鋼の鬼   作:rotton_hat

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それぞれの戦い

 クロエルとシャルティアの戦闘の火ぶたが切って落とされた頃、そこから少し離れた森の中をブリタが脇目も振らず駆けていた。

 

 ――駆けろ、駆けろ。ただ只管に。

 

 息を弾ませながらそう己を鼓舞し、ブリタは止まることなく駆け続ける。

 時折背後を確認したい衝動に駆られるが決して振り返ることはない。走りながら身を捩れば呼吸が乱れるし何よりも夜の森だ、余計なことをして足元の注意を怠れば直ぐに転倒してしまうだろう。そうなれば、ブリタの生存率はぐっと下がる。

 

 そう、彼女は今生死の境目に足を踏み込んでいた。

 強力な吸血鬼の出現とそれからの逃走。親玉だと思われる化け物の足止めはクロエルが務めてくれたが、その眷族である吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)が一体、追手として差し向かれている。これに対してブリタを含む冒険者チームが取った行動は散開。個々が別々の方向へと逃走する手だ。

 何人かは犠牲が出るだろう。しかし追手は一人、少数を贄とする間に多数は別方向へと逃走して生き延びることができる。残酷な選択ではあるが全体の生存率を上げるにはこの手しかなかった。

 

(リーダー…)

 

 最初の犠牲者の顔を思い浮かべてブリタの目頭が熱くなるが、奥歯を噛み締めて溢れそうになる涙を堪える。

 事前に準備を進めていたこともあり逃走は迅速だった。しかし吸血鬼の花嫁から見て一番近い位置を逃走していたチームリーダーの魔法詠唱者(マジックキャスター)は、人を超越する膂力にすぐさま追い詰められて、最初の犠牲者として命を散らしてしまっていた。

 ブリタは逃走の最中に一瞬だけ視線をやって、その最期を目に焼き付けている。白魚のような手に腹を貫かれながら、少しでも仲間が生き延びられるようにと決死の覚悟で吸血鬼の花嫁を抱き止める立派な最期だった。

 

(何人…生き残れるかな)

 

 少なくとも仲間の二人はもうこの世にいない。一人はリーダー、もう一人は離れた場所から聞こえた爆発音に紛れて悲鳴を上げた誰か。集っていた最初の地点から各自別々の方向へと距離を稼いでいるので、後は吸血鬼の花嫁が誰に狙いを絞るかでブリタの生死は決定すると言っても過言ではないだろう。

 

(あいつは、エルスはまだ戦ってるのかな)

 

 額を流れ落ちる汗を拭おうともせず、ブリタは全身鎧を身に纏う女戦士の姿を思い浮かべて走り続ける。

 昨夜会ったばかりの新入りの冒険者だった。酒場の酔っ払い達を相手に、明朗な語り口で異国の物語を披露する姿を見て、馬が合いそうだと酒を酌み交わしたのが始まりだった。

 仲間に誘い、快諾されて共に仕事をすることになった。警備の仕事に同行させてみて、思わぬ拾い物だったと気付くのにそう時間はかからなかった。

 凡庸な人の枠には囚われない超人的な強さ。化け物と対峙し、誰もが逃げ出すしかない状況下にあっても一人踏み止まり気炎を吐くその背中にブリタは英雄の姿を見た。

 

(まだ生きてるのかな、どんな気持ちで戦ってるのかな)

 

 英雄の可能性を持つ、才気溢れる者の内情に思いを馳せながらブリタは走る。渦巻く思考は憧憬の念からか、それとも恐怖からの逃避のためか。

 

(私たちが守るべき弱者だから踏み止まって戦ってるの? 最初から私たちを劣っている者と見下しながら一緒に行動していたの? あんたは、あの底辺の酒場で何を思いながら私たちを眺めていたの?)

 

 自分達のために最前線に残った相手に対して何を考えているのだろう、そう思いながらもブリタの思考は止まらない。

 何故なら、出会ってしまったから。彼女がどんなに努力しても追いつくことができない存在に、彼女が懸命に昇ろうとする巨大な階段を一段抜かしで軽やかに超えていくような超常の存在に出会ってしまったから。

 憧憬や羨望、嫉妬などの気持ちがない交ぜとなり、いつの間にか黒い濁った色の感情となってブリタの胸中を占めていた。そんな場合じゃないのに、己の意志さえ自由にできない人の身の何ともどかしいことか。

 

(何で私は惨めに逃げてるんだろう。私にも力があれば全員生きて帰れたかもしれないのに…羨ましい、才能を持っている人が! 私も英雄としての才能が欲しかった!)

 

 昂った感情に流れた一筋の涙が向かい風に乗って宙を舞う。

 弱いことが悔しくて、それを理由にエルスを妬み貶す自分が恥ずかしくて、ブリタの胸中は搔き乱される思いだった。そして、攻撃を受けたわけでもないのに傷付き、血を流すエルスの呪われた身の上を思い出して自己嫌悪は深まっていく。野営地でのひと時の休息のさい、鎧を脱いで休んだらどうだと勧めた出来事が未だ棘のようにブリタの胸に突き刺さっている。

 

 ――顔から下はちょっと人には見せられないっす。

 

 そう言っておどける彼女の姿に、自分の迂闊さをどれだけ後悔したことか。

 

(エルスだって全てを持っているわけじゃない…それに、呪いのせいで激しい戦いになればなるほど血を流して死ぬ危険性だってあるじゃない…なのに私は!)

 

 そこまで考えて、ふと思う。なぜ、彼女は逃げないのだろうか?

 自分の強さに絶対の自信でも持っているのだろうか。いや、あの化け物と対峙した時の彼女にそのような余裕は感じられなかった。

 実力が拮抗していたとしても相手は疲れを知らぬアンデッド、対するエルスはあのおぞましい呪いの影響で長い戦闘には耐えられない身体のはずだ。となれば死ぬ可能性が高い危険な状況下にあって、彼女が逃げ出さずにいる理由とは何なのか。

 

(それが、力を持った者の…英雄の責務だとでもいうの?)

 

 英雄とはなんだろう。力を持っていれば英雄と言えるのだろうか?

 いや、それは違う。ただ力を持っているだけなのならば、その力に責任を持たないのであれば、それは人であっても化け物と変わりはしない。人は弱く、強すぎる存在など脅威以外の何者でもないのだから。

 

 だからこそ、力がありそれを行使する者は選択を迫られる。人との繋がりを絶やさぬために持たざる者の護り手、或は規範となるべく英雄的行動に縛られるか、それとも己の力を自由意志のままに振るい、制御の利かぬ化け物として人の世界で孤立を深めるか。エルスは間違いなく前者だろうとブリタは考える。

 

(逃げないんじゃなくて、逃げられない? 人が…私たちがあなたの行動を縛っているの、エルス?)

 

 そこまで考えて、ブリタは胸にストンと落ちるものを感じた。

 エルスの酒場で見せた他者に好意的であろうとする振る舞いや、逆境にあっても尚懸命に立ち向かおうとするあの姿勢。

 

 それらがもし、もしも持たざる者たちとの繋がりを保つためのものだとしたら――何てことはない、エルスもまた孤高では、一人では生きられぬただの人間なのだ。

 化け物が嫌で、一人が嫌で、だから見捨てられないように人の為に在る。英雄を英雄たらしめる理由の一端がそのような所にあるのだとすれば、それは何と滑稽で、そしていじらしいことか。

 

(持っていようがいまいがとどのつまり、私たちは依存しあわなきゃ生きていけないただの人間なんだ)

 

 嫉妬や羨望の色眼鏡を取り外したエルスの人物像の評価と、英雄の正体を垣間見た暗い優越感が少し。思考の果てにブリタが行き着いた結論は、彼女にとって希望ともいえるものとなり、少しだけ気分を前向きにしてくれた。

 

(お互い生き残ったら、友達になりたいな。才能とか関係ない、対等な友達に)

 

 今の自分ならなれる気がする、いやなってみせる――と、ブリタが決心してすぐのことだった。地面から突き出ていた木の根っこに足を取られ、彼女は前のめりになって転倒した。

 地面に口づけしながらなんて間の悪いとブリタは内心悪態をついたが、結果として運がよかったのだとすぐさま認識を改めることになる。地面にうつ伏せに転倒してから間もなく、頭上を見えない衝撃波が通り過ぎ前方の草木を爆散させながら夜の闇へと消えていったからだ。

 

 ブリタの全身が冷や水を浴びせられたように粟立ち、うつ伏せのまま上半身を捩って後方を確認すると、そこには夜の森にあってルビーの如く輝く赤い双眸がこちらを見据えているのが見えた。

 血の気のない白蝋のような肌、男を魅了するためだけに造形されたような蠱惑的な身体、森の中では場違いな胸元の大きく開いた大胆な白のドレス、見間違いようがなくそれはブリタ達を狩るために追ってきた怪物、吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)の姿だった。

 

 吸血鬼の花嫁は自身の放った〈衝撃波(ショック・ウェーブ)〉が命中しなかったことを気にした様子もなく、ブリタを見据えたまま無表情にその距離を詰めてくる。表情を全く動かさず、瞬きさえもしないその姿は人に近い姿にあって一層不気味だ。

 

 ブリタも懸命に立ち上がろうと試みるが、一歩一歩確実に近づいてくる死の恐怖に腰が砕けて思うように身体を動かすことができない。結局は這うようにして吸血鬼の花嫁から逃れようとするが、その速度は絶望的に遅かった。

 

(終われない…終わりたくない! やりたいことができたんだ! こんな所で死にたくない!)

 

 頭の中でエルスの後姿を想い描きながらブリタは勇気を振り絞り、逃げることをやめて懸命にベルトポーチを漁り始める。抵抗の意志を感じ取った吸血鬼の花嫁は接近をやめ、〈衝撃波〉を放つべく右手をブリタへと突き出した。

 

「死んで、たまるかぁあああ!!」

 

 絶叫と共にブリタが投げつけた小瓶が、くるくると放物線を描きながら吸血鬼の花嫁の顔面へと飛来する。

 吸血鬼の花嫁は動じた様子もなく無表情のままそれを一瞥すると、〈衝撃波〉を放とうと構えていた右手をぞんざいに振るい飛んできた小瓶を破壊した。パキンという硝子の撃砕音と共に飛散した赤い溶液が吸血鬼の花嫁の顔を濡らす――

 

「ぎゃッ!!」

 

 ――刹那、吸血鬼の花嫁が短い悲鳴と共に顔を諸手で覆い苦しみだした。

 ブリタが投げつけた小瓶の正体は以前酒場で出会った漆黒の戦士モモンより譲り受けた下級治癒薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)だった。人にとっては即効性の治癒効果がある薬になるが、アンデッドにとっては毒以外の何物でもない。吸血鬼の花嫁もその例に漏れず、小瓶を割った右手の甲と指の間から見える顔全体が熱湯でも被ったかのように赤く爛れ始めていた。

 

 格上の化け物が悶える姿を見て活力を取り戻したブリタは、すぐさま立ち上がって形振り構わず逃走を開始する。それに気が付いた吸血鬼の花嫁も片手で顔を覆いながら、もう片方の手で〈衝撃波〉をブリタが逃走しているだろう方向へと滅茶苦茶に乱発し始める。

 眼が塞がっているのか狙いの定まらない攻撃だったが、何度か自分の真横を轟音と共に通り過ぎていく〈衝撃波〉にブリタは生きた心地がしなかった。

 

(生きてやる! 絶対に生きて帰ってやる!)

 

 必死の形相で駆けるブリタの右斜め前方で、大木に直撃した〈衝撃波〉が爆散して木っ端を散らす。細かい木の破片がブリタの露出した肌に突き刺さり血を滲ませて、次いで飛んできた大人の握り拳くらいはあろうか大きな木の破片が彼女の額に直撃する。

 

 健闘も空しく、その一撃で意識を刈り取られたブリタは駆ける勢いのまま地面を滑るようにして突っ伏した。

 

 

 * * * *

 

 

「申し訳ありません! リイジーさん、モモンさん、ナーベさん!」

 

 ブリタが吸血鬼の花嫁から必死の逃走劇を繰り広げる数刻前の事、城塞都市エ・ランテルでポーションの販売を営んでいるリイジー・バレアレ店の中では必死に頭を下げ謝罪をする冒険者チーム「漆黒の剣」一行と、その謝罪を受けてぽかんと立ち尽くす店の主である老婆リイジー・バレアレ、漆黒の鎧で全身を覆った戦士モモン、美しき魔法詠唱者ナーベの姿があった。

 

 如何な理由があってこのような状況になっているかを知るには少々時を遡らなければならない。モモンとナーベ、そして漆黒の剣一行はつい数刻前まではンフィーレア・バレアレという少年の薬草採取の警護依頼を受けて三日間仕事を共にした間柄だった。

 

 その依頼も今日エ・ランテルへと帰還したことで完了となり漆黒の剣一行はンフィーレアに連れ立って薬草などの荷下ろしの手伝いに、モモンとナーベは道中で従えた馬ほどの巨躯を持つジャンガリアンハムスターのような魔獣、ハムスケを騎乗魔獣として登録するべく冒険者組合へとそれぞれ向かっていった。

 

 そして登録を終えたモモンは組合の外で偶然ンフィーレアの祖母であるリイジー・バレアレと遭遇。どちらも目的地がンフィーレアの居る店だったこともあり道中を共にすることとなったのだが、着いてみれば店内にはンフィーレアの姿はなく漆黒の剣一行が全員床に突っ伏していたのだった。

 

 三人が手分けして全員を目覚めさせると――途中漆黒の剣の一人、ルクルットがナーベのビンタで目を覚ますや否や彼女を口説き始め、ゴミを見るような視線を返される一幕があったりもした――事の経緯を聞き、ンフィーレアの不在に気付いた時点で見る見る顔を青くしていき冒頭の場面へと戻る。

 

「…つまり、ンフィーレアさんが攫われた、ということですか?」

「な、なんてことだい……」

 

 沈痛な面持ちで項垂れる漆黒の剣一行を見下ろしながらモモンとリイジーが呟く。

 どうやら完全な不意打ちだったらしく野伏(レンジャー)のルクルット以外は碌に反応もできず気絶させられてしまったようだ。そのルクルットも相手を一瞬視界に捉えるのが精一杯だったようで大した情報を持っていないありさまだった。

 その不甲斐ない話にリイジーの怒りの矛先が漆黒の剣に向き、あわや第三位階魔法をぶっ放そうとしたところをモモンが宥めるなど多少の脱線はあったものの、程なくして全員の情報の共有を済ませた。

 

(ルクルットの話だと店にいた賊は恐らく一人。フード付きローブで全体を覆っていたから外見的特徴はほぼ皆無か。体型からして女で間違いはないそうだが…何ともあの男らしい視点だな…ンフィーレアの生まれながらの異能(タレント)が目的の誘拐だとしたら、そいつのバックについている連中が気になるな)

 

 フルフェイスの兜越しに顎に手をやりながらモモンが何気なしにナーベへと目をやると、彼女が微笑を浮かべながら敬意のこもった視線を返してくる。

 

(…こいつめ)

 

 何も考えていないな、とモモンは若干の苛立ちを覚えた。

 人の姿をしているとはいえナーベの正体はモンスターだ、所属するナザリック以外の者に価値なしと見下すことを隠そうともしない彼女にとって、このような人間の細事など考慮に値しないことなのだろう。故に主人であるモモンだけに一心に侍り、それ以外のことは考えない。

 

 だが、それでは駄目なのだとモモンは思う。自分だけに盲信して他のことへの思考を放棄するのは不健全だ。色々なものを見聞し、体験し、考え、成長してもらいたいと思うのはモモンの純粋な親心である。

 今後シモベたちの成長を促すような企画も考えねばならないか、と新たな目標を心のメモに書き込んだモモンは、とりあえず目の前の問題に挑むべくナーベだけに聴こえるよう声を潜めて問いかけることにした。

 

「…ナーベよ、賊についてのお前の見解を聞きたい。どう考える?」

「はい、何の価値もないゴミです」

「違う。私が聞きたいのは蔑視の言葉ではなく、少ない情報からお前が賊をどう分析したかだ…まさか何も考えていなかった、なんてことはないよな?」

「!? 申し訳ありませんモモンさ――ん」

 

 失態に焦りながらも敬称を辛うじて間違えなかったことは褒めるべきだろうか。

 僅かの間顔を伏せて黙考したナーベは、やおら顔を上げるとモモンの顔を見上げながら自分の考えを語りだす。

 

「……賊は下等生物にしては中々の力量があると愚考いたします。あの虫けらたちは全員貧弱ですが…それなりに連携のできるチームです。それを単独で情報を与える暇も与えず、一撃で昏倒させる技量は確かなもの、かと」

「ほう?」

 

 満足のいく回答を出しえたかと不安そうに上目使いでこちらの様子を窺うナーベを見下ろしながら、モモンは若干の驚きを交えつつ感心していた。

 何故なら賊への評価は当たり障りのないものでしかなかったが、彼女の口から漆黒の剣を評価するような内容が飛び出したのだ、もしかしたら交流を深めて行くことで今後人間蔑視の度合いを低くすることが出来るのではないかと希望が持てる回答だった。

 うんうんと気分を良くしたモモンがナーベの頭を一撫ですれば、彼女は頬を染めて軽くうつむいた。

 

「そうだナーベよ、個々の弱さは連携によって補える。そしてあの者たちはそれができる連中だ……そんな連中にさしたる情報を与えず個によって無力化してみせた件の賊は並の力量ではないだろう……ああ、殺さなかったという所も評価するべき点だな。情報を掴ませないのなら口を封じるのが一番手っ取り早いのだから、あえて困難なやり方を選んだのだとしたら余程の自信家なのだろう」

「流石はモモンさ――ん。見事なご慧眼です」

「世事はいい。ナーベよ、エ・ランテルにも学ぶべき物は色々とある。目や耳を閉じずに人間の世界にも目を向け、思考せよ。それはきっとお前の力になる」

「はっ、アインズ様の仰せのままに」

 

 最後の最後で敬称どころか名前まで間違えたナーベの頭にチョップを叩き入れると、話は終わりだと言わんばかりにモモンはリイジー達へと向き直る。

 今後のことを考えれば現地の腕に覚えのある職人や生れながらの異能を持つ特別(レア)な個体はできるだけ確保しておきたい。であるならばンフィーレアを救出しリイジーに借りを作っておくに越したことはない。

 問題はンフィーレアの監禁場所を発見するのに多少の時間がかかるということか。敵の後手に回る可能性が高い現状ではリイジーに対して強く交渉することができないのが悩ましいところだった。

 

(賊が漆黒の剣の誰かを殺して遺品でも回収していたら〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉を使ってすぐにでも発見できたんだが…そう上手くはいかないか)

 

 〈伝言(メッセージ)〉を発動し、エ・ランテルに潜伏させているシモベ達にンフィーレア探索の指令を飛ばすと、モモンは気合を入れなおしてリイジーとの交渉に赴いた。

 

 

 * * * *

 

 

 数刻後、エ・ランテル共同墓地。

 

(あーーあ。やっぱりこうなっちゃったかー)

 

 エ・ランテルの墓場にある霊廟の出入り口の壁に背を預けながら、クレマンティーヌはハァァと深いため息を付いた。

 霊廟の内側で待機しているクレマンティーヌからは外の様子は見えないが、外にいるカジットとその弟子たちが死の螺旋の儀式を中断して何者かに誰何(すいか)する声が聴こえてきたために自分の悪い方の予想が当たってしまったことをクレマンティーヌは悟った。

 

 すなわち、モモンとナーベの二人が〈不死の軍団(アンデス・アーミー)〉で生成されたアンデッドの大軍を突破してきたのだろう。クロエルであったなら事前に調べはついているはずなのでわざわざカジット達が誰何をするとは思えない。

 

(どこで油売ってんのよエルちゃんは。お陰で厄介そうな連中が先に来ちゃったじゃんか…はぁー、巻き込まれるのはごめんだしそろそろお暇しちゃおうかな)

 

 内心クロエルに文句を言うが、その頃の彼女はそれどころじゃない状況だったのどのみち合流は不可能だったろう。預けていた背を壁から離し、クレマンティーヌが撤退を決めると同時に、それを阻むかのように霊廟の外から声をかけられた。

 

「そこの霊廟の中に入る奴、出てきたらどうだ? それとも私たちが怖くて出てこれないか?」

 

 声からしてモモンという戦士が発したものだろう。安い挑発であったがそのまま黙って去るというのも気に食わず、相手が実力者だと分かっていながら安全よりプライドを優先してしまう自分自身に内心舌打ちをしながらクレマンティーヌは仕方なく霊廟から顔を出す。

 

「いやー、バレバレだったかー。お兄さんやるねー」

「クレマンティーヌ、おぬし……」

「いーじゃん、カジッちゃん。どうせバレてたんだし、隠れてても意味なんかないよ」

 

 あ、韻踏んじゃった? と、お道化るクレマンティーヌをカジットが睨みつけ、そのやり取りを呆れたように眺めるモモンとナーベだったが、隠れていた人物が女性だと分かるとほんの少しだけ警戒度を引き上げる。

 

「……なるほどお前だな? 単独でンフィーレアを攫った犯人は。見事だったぞ、証拠を殆ど残さずに獲物を掠め取るその手腕は……お陰でここに来るまで少々手間取ったほどだ」

「そりゃどーも、私としてはあれでお仕事完了だからさーそろそろお暇したいんだよねー。ここはお互い出会わなかったってことで、どう?」

「クレマンティーヌ!」

 

 モモンとクレマンティーヌの問答に思わずカジットが口を挟むが、当の二人はどこ吹く風だ。彼女の提案を聞いてモモンは軽く肩を竦ませて見せる。

 

「……それはできない相談だな、クレマンティーヌよ。私はお前という存在に少し興味がある。それに――」

 

 モモンが一度言葉を切ると同時に、周囲の温度が下げるかの如く底冷えするような雰囲気を纏う。

 

「――私の手を煩わせたお前の行為は非常に不愉快だ。逃げられると思うなよ、クレマンティーヌ」

 

 そう言って背中に差していた一対のグレートソードの内の一本を片腕で引き抜くとクレマンティーヌへと突きつける。百五十センチはあろうかという大剣を片腕で、しかも水平に突き出してその切っ先を微動だにさせないその膂力に、カジットやその弟子たちの息を呑む音が聞こえた。

 

 そう、モモンはここに来るまで本当に大変だった。

 リイジーとの交渉に並行してンフィーレアの探索に出した八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)影の悪魔(シャドウ・デーモン)などのシモベ達とも〈伝言〉で連絡を取り合ったり、ンフィーレアを発見したら発見したでそのことをどう納得できる形でリイジーや漆黒の剣の面々に説明するかを思い悩んだり、ようやく難所を乗り切ったと思えば今度は墓地からアンデッドが溢れ出してきて、街と墓地を隔てる壁を突破してきたとてんやわんやの大騒ぎだ。

 

 壁を突破される前にモモンとナーベ、ついでにハムスケが墓地へと駆けつけていたら円滑にアンデッドたちを対処できていただろうが、街に侵入されてしまっては住民を守りながらの防衛線に徹することになり、アンデッドたちを墓地へと押し戻し防衛線を張るまでの間は北へ南へ奔走する破目に陥ってしまった。

 

 エ・ランテルの住民や冒険者たちに自分たちの実力を十全に披露できたのは結果としてよかったのかもしれないが、最短を行けなかったことを考えるとやはり時間と労力の無駄遣いだったとモモンは思う。

 

 カジットとその弟子たちの相手はナーベに任せ、モモンはクレマンティーヌを促し別の場所へと移動する。

 嫌そうな顔をしていたが付いてくるだろう、という確信がモモンにはあった。こちらが興味を持ったようにあちらもこっちに興味を持っている節があったからだ。それはモモンの後をのんびりとついてくる足音が証明してくれた。

 

「ねー、やっぱりやめようよー。私、この街では殺しはしたくないんだよねー。邪魔とかしないからさぁ、見逃してくれないかなー?」

 

 足を止め、しじまにクレマンティーヌの間延びした声が響いた直後にナーベとカジット達が居たあたりで雷の爆発が眩しい輝きを照らし出した。目を細めてその方向に一瞥をくれると、クレマンティーヌは気だるげにモモンと対峙する。

 

「そういえば漆黒の剣の連中を見逃してくれたんだったな。どんな理由があるかは知らないがその点については感謝している」

「んー、もしかしてお仲間だった? にしては実力が開き過ぎてる気がするけど」

「ほう?」

 

 珍しい、とモモンは思った。

 この世界の人間はレベルの確認方法が乏しいためか実力を見せないうちは相手が格上かどうかも判断できないような連中が多い印象が彼にはあった。場末の宿の冒険者然り、いかに絢爛華麗な全身鎧を着こんでいようとも喧嘩を吹っ掛けてくるような人間がいるのだからそのような印象を抱いてもしょうがない。

 かく言うモモン自身も特殊なマジックアイテムなどがなければ相手のステータスを看破できないのだが、超越者故か自分のことは完全に棚に上げている。

 

(生れながらの異能か? それとも一流の観察眼とかいうやつかな? どちらにしても俄然興味が湧いてきたな)

 

 クレマンティーヌの評価を上げながら、もう少しだけ彼女との会話に興じることにする。

 

「なに、仕事で共に旅をしただけの存在だ。しかし、あいつらは私の名声を高める道具でもあったからな、殺されなかったことには正直ほっとしているよ」

「ふーん。結構いい性格してんね、あんた……っつーか、糞が。そういう話をするってことは逃がす気はさらさらねーってことか」

 

 整った顔を歪めてそう吐き捨てるクレマンティーヌに対してモモンはどこまでも冷静だ。

 

「最初に言ったろう? 逃がすつもりはない、と。生き残りたければ実力を示せ、クレマンティーヌよ。お前がナザリックにとって有用な存在かどうか、私が直々に裁定してやろう」

「何を訳の分からないことをペラペラと……わかりましたよーっと、エルちゃんへの義理で殺しは我慢してたけどさー、降りかかる火の粉は払わなきゃいけないよねー?」

「……エル?」

 

 仲間の名前か、とモモンが聞こうとするがローブを脱ぎ捨てたクレマンティーヌの姿を見て言葉に詰まる。

 クレマンティーヌは異世界転移後、剣と魔法の世界に在りながら終ぞお目にかかることのなかったビキニアーマーを装備していた。モモンの友人であるペロロンチーノがこの光景を目撃していたのなら狂喜乱舞して彼女に押し倒していたかもしれないが、彼が注目したのはそこではなく鎧に使われている素材と腰にぶら下げる武器の二点だった。

 

「うわーすっごいガン見してくるしー。えろすけべー」

「……なるほど、生粋の戦闘狂か」

 

 モモンの刺すような視線を受けてクレマンティーヌが両腕で己を描き抱くようにして胸の谷間を強調させる挑発的なポーズをとるが、彼の言葉を聞いてからは代わりに耳元まで裂けたような笑みを浮かべる。

 

 彼女の鎧は一見、鱗一枚一枚の輝きが異なる鱗鎧(スケイルアーマー)のような表面をしていたが、その実は違う。無数の冒険者のプレート、白銀、金、銀、鉄、銅、果てはミスリルやオリハルコンまでの冒険者プレートを隙間なく打ち込んでできた鎧だった。それこそクレマンティーヌが集めてきた狩猟戦利品(ハンティング・トロフィー)、彼女が犯してきた数えきれない殺人の象徴かのような鎧である。

 

 だが、モモンがそれよりも注目したのは彼女の腰にぶら下げられた武器の方だった。

 

(……刺突武器)

 

 その武器は以前トブの大森林でデミウルゴスから報告されたアベリオン丘陵の異変を思い出させる。

 その一帯には生息しないはずのモンスターの大量死。そしてその死因は全て刺突武器による急所への一撃ではなかったか。

 

(偶然か? いや、しかし……)

 

 ンフィーレア誘拐の手腕、敵の実力を測る観察眼――若しかすると、若しかするのかもしれない。

 

「……いいぞ、クレマンティーヌ。俄然、お前に興味が湧いてきた」

(ああ? マジで変態か、こいつ?)

 

 夜の暗闇のなか時たま煌めく雷の閃光に照らされて、両者は互いに武器を構えた。

 

 

 * * * *

 

 

 ――忌々しい。

 

 夜の森の中、木っ端散らばる地面に倒れた赤毛の女を見下ろして、吸血鬼の花嫁は憎々しくそう思う。

 赤毛の女、ブリタは額から血を流してピクリとも動かないが、呼吸と共に僅かに上下する肩の動きが彼女の生存を教えてくれる。

 

 ――忌々しい。

 

 嘗ての鉄仮面のような無表情とはかけ離れ、もはや吸血鬼の花嫁の形相はすさまじいものだった。顔面の半分をケロイド状に爛れさせ、その表面は別の生き物のように時たま痙攣を起こしてピクピクと蠢いている。

 眉間や鼻根部に深い幾つもの皴を寄せ、吸血鬼特有の長い犬歯をむき出しにして歯ぎしりする様は獰猛な肉食獣のようだ。

 

 アンデッドの弱点の一つとは言え、下級治癒薬で受けるダメージなどたかが知れている。しかし、格下の下等生物に不覚にも手傷を負わされたという事実は吸血鬼の花嫁を業腹させるのに十分なものだった。

 

 本来ならば嬲り殺してやりたいところだが、他の逃げた冒険者たちも狩らねばならないので時間をかけてはいられない。といってもバラバラに散った獲物たちをこれ以上狩るのは困難と言わざる得ない状況だったが。

 

 ――残念だ。意識のある状態でゆっくりと、血を根こそぎ吸い取ってやりたかったのに。

 

 そんなことを考えながら吸血鬼の花嫁は右肘を上げ、ピンと立てた指先をブリタの首筋に向けた。

 手刀で彼女の首を貫くつもりなのだろう。限界まで引き絞られた弦の如く、弾けるようにして吸血鬼の花嫁の手刀が繰り出される。

 

 ドスッと肉を貫く音が夜の森に小さく響く。

 吸血鬼の花嫁が感じたのは熱だった。ただ、それは右手の手刀に伝わったブリタの熱ではない。彼女の手刀は何故かブリタの首に届く前に停止してしまっている。

 

 その熱は自分の背中から胸の中心へと抜けるような鋭い熱だった。

 吸血鬼の花嫁がぎこちなく目線を下げると、自身の胸の谷間から金属の穂先が生えているのが見て取れた。理解が追いつかず呆然とその光景を眺めていると、穂先がまるで差し込んだ鍵を回すかのように百八十度ほど回転し、吸血鬼の花嫁の体内で肉や内臓を抉られるような激痛が駆け巡っていく。

 二度、三度と激しい痙攣を繰り返した吸血鬼の花嫁は、それっきり灰となってその身を崩壊させていった。

 

 金属の穂先の正体は、槍。

 いつの間にか吸血鬼の花嫁の背後に立っていた男が、その槍で彼女の背中を貫き、穂先を捻ることで傷口を広げて致命の一撃を与えたのだ。

 槍を持った男は崩れ行く吸血鬼の花嫁と、そのすぐ近くで気絶しているブリタに一瞥をくれると、すぐに背を向け歩き始めて……足を止めた。

 

 ――ひああああああああああああああああ……。

 

 それは少女の悲鳴だった。

 いや、正確には少女のような悲鳴だった、というべきか。音程の外れた鐘が何十にも鳴り響くような不協和音のような音色の混じるその絶叫は、とてもただの人間の声とは思えない。

 

 男は声の響いた方向を無言で睨むと、その場所を目指して再び歩き始める。

 その背後に、いつの間にか現れた十一人の男女を従えて。

 




 ブリタ、一人で勝手に悩んで一人で勝手に解決する。
 バニアラ成分をちょっと含ませてみました。
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