鋼の鬼   作:rotton_hat

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エ・ランテル編
三者三様


 その日、ある森の中で奇妙な光景を見ることができた。

 

 その光景の中にあるのは3つの存在だ。

 先ず一人目の存在は、漆黒に輝く金と紫色の紋様が絢爛華麗な全身鎧を身に包み、背中に真紅のマントをはためかせる大柄な戦士だ。二本あるグレートソードの一方を背中に、もう一方を左手に握っており、空いた右手は面頬付き兜(クローズド・ヘルム)越しに右耳に添えて佇んでいる。

 そして二人目の存在は、深い茶色のローブで身を覆う、ポニーテールで纏めた(なまず)のような黒髪に色白の肌が映える美しい女性であり、漆黒の戦士の一方後ろを侍るように佇んでいる。

 そして最後の存在は、その二人を前にして柔らかな銀色の体毛に包まれた腹を無防備にさらし寝転がる、馬ほどの大きさを持った…ジャンガリアン・ハムスターだった。

 

「…それで、デミウルゴスよ。お前が直接連絡を寄こすということは、何か余程のことがあったのか?」

 

 漆黒の戦士がそう呟くが、それはこの場に集う女性やジャンガリアン・ハムスターに向けての言葉ではない。もっと遠い場所に居るであろう「デミウルゴス」と呼ばれた人物に〈伝言(メッセージ)〉という魔法を用いて言葉を送っているのだ。他の一人と一匹はその会話の邪魔をせぬようにか、一言も言葉を発せず息をひそめて待っていた。

 

『は、アベリオン丘陵の最東端のエリアで、この丘陵には生息しないはずのモンスターが大量死しているのを確認いたしました。推定レベルは35から60、種類は多種に渡り、どれも急所を的確に一突きにされていることから同一の人物に殺されたものと思われます』

 

 漆黒の戦士の脳内に、どこか優雅で引き込まれるような張りのある男性の声が響く。デミウルゴスと呼ばれた人物が〈伝言〉を使い返事を返したのだろう。両者の会話の端々から、この二人の間に主従のような関係があるのを窺える。

 漆黒の戦士はデミウルゴスの報告を興味深そうに聞きながら〈伝言〉による会話を続けた。

 

「ほう、レベル35から60か。この世界のモンスターにしては随分と高いな…種族に統一性がないとなると異常発生とは考えにくい。そして同一人物による虐殺…いや、この場合は()()か? …となれば」

『はい、何者かがこれらのモンスターを召喚、レベルアップを行ったものと思われます』

 

 ここで漆黒の戦士は一度会話を止め、しばし黙考する。

 漆黒の戦士の名前はモモンと言った。これは偽名であり本来の名前はモモンガ――いや、これも本名とは言えないかもしれないが――といい、その名前も今は一時的に改名しているためアインズ・ウール・ゴウンというのが正しい。

 彼の正体は異形種、死の支配者(オーバーロード)たる骸骨の魔法使いであり、自身が所属していたギルド「アインズ・ウール・ゴウン」の拠点「ナザリック地下大墳墓」と共に異世界へと転移してきたプレイヤーの一人だった。

 現在は異世界で暗躍するために冒険者モモンと身分を偽り、全身鎧にその異形を隠しながら冒険を楽しんでいる最中であった。

 そして現在交信中のデミウルゴスや、アインズの背後に誇らしげに侍る女性、ナーベラル・ガンマは、かつての仲間たちが制作したNPC達であり、異世界転移後はそれぞれがアインズの忠実なるシモベとして個性を持ち、自主的に行動をする存在に至っている。

 

 アインズは考える。召喚モンスターによるレベルアップは可能か、ということについてだ。

 結論から言えば否だ。召喚したモンスターというのは基本、倒したところで経験値を得ることはできないし死体も残ることはない、召喚による契約が終わればどのような状態にあれ元の場所に還るからだ。

 

 しかしこの世界では珍しいレベル帯の、しかもその地域では見られないモンスターが自然に大量発生したとは考えにくい上、どれも同一人物と思われる相手に殺されているということから、その人物がレベルアップを目的にモンスターを召喚したようにしか思えない、という矛盾が発生する。

 だが、ゲームだった頃の情報を加味すれば自ずとその矛盾にも答えが出る。アインズはレベル1~60までの野生のモンスターをランダムに、召喚ではなく転移させる課金ガチャアイテムの存在を知っていたからだ。終ぞ自分は手に入れることはできなかったが、持っていたとしても大した用途は思いつかずにコレクションアイテムになっていただろう「召喚士の悪意」という杖の存在を。

 

(いるのか? 俺以外のプレイヤーが。だとしたら妙だな…デミウルゴスの報告ではモンスター達の死体のレベルは35~60だ。それ以下のレベルのモンスターが居ないとなると召喚制御の指輪(サモンコントロールリング)を使って転移させるモンスターのレベルを調整している可能性が高い…仮にその人物がレベル30台でこの世界に転移してきて、二つのアイテムを使って現地でレベルアップ? いやいや、召喚士の悪意はともかく召喚制御の指輪はかなりのレアアイテムだぞ? そんなのを持っている人物がレベル30台とは考えにくい)

 

 特に召喚士の悪意はMPを消費してモンスターを転移させる杖だ。レベル30台の、しかも殺し方から考えて戦士系のプレイヤーのMPなんて高が知れているし、ポーションで回復しながら(こな)したと考えても効率が悪い上に一人でやるには時間が掛かりすぎる。レベル60台のモンスターと戦える頃には、とっくにデミウルゴスに現場を発見されていてもおかしくはない。

 

(…ということはユグドラシルではなくこの世界特有のアイテムで? いや、まてよ。分担して行っていたとすればどうだ? 一人が召喚を、一人が戦闘を…これなら召喚側の人物のMPが尽きない限り間を置かずモンスターを出せるし、戦闘側は戦いだけに集中できる…どれも急所を一撃みたいだからかなりのペースで熟せたはずだ)

 

 となれば、早々には尽きないほどのMPを保有、もしくは回復手段を持つ召喚側の人物が高レベルプレイヤーで、その人物のサポートを受けて戦闘側の人物がレベリングを行っていた、という仮説が立つ。

 

「…養殖、か?」

『アインズ様?』

「いや、こちらの話だ。ところでデミウルゴスよ、その死体の山を築いた者たちは確認できなかったのだな?」

『はい、申し訳ありませんアインズ様。アベリオン丘陵の亜人たちを一堂に会して交渉を行っているさなかの事だったので発見が遅れてしまいました…この失態を払拭する機会を頂けるのならば、このデミウルゴス命に代えてでも使命を果たしてみせます』

「よい。デミウルゴスよ、お前の全てを許そう。お前はアベリオン丘陵の亜人たちをまとめ上げるべく今も最善を果たしてくれている。それでどうだ、亜人たちとの交渉は? お前ならば間違いはあるまいが」

『は、委細恙なく。亜人たちとの交渉は()()()に進んでおります』

「そうか、ならば今後もその()()で頼むぞ」

『はっ』

 

 デミウルゴスの応答に殊更喜色が混じっていたような気がして、どうかしたのだろうかとアインズは思ったがすぐに思考を切り替える。仕事に意欲的なのは良いことだ。

 

「デミウルゴス、それに併せて可能ならシモベを使いその死体を築いた者の足取りも追え。見つけても決して接触しようとは考えるな、気取られぬよう細心の注意を払い直ちに私に報告せよ」

『は…アインズ様、やはりこれらを行った者は…』

「…可能性の段階だが、な。友好的な人物ならよし、もし危険であれば……世界級(ワールド)アイテム保持者の可能性もあるか。デミウルゴス、お前には先に世界級アイテムを預けるから一度ナザリックに戻れ。世界級アイテムは世界級アイテムでしか防げないからな…他の守護者各員にはアルベドから通達させよう。こちらも用事が済み次第〈転移門(ゲート)〉で戻る」

『は、ただちに。ところでアインズ様、死体の処理はいかがいたしましょう? 許可を頂けるのならばスクロールの素材として研究してみたいのですが。多少腐敗が進んでいることに目を瞑れば、どれも一撃で屠られていているため状態は良好です』

「うん? 確かにそれはいいアイディアだな。よく気が付いてくれた、流石はデミウルゴスだ」

『お戯れをアインズ様、あなた様はそれにすでに気付いていながら私がどのように動くのかをお試しになられたのでしょう? 矮小なこの身なれど、これからもアインズ様のご期待に添えられるよう、全身全霊を以って事に当たらせていただきます』

 

 気付いてないし試してもいないとアインズは叫びそうになったがぐっと堪える。アインズは今でこそ異世界でナザリック地下大墳墓の主として君臨しているが、元は貧困層のブラック企業で働く一介のサラリーマンでしかない。深謀遠慮の知恵者でもなければ帝王学を勉めた王族の血筋でもないのだ。

 しかし彼は仲間たちが残してくれたこのNPC(こども)たちのためにも、彼らが望む理想の上司を演じる必要があった。故にロールプレイは止めるつもりはない。

 

「そうか。それではデミウルゴスよ、仕事を増やして悪いが行動を開始せよ」

『は!』

 

 〈伝言〉での交信が終わりアインズは右手を下ろす。色々と気疲れはあったものの、収穫はあった。

 

「――フ」

 

 アインズの肩が揺れ、兜の奥で含み笑いを漏らす。

 

「フフフ…あははは!」

 

 それはやがて痛快なものを得たかのような高笑いへと変わった。背後に侍っていたナーベラルが突然のことに驚き、しかし己が主の楽し気な笑い声を聴き、自分自身の事のように喜んだ。

 

 アインズ様があのように楽し気な笑い声を挙げるなんていつ以来の事だろうか。ナーベラルは目頭が熱くなるのを感じた。

 他の御方々がお隠れになってからというもの、主は笑うのを止めてしまった。この世界に転移してくる前は、いつもふらりと一人ナザリックの外に出てはボロボロになって帰還する日々。ナザリックにあってはいつも何かを懐かしむような、焦がれるような哀愁を纏っており、不敬とは思いながらその背中はナーベラルの目にも酷く小さく見えたものだ。それ故に、その御身を慰撫する術も持たぬ自分の無力を呪いさえした。

 だからナーベラルは嬉しかった。今この時、楽し気に笑う主の姿をこの目で見れて。

 たとえそれが束の間の出来事だったとしても。

 

「――ちっ、もう抑制されたか。だが、まあいいさ…フフ、()()()

「アインズ様」

 

 喜びは長くは続かない。アンデッドが特性故、感情が抑制されて冷静になったアインズが呼び声に振り返ると嬉しそうに微笑むナーベラルが居た。素の笑いを見られてバツが悪くなったのか、兜越しに後頭部を摩りながらアインズは応える。

 

「ナーベよ、幾度も言ったろう。今の私の名前はモモンだ。そしてお前も今は私のパートナー、冒険者ナーベであることを忘れるなよ。凡そは察しているだろうが緊急の案件ができた、カルネ村に戻ったら夜になり次第一度ナザリックに戻るぞ」

「は、モモンさ――ん、畏まりました」

「えーっと、この場合はあたしもアインズ様の事をモモンさ――んとお呼びした方がいいのかな? モモンさ――ん、そこで寝転がってる奴はどうします?」

 

 いつの間にかナーベの横に姿を見せていた10歳ほどの少女が、人懐こい笑顔を浮かべながらアインズに尋ねる。

 彼女もアインズの配下にあるNPCの一人で名をアウラ・ベラ・フィオーラという。褐色の肌に、肩口で切りそろえられた金色の髪からのぞく長く尖った耳は闇妖精(ダークエルフ)だろうか。赤いスタンドカラーのシャツに似た軽装鎧をまとい、その上には白いベストを羽織っており、下は白い長ズボンを履いている。

 彼女の左右で異なる色を宿した瞳は、アインズの背後で腹を出して寝転がる巨大なジャンガリアン・ハムスターに向けられていた。

 

「殺しちゃうなら、皮を剥ぎたいなって思うんです。結構良い皮取れそうだって思うんです」

 

 可愛い顔からは想像できないような物騒な提案をするアウラにアインズが呆れて、巨大なジャンガリアン・ハムスターは寝転がったまま恐怖の為か身動ぎする。

 このジャンガリアン・ハムスターも、かつてはこの森、トブの大森林で「森の賢王」と目された人の言葉を解する偉大な魔獣だったのだが、小半時ほど前にアインズに敗北を喫っしてから服従のポーズを取ったまま、デミウルゴスからの連絡もあり今まで放置プレイをかまされるという情けない状況にあった。

 アインズは森の賢王を見下ろしながら、暫しの逡巡の後に決断を下す。

 

「私の真なる名前はアインズ・ウール・ゴウンという。私に仕えるのであれば、汝の生を許そう」

「あ、ありがとうでござるよ! 命を助けてくれたこの恩、絶対の忠誠でお返しするでござるでござる! それがしは森の賢王。この身を偉大なる戦士であられるアインズ・ウール・ゴウン様に!」

 

 飛び起きると忠誠を誓う森の賢王に、アウラが残念そうな視線を送っていた。

 この魔獣が生き残れた理由は二つ。一つは戦いの中で「仲間」というアインズの琴線に触れる内容を口にしたことと、二つ目は降って湧いたプレイヤーの可能性に彼の機嫌がすこぶる良かったことだ。

 

(俺と同じユグドラシルプレイヤー、か…)

 

 できれば友好的でありたい。未だ見ぬ同郷に、アインズはそう、強く願う。

 

 

 * * * *

 

 

 そこは薄暗い空洞の中だった。

 しかし完全な自然物ということではなく、壁や床こそ土がむき出していたがよく見れば地上へと続いているのだろう折れ曲がった階段や壁にかけられた奇怪なタペストリー、ぼんやりとした明かりを灯す真っ赤な蝋燭などが設えられている。

 そんな空洞の中に、二人の男女が向かい合って立っていた。

 

「ちわー、カジッちゃん」

 

 男女のうち、女の方はクレマンティーヌだった。知己にでも会いに来たのか、怪しげな場所にあっても彼女の発した挨拶はどこまでも気楽だ。

 その挨拶に、カジッちゃんと呼ばれた男が顔を顰める。

 

「その挨拶は止めないか。誇りあるズーラーノーンの名が泣くわ」

 

 痩せた男だった。

 窪んだ目に髪はおろか眉や睫毛などの体毛が一切見受けられない土気色の肌、一見歳を取った老人を思わせるが、肌に皴が少ないところを見るとそれほど年を重ねていないのかもしれない。

 服装は血を思わせる赤いローブを纏い、首には小動物の頭蓋骨をつなぎ合わせたネックレスを下げており、骨と皮ばかりの痩せた左手に黒い杖を握っていた。

 人と言うよりはアンデッドを彷彿とさせる禍々しさを持った男、カジット・デイル・バダンテール。強力なネクロマンサー達が集う邪悪な魔術結社「ズーラーノーン」の十二高弟が一人である。

 カジットは忌々し気に、しかしして一度目を細めてから今度は少し興味深げにクレマンティーヌを見やった。

 

「…ふむ、軽口は相変わらずだがおぬし、どこか変わったな? 以前会った時よりも落ち着きがあるように見える。おぬしが謙虚さを学ぶなどということはあり得んだろうが」

「へー、わかるんだ…まー色々あったからさぁ、ほんと。たった一週間ぽっちでさー、色んなものがぶっ壊されてさぁ。あ、悪い気分じゃないんだよ? 全然」

 

 少し遠い眼をして語ったクレマンティーヌだったが、すぐにいつもの調子を取り戻して会話を切り上げる。これ以上語るつもりはないのだと理解したカジットは面白くなさそうに一度鼻を鳴らした。

 

「ふん…それでおぬしがここに来たのは一体どんな理由があってのことだ? ここで儂が死の宝珠に力を注いでいることは知っておろう。荒らしに来たのならばそれなりの対処をさせてもらうぞ」

「いやだなーカジッちゃん。今日はお土産を持ってきてあげたんだよー…ほんとは取引にでも使おうとか思ったんだけど、タイミングが悪いっていうか…ま、折角持ってきたことだしタダであげるよ」

 

 そう言ってクレマンティーヌがぞんざいに投げてよこした物をカジットが慌てて掴み、その正体を悟って目を見開いた。それが本来であれば外では決して出回らない貴重なサークレットだと気付いたからだ。

 

「これは巫女姫の証、叡者の額冠! スレイン法国の最秘宝の一つではないか!」

「そうだよー。それとこの街の生れながらの異能(タレント)を持つ人物を使ってカジッちゃんに色々してもらおうと思ってたんだけどさー…今はエルちゃんが街にいるからね、どうせやっても失敗しちゃうかな、ざーんねん」

「ふん。大方儂らに騒動を起こさせて、その機に逃亡する手筈だったのだろうが…そのエルとは何者だ? おぬしにそれほど謙なことを言わせるとは…敵か? そ奴、ズーラーノーンの障害となるか?」

「ただの流れ者だからここに引きこもってれば何も問題ないよ。嵐は黙って過ぎるのを待ちましょうってねー……ただし、手を出せば命の保証はないけどね」

「…眉唾だな。どれほどの強さなのかは知らぬが死の宝珠の力を以ってすれば…」

「止めといたほうがいいよ、ほんとに。あれは化け物…いや、鬼かな? 甘っちょろいところもあるけど敵だと判断されれば…間違いなく斬り捨てられるから」

 

 エルという人物を語るクレマンティーヌの口調の変化や、本人は無意識であろう若干の身震いを見てカジットは認識を改める。どうやら本当に警戒にたる人物らしい。

 

 しかし、とカジットは自分が握りしめている叡者の額冠を一瞥してから考える。

 叡者の額冠。着用者の自我を封じることで、着用者そのものを超高位魔法を発動させるマジックアイテムへと変えるスレイン法国の神器。

 無理に取り外せば着用者が発狂するという呪物のような側面に、装備できるのは女性、しかも百万分の一の割合から産まれた適合者のみという大国でなければ使用者を探すこともままならないような代物であったが、幸いにもカジットとその部下が潜伏している城塞都市エ・ランテルには、これを扱えそうな生れながらの異能(タレント)持ちが存在する。

 叡者の額冠と生れながらの異能(タレント)持ち、この二つを手にすることができれば、カジットが長年夢見てきた死の祭典を前倒しして行うことができる。

 

 …だというのに、たかが一人の流れ者の為にそれを実行に移せないなどと全く持って面白くはなかった。嵐が過ぎ去るのを待つ? 何時とも去るか分からない流れ者一人を?

 馬鹿らしい、とカジットは心の中で一笑した。

 

「…忠告は受け取っておこう、クインティアの片割れよ。なに、状況が動けばおぬしが当初望んだ結果もありえよう。手を組む気になったならいつでも尋ねるがいい。この土産は…精々有効活用させてもらおう」

「クインティアの片割れは止めてくれないかな? クレマンティーヌって呼んでよ」

「…なら、おぬしもカジッちゃんは止めろ」

「いいよーカジッちゃん」

 

 全く改めるつもりのないクレマンティーヌの笑顔にカジットはあからさまに顔を顰める。

 それでもカジットの方は以降、クレマンティーヌと呼び方を改めていたりするのだから、意外と根はいい人…なのかもしれない。

 

 

 * * * *

 

 

「幾ら神便鬼毒酒(しんべんきどくしゅ)で酔いつぶれたと言えど相手は名高き酒呑童子! 四天王を率いる頼光は侮ることなく寝所へと向かい、眠る酒呑童子の首に抜き放った名刀血吸いをえいやと振るい――」

 

 その日、城塞都市エ・ランテルにある冒険者ご用達の三軒の宿の中で最低水準にある安宿が、常では考えられないようなささやかな賑わいに満ちていた。

 宿の一階は酒場になっており少々不潔な環境に目を瞑れば室内はかなり広く、そこでは銅や鉄のプレートをぶら下げた冒険者たちが思い思いの席に座り酒を飲んでは歓声や野次を上げていた。

 

 歓声や野次を一身に浴びているのは広間の中心に立つ一人の女戦士だ。

 年季を感じさせる赤黒い全身鎧を身に纏い、唯一面頬付き兜(クローズド・ヘルム)を脱いでいるため晒されている素顔には、右額から左頬へと眉間を通して斜め一文字の裂傷跡が走っていた。そんな傷を負ってなお輝く褐色の美貌とピンと尖った両耳が、女戦士が闇妖精(ダークエルフ)、或はその血が混じった人物なのだと教えてくれる。

 

 彼女の名はエルス。(カッパー)級の冒険者だ。

 …と言ってもこの身分は偽装であり、彼女の正体はクロエルという異世界に転移してきた漂流者だ。

 ただ彼女、この世界に転移してから一応は偽名を使っているものの装備の変更などは一切行っていない。

 他の異世界転移者を警戒していたにも関わらず、本当に偽装する気があるのかと疑いたくもなるが、これは仕方ないと言えば仕方のないことだった。

 

 なにせ偽装スキルやそれに類するアイテムを一切持っておらず、ついで自分の持っているスキル「魔女の祝福(のろい)」は目立ち過ぎて隠しようがない。「戦うと攻撃されたわけでもないのに血が噴き出る変な戦士」と噂が立てばどれだけ変装したって気付く人は気付くだろう。

 なら戦い稼業から身を引いて慎ましく生きて行けるかというとそうもいかない。

 PC(プレイヤーキャラクター)としてのスキル構成の影響か、彼女はこの異世界に通用するのが己の腕っぷしだけでそれ以外はポンコツだと気付いている。よって慎ましく生きることは潔く諦め――いや、元々考えていなかったが――戦士として活躍でき、手っ取り早く身分証が作れる冒険者の職に就くことにしたのだ。

 そして冒険者として生きていく以上、クロエルは装備の質を落とす危険を冒してまで変装することもしなかった。人の口には戸が立てられない、どうせ特徴が知れ渡るのならば開き直っていつもの装備で通してしまえ、といった心境である。唯一の偽名は彼女のいじらしい抵抗とも言えよう。

 

 そんな彼女が現在何をしているかといえば、冒頭の場面の通り宿の酒場で自分が大好きだった日本の昔話「酒呑童子」の物語を異世界の冒険者たちに披露していた。

 同じ異世界転移をしてきたプレイヤーがこの場に居ればすぐにでも正体がばれてしまうだろう愚行になぜ彼女が走ってしまったかといえば、お酒の勢いで、としか言いようがない。

 

 異世界に転移してからというもの、彼女の精神は少なからず疲弊していた。

 突然の転移に現実世界では一度として体験しなかった1週間に渡る徒歩での旅、検問所での圧迫面接、初めての街での散策に失敗すれば路頭に迷うだろう緊張の冒険者登録。

 ようやく全てのイベントを終えて宿に付いても、店の主人による理不尽な叱責に先輩冒険者からの可愛がり――これについては実力や人柄を見るための通過儀礼だったようだが――を受け、クロエルは相当に参っていた。

 いくら超人的な肉体を授かろうが中身はやはり一般人ということだろう。ダーク・エルフ国からエ・ランテルの冒険者組合までの間とはいえ、クレマンティーヌが同行してくれなかったら転移早々に泣き言を言っていたかもしれない。ちなみに彼女は役目を終えたと見るや早々にクロエルの下から去ってしまっているが。

 

 ようやく人心地ついたクロエルにとって異世界の酒は格別だった。

 味は悪いが酒精の強いその一杯に、彼女の鬱積とした精神は一気に解放され、常より早く回ったアルコールの後押しもあり見る見る内に躁状態へと気分を高めてゆく。そんな中で異国の人間なのだから何か面白い話はないのかと他の冒険者にせがまれれば、クロエルは酔った勢いそのままに、考えなしに自分の好きな昔話を披露するに至ったわけだ。

 結果としては吟遊詩人(バード)のスキルがなくても酒場の酔っぱらいたちを楽しませることはできたらしく、酒呑童子の昔話はそれなりに好評だった。

 別世界の物語なので聞き手に理解できない部分も多かったが、主人公たちの武器が刀であることから南方の戦士たちが名前付き(ネームド)の人食い大鬼(オーガ)を退治する話だろうと細かいことは気にせず楽しんでいたようで、大仰な身振り手振りを加えて話すクロエルに向かって「やったれー!」とか「ライコウ、ちょっとやり口が汚いぞー!」など話の節々で茶々の入る盛り上がりだった。

 

「――こうして頼光たちは助けた麗しき姫君たちと、討ち取った数多の鬼の首を土産に都へと帰ってゆくのですが…その後姿を見送る怪しい影が一つ…っと、これでこのお話はお終いっすー」

「ちょっと待て、何だその不穏な終わり方!?」

 

 どこからか飛んだ野次を無視し、続ける気はないくせに次回の引きを入れつつ、クロエルは満足そうに話しを切り上げどっかりと椅子に腰を下ろす。古びた木椅子がギィと軋んで、隣で頬杖をついて座る赤毛の女がクロエルに微笑んだ。

 

「お疲れさん。あんた面白い奴だね、前にここへ来た新人冒険者も全身鎧姿だったけど、あれとは全く毛色が違うよ」

 

 そう言って差し出された酒のなみなみと入ったジョッキをクロエルは快く受け取り、赤毛の女へと視線を移す。歳は二十前後、乱雑に切られた跳ねっけのある赤い髪はまるで鳥の巣のようで、冒険者らしく健康的に日焼けしたがっしりとした身体つきの女性だった。目つきが鋭く化粧っ気こそないが顔立ちも悪くはない。

 

「いやー喉がカラカラだったからありがたいっす。名前は…」

「ブリタだよ、あんたはエルスとか言ったね。冒険者としてのランクも近いし、今のうちに唾だけはつけておこうと思ってね」

「大歓迎っすよ。エ・ランテルに来るまでは同行者がいたっすけど、今は一人だから寂しかったっす…ところで自分より前にも同じような装備の人がいたっすか。どんな人っす?」

「あー、同じ全身鎧って言っても、なんか絢爛華麗って言葉がピッタリはまるご立派な鎧を着ていて美人を一人侍らせてたわね。最初は貴族の道楽かと思ったけど実力は確かだったわ」

 

 そこで一度ブリタはジョッキを呷って唇を湿らせ、クロエルもそれに倣うように酒の入ったジョッキを傾け、喉を鳴らして一口飲んだ。

 

「ふぅ…そう、実力は確かだったよ。昼間のあんたみたいにここで冒険者に絡まれたんだけどね、なんと腕一本で大の男を持ち上げてそのままぶん投げちゃうんだから。それに巻き込まれて私のポーションの入った瓶が割れちゃってさー。弁償しろって言ったら…おっと、これは関係ない話だったか」

「へぇー、力持ちなんすね。一度会ってみたいっす」

 

 大男を片手でぶん投げる程度クロエルでもできるだろうが特に張り合う気にはならなかった。純粋にこの世界の実力者に興味があるのは確かだが。

 

「この都市で活動してればそのうち会えるだろうさ。まぁ私たちを一気に飛ばしていきそうな奴らだったから、すぐに王都の方に移っちゃいそうな気もするけど」

「いいっすね。希少種なら尚更拝んでおかないと」

「それ、連中の前でいっちゃだめだよ?」

 

 クロエルの言葉がツボに入ったのかブリタが可笑しそうに笑う。

 それから二人はしばらく談笑し、互いに打ち解けてきたところでクロエルはブリタに一つ提案をして見ることにした。

 

「ところでブーちゃん、自分こっちの文字が読めなくて難儀してるっす。なんか文字を覚える教材とか売っているところ知らないっすかね? このままじゃ組合のお仕事ボードに貼っ付けてある羊皮紙の内容が読めないし…忙しそうにしている受付の人をいちいち呼び出して教えてもらうのも忍びないっす」

「ブーちゃんはやめて! ブリタでいいよ…まったく、でも良い心掛けだね。教材に関しては今度教えてあげるよ。それより話から察するにあんたまだ何も依頼を受けてないんだろ? だったら私の仕事の手伝いをしてみない? 私のチームは主に街道の警備の仕事をしてるんだけど、比較的安全な仕事だし取っ掛かりとして持って来いだと思うよ」

「ほんとっすか! 是非お願いするっす! いやぁブー…ブリタと知り合えてよかったっす。剣には自信があるけど、正直冒険者になるのは初めてだから上手くやっていけるのか不安だったっすよ。色々勉強させてもらうっす」

「謙虚だねぇ。それじゃ早速明日から手伝ってもらおうかな、金の話は私のチームと顔合わせしてからね。酔っ払い二人で決める内容じゃないしさ」

「違いないっす。二日酔いになっても困るし今日はこれでお開きにするっすか」

「そうね。それじゃあまた明日会いましょ」

 

 こうしてクロエル…エルスは城塞都市エ・ランテルで、新たな仲間との初の冒険者の仕事をすることになる。

 ブリタと別れて宿の与えられた一人部屋へと戻った彼女は、扉に鍵をかけたのを確認してから一瞬にして装備していた全身鎧を消失させ下着姿になった。ゲーム時代の装備のショートカット登録が生きていたからできる芸当である。

 下着姿で露出した、首から下の肌はやはり傷跡で埋め尽くされており、とてもでないが人に見せられる状態ではない。

 

(はー酔っぱらったっす。身体がポカポカするっす)

 

 彼女が部屋のベッドに倒れこむとギシッという音と共に埃が舞った。久方ぶりのベッドだったこともあり彼女は多少の不衛生さを気にも留めず、さしたる時間もかけず微睡んでいく。

 

(明日は初めてのお仕事頑張るっす…クーちゃんは今頃何をしてるっすか…ブリタに化粧させたいっす)

 

 泡沫のように浮かんでは消えるぼやけた思考に身を任せながらエルスは目を閉じた。

 ほどなくして、部屋の中に寝息だけが静かに響く。彼女の短い旅はこの日、取り敢えずの終わりを見せたのだった。

 




 検問所

兵士「流れ者か…名前は?」
クロエル「(偽名くらい使うっすか…略せばいいっすね)エルっす」
兵士「エルスか」
クロエル「えっ」

 冒険者組合所

受付嬢「冒険者登録ですね、お名前をどうぞ」
クロエル「エルスっす」
受付嬢「エルスス様ですね」
クロエル「まって」


 改めて読むと原作のエ・ランテルはイベント盛りだくさんですね。
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