揺を隠せなかった。

 少女の裸体に戸惑ったわけではない……いや、それもあるにはあるが一番の理由はシャルティアがなにも装備していない状態に対してのものだった。

 用意したマントで未だ眠るシャルティアの身体を包み、同時に半透明の窓の様なものを浮かび上がらせると指先でそれをなぞり始めるアインズ。窓の正体はシモベたちの内部情報を閲覧するためのコンソールだ。

 ギルド長の権限をもって覗くことのできる彼女の情報に目を通したアインズは、動かぬ骨だけに顔に確かに苦悶のような感情を浮かび上がらせる。

 

(……ない! 装備が、一切!)

 

 シャルティアが裸で送還された時点で予測はできていた。

 アイテムボックスに収納されていたアイテムについては残っている。しかし身に着けていただろう装備品だけが一切見当たらない。死亡時のペナルティとして消滅してしまったのか、それとも戦利品として敵の手に渡ってしまったのか……いや、そんなことはどうでもよかった。

 

(あれはペロロンチーノさんがシャルティアのために作った……形見のような品なのに! どうすればいい、どんな言葉を掛ければいい!? 目を覚ましたシャルティアに、俺はいったいなんて……!)

 

 シャルティアを抱き寄せ途方に暮れるアインズ。

 異世界へと捨てられしこの異形の孤児(みなしご)たちは、しかし愛を知るがゆえに自分の創造主たちの帰還を、それこそ血を吐くような思いで今も願い続けている。そんな彼らに残された、己の創造主を思い出させてくれる形見にも近い品が取り上げられたと知れた時、それはどれほどの絶望を与えることか。

 しかし時は無情にも待ってはくれず、やがて彼の腕の中で目を覚ました彼女に、残酷な事実を打ち明けることとなる。

 

 結果、玉座の間に響いたのは少女の泣き叫ぶ声だった。

 まさしく幼子がそうあるが如く、恥も外聞もなく、大粒の涙をとめどなく零しながらシャルティアはアインズの腕の中で泣いた。至高の御方に抱かれるという至福をもってなお覚めぬ悲しみを目の当たりにし、その場に集っていた階層守護者たちも沈痛な面持ちで成り行きを見つめている。

 

「ざ、ざびしいよぉ、ペロロンッ、ヂーノ様ぁ! ごぇ、ごえんなさい! ごえ……」

 

 

 嗚咽交じりに、何度も声をひっくり返しながら絞り出されるシャルティアの脈絡のない慟哭にアインズが肩を震わせる。精神抑制の光を何度もその身に瞬かせながら、しかしついには堰を切ったかのように怒りを爆発させた。

 

「くっ、糞がぁああああ‼ ゆるっ、許せるものかぁ‼ この俺が、仲間にっ、友に託された! 俺のぉおお、我が子の様なぁ……大切な、大切なぁああ! 子供たちにぃいいいい! 許せるものかぁあああああああああああ‼」

 

 それはシャルティアを固く抱きしめたアインズの咆哮だった。

 激しい怒りを体現するかのように死のオーラを周囲にまき散らしながら叫ぶ彼の姿を守護者たちは恐怖し、そしてそれ以上にその言葉に胸を打たれて咽び泣く。

 それは怒りによって出た言葉であったかもしれない。しかし、だからこそ純粋で偽りのないアインズの本心だった。守護者たちは神が抱いていた自分たちへの深い愛を知り、血涙と共に更なる忠誠を心に、魂に誓う。

 それと同時に、自分たちの主にこれほどまでの怒りを抱かせた見えぬ敵へと激しい憎悪を募らせるのだった。

 

 アインズの怒りに守護者たちの結束が強まり、一人の明確な敵が誕生して五日後。こうして一同は再び玉座の間に集ったのであるが、やはりというかシャルティアは気丈に振舞ってはいるが本調子でないことが見て取れる。

 自身の創造主であるペロロンチーノより譲り受けた装備一式を失ったこともあるが、アインズの役に立てなかったというのも気落ちしている原因であろう。何せ彼女は自分を殺した相手のことを一切覚えていなかったのだから。

 

 死亡時のペナルティであったのか、彼女は約五日分の記憶がごっそりと抜け落ちていた。

 彼女の本来の目的であった武技の使い手の拉致失敗に加え、ナザリックの脅威たりえる強敵の情報を伝えることのできなかったという事実は、シャルティアの胸に棘のように刺さったまま抜けていなかった。

 

 ……ついでに言えば罰という名目の元、謹慎とは名ばかりの休暇を存外楽しんでしまったことにシャルティアは若干の引け目を感じていた。

 本来アインズの役に立てず仕事のない期間など階層守護者にとっては苦痛以外の何物でもないのだが、しかし何事も例外というものがある。

 アインズの優しさか、謹慎中の監視として……その実お世話係としてシャルティアのもとに現れたのは彼女のお気に入りでありながら中々会う機会に恵まれないメイド、ユリ・アルファという女性その人だった。

 

 傷心のシャルティアはこれを機会にお姉さん気質のユリに存分に甘え、ユリもまた普段は苦手意識を持っているシャルティアに対してこの時ばかりはと存分に受け止め甘やかす。一応謹慎中ということもあり性的な行為は自重したが、ユリの胸にうずもれベッドで微睡む日々たるや、まさに至福のひと時だったとシャルティアは後に語ったとか語らなかったとか。

 

「……さて、お前たちに集まってもらったのは他でもない。敵の正体が判明した。下手人の名はクロエル。ユグドラシルの地で“狂犬”と呼ばれた私と同じプレイヤーだ」

 

 アインズの発言と共に玉座の間の空気が一瞬にして剣呑なものへと変わる。

 シャルティア、アウラ、アルベドなどの女性陣は分かりやすくその顔を怒りに染め、マーレは怯えたような表情のままその瞳の奥にどす黒い感情を渦巻かせ、デミウルゴスは眉を顰めて眼鏡のブリッジを指で持ち上げ、コキュートスは少し身じろぎをして沈黙を保ち続ける。

 

「以前研究用に捕らえた賊の女の記憶と、エ・ランテルの冒険者たちから聴取して得た情報を慎重に精査した結果だ……間違いないだろう」

「流石はアインズ様。この短期間でこれほどの……ああ、なるほどそういうことでしたか」

 

 デミウルゴスが意味ありげに微笑んで見せればアルベドも同意するかのように頷く。恐らく見当違いの深読みをして自己完結しているのだろう。別にアインズが有益な情報を持つクレマンティーヌを捕らえることができたのも、モモンとして名を馳せることでエ・ランテルでの情報収集が容易だったことも先を読んでのことではない。成り行きだ。

 本当に叡智に富んでいたのならシャルティアの涙を見ることは無かった筈だとアインズは内心溜息を付く。

 

「場合によってはモモンとしての活動はこれで中止だな……情報収集のためとはいえ少々虚実を盛り過ぎた。未だ姿をくらましている以上エ・ランテルに戻ってくるとは思わないが、奴がモモンとの接点やホニョペニョコとの因縁を否定すれば不審に思う輩も出てくることだろう」

 

 折角冒険者としてオリハルコン級の身分まで上り詰めたモモンという存在であったがアインズは惜しまない。怨敵の情報と個人的な道楽のために誂えた偽りの身分の価値など天秤にかけるまでもないのだ。

 アインズの分身たるモモンの活動が滞る可能性を示唆され、ここぞとばかりに憤慨し始める守護者たちを宥めながらアインズはクロエルの外見的特徴や所有武器、種族などを説明していく。種族が同じダークエルフだと聞いてアウラやマーレはとても不服そうだ。

 

「ふんっ。狂犬なんて下品な呼ばれ方してる奴なんて同族の風上にもおけないよ!」

「そうは言うけどねアウラ、相手は仮にもプレイヤーだ。それが二つ名を持っているともなれば油断はできない相手だろうね。まぁ、それでもナザリックの勝利は揺るぐことはないだろうが」

「あ、あのっ、ええと。強いなら守護者みんなで戦ってやっつけちゃうのはどうかなーって」

「そうね、相手は単機。数に利があるのならばそれを活用することは戦略として悪くはないわ。でもねマーレ……」

 

 憤慨するアウラをデミウルゴスが宥め、それを取り繕うかのようにマーレが恐る恐ると言った体で提案をすれば、アルベドもその会話の中へと入っていく。姦しく守護者たちが論議を交わす中、シャルティアは一度敗北した身の上だからか居心地悪そうに口を閉ざしており、コキュートスもまた降って湧いた強敵の存在を思ってか口を閉ざして何事かを考えている様子だった。

 

「静まれ、お前たち」

 

 しかしその喧噪もアインズの一声によって一瞬に静まり返る。

 

「仲間同士で意見を交わし戦略を練ることも勿論大切だ。だが情報が少ないうちから始めるのはいささか早計だな。私から出せる情報も多くはないが……そうだな、敵の危険性がどれほどのものかは教えることができるだろう」

「……アインズ様は知っていらっしゃるのですね、あの女のことを」

「……PK、PKKの間では有名どころではあったからな」

 

 アルベドの問いかけに若干棘があったような気がするのは気のせいだろうか。まぁ、それはそれとしてアインズはクロエルのことは知っていた。

 と言っても短い期間の話ではある。アインズがクロエルの存在を知ったのは彼を含む最初の九人で現ギルドの前身、クラン「ナインズ・ウール・ゴウン」を結成して間もない頃の話だった。

 当時の仲間である白銀の騎士たっち・みーとのPvPの参考にと、ユグドラシルの対戦動画をネット上で手あたり次第に漁っていた時、偶然「ユニークスキル狩り」と題されたPK動画を見つけたのがクロエルを知る切っ掛けとなった。

 血塗れになりながら十人以上のPKを相手取り、負けてはしまったが最後まで善戦してみせた彼女の姿に当時のアインズは少なからず衝撃をうけたものだ。

 

 しかし、それ以降アインズはクロエルに関する動画の一切を見ることはなかった。

 理由は何となくばつが悪かったから、としか言いようがない。

 彼女に興味が湧いて過去まで遡り経緯を知るにつれ、何となく、ユグドラシルでの境遇が似ていると思ってしまったのだ。理不尽な理由でPKに執拗に狙われ続ける辛さはアインズも痛いほど理解している。彼と彼女の唯一の違いと言えば、助け引き揚げてくれる仲間と出会えなかったことだろうか。

 

 あくまで想像だ。本当は仲間がいるかもしれないし、単に一人で活動する方が気楽だったのかもしれない。しかしかつてのアインズだったら心が折れて引退していただろう状況に未だ身を置き、戦い続ける者がいると思うと無性に居た堪れなかった。

 ならばかつて自分を引き上げてくれたたっち・みーのように、彼女に手を差し伸べるべきかと彼は自問したこともある。しかし知り合いならまだしも赤の他人である人間種のプレイヤーに救いの手を差し伸べるのは躊躇われた。異形種のみで構成されるチームに身を置いている手前、その戒律を乱すような行為は極力実行したくなかったのだ。

 

 故に、彼はネットで情報を漁る際クロエルに関するスレッドから目を背けるようになった。

 意識はしていたので当初は目の端にチラチラと映り込んでは大層居心地の悪い思いをしたが、やがてそれにも慣れ次第に興味をなくし、ついには忘れることに至ったのである。

 しかし、このような形で相見えることになるのならば、しっかりと彼女のことを研究しておくべきだったとアインズは後悔を禁じ得ぬ思いだ。

 

「ところでお前たち、プレイヤーの死亡時のペナルティについては分かっているな?」

 

 しばし過去を偲んでから、気を取り直してアインズは守護者たちに問いかける。

 真っ先に反応したのはやはりというか守護者の中でも知恵者の面々、アルベドとデミウルゴス。先んじてデミウルゴスが問いに答えた。

 

「はい、ユグドラシルにおいてプレイヤーが死亡した際に科せられるペナルティは二つ。一つ目は5レベルの消失、二つ目は装備アイテムのいずれかを一つ損失することになります。ただし、この世界においてはその法則が異なる可能性が高く一概にそれが全てとは言い切れませんが……」

「その通りだデミウルゴス。このデスペナルティは課金アイテムなどを有無によって被害を軽減することもできるが……今回はその話は省くとしよう。さて、その二つのペナルティを踏まえた上であの女の話をしよう」

 

 アインズは自分の考えを纏めながら一つ一つ語り始める。

 

「あの女はユグドラシルの世界においてソロプレイヤー、つまりクランやギルドには属さぬものだ。ナザリックの様な安全な拠点を持っておらず、所有するアイテムも自分で持てる限りのものに限定される。味方もいないのだから支援も期待することもできず、周囲には常に彼女を狙うPKたちが犇めいている状況にあったと考えてほしい」

 

 一部、守護者の中から嘲りの色が見て取れた。

 持たざる者の滑稽さを嗤ったというところか、アインズは気にせずに話を進める。

 

「さて、デスペナルティ、孤立無援、常にあるPKの脅威、これらの枷をはめられた状況を想像してもらった上で問いたい。お前たち、生き残れるか?」

 

 その問いに守護者たちの空気が一斉に引き締まる。

 ある者はナザリックのない孤独を想像してか絶望の表情を浮かべ、ある者は真剣にその状況を想像し眉を顰め、ある者は感銘を受けたが如くほぅと白い息を吐く。

 

「……分かるな? あの女はその環境で戦い続け、生き延び、そして最低でもレベル95辺りを維持し続けている生粋のPKKだ。侮るようなことがあれば即刻、敗北という名の死を味わうことになると知れ」

「なるほど。アインズ様のご懸念、守護者一同重々に承知いたしました……しかし、そうなるとやはり敵の確度の高い情報が欲しいところですね。シャルティア、本当に覚えていることは何もないのかい?」

 

 アインズの警告を真摯に受け止めたデミウルゴスはシャルティアに目をやるが、彼女は申し訳なさそうにかぶりを振るばかりだ。

 

「ごめんなさい、本当に何も覚えていないんでありんす。ただ……」

「ただ? ただなんだい?」

 

 言いにくそうに口を噤んだシャルティアにデミウルゴスが眉を顰めるのを見て、仲裁に入ろうかと逡巡したアインズだったが、別の所から人の声帯では発せられそうにない異質な声が上がったことでそちらに注目が集まる。

 

「……満タサレテイルノデハナイカ?」

 

 それは今まで沈黙を保っていたコキュートスの弁だった。

 驚いたように顔を上げコキュートスの顔を見つめるシャルティア。それで得心が言ったかのように虫の異形が一つ頷くと、感慨深げに白い息を吐く。

 

「ヤハリカ、羨マシイコトダ……」

「え、え? コキュートスどういうこと?」

 

 答えをせがむように見上げるアウラを一瞥してからコキュートスはアインズに向き直ると、恐ラクデスガ、と断りを入れながら己の推測を語り始める。

 

「シャルティアモ、私ト同ジク戦闘ヲ主目的ニ構成シ生ミ出サレタ守護者ニゴザイマス。故ニソノ根底ニハ戦場ヲスベカラク聖地ト定メ、修羅ニ在ルコトヲ本懐トスル武ノ心ガ備ワッテイルモノカト」

「シャルティアがぁ?! うっそだー!」

「ど、どうなんでありんしょう? 確かに戦うのは好きでありんすが……」

 

 コキュートスの言い分にアウラが信じられないと声を上げ、分析されたシャルティア自身も自信なさげに首を傾げる。しかしそれには構わずコキュートスはいつになく饒舌だ。

 

「シャルティアハ、好敵手ト巡リ会エタノデショウ。互イニ拮抗シ、鎬ヲ削リ、高メアウコトノデキル者ト己ノ命ヲ賭シタ戦イ……ソレハ武人ニトッテ代エ難イ至福ノ時。記憶ガ残ッテイナイノガ残念デナリマセンガ、魂ニ刻ミ付ケラレタソノ熱キ思イダケハ今ナオ、シャルティアノ胸ヲ焦ガシ続ケテイルモノト思ワレマス」

「ふむ、私には理解できぬ感情であるが……シャルティアよ、そうなのか?」

「わ、わかりんせん……でも、言われてみればそんな気もするような?」

 

 コキュートスの主張を一考しシャルティアに問いかけたアインズであったが確証は得られず真相は闇の中と言ったところだった。しかし敗れたシャルティアの心証が悪いものではなかったのは間違いなさそうなので、クロエルとの戦闘も卑劣な手を使われたのではなく正々堂々としたものだったのかもしれない。

 そう考えるとアインズの溜飲も僅かに下がった。本当に僅かでしかないが。

 

(そうでありんしたか。あの時のことを思い出そうとするとこう……下腹部が切なく潤んでくるのは、武人としての猛りでありんしたか。コキュートスもかつてこんな思いを味わったんでありんしょうか?)

 

 お互い大変でありんすね、とシャルティアが内股を軽く擦り合わせながら視線で語り掛けるとコキュートスもまたウムウムと共感するように頷く。この光景を見て認識の齟齬が発生していると誰が思えよう。

 

「まぁ、思い出せないことは仕方がない。とにかく今は情報が欲しい。ニグレドが調査を続けてくれているが成果は芳しくはないとのことだ……だが、発見次第すぐに動けるように、お前たちも準備を怠るなよ」

「はっ、アインズ様の御心のままに!」

 

 アインズの激に一斉に頭を下げる守護者たち。それを満足そうに眺めてからアインズは遠くの敵――クロエルを思い憎しみを募らせる。

 あの日シャルティアと途中まで行動を共にしたシモベ達やクレマンティーヌ、エ・ランテルの鉄級冒険者たちからの聴取を済ませ、アインズはどうしてこのような事態になってしまったのかを正しく理解している。

 不幸な遭遇戦だったのだろう。シャルティアも殺戮衝動を抑えられていなかったのかもしれない。

 

 だが、だからと言って許せるものではない。

 復活したシャルティアが泣き叫ぶ姿を見てアインズは己の不甲斐なさを知った。

 至高の者として神の如き崇拝を受けながらも、やはり創造主の――親の代わりには決してなれはしないのだとペロロンチーノの名を叫ぶ少女の慟哭を聴いて知った。

 その涙を止める手段を持ちえず、ただ彼女のために怒り、その怒りさえアンデッドの特性の前に情けなくも萎んでいくのが惨めで堪らなかった。

 

 だからこそ、許すわけにはいかない。

 どんな理由があろうとも、我が子のように思っているシモベの心を傷つけ、大切なものを奪っていったクロエルという存在を。

 

(……しかしあの女、なぜここにいる?)

 

 ふと、昔の記憶が脳裏に浮かびアインズは首を傾げる。

 かつてネット上でPK、PKKの情報を調べていた際に、たしか“【垢バン】クロエル終了のお知らせ【ザマァwww】”というタイトルのスレッドを見たような記憶があった。

 垢バン――運営側によってアカウントを強制的に剥奪されることを意味する言葉。アカウントを持たねばゲームをプレイすることができないユグドラシルにおいて、この言葉はプレイヤーの完全な死を意味している。

 

(誤報だったのか? まぁいい、どちらにせよ十分に復讐をさせてもらおう……)

 

 友の忘れ形見のためにも、ナザリックの威信のためにも、アインズはクロエルを明確な敵と認識し、復讐を誓うのであった。

 

 

 * * * * *

 

 

「ふんふんふふーん」

 

 緑生い茂る深い森の中に調子っぱずれの鼻歌が響く。

 トブの大森林と呼ばれるエ・ランテルの北側に広がる広大な大森林の森深く、そこにポツンと一人正座をし、鼻歌を歌っていたのはクロエルだった。

 

「ふふふふーんっと」

 

 ただ一人寂しく正座して鼻歌を歌っていたのなら気味悪いことこの上ないが、どうやら何かしらの作業をしているらしく、幾つかある無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)のうちの一つを手に取り、中に収納されているアイテムを取り出しては吟味し、時にはそのまま仕舞い、時には手前の地面に置かれた奇妙な形の杯目掛けて放り投げていた。

 水面から飛び上がり天に向かって大口を開ける魚の姿を模した木彫りの杯は、片手で持つに足りる大きさしかないにも関わらず、不思議なことにクロエルが次々に投げるアイテムの大きさを問わず吸い込むようにその口に呑み込み、その口元を淡く発光させる。

 

「ラストォーイ」

 

 掛け声と共に上空向かって盛大に放り投げられたアイテムはチャイナドレス……以前クロエルが漆黒聖典と接触した際に奪取した世界級(ワールド)アイテム、傾城傾国だ。

 ヒラヒラと舞いながら落ちてきた傾城傾国だったが、ある程度まで落ちると細い渦巻に巻き込まれたかのように捻転し、そのまま魚の杯に飲み込まれて一際強く発光した。

 

「大掃除終わりっす」

 

 正座したまま腕を組むと満足げに頷くクロエル。

 彼女が行っていたのは荷物整理だったようだ。マインティス神や龍♂狩りなどの所持品や今まで手に入れてきたアイテムなどの確認や整理、ついでに不要な物の処分を行っていたらしい。転移後の世界ではユグドラシル産のアイテムは貴重であるというのに中々思い切った行動である。

 

(……おっとっと。一人になると独り言が多くなるっすね。癖になると恥ずかしいから口に出さないように注意しないと)

 

 一仕事終えてふと自分の振る舞いを顧みたクロエルは、ちょっとだけ反省をしてから地面に置いたままの無限の背負い袋を次々に虚空へと――正確には自身のアイテムボックスへと投げ入れる。最後に仕舞われたのは先ほど大量のアイテムを呑み込んだ大口を開けた魚の杯だ。

 

(さて、アイテムの準備はこれでオーケーっすね)

 

 準備、というよりは戦支度と言った方が正しいかもしれない。

 どこと知れぬギルドのプレイヤーと敵対してしまったのだ、占星千里に意味深な予言を託されるまでもなくどこかの時点でぶつかることになるのはクロエルも分かっている。

 シャルティアとの戦闘後、戦利品を回収しがてら探知や調査系の魔法を阻害するスクロールを使用してみて多数の魔法干渉を検知できたことからも、敵が血眼になってこちらを探していることは明白だろう。手持ちのスクロールにはまだ余裕があるが数は有限、そう遠くない未来居場所を特定される覚悟は持っておくべきだ。

 故に、気取られぬ内にやれることをやっておく必要がある。

 

(まずは全力で運動っすね。原型留めないくらい身体の傷を増やして出血しにくい状態にしとかないと……ついでに鈍った身体もほぐすっす)

 

 まず小目標としてユニークスキル〈魔女の祝福〉対策。

 人間種に異業種並みのステータスを与え、特に戦士職に必須な能力を大きく引き上げる魔女の祝福だが、デメリットとして激しく運動する毎にどこかの皮膚が裂け、裂傷と出血のダメージ、それに加えて傷跡が残るという祝福というよりは呪いの様な効果がある。

 しかし一度傷跡がついた皮膚は破け難くなるので、見た目が醜悪になるのを気にしなければ全身傷跡だらけになっておくことでこのデメリットは軽減できる。

 以前顔だけ治療したクロエルだったがまたゾンビフェイスに戻る時が来たようだ。まっこと短きダークエルフ生活である。

 

 そして主目標として鈍った技術を叩き直すこと。

 マインティス神率いるクラン黒の狩人、真祖(トゥルーヴァンパイア)のシャルティア、法国の特務部隊漆黒聖典と、戦闘を重ねてみてクロエルが感じたのは全盛期に比べて腕が落ちたという実感だった。

 ユグドラシル最盛期は四六時中気の休まる暇もないほどにPKに狙われ続け、まさしく常在戦場の精神で戦いに勤しんでいたものだが、衰退期に入ってからはPKの数も徐々に減少し、週に二~三回は平穏無事に過ごせるような温い環境に様変わり。知らず知らずのうちに腕を落としていたのだろう。

 

 かつては遊びの余地が微塵も出ないほど徹底的に己を研ぎ澄まし、いっそ冷酷に見えるほど合理を追求して戦いに挑んでいた時期もあった手前、シャルティアとの戦いは腕の鈍りを痛感させてくれる苦い経験となった。ほんと、色んな意味で。

 

(いや、今考えると全盛期の自分は戦闘面でギラギラしすぎっすね。あそこまで極端じゃなくていいっす)

 

 いやよいやよと否定している二つ名であるが、相応に振舞っていた時期が彼女にもあったようだ。

 

(あとは何をやっておこうかなー……あ、瞑想してみるのもいいかもっす)

 

 これはスキルなどではなく純粋な瞑想だ。

 発想が随分と飛躍したがこれもクロエルがそのうちに試してみたいと思っていた事柄の一つである。

 信仰、集中、夢想、無心、用途は様々あれどもクロエルがやっておきたいのは己との対話だ。いや、正確にはいたかもしれないもう一人の自分との対話と言った方が正しいか。

 

 この世界に来てからというものクロエルには常々考えていたことがある。

 それはゲームのアバター(クロエル)が一生命体として存在していたのかもしれない、という可能性。そしてその器に現実(リアル)の自分の魂が移りこみ、ゲームの彼女の魂と融合――或いは侵食か――した結果が今の自分なのではと考えるようになっていた。

 荒唐無稽な話であったがシャルティアと出会ってからはあながち間違いではないのではないかとクロエルは思っている。彼女がロールプレイしているわけはなく本当にNPCだとして、あれほど自然に生命体として振舞っていたのだ。プレイヤー側のアバターにも生命が宿っていても何らおかしくないように思えた。

 

 単にゲームのアタバーが保有している身体能力やスキルを行使することができるだけなら話は別だった。しかしスキルに依らぬ部分での観察眼や実戦での戦闘技術、戦場での心構えなどを当たり前のように発揮できるのはどういうことなのか。現実の彼女の力だけでは到底成し得ず、だとしたら実際に戦ってきた当事者の経験則や意思を彼女が吸収したとしか思えないのだ。

 

(……ユグドラシル(そこ)に居たんすかね、生きてたんすかね)

 

 二つの魂が溶け合ったとして、浮かび上がってきたのは現実の彼女の意思。

 ゲームの彼女の身体を、魂を自分が奪ったのだという考えに至り――ふと、これは罪なのだろうかと彼女は考える。

 

(だから異世界(ここ)に追放されたのかもしれないっすね)

 

 それが罰となるのかは分からないが、現状、他のプレイヤーと殺しあいという試練が待っているのは間違いない。

 

 だから、今のうちに向き合っておこうとクロエルは思う。

 それが罪なのかは分からないが、溶け合った分身を思い、対話を試みることもしないのでは全てを奪われたゲームの彼女が浮かばれないだろう。

 それは自己満足かもしれないが、行うことで解決に至らなくとも区切りをつけることはできるのだ。

 

 死ぬ気は毛頭ないが、死ねばこんなこともできなくなる――

 

 

 ――敵を思い、いたかもしれない身の内の魂を思い、クロエルはゆっくりと瞼を閉じるのだった。

 




これでエ・ランテル編終了です。

明確に敵対ルートに入ったので、以降は苦手な方はご注意ください。
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