鋼の鬼   作:rotton_hat

4 / 19
鬼の養殖

 アベリオン丘陵。

 ローブル聖王国とスレイン法国の間に広がるこの巨大な丘陵地帯には、多くの亜人族がひしめき合い日々互いの領地を巡って血で血を洗う争いを繰り広げているという。

 

 しかしそれも今では過去の話となったのか、はたまた丘陵地帯の最東端には亜人族が生息していないのか、見晴らしのよい丘の上をのんびりと歩く旅人二人の姿はあるが、その周囲は平和そのものに見える。旅人たちの正体は異世界転移者クロエルと、元漆黒聖典所属のクレマンティーヌだ。

 

 クロエルが異世界に転移してから既に四日が経っており、目的地の城塞都市エ・ランテルまでは出発地点のダーク・エルフ国から歩きで一週間ほどの距離になるので既に道のりの半分は超えたことになる。

 それまで特に問題らしい問題もなく、クロエルはクレマンティーヌと和気藹々と、驚くほど長閑(のどか)な道程を楽しんでいた。

 

「亜人天国って聞いたんすけど平和っすね」

「んー、確かな情報はないけどさ、アベリオン丘陵の亜人たちが妙な動きをしているってのは確かかなー。争ってた連中がどうゆう訳か纏まり始めてさ、皆で何かと戦ってるみたい。眉唾だけどねー」

「なるほど、端っこ部族もその戦いに出張中ってことっすか」

 

 クレマンティーヌの情報からレイドボスでもでたのかな、とクロエルは予想を立てるがすぐに考えるのをやめた。興味はあるがそれよりも亜人たちの目がないこの状況を利用しない手はないと思ったからだ。

 

「誰もいないのは丁度いいっすね。クーちゃん」

「なにー?」

「ちょっと実験を手伝ってほしいっす」

 

 それを聞いて露骨に警戒して後退りしたクレマンティーヌに、クロエルはちょっとだけ傷付いた。

 

 

 * * * *

 

 

 クロエルは勿体ないと感じていた。それはクレマンティーヌの戦士としての技量についてだ。

 転移後の肉体に馴染んでからクロエルの慧眼は、相手の所作を見るだけで凡その力量を推し量るほど卓越したものになっている。そのクロエルの目からしてもクレマンティーヌの技量は熟達の域にあると太鼓判を押せるが、故に勿体ないと感じていた。

 上を目指す土壌が十全に整っているにも関わらず、環境がそれを許さない。ゲーム風に言うならばプレイヤースキルは充分あるのにレベルアップするための狩場が見つからないクレマンティーヌの状況をクロエルはもどかしく思うのだ。まぁ、それもこの世界にレベルという概念がなければどうしようもないのだが。

 ユグドラシルの魔法が存在することは既にクレマンティーヌから聞いているので、これを機にレベルアップも可能かどうか彼女に協力してもらい確認してしまおうとクロエルは考えている。そこでレベルアップを別の大陸で生み出された技術とでっち上げ、自分の仮説も交えながら説明する暴挙に出た。

 

「自分の居た大陸は…そうっすね、一言で言うと修羅の大陸だったっす。弱いモンスターから強いモンスターまで分け隔てなく満ち溢れるモンスターのユートピア。人も亜人も異形も強くなきゃやってけないって環境なんすけど、だからこそ強くなるための研究も盛んである発見をするに至ったっす。それは後にレベルと呼ばれる概念になったっす」

「ユートピアというかデストピアじゃないかなー…でもま、エルちゃんの強さの秘密がちょっと分かった気がするよ。それでレベルって?」

「魂の格みたいなもんっす。肉体の鍛錬とは別に魂の格が上がると身体能力が全体的に強化されるっすよ。魂の格が上がる瞬間をレベルアップと言って、格については数値で現すことができるっす。レベル1が一番弱くてレベル100が現在確認されるなかでは最も強い数値になるっすね。クーちゃんは自分の見立てだとレベル30ちょいって所っす」

「30…ふーん、そんなもんかー。エルちゃんはそのレベル? どれくらいなのさ?」

「100っすね」

「100…」

 

 クレマンティーヌが唖然としてクロエルを見やる。しかし同時に納得もした。確かにあれだけの強さがあるのならば、そのレベルというのにそれだけの開きがあったとしてもおかしくはないからだ。

 

「…納得だよ、そのレベルっていうのが高いからエルちゃんは強いんだねー。それに100って最大なんでしょ? エルちゃんって故郷じゃ最強の戦士だったの?」

「レベル100に至ったのは自分以外にも一杯いるっすよ。そこからは技術と場数がものをいう世界っすね…最強なんて自惚れはしないけど、伊達に修羅場は潜ってないから謙遜する気もないっす。それで、クーちゃんは技術も場数も相当なだけに見ていて勿体ないんすよ」

 

 勿体ない、その言葉にクレマンティーヌの口元が僅かにはにかむ。自分の遥か高みにいる戦士の思いがけない高評価に、柄にもなく気分が高揚するのを感じた。

 

「んふふー、ありがとねエルちゃん。でもさ、そのレベルってどうやって上げればいいのさ? こっちでは聞いたこともない技術だよ?」

「クーちゃんも知らないだけで実践してるはずっす。簡単に言うと殺した相手の魂を吸収するっす」

「魂を吸収する?」

 

 まさかの回答にクレマンティーヌが目を丸くする。伝説の魂喰い(ソウルイーター)でもあるまいし、魂を吸収した記憶なんて当然ながらクレマンティーヌにはない。その反応を見てクロエルが一つ頷くと説明を続ける。

 

「殺した相手の魂…レベルは一部、殺した相手が吸収することができるっす。ある程度吸収するとレベルアップが起きて強くなり、逆に吸収された方はその量によってはレベルダウン、つまり弱体化されるデメリットがあるわけっすね。魔法で復活した人間が以前よりも弱くなるのはそのせいっす…ついでに拒否した訳でもなく復活しないのはレベルが低すぎて死亡時に魂を根こそぎ奪われるせいっすね。クーちゃんがこっちの大陸で最強の一角だと言われる理由は鍛錬以外にも殺した数も影響していると思うっす」

 

 確かに、とクレマンティーヌは目から鱗が落ちる思いだった。復活手段が豊富にある法国にあって死亡に関する弱体化のリスクをクレマンティーヌは良く知っていたし、殺しに関して言えば大好きで、恋していて、愛していると公言できる程度には回数をこなしている。

 自身の体格からは説明できないほどの身体能力はレベルの影響もあったからなのかとクレマンティーヌは改めて驚愕する。

 しかし、と彼女は疑問に思ったことをクロエルに尋ねることにした。

 

「でもさーエルちゃん。それだったら私はもうちょっとレベル? が高いと思うんだー。うん。こう言ったら何だけどさ、私人を殺すの大好きだしねー」

「ぶっちゃけた、ぶっちゃけたっすこの人! …うん、まぁ薄々は気付いてたっすけど。それについては簡単で、格下を幾ら殺しても吸収できるレベルなんて高が知れてるっす。レベルアップを狙うなら同格、または少し格上のレベル帯の相手をたくさん殺すことっす…でも」

「あー何か分かっちゃった。こっちの大陸ってレベルの平均が低い?」

「だと思うっす。未踏破や立地のせいで放置されている穴場があるかもっすが、クーちゃんの話を聞く限りそんな印象になるっすね。自分のとこはさっきも言ったようにモンスターのユートピアだったので、生き残るのは大変だけどレベルアップには最適の土地だったっす。クーちゃんに必要なのはレベルを上げる環境っすよ」

 

 クロエルの出した結論にクレマンティーヌが思案気に顎に手を当てて沈黙する。

 クロエルの尋常ならざる強さの正体を垣間見た思いだ。進んで化け物が跳梁跋扈する死地に住みたいとは思わないが、その過酷な環境こそがレベルという理不尽に抗う可能性を見出し、クロエルという存在を産み出すに至っている。

 こちらの大陸でも彼女に並びうる戦士は少なからず存在する。神人と呼ばれる神の血を引き、神の力を目覚めさせた者たちだ。それは先祖返りという特殊な条件によって生まれた異端児たち。只人の努力をあざ笑うかのように生まれ持った才能と超人的な肉体のみで踏みにじる理不尽の権化。

 しかし、レベルが、レベルという概念が本当に存在するならば、その領域に踏み入ることができる。只人が求め、焦がれ続けた神域の領域に、理不尽に抗う確かな術として。神の気紛れでも偶然がもたらした奇跡でもない、己の意志で、研鑽によって得られる自己で成しえた偽りのない自身の力。

 

 …その可能性を示してくれたのが、思いがけぬ力を以って異世界に転移したクロエルなのはクレマンティーヌへの最大の皮肉かもしれないけれど。

 

「なるほどねー、私がさらに上を目指せる可能性があるって分かっただけでも僥倖だよ。そんで実験だっけ? 話の流れからレベルアップに関することだと思うけど何するのさ?」

「こっちの大陸の人も故郷の人たちみたいに普通にレベルアップできるのか調べたいっす。土地柄によって体質が異なる場合の確認っすね」

「強くなるのは大歓迎だけどさー、それを調べてエルちゃんに何のメリットがあるの?」

 

 クレマンティーヌが当然の疑問を投げかける。見ず知らずの大陸の人間を育てて一体何のメリットが彼女にあるというのか。

 レベルアップの実験をするということは、クロエルはこの場でその訓練を行う手段を持っているということになる。それは運用次第では強力な軍団を育成できる可能性を秘めた技術だ。その技術を仮想敵にもなりえる大陸の現地人に公開する暴挙を、ただの親切と受け止めるほどクレマンティーヌはねんねじゃない。

 クロエルは無限の背負い袋の中から幾つかの装備品を引っ張り出しながら、特に気負った様子もなく返事を返す。

 

「自分が欲しいのは頼れる仲間っすよ。同レベルを相手取ったとき仲間がいれば心強いし、守って戦うよりか肩を並べて戦ってくれた方がありがたいっすからね。勿論クーちゃんも大歓迎っすよ!」

「ふーん。そっか、なるほどねー。あ、仲間になるかは保留にさせてね」

 

 振られちゃったっすね、とどこまでも残念そうなクロエルの声にクレマンティーヌは苦笑する。

 目的は理解した。クロエルは今後仲間を作るにあたって育成も視野に入れている。そのさいに故郷のレベルアップ法が現地の人間に通用するかどうかを今のうちに検証しておきたいのだろう。

 クレマンティーヌから見て、クロエルは彼女と同レベルの刺客に追われている立場だと認識している。仲間にその水準を求めるのも納得できる話だった。

 クレマンティーヌとてクロエルの仲間となることに魅力を感じないわけではないが、あの戦闘を見た後では素直に首を縦に振るわけにはいかない。敵の規模も分からない上にあんな化け物クラスの連中がまだまだいると思うと命が幾つあっても足りないからだ。

 だから、せいぜい実験を手伝ってレベルアップだけはちゃっかり頂いておこうとクレマンティーヌは思っている。

 

「とりあえず防具を渡すから装備して見てほしいっす」

「それって殺した連中の一人が装備してた鎧だよね? サイズ合わないと思うけど」

「いいから、いいから」

 

 無限の背負い袋から取り出した装備品の中から、クロエルはかつて龍♂狩りが装備していた軽鎧を取ってクレマンティーヌに差し出す。ちなみにクロエルの周囲には結構な数の装備品が散らかっており、とても小さな背負い袋の中に納まるような量ではなかったのだがクレマンティーヌは一切突っ込まなかった。色々ありすぎてもう驚いてあげる義理もないのだろう。

 

「やっぱ無理あるよエルちゃん。サイズおっきーしさー、こう重くちゃスッと動けないよ」

「なるほど」

 

 クロエルは納得したように頷く。龍♂狩りの軽鎧は伝説級(レジェンド)アイテムだ。防御性能はもちろんのこと()()()()()()()。しかしクレマンティーヌはこの軽鎧が重いと言った。これは筋力の問題ではなく装備条件を彼女が満たしていないために起きた現象だろうとクロエルは考える。龍♂狩りは壁役(タンク)でありクレマンティーヌは攻撃役(アタッカー)であることを考えれば職業的に装備できないのは無理からぬことだ。

 その後もクロエルは自分の予備防具やマインティス神の遺品などを次々とクレマンティーヌに渡して着せ替えを…いや、実験を楽しんだ。

 どうやら装備条件が合致していればサイズは問題ないらしい。クロエルはモデル体型に違わぬ長身だったのだが、彼女の予備防具をクレマンティーヌが装着した瞬間、張り付くようにその大きさを変えて見せたのだ。

 これにはクロエルも内心驚いたが、ゲーム由来の防具であることを考えればありえない現象ではないと納得する。ユグドラシルでは職業や種族制限で装備できないことはあっても、サイズが合わないから装備ができないなんてことは起きなかったからだ。

 

「ねーねーエルちゃん、装備がすごいのはわかったけどさー、これって何か意味あるの?」

「今やってるのは装備できる物とできない物の選別っす。あ、こっちはプレゼントじゃなくてレンタルっすよ。駄目っすよ」

「心外だなー。私だってそこまで厚かましくないよ? ほんとにほんと」

「…まぁいいっす。クーちゃん、効率のいいレベルアップに必要なのは2つだけっす。ずばり強い装備で身を固めて格上レベルをぶっ飛ばすっす」

「うわー、すっごいざっくりした説明。でも格上を倒すってそう簡単に言うけどそんなうまくいくかなー。そもそも、その格上の相手はどこにいるのさ」

「人間は有史以来、自分の弱さを武器や防具で補うことで格上に勝利を掴んできたっす。よっぽどレベルが離れてない限りは楽勝っすよ。そして、対戦相手はこれを使って召喚するっす」

 

 そう言ってクロエルは二つのアイテムを取り出した。

 一つ目のアイテムは指揮棒のように細く短い杖だった。「召喚士の悪意」と呼ばれるその杖は、MPを消費することで誰でもレベル1~60のモンスターをランダムに召喚することができる課金ガチャアイテムだ。

 ただし、召喚と銘打ちながらその本質は全く異なっており、契約したモンスターをその場に召喚するのではなく、野生のモンスターをその場に転移させる効果を持つ杖だった。当然召喚に基づく制御などされていないのでアクティブモンスターであれば敵味方関係なく襲い掛かってくるし、なんの冗談かセーフティーゾーンでも使用可能という性能だったために公共の場で杖を振るいまくる不届き物が続出し、運営に苦情が殺到したこともある曰く付きのアイテムだった。「悪意」の名は伊達ではないのである。

 二つ目のアイテムは首を鎖で繋がれる狼の技巧が施された「召喚制御の指輪(サモンコントロールリング)」と呼ばれる指輪で、これはその名の通り召喚魔法や召喚アイテムの秘められた力を開放、制御することのできるレアアイテムだ。クロエルが召喚士のPKプレイヤーから奪取した戦利品の一つであり、これを装備して「召喚士の悪意」を振るえば任意のモンスターを呼び出すことができる便利なアイテムとなっている。

 戦士職にありながらクロエルはこの二つの組み合わせを重宝していた。一対多が大半を占めるPKとの戦闘に置いて乱戦や攪乱にこの二つのアイテムは大いに使えたのだ。ピクシー、パック、グレムリン、etc…悪戯好きの下級妖精をMPが枯渇するまで召喚し続け、混乱に乗じて斬りかかる戦法は、対策されるまで「外道戦術」「悪夢のコラボレーション」などと呼ばれユグドラシルの情報スレッドをざわつかせ――

 

 ――話がそれた。クロエルは今回この二つのアイテムを使用して、ネトゲ用語でいうところの「養殖」をクレマンティーヌに行おうとしていた。

 通常召喚モンスターを倒しても経験値は入らないが「召喚士の悪意」は野生のモンスターをPOPさせる杖なので問題はない。ユグドラシルではレベル90台後半までは比較的簡単に育てることができたので誰も使おうとしなかった方法だがこちらの世界では有用だろう。

 クロエルは「召喚士の悪意」と「召喚制御の指輪」、それからMP対策のためにMP回復速度が向上する指輪を装備し、ちゃっかり「永久の桜花」から採取してきた「桜花の苗木」も地面に設置する。この苗木はその効果も範囲も「永久の桜花」に劣るが持ち運び可能な簡易回復領域になるので非常に便利だ。土が合わなければすぐに枯れてしまうデリケートな一面もあるが自然豊かなこの世界では早々枯れはしないだろう。

 

 一通りの準備を終えるとクロエルはクレマンティーヌをちらりと見る。現在の彼女はクロエルとマインティス神の持ち物から実験に有効そうな効果のある物を適当に見繕って装備させていたので、全く統一感のないちぐはぐな見た目になっていた。昔見た生き物図鑑にこんな感じの極彩色の派手な鳥がいたなとクロエルは思ったが口には出さない。

 ちなみに武器に関しては生憎スティレットのような刺突剣は在庫がなかったためそのままだが、その代わり攻撃力を優先的に高める装備構成になっている。

 

「…いい装備なのは分かってるんだよ? でも、これはなー」

「実験の間だけだから我慢っす」

 

 致し方ない、といった感じでクレマンティーヌが渋々武器を構えたので、クロエルもまた右手に持った「召喚士の悪意」をピンと構え、左手で「百科事典(エンサイクロペディア)」という辞典の形をしたアイテムを開く。「百科事典」はユグドラシルで最初に手に入れるアイテムの一つで、出会ったモンスターの画像と元ネタにあたる神話を自動的に登録してくれるアイテムだ。モンスターのスキルやステータスは自分で書き込む必要があるが、クロエルは面倒くさがってネットに上がっている情報をダウンロードしてそのまま落とし込んでいた。

 綺麗に情報が書き込まれた「百科事典」に目を落としながら、クレマンティーヌでも勝てそうな格上相手を選出すると、そのモンスターを思い浮かべながらクロエルは杖を振るう。その姿はさながら教鞭を振るうサイボーグのようで非常にミスマッチである。

 

「先ずは獣系のガルムっすー。素早い動きと炎の――」

「隙だらけなんだよぉ!」

「ギャンッ!!」

「――へ?」

 

 クロエルがモンスターの紹介をする間もなく一瞬で勝負がついてしまった。

 あっという間の出来事だった、召喚…というより転移してきた大型の狼のようなモンスター、ガルムが「え、ここどこ?」といった感じに困惑気に当たりを見回している隙をクレマンティーヌが見逃さずに突進、突き出したスティレットをガルムの右目へと深々と突き刺し、続けて剣先が脳まで達した感覚を柄越しに感じ取ると瞬時に手首を軽く回して脳内をかき回し、一転後方に跳ねるように下がって距離を取る。

 クレマンティーヌが油断なく剣を構えなおすのと絶命したガルムが崩れ落ちるのはほぼ同時だった。

 

「うぷぷぷ、ねーねーエルちゃん今の見た? あの間抜けな犬っころの顔。自分がどこにいるかもわからないみたいにさー、あんな隙見せられちゃ楽勝ーだよ」

「え、あ、はい」

 

 これはさしものクロエルも予想ができなかった。ゲームではあり得ないモンスターの反応。しかし成程、「召喚士の悪意」は野生のモンスターを転移させる()()の杖だ。転移前のモンスターに事前にどこに飛ばされるかなんて杖が説明する筈もなし、予告なしで強制転移をさせられて突然風景が変われば誰だって驚くだろう。どうやら杖の悪意はモンスターにも向けられていたようだ。

 

(ま、まぁ結果オーライっす)

 

 強制転移にびっくりして隙を晒してくれるなら願ったり叶ったりだ。クレマンティーヌの技量ならばその一瞬の隙に精密な一撃を敵の急所に刺し込めるだろう。これならクロエルが思っていたよりも時間と治癒薬を節約できるかもしれない。

 

「気を取り直していくっすよー。知能低めで弱点の分かりやすいモンスターに絞るからサクサクやってほしいっす」

「りょうかーい。んふふー、今日だけでどれ位レベルアップできるかな?」

 

 クレマンティーヌが耳元まで裂けたような笑みを浮かべながらスティレットの腹をチロリと舐めると、再び武器を構えて深く腰を落とした。

 

 

 * * * *

 

 

(こんなもんっすね)

 

 クロエルは腕を組んだ仁王立ちでうんうんと頷きながら、仰向けで大の字になりながら沈黙するクレマンティーヌを見下ろした。

 

 実験の結果、この世界の住人もレベルアップすることが確認できた。

 特に派手なエフェクトが輝いたりとか快活なファンファーレが鳴り響いたりとかはしなかったが、クレマンティーヌが何度目かの敵を刺殺した瞬間、確かに彼女の存在感が増したように感じられ、その後の戦闘では明らかに動きが良くなっていたのである。

 クレマンティーヌ自身もそれに気づいたらしく戦闘の最中、亀裂のような笑顔を深めていた。今までは気付かずに成長していたがレベルアップという概念を知り、養殖という短期強化を決行したことでその変化に気付けたのだろう。

 

 そんな彼女が何故現在大の字で寝そべっているかというと、単に連戦による連戦に限界が来たからにすぎない。クロエルから貰った指輪で疲労はあまり感じないとはいえ精神の方は別だろう。スッといってドス! を繰り返すだけの単純作業だったこともあり、最初は喜々としてやっていたクレマンティーヌも次第に表情が抜け落ちてゆき、最後の方は無駄な動きを一切削ぎ落とした感情のないロボットのような動きでレベルアップに励んでいた。

 この実験が始まったのはまだ日も昇り切らぬの朝のことであり、終わりを迎えたのは日もとっぷりと暮れたその日の夜のことだ。その間延々と短調作業を繰り返していたのだからクレマンティーヌは物凄い頑張ったと言えよう。

 クロエルの方はと言えば、同じく杖を振り続けるだけの単調作業を延々と繰り返していた筈なのに余裕が見える。これは長命種であるエルフの影響で、人間よりも時間の感覚がのんびりとしているせいかもしれない。

 

(推定レベルは55前後ってとこっすかね。クーちゃん頑張ったっす)

 

 クレマンティーヌは本当に頑張った。

 特に最後のレベルアップには本当に時間が掛かり、上がるかもわからないのに半ば意地になって杖を振り続けるクロエルにクレマンティーヌが付きあう形になっていた。

 無事レベルアップした時には二人して手を取り合って喜んだものだが、その後のクロエルの思い付きによって彼女と模擬戦をすることになると一転、クレマンティーヌの顔にありありと絶望が浮かび上がっていた。

 「総仕上げっすー」と軽い口調で〈闘気〉を撒き散らしながら迫るクロエルに、恐怖しながらも果敢に戦い抜いたクレマンティーヌはまさに勇者と言えよう。出会った当初の状態からは考えられないほどの大躍進である。

 

(しかしこれ以上のレベルアップは無理っすね)

 

 「召喚士の悪意」で転移させることができるのはレベル60までのモンスター達なのでこれ以上のレベルアップは難しいと判断せざるを得なかった。粘ればクレマンティーヌのレベルも60を超えるかもしれないがどれだけの時間が掛かるか分からない。レベル50を超えたあたりで成長速度が極端に落ちたという理由もある。

 結論として、クロエルの力では現地人を育ててもユグドラシルプレイヤーに匹敵する戦力は得られないということだった。戦闘用NPCによっては善戦するかもしれないがそれ以上は無理だろう。

 

(進んで他のプレイヤー連中と敵対したいわけじゃないっすけど…でもなー狂犬扱いされてるからなー)

 

 クロエルとしては祝福(のろい)持ちのプレイヤーだと特定されて以降、執拗に狙ってくるPKプレイヤー達に必死に抗っただけに過ぎないのだが、最終的に敵対プレイヤーからのネット上や口コミによるヘイトスピーチ戦術のおかげですっかり危険人物認定を受けてしまっている。だから仮にこちらの世界で敵対していないプレイヤーと接触できたとしても友好的に接してくれる可能性は低いと言わざるを得ない。押された烙印はそう簡単には消えないのだ。

 

 存在するかも分からない他のプレイヤーの影に辟易しながら、クロエルはそっと大の字に眠るクレマンティーヌの横に腰を下ろし、彼女の寝顔を見やる。だらしなく口を開き、半開きの目蓋から白目が覗くという、ちょっと人には見せられない乙女の寝顔だったがあの実験の後なら仕方あるまい。うわ言で「鬼が…鬼が来る…来ないで」と呟いていたが悪夢でも見ているのだろうか。

 

「出発は明日でいいとして…どうしたもんすかね、この死体の山」

 

 クロエルはそう独り言ちると辺りを見渡して溜息を付いた。

 現在彼女たちの周囲には「召喚士の悪意」によって転移してきたモンスター達の死体がうず高く積み上がっている。どうやら召喚モンスターと違って転移モンスターの死体は残るようだ。丸一日かけて生産したこの死体の山はすでにクロエルが処理できる範疇を超えていた。

 

(…いつか土に帰ることを祈るっす!)

 

 そしてクロエルは放置を選んだ。亜人に見つかったら怒られるかもしれないが生憎今は留守中だ。心の中でごめんなさいをして朝になったらさっさと移動しようと決意する。

 城塞都市エ・ランテルにはあと三日も歩き通せば到着するのだから、こんな所で立ち止まってなんていられないのだ。

 

(そう、もうすぐ到着するんすよね)

 

 都市に入ればクレマンティーヌともお別れだなと思い、クロエルは寂しいと思う反面、大丈夫だろうか、と不安になる。自分が一人になることではなく、クレマンティーヌが一人になることに対してだ。

 

(大分強化しちゃったけど、今のクーちゃんを野に放したらどうなるんすかね? シリアルキラーっぷりに拍車が掛かるようなら…自分が斬らなきゃ駄目っすかね)

 

 物騒な考えを巡らせながらクロエルはクレマンティーヌの頬を指でつつく。目覚めこそしないが不穏な気配を感じ取ったのか、クレマンティーヌは苦悶の表情を浮かべて身をよじった。

 

未だ悪夢は覚めぬのか、「鬼が…鎧の鬼が」とうわ言を繰り返しながら。

 




次回からエ・ランテル編です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。