鋼の鬼   作:rotton_hat

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約束
異世界の裁定者


 クロエルが刀を振るう。

 流れるように淀みなく、数多のスキルで紡がれる旋律は美しくも恐ろしい。

 

 まぁ、その恐ろしさの大半は体中から――多くは頭部からか――ビッチャビッチャと撒き散らされる血液のせいであるのだが。

 

(おぉう……やり過ぎたっす。休憩休憩)

 

 貧血による眩暈を感じたところで刀を鞘に納めると、クロエルはその場にどっかりと座り込み、ふぃ~と気の抜けた溜息を一つ付いた。

 

 あの瞑想から数日。自身の攻撃スキルを確認しつつ全力で刀を振るい続けた結果、大分身体を解れてきたようだ。身体の傷も順調に増え続けており、あと二、三日もやれば早々破けることのない丈夫な肌を手に入れることができるだろう。頬面付き兜(クローズド・ヘルム)で隠れているが、顔が酷いことになっているに違いない。

 

 鎧の隙間から湯気の上がる身体を軽く手で仰いでからクロエルは眼下に広がる世界を静かに眺め始める。手前に広がる広大なトブの大森林、それを跨いで遠目に見えるのはかつていた城塞都市エ・ランテルだろう。高い場所よりかつての道程を俯瞰して眺めるのもなかなか乙なものだなとクロエルは素直に思う。

 

 彼女は現在アゼルリシアと呼ばれる山脈西北西の雪原の中にいた。

 トブの大森林を抜け出し、山登りをするに至ったのは単に身の危険を感じたからである。

 というのもトブの大森林の中に〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉で姿を隠しながら索敵をする八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)という蜘蛛形のモンスターを発見したからだ。

 こちらが対策済みだったこともあり先に発見できたのが幸運だったが、敵の斥候だと考えると素直に喜べる状況ではない。

 シャルティアと遭遇した位置関係、経過した日数などから考えて、どうもトブの大森林の東側――それも結構近い位置に敵の居城があるのではないかと予想したクロエルは、それから距離を取るように西北西へと移動。アゼルリシア山脈を登るに至ったわけである。

 もう少し北寄りに移動していたならドラゴン、巨人、ドワーフとファンタジーの代名詞のような生き物たちと出会う機会もあったのだが彼女が知る由もない。

 

(今更っすけど、綺麗っすねぇ……)

 

 環境汚染の末期にある現実(リアル)では望むべくもない大自然を前にクロエルはしみじみと思う。

 しかし感動は薄いらしく、彼女に高揚らしきものは見られない。それも仕方ないことだろう、この光景はある意味彼女にとっては見慣れた光景でもあったのだから。

 

()()も森に棲んでたからっすかね……慣れ親しんだ感覚が強いっす)

 

 あの日、瞑想して彼女には分かったことがある。

 それはゲームのアバター(クロエル)が確かに生きていたということ、そして彼女の意思はもう完全に自分に溶けて混ざってしまっていたということだ。

 

 消えたわけではない。彼女の経験は、人生は確かに今のクロエルが継承し生き続けている。

 そして混じり合った己と向き合い、丁寧に心を紐解いてみてゲームの彼女がどのような人物だったかも大凡知ることができた。

 

 負けず嫌いで、全てを憎んでいて――でもあの日から、少しだけ前向きに人生を歩み続けた頑張り屋の女の子。

 

(チョロインっすね)

 

 誰がチョロインだ、と憤慨されたような気がするが気のせい――ではないようだ。自分で思っておいて自分に腹を立てていることに気付いた彼女は、それが可笑しくて少しだけ肩を揺らす。

 全く不思議な心持ちだった。現実の彼女の意思が基盤とはなっているがゲームの彼女の意思も自然に溶け込んでいるのだ。どちらが本物ということでなく、どちらも本物の自分の意志であり、元は一つであることが本来の形でもあるかのように調和している。

 己と深く向き合うことがなければ二つの魂が混じり合っているなど認識することも叶わなかっただろう。

 

(瞑想してみてよかったっす)

 

 劇的に何かが変わったわけではなかったが、やってよかったとクロエルは思う。

 心の均衡は体調をも左右する。現在の自分を正しく認識することで心のしこりを取り除くことのできたクロエルの剣はまさしく快剣と言っていいだろう。身体能力(ステータス)が変わらずとも剣に迷いを乗せなければ、その技の切れは格段に増すのだ。

 

(さて、そろそろ移動するっすかね)

 

 体調も良くなってきたところで移動を開始するために腰を上げるクロエル。

 彼女の超人的な肉体はアゼルリシア山脈の極寒の風を物ともしないが、長居できるかと言われれば話は別である。雪原に足を取られるし雪崩の危険もあるのだ。対処はできるかもしれないが人間にとって住みにくい環境に好んで身を置こうとはクロエルは思わなかった。

 

(このまま西北西に歩いて下山するっすか……ん?)

 

 立ち上がり、振り返ろうとした瞬間、エ・ランテル近郊の森から何かが飛び上がるのが見えてクロエルは視線を戻す。

 距離的に豆粒以下の大きさにしか見えなかったが人型の何かに見える。魔法詠唱者(マジックキャスター)が〈飛行(フライ)〉でも行使したのかと思ったが太陽の光を反射し輝いていることから鎧を着こんでいるものと思われ、どうも格好が術師らしくない。

 

「あ、やば」

 

 クロエルが思わず呟いた。

 のんびりと考えている間に空中で停滞していたそれがこちらを見たような気がしたのだ。魔法のスクロールによって自分の周りには他者からの認識を阻害する結界が張られている……にも拘らず、宙に浮く人型は確かにこちらを見ていた……というか、どう見てもこちらに向かって飛来して来ている。

 

 逃げようか、とも逡巡するが如何せん足場が悪い。相手は空中、しかもこうしている間にも恐ろしい速度でぐんぐんと接近して来ているのだから慌てるだけ無駄かとクロエルは観念して相手の到着を待つことにした。

 

 接近するにつれ相手の細かな容姿を視認できるようになってくる。

 どうやら銀の全身鎧を着こむ戦士のようだ。頬面付き兜の鉢の後ろからは長い青磁のポニーテールを靡かせており、重厚な全身鎧には竜の頭部を模した肩当て、胸に描かれる剣のような紋章など様々な技巧が施されている。

 そして何よりも目を引くのがそんな戦士の背中を追従する浮遊する四つの武器。斧、槍、大剣、刀と、等級こそ分からないが強い力を秘めているように思われた。

 

(またNPCっすか? それとも……)

 

 クロエルが警戒する中、銀色の戦士が少し距離を開けて彼女の前へと降り立った。

 攻撃する様子はない。互いに動かずその場に沈黙が支配する中、やおら手を上げたのは銀色の戦士の方だった。

 

「やぁ、いい天気だね」

 

 友好的な挨拶がアゼルリシア山脈の寒空に響いた。

 

 

 * * * * *

 

 

「やぁ、いい天気だね」

 

 挨拶というのは大切だ。

 円滑な交流を促すための潤滑油。日々の信頼の積み重ねの一要素となり、会話の切り口としても申し分ない。それに返ってくる反応の如何によって相手がどのような人物であるか大凡の見当がつく。

 

 だから、挨拶というものは大切だ。

 特にプレイヤーの人間性を推し量る材料としては――アークランド評議国永久評議員、ツァインドルクス=ヴァイシオンはそう思う。

 

 ツァインドルクス=ヴァイシオン。

 親しき者たちにはツアーと呼ばれている。アークランド評議国の重鎮にして500年以上の時を歩む生ける伝説。

 100年ごとに現れるプレイヤー達を見守り、時には仲間として、時には敵として戦い世界の秩序を守ってきた、この世界における最強の一柱である。

 

 その正体は白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)と呼ばれる巨大な竜であり、今の人型の姿はがらんどうの鎧を魔法によって遠隔操作しているに過ぎず、本体は未だ評議国の宝物殿に鎮座していることだろう。

 

「……そうっすね。ちょっと寒いのが難点っすけど」

 

 挨拶の返事が返ってきた。

 花丸をあげよう、とツアーは思った。花丸の意味はよく分からないが昔プレイヤーの友が使っていた言葉だ。あげると言うのに何もくれないから当時ガッカリしたものだが、嬉しい時に使われた言葉だからきっと良い意味に違いない。

 隙のない佇まいは警戒の現れ。素行の悪いプレイヤーというのは転移当初はこの世界をゲームの延長だと思ってか全くの無警戒で、しかも傍若無人に振舞うことが多いのだが、このプレイヤーと思われる娘は現実と受け止めているのだろう。そして警戒した上でちゃんと対話の道も模索している――つまり、話の分かるタイプのプレイヤーである可能性が高いとツアーは思った。

 

 ツアーが強大な力の歪みを感知しプレイヤーの再来を予期してから幾ばくかの時が過ぎた。己の分身たる鎧を飛ばして調査を開始、激しい戦闘の傷跡を見つけるもその元凶は既に去った後。

 無駄足かと思ったが遠くアゼルリシア山脈からこちらを窺う人影を見つけたのはツアーにとって僥倖と言えよう。常人では目視し難い距離からこちらを見つめ、認識を阻害するものか魔法の結果に包まれた人間が一人でいればプレイヤーの可能性は高い。

 

「よく自分を見つけられたっすね。これでも隠れるのには結構自信があったんすけど」

「ユグドラシルの認識阻害系の魔法のことだね。生憎だけど私にはその手の魔法は通用しないんだ」

 

 この世界に住まうドラゴン特有の知覚能力はユグドラシル由来の魔法に影響を受けることはない。打ち破るのではなく影響を受けない、つまりユグドラシルの魔法とは全くの別枠の力が作用しているのだ。

 どれだけ魔法による厳重な隠蔽を施したところで効果対象外の力を使われれば意味がなく、竜王の名を冠し通常の竜より格段に強い知覚能力を有するツアーの目から逃れるのは至難の業だろう。

 

「この世界の力も捨てたものではないだろう? 自己紹介が遅れたね、私の名前はツァインドルクス=ヴァイシオン。アークランド評議国で永久評議員という役職に就く者だ。よかったらツアーと呼んでほしい……それで、君はプレイヤーで間違いないのかな?」

 

 駆け引きは必要あるまい。恒久の時を生き他種族を見る目も養っているツアーから見ても、目の前の娘からは今のところ危険な匂いは感じ取れなかった。

 少なくとも悪神ではない。ならば、腹を割って話し合うのが手っ取り早いとツアーは考えていた。

 

 

 * * * * *

 

 

「ご名答っすよ。自分はクロエルって言うユグドラシルのプレイヤーっす。それにしてもアークランド評議国の……聞いた感じお偉いさんっすか。お初お目にかかるっす」

 

 観念したようにクロエルが自己紹介を済ませる。

 アークランド評議国……確かクレマンティーヌの話では複数の亜人種が入り乱れる都市国家だったなとクロエルは考える。ある種異形ともいえるダークエルフの自分を快く受け入れてくれそうな国として一度は足を運んでおきたいと思っていた場所だった。

 その国の重鎮としてツァインドルクス=ヴァイシオンの名は聞いていたが、確か巨大な竜ではなかったかとクロエルは首を傾げる。

 

「どうも騙っぽくは感じないっすけど、ツァインドルクス=ヴァイシオン様って竜じゃないんすか?」

「ああ、私のことを知っているんだね。これは遠隔操作で操っている私の分身さ……その証拠に、これこの通り」

 

 ツアーが己の頭部を掴んで軽く持ち上げてみせる。

 すると頬面付き兜があっさりと外れ、身体と頭部が切り離された。次いでがらんどうの鎧の内部を見通せるように軽くお辞儀をして見せるのだからクロエルも納得せざる得をなかった。

 

「それと、先程も言ったけどそう畏まらずにツアーと呼んでくれればいいよ。まぁ君の場合畏まっているのか畏まっていないのかよく分からない口調だけどね」

 

 ツアーは苦笑したようにそう言ってから頭をもとの位置に戻し、クロエルはバツが悪そうに兜越しに頭を掻く。上流階級と接点を持つとは夢にも思わない彼女にしてみれば、染み付いた口調をいきなり矯正するなど土台無理な話である。故に本人が気にしてないなら普段通り喋ればいいかとクロエルは開き直ることにした。

 

(にしても……いやぁ、これが()()っすか)

 

 ツアーの目の前にし、クロエルは舌を巻く思いだった。

 敵わない、と思った。単純な戦闘力だけでなら比類しうるだろう。しかしこれは器の問題だ。

 

 分相応ではない偽りの力(チート)を授けられたプレイヤーとは違う、培い、育み、真の力として共に成長してきた本物の強者の風格が、遠隔操作の鎧越しにも、柔らかな口調からも如実に感じ取れるのだ。

 その人生の中で手に入れた自分の力への確かな自信――しかし傲慢や慢心の時期は過ぎ、成熟した心の余裕がそのまま包容力や貫禄として自然に表へ出ているかのようだった。己の内面を深く探り二つ分の人生を完全に融合させたクロエルであっても器が違うと言わざる得ない存在感だ。

 

 プレイヤーには出せそうにない貫禄に加え、自分を発見してみせた未知の知覚能力を目の当たりにしクロエルは相手の素性が確かなものであると信じることにした。

 恐らく後者の理由だけだったとしてもクロエルは納得していたであろう。彼女の探知や調査系の魔法への対策は、かつて安住の地となったユグドラシル未踏破エリアに永久の桜花と共に贈られたGM直伝のものである。そう容易く破れるような代物ではないのだ。

 

 ちなみに当時GMが何故彼女にこのような優遇措置を取ったかというと個人的な詫びの意味が含まれていたりもする。ある理由からクロエルの不正を疑ったGMが彼女のアカウントを凍結……後に誤解だということが分かり凍結が解除されるという出来事が起きた。

 その後、周りが敵だらけでメンタルの弱っていたクロエルが気まぐれにGMコールを使い「居場所が欲しい」と呟き、それを受けたのが彼女のアカウントを凍結した当のGMだったわけである。

 件の出来事に後ろめたさがあったのだろう、個人を優遇するなどGMとして相応しくない行動であったがGMも人だったということか。こっそりと支援してしまったというのが事の顛末だ。

 当のクロエルはGMの心の葛藤など知る由もないが。

 

「それじゃお言葉に甘えて普通に喋るっす。ツアーさんはプレイヤーについて知っているみたいっすけど、自分に何か用っすか?」

 

 さっきと何か喋り方が変わったかなとツアーは気持ち首を傾げるも、まぁいいかと気にしないことにする。大人である。

 

 彼がクロエルと接触した理由は偏にこれから何を成そうとしているのかを知りたかったためだ。

 プレイヤーの力は強大だ。本人が自覚せずともその影響力は凄まじく、この世界に多くの波紋を呼び起こすことは間違いない。それが祝福であれ災厄であれ、防げるのであれば水際で防いでおきたいというのがツアーの本音だった。

 故に諭すにせよ滅するにせよ、まずは対話を重ねる必要がある。それが例えこの世界における異分子であったとしても対話できるのなら、分かり合える可能性があるのならまずはその道を模索するのが彼の信条だ。そうして友となったプレイヤーは居たのだから。

 

「そうだね……なら、この世界に来てから君がどんなことをしてきたのか教えてくれないかい? その後で君がこの世界で何をしたいのかを教えてほしい」

「何をしてきて何をしたいかっすか。いいっすよ、正直一人の時間が長くて会話に飢えてたっすから、そういうのは大歓迎っす」

 

 自分語りはちょっと恥ずかしいっすけど、と視線を宙にさ迷わせるクロエルだったがその声は弾んでいる。本当に会話に飢えているんだとツアーは少し可笑しく思った。

 

 ……しかし、愉快な気分でいられたのもほんの僅かな間だけだった。

 クレマンティーヌという世情に詳しい女との邂逅から始まり、早くに目的を定めて旅を始めた女の冒険譚。しかし平坦な日々は続かず、エ・ランテルで冒険者となり初の仕事でギルドNPC――この世界での呼び方で従属神と遭遇し戦闘。辛くも勝利するも敵対したことは明白であり、そう遠くない日にプレイヤー同士の殺し合いが始まるだろうとクロエルに締めくくられたことでツアーは頭を抱えたくなった。

 

「……それで今は隠れられる内に戦いの準備をしてるところっすね。未来のことはとりあえず生き残ってから考えるつもりっす」

「……その短期間のうちに凄い面倒ごとを抱えたものだね。はぁ、今回の揺り戻しは大変なことになりそうだ。それで、勝てそうなのかい?」

 

 従属神を従えているプレイヤーは得てして厄介なものだ。強力な仲間に豊富な資産、単身でこの世界に来たクロエルでは勝つことは難しいとツアーは考える。

 

「どうっすかね? ま、たとえ倒れたって『二度と相手にしたくない』と思わせれば自分の勝ちっすよ」

「それは……死んでもってことかい?」

「死んでもっす!」

 

 そう言って胸を張るクロエルを見てツアーはまた頭を抱えたくなった。

 見れば分かる。この娘、嘘は言っていない。恐らくは死ぬ間際まで暴れて散々に敵を引っ掻き回すことだろう。プレイヤー同士で潰しあうだけならそれでも構わないのだが、その位置や規模によって巻き込まれる被害者が出ては堪ったものではない。

 しかもこの娘、話を聞いていて思ったが確実にアークランド評議国のある方角に向かって歩を進めている。自国の近くでそんなドンパチをやってほしくないし、やるなら迷惑のかからない所でやってもらいたいとツアーは切に思った。

 いや、まさか自分を無理矢理介入させて乱戦に持ち込もうという腹ではないよな、と一瞬疑うツアーであったがクロエルから発せられる能天気なオーラを見てそれはないかと思い直す。これが演技なら大したものである。

 

(しかし参ったね、この娘は深刻に構えてはいないようだけど……話を聞く限り相手のプレイヤーは悪神の可能性が高そうだ。この対立に介入する気はないけど監視しておく必要はあるか)

 

 共倒れしてくれないかな、とツアーは思うがそう上手くはいかないだろう。

 幸い攻撃的ではないプレイヤーとの接触はできた。彼女の生命の波長は憶えたので遠方にいようが知覚・監視は容易い。後は来るべき戦いの日を静観し、もう一方のプレイヤーの動向を見定める必要がある。

 もし仮に、そのプレイヤーが悪神であるのなら――

 

「――うん、聞きたいことは聞けたかな。戦いを止めはしないけど、なるべく周辺国の近くは避けてやってほしいな。特にエ・アセナルから先はアークランド評議国だから、来るというのなら私は全力で阻止するよ。君は面白いけど……まだ味方、というわけではないからね」

「肝に銘じるっすよ。でももしごたごたが片付いて自分がまだ生きてたらツアーさんの国も観光してみたいっす。その時は案内してくれるっすか?」

「確約は……できないかな。だけどそうだな、君とお喋りするのは楽しそうだ。この姿でよければ一緒にお茶でもしようか? まぁ、空っぽの鎧だから私は飲めやしないけど」

「いいっすね。それは魅力的な提案っす」

 

 鷹揚に頷くクロエルを見て、ツアーはくすりと笑って宙に浮く。

 彼が立っていた位置を中心に雪が舞い上がり、クロエルの身体を撫でるように過ぎ去っていった。

 

「一先ずはお別れだ。立場上まだ君を信用することはできないが、今だけは君の旅の安全を祈ろう。良い旅を、クロエル」

「名残惜しいけどお別れっすね。自分は()()しか能がないから次の戦いを抜けてもまた危ない目に遭うと思うっすけど……誰かが安全を祈ってくれたのならこれ程心強いことはないっす」

 

 帯刀している刀を一瞥してから手を振るクロエルを見下ろし、ツアーは最後に一つだけ彼女に問いかける。

 

「君は……なぜ進んで修羅に身を置くんだい?」

「修羅? 違うっすよ、ツアーさん。自分は楽な道を選び続けたんす。単純明快、殺すか殺されるか、奪うか奪われるか、難しく考える必要のない極めて安楽な道っす」

 

 苦楽を味わい、長き生を耐え、忍び、育む人道こそが真の修羅。それができなかったからこそ、クロエルは敵を作り、切り結ぶ道へと踏み外したのだ。

 

「戦いの中で味わう修羅なんてほんのちょっとの時間だけっすよ」

「生き方を変えようとは思わなかったのかい?」

「…………」

「沈黙もまた答えだよ。今度こそさようなら、クロエル。良い旅を」

 

 返事を待たずしてツアーはアークランド評議国へ向けて飛び立った。

 冷たい空の風を切りながらツアーは思う。クロエルの思想は危険だ。逃避ともいえるし破滅願望とも捉えられる、自棄になった犯罪者の思考のそれだ。しかも誇張なく本当に死を受け入れている節がある。一体どのような人生を歩めばあのような思考に落ち着くのか、ツアーを以てしても理解できない生死観だった。

 

(いや、まだ見極めがつかないな)

 

 一方で軍人らしい思想だと言えばそうなのだ。

 この世界での活躍を聞くに、彼女の振るった剣は殺人剣というより活人剣に近い。

 弱き者の守護者として殺人機械としての役割を果たしているのだとすれば、それはそれで評価できる点でもある。民草のために死を厭わないというのならその精神は尊い。

 帰属意識が薄いことを考えると軍人というよりは求道者に近いかもしれない。

 

 破滅主義者か求道者か、どちらにせよ見極めの時間は必要だろう。

 

(それにあの娘、更生の道を望んでいる)

 

 この世界に迷い込み再出発の希望を見出していたのだろうか?

 ならば、手を差し伸べてやりたいともツアーは思う。

 

 しかしそれも、まずは敵対したという他のプレイヤーとの決着を見てからのことになるだろう。

 悠久の時を生き、時にはプレイヤーをも滅ぼしたツアーとて全能ではない。何の情報もなしにプレイヤー同士の戦いに介入できるほど彼も蛮勇ではなかった。

 

(……願わくは、あの娘とまた道が交わり、そして手を取り合う日が来ますよう)

 

 祈るだけならば誰も損はしない。

 ツアーは明るい未来を祈りながら、アークランド評議国へと戻っていくのだった。

 




 死んでも復活するのが前提のネトゲキャラの魂が融合したら、多かれ少なかれぶっ壊れた精神構造になりそうではある。

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