鋼の鬼   作:rotton_hat

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開戦の予兆

 久しく振られることのなかったその刀を見て、ああ、やっぱり綺麗だとクロエルは思う。

 

 ――俺、引退するわ。

 

 そして、思い出された彼の声がちくりと胸を刺す。

 

 

 * * * * *

 

 

「引退っすか?」

「たっち・みーが居なくなって腑抜けてたこともあるが……現実(リアル)のこともあるしな、頃合いだよ」

 

 ユグドラシルのレンタル闘技場でクロエルと武人建御雷の二人が三度目のPvPを終えた時、大の字になって寝転がっていた彼が唐突に引退を宣言した。傍らに腰掛けていたクロエルは驚きからか身体を硬直させている。

 

 二人の関係は、有体に言えば奇妙の一言に尽きる。

 PvPを経て意気投合しフレンドになった彼らであるが、それ以来公の場では一切接触はせずに、交流と言えばもっぱら個人チャットかこうした貸し切りにできるレンタルルームでの中と言う限定的な空間のみだった。

 

 片や異形種PKギルド、片や人間種PKK、どちらも問題を抱えた異端児たちであり互いに迷惑をかけないための交流を秘する暗黙のルールのような者が出来上がっていたらしい。

 会話に関しても武人建御雷は孤独なクロエルを気遣ってかギルドの仲間たちの話は極力出さなかったし――ライバルのたっち・みーとNPCのコキュートスに関しては別だったが――クロエルもまたギルドに関する質問は極力しないように努めていた。

 これに関して言えばゾンビフェイスのクロエルの素顔を初めて見た時、彼が異形種と勘違いしてギルドに勧誘した失敗談が尾を引いているのかもしれない。

 

 一見息が詰まりそうな関係にありながら不思議と互いに苦には思わず、こうして長い時を一緒に過ごしてきたがそれもついに終わりを迎えるらしい。

 

「お前はこれからも続けていくつもりなのか?」

「建ちゃんが引退したら一気に寂しくなるっすけど……まぁ、もう少し続けるつもりっすよ」

「そうかそうか、だったらお前には餞別を送らなきゃな」

「餞別?」

 

 寝転がっていた武人建御雷が上体を起こすとアイテムボックスに手を突っ込んで何かを探し始める。

 暫くして出てきたのは一振りの大太刀だった。

 

「ほれ」

「うわぁ! 刀っす! 手作りっすか!」

 

 突き出された刀を見て諸手を上げて喜んだクロエルは、早速その刀を受け取ろうと手を伸ばし――ひょいっと避けられてしまった。

 

「…………」

「…………」

 

 無言のまま二人が刀を取ろうと手を伸ばす、その手を避けるという攻防を繰り返し、先に音を上げたのはクロエルだった。

 

「なんすか! くれるんじゃないっすか!」

「いや、やるぞ? だが、条件がある」

「条件?」

 

 首を傾げるクロエルを見ながら武人建御雷は胡坐をかくと、しばし何かに思いを馳せるように頭上を見上げてから滔々と語り出した。

 

「俺のギルドにな、心配な奴がいるんだわ。名はモモンガ、うちのギルドマスターなんだけどな」

「可愛い名前っすね」

「骨だけどな、話を戻すぞ。そいつ、気の良い奴なんだけどな……責任感が強くってよ、ギルドを守るためにいつも一生懸命なんだわ」

「いい子じゃないっすか。何が心配なんすか?」

「……これからも、仲間は引退していくと思う」

 

 そう言われてクロエルは居住まいを正す。彼の口調に真剣さが増したからだ。

 

「多分、あいつのことだから一人になってもギルドを守るためにこのゲームを続けるんじゃないかって俺は思っている。だからよ、そうなったら偶にでいいからあいつの相手をしてくれないか? チャットでも、PvPでもいいからよ。何なら、ナザリックに攻め込んで攻略しちまってもいい」

「いやいやいや、攻略は無理っす」

「そうか? お前とこれならできるかもしれないぜ?」

 

 そうやって茶目っ気たっぷりに突き出された刀を見て、はぁとクロエルは溜息を付く。

 なるほど、これは厄介な取引だ。

 

「……モモンガっすね。まぁ、見かけたら襲い掛かるくらいはするっすよ」

「頼む」

 

 クロエルが刀を握れば武人建御雷は手を放す。

 託された刀を彼女は矯めつ眇めつ観察すると、やおら鞘から抜き放ち刀身を立てる。

 

「……綺麗」

「自信作だ」

「……え、これ成長剣っすか」

 

 怪しく煌めく桜色の妖刃の輝きをうっとりと見つめていたクロエルだったが、やがて鑑定をしてみてその性能にうげっと嫌そうな声を上げる。

 

 成長剣。

 その名の通り経験値を得ることで成長していく育成型の武器である。

 性能は最下級からスタートし、最終的には神器級まで成長するという一見面白そうな武器であるがユグドラシルでは人気のない武器であり、その理由は育てる労力に性能が見合わないことにある。

 元から育ちにくい上に経験値に取得条件まであるのだ。

 

 例えば条件に骸骨戦士(スケルトン・ウォーリアー)とあれば骸骨戦士を倒した時にしか経験値が入らず、適正レベルの内はよくてもそこを過ぎれば過ぎるほど成長させるのが難しくなっていき、かといって適正レベルの高いモンスターが条件だとそもそも成長前の武器では勝てず、ならば段階を分けるべく条件を複数つけた成長剣ならどうだと言えば、何と条件が増えるほど成長時の性能の上昇値が減るという酷い仕様になっていた。

 

 こうした仕様から「時間を持て余した廃人の娯楽」と言われる程度には誰も使いたがらない武器としてユグドラシルに定着していた。ちなみに聖遺物級まで成長させたのが当時公式で発表されていた最高記録である。

 

「神器級の刀を期待してたっす」

「個人の財産でそうポンポン作れるか。まぁ安心しろ、ちゃんとお前専用に弄ってある」

「ん? ……ああ」

 

 鑑定で見た経験値取得条件が「装備プレイヤーの血液」と書いてあってクロエルは納得する。なるほど、確かにこれは自分専用だ。

 

「銘は“血吸い”で決定だな。経験値の条件に合ってるし、お前の好きな昔話に出てきた刀も確かそんな名前だったろ?」

「とんだ妖刀っすね」

「違いない」

 

 そう言って武人建御雷は豪快に笑った。クロエルはというとポーションがぶ飲みしながら素振りでもしてれば行けるか、と真剣に考えている。

 

「そいつが育った暁にはモモンガの相手も頼むぜ。あいつ、ぼっちを拗らせたら暴走して人間種抹殺計画とか考えだすかもしれん」

「いや、どんな魔王っすかそれ」

 

 冗談だ、とカラカラ笑う武人建御雷にクロエルも釣られて笑う。

 そしてお互いが黙った後、武人建御雷がクロエルに拳を突き出した。クロエルは黙ってその拳に己の拳を合わせる。

 

「約束だ」

「分かったっす、約束」

 

 これがクロエルと武人建御雷の最後の交流だった。

 

 

 * * * * *

 

 

 刀の握りを確かめながらクロエルが軽く素振りをする。

 ヒュンヒュンと風切りの小気味よい音を鳴らしながら刀が空を滑らかに滑るのを確認してから満足そうに鞘に戻す。久方ぶりに握ったが「血吸い」はクロエルの手によく馴染んだ。

 

「アノ御方ノ一振リヲコウシテ見ルコトガデキルトハ……」

「妖刀っすけどね。使用者は酷い目に遭うっす」

「ナント」

 

 

 そのような刀が……と感銘を受けたようにコキュートスが白い息を吐く。

 実際にはこの刀にそんな設定はないが、あながち間違っていないと言えばそうである。

 事実、この刀を受け取ってしまったばっかりにクロエルはアインズとの対決から逃れるわけにはいかなくなった面もあるし、それ以前にもこの刀には一度痛い目に遭わされているのだ。

 

(垢BANされた時は本当に焦ったっす……)

 

 そう、垢BANである。

 運営の言い分は「不正改造武器所持の疑いによる一時アカウント凍結」というもので、ユグドラシルにログインできずそのメッセージを見たクロエルは悲鳴を上げたものだ。

 

 何故そんなことになったかと言えば勿論「血吸い」のせいである。

 成長武器の経験値の獲得量というのは条件によって調整されており、手間がかかったり難易度が高かったりするものほど獲得量が多くなるように設定されている。

 そして「装備プレイヤーの血液」というのは手間のかかる部類の条件とされていた。

 そも、ゲーム内の出血判定は斬撃属性等の武器による攻撃を連続で受けるなどして、出血値なるものを一定数まで蓄積しなければ出血しないようになっている。

 それが使用者の血液に限定されているなら、通常であれば出血値を蓄積させる攻撃をあえて受け続けるしかない。自傷行為はフレンドリーファイアがない時点でお察しである。

 そして使用者の血液はレベルが高ければ高いほどいいのだが、レベルが高いということは出血耐性に加えて自然治癒力が強化されているということである。苦労して出血したと思ったらすぐに止血される上、基本敵に対して案山子状態でい続けなければならないとなれば、これを育てるのはかなりのストレスが伴うことだろう。

 

 故に「装備プレイヤーの血液」という条件は取得経験値が多めに設定されていた。

 そして、ポーションで身体の傷を治しておけば素振りしているだけで何時でも出血大サービスのレベル100の女が一人いた。

 

 結果、クロエルはやらかした。

 武人建御雷引退による傷心もあったかもしれないが、「血吸い」と大量のポーションを持参し四六時中無心で素振りし続けたのである。

 

 急成長する武器。条件が一つだけだったので上昇値も大きく、それを何週間……何か月とやっていればクロエルの気付かぬうちに「血吸い」の攻撃力はとんでもないことになっていき、それを目敏く見つけたGMにより御用となり垢BANされることになった訳であるが、結局不正はなかったとしてアカウント凍結は解除、この顛末に関わったGMとも間接的に関係を持つことになるのだからクロエルは奇縁に恵まれている。

 そして凍結解除後の「血吸い」には調整が入れられ成長限界に加え攻撃力は下方修正されてしまったが、それでもクロエルの所持する刀の中では最高の性能を誇っており……そんな曰くを持ってしまったせいか何となく使うのが憚られ今日までアイテムボックス内に封印されていたわけである。

 

 ……そして、目にする機会がなくなれば武人建御雷との約束も自然と忘れてしまい、ユグドラシル時代ついぞナザリックに関わることはなかったわけで。

 

(まさか異世界まで来て約束を果たすことになるとは……)

 

 因果なものだとクロエルはつくづく思う。

 

「……オ出デニナラレル」

 

 コキュートスがそう呟き跪くのを見てクロエルも居住まいを正す。

 少し離れた場所で〈転移門(ゲート)〉による黒い門が現れ、その中から異形の者たちが次々と現れる。

 漆黒の鎧と兜で武装したアルベドを先頭にデミウルゴス、アウラ、マーレ、そして最後にアインズがゆっくりと進みだし〈転移門〉は閉じた。

 どうやらこれで全員らしい。役割上動くことのできない第四、第八階層の守護者に加え装備を奪われ戦力が低下しているシャルティアは待機を命じられたようだ。

 また、第九階層の守護者として六連星(プレアデス)と呼ばれる戦闘メイドたちを率いるセバスという執事(バトラー)がいるが、こちらも万が一に備えてアインズ不在のナザリックを守るために残っている。

 

「クロエルだな」

「モモンガっすね」

 

 階層守護者たちを挟むように対峙した二人がそれぞれの名前を呼ぶ。

 

「かぁとうせいぶつがぁああ! わ、私たちの敬愛すべき主君の御名を、きや、気安く呼ぶなぁあああああ!」

 

 それに真っ先に反応したのはアルベド。クロエルがアインズの本当の名前を呼んだことに……というか呼び捨てにしたことが逆鱗に触れたらしい。

 

「よい、アルベド」

 

 しかしアインズに呼ばれて、少し落ち着きを取り戻し――

 

「誰だか知らないっすけど、彼が好きならもうちょっとお淑やかにした方がいいと思うっすよ」

 

 ――そうクロエルに突っ込まれ兜の奥でぎりりと奥歯を噛み締めた。

 

「やれやれ、これでは話が進まないな。ここからは私とクロエルだけで話を続ける、お前たちは終わるまで口を閉じていろ」

 

 そう言ってシモベ達が口を噤んで下がれば、逆にアインズが前に出る。

 クロエルよりの位置にいたコキュートスが逡巡するが、すぐに二人から離れた位置に移動しようとし――

 

「何をやっているコキュートス、早くこちらに戻ってこい」

 

 ――アインズにそう呼び止められ足を止める。

 

「アインズ様……」

「口を閉じていろと言ったはずだ。戻ってこい」

 

 まだ、命令されている。シモベとして、扱ってくれている。

 コキュートスはその場で少し打ち震えると、大人しくその言葉に従う。コキュートスが歩き出せばデミウルゴスと目が合い、彼が少しだけ微笑んだのが見えた。

 

「さて、クロエルよ。同じユグドラシルのプレイヤーだが実際に会うのは初めてだな」

「自分のことを知ってるんすね。もしかして建ちゃんから聞いてたっすか?」

「いや、武人建御雷さんの知古であるとは知らなかった。虚偽の可能性もあるが……コキュートスのこともある、とりあえず信用しよう」

 

 ちらりとコキュートスに一瞥をくれてからアインズは再び口を開く。

 

「お前を知っているのはネットを通じてのことだ。随分と嫌われていたようだな」

「それはお互い様だと思うっすけど」

「ふ、そうだな。違いない」

「それで、ここに来たってことはPvPを承諾したってことでいいっすかね」

「ああ、勿論だとも。本来であれば一対一を望むところだが……」

 

 それはシモベが許してくれないだろうとアインズは内心ため息を付く。

 犠牲者はだしたくはない。だが、それはシモベ達も同じ……いや、恐らくアインズよりも思いは強いだろう。

 

 そんな可愛いシモベ達だからこそ傷ついてほしくはなかった。

 だが、目の前の女はそれをやったのだ。

 

「……承諾しないと思ったのか? この俺が? 俺の大切なものを傷つけておいて! その上で、俺のお、仲間たちのぉおお、ナザリックの威信をおお、傷つけるだとぉおおお!?  ふざけるなよ貴様ぁああああ‼」

 

 高ぶったアインズの全身から黒いオーラが吹き荒れる。

 当てられたクロエルと言えば柳に風だ。すぐに止む、そんな確信があるのか落ち着いた様子で成り行きを見守っている。

 やがてその通りとなってアインズの身体が発光し黒いオーラが吹き止むとクロエルを静かに睨む。

 

「……まぁ、どんな理由があったにせよ許すつもりはないということだ。たとえお前が武人建御雷さんの友だったとしてもな」

「平行線っすね。正義の味方を気取るつもりはないっすけど生活圏脅かされればこっちだって反撃しないわけにはいかないっす。人間種抹殺計画は断固反対っす」

「いや、だから何だよそれ……おほん。そんな計画を立てた覚えはないのだがな」

「えっ、じゃあ世界征服っすか」

「いや、だからそれも……」

 

 と、言葉を詰まらせてから一度振り返りシモベ達を見るアインズ。そこには期待した眼差しが満ちていた。

 

「……その通りだ」

「どのみち断固反対っす。自分たちは本来持つべきでない力を手にしてそれに振り回されてる本物の怪物っす、この世界のいるべきではない異物っす。それでもこの世界で生きるのなら、理性の皮を被って共存を模索するか……怪物のまま世界と隔絶して生きていくべきだと自分は思うっす。物語の中の怪物が決して現世の読み手に触れ得ないのと同じように」

 

 本物の怪物、という言葉にアインズがピクリと反応する。

 そして骨となった自分の手を一度見てから小さく笑った。

 

「本物の怪物か、確かにそうだろう。だが、どのような理由であれ我々もそれぞれ個を持ってこの世界に生きる者だ。決して物語の中の怪物などではない。私は歩みを止めるつもりはないぞクロエルよ。シモベ達に未来を示したように、アインズ・ウール・ゴウンを不変の伝説とするために」

「ゲームの延長やロールプレイで言ってるわけじゃないっすね?」

 

 クロエルの問いにアインズは(かぶり)を振る。

 

「お前もシャルティアやコキュートスを見て分かっているはずだ。私はギルド長として最期まで彼らを見捨てるつもりはない。そして、仲間たちと築き上げたこのナザリックを風化させるような真似は断じてしない! ここでお前を殺しこれまでの負の因果を終わらせてやる!」

「終わらないっすよ」

 

 アインズの決意を決然としてクロエルは否定する。

 終わる筈がない、自分を殺したところで全てが終わるなどお門違いだ。何故なら、クロエルはそんな大層な存在ではないのだから。

 この世界にはツアーがいる。敵が強大だと知っても生きるために戦おうとしたクレマンティーヌのような女性もいる。かつては未知の存在だったであろう、ユグドラシルのアイテムでさえも研究し利用する強かさを見せた法国のような国もある。滅んだプレイヤー達の神話がある。

 この世界の住人は、自分たちが思っている以上に強い。

 

(在りし過去に縋って、最後までユグドラシル(ゲーム)に取り残された自分たちよりよっぽど手強いっす)

 

 そう、心の中で呟いてクロエルが刀の鯉口に手を添える。

 その瞬間、周囲の空気が剣呑なものへと一変した。階層守護者たちから殺意が溢れ、クロエルとアインズのあいだの空気もより一層冷え込んでいく。

 

「覚悟は決まっているようだな」

「元から決まってるっすよ」

 

 

 どちらも戦うために集ったのだ。対話をするためではない。

 言葉に費やす時間は今、終わりを迎えた。

 

 

 * * * * *

 

 

 その日、アークランド評議会の宝物殿に眠る白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)はゆっくりと瞼を開くと鎌首をもたげ、スレイン法国のある一室では占星千里がすっかり色の抜けてしまった白い髪を隠すかのように布団を被り一人震えた。

 

 後に「神炎の落日」と呼ばれた出来事の始まりだった。

 




次回、血が出る。
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