逆行した進藤ヒカルが今度は悪役(仮)を目指すようです。【完結】 作:A。
既に定期的になりつつある奈瀬と会う日。いつもの公園で待ち合わせだ。ヒカルは時間を確認したが、ピッタリ五分前に到着した。
しかし、見てみると奈瀬が既にベンチで待っている様子だ。少し小走りで近づく。
「よ。奈瀬、今日はお前の方が早かったな」
「……うん」
声に元気とハリがない。ヒカルは疑問符を浮かべた。普段の奈瀬らしくないからだ。そういえば、いつもはもっと明るい感じなのに今日は随分と大人しい印象だ。
(……何かあったのか?)
「んー、奈瀬。今日は、辞めとくか?」
心配になったものの、素直に口にするのはキャラ的にどうかと考え、予定を切り上げる提案をした。ところが、奈瀬は勢い良く首を横に振る。
ヒカルはすっかり困ってしまった。
(あー……くそ。こんな時ってどーすりゃいんだよ)
奈瀬は俯いたまま動かない。しかし、帰るつもりはなさそうだ。そのまま暫く無言な気まずい時を過ごした。
奈瀬は何かを思いつめている様子だったものの、口には出さない。ヒカルとしては無理に聞き出す気はないので、そのままでいるしかないのだ。
本当に優しい奴なら、多少強引にでも話を聞いてやるのだろうが、そんなお人好しじゃないヒカルはそんな真似はしない。
仮にも昔から知っている友達に対して冷たい奴だとヒカルは自身を自嘲した。そうして、奈瀬に何も動きがないからと油断をしていたからかもしれない。
不意に奈瀬が俯いていた顔を上げた。
「うわっ、何なんだよ。急に」
突然の行動に無駄に驚いて反応してしまった。すると、奈瀬が急にベンチから立ち上がり、近づいて来たかと思えば、ヒカルの両手を握ってきたのだ。
「え?」
「進藤ヒカルさん……いえ、進藤ヒカル様」
「は?」
ついに奈瀬が頭がおかしくなったのか壊れたのかをしたらしい。訳が分からずにヒカルは目を白黒とさせた。
「一生のお願いがあります。あなたの時間を私に下さい!!」
目を見て真剣に伝える奈瀬。しかし、ヒカルとしてはツッコミ所しかなかった。
「……奈瀬、お前。それって逆プロポーズって奴?」
「え?……あっ」
漸く自分の行動と言動を思い返す余裕が出来たらしい。奈瀬は首元まで一気に顔を赤くしたのだった。
「私、そ、そんなつもりじゃ……ちがっ、いや。違わないけど、違う!」
「あーはいはい。わかってる。わかってるから、落ち着けって。な?」
テンパった奈瀬がワタワタと言い訳を口にする。手を無闇に振り回しているし、口調が乱れまくりだしで、見事にパニクっていた。
ヒカルは取り敢えず、落ち着くまで待って話を聞くことにする。本当なら、ここでからかってやりたかったのだが、そんなことをしたら今度こそ収拾がつかなくなりそうな予感しかしないため、大人しくしていた。ヒカルとしては実に大人な対応に褒めて欲しいところだ。
そうして、また時間を消費しつつも、やっとのことで奈瀬が落ち着きを取り戻したらしい。
顔の火照りが少し収まり、少し様子が落ち着いて、元に戻ったみたいだ。様子を見計らっていたヒカルが声をかける。
「ん。もう大丈夫か?」
「な、なんとかね……」
「で?」
「?」
「あの発言の意味は?」
「ええっと、それは……」
口ごもりながらも、奈瀬は意を決した表情になると話し始める。
「アレは言葉の選択を間違えちゃったけど、進藤に一生のお願いがあるの」
「うん。取り敢えず、言ってみたら?」
「無理なのはわかっているし、ダメって言われるのも覚悟してる。けど、どうしても諦められなくて……」
(また、誤解されそうな言い回しをしているんだが、突っ込まないでおいてやろう……)
ヒカルは遠い目をしたが、奈瀬はそんなことには微塵も気にした様子を見せず、大きく息を吸ってハッキリと言葉という特大の爆弾を投げつけてきた。
「進藤、私をアンタの弟子にして欲しいの!!!」
「は? で、弟子ぃ?」
「そう……弟子。悩んだんだけど、こんなこと頼めるのは進藤しかいないの! プロ試験まで私のことを鍛え上げて欲しい!」
呆気。ヒカルは本当に理解が及ばず、ポカーンとしてしまった。しかし、奈瀬はそんなことはお構いなしに言葉を続けている。
「もちろん、分かってる。私じゃ、進藤が認める弟子のレベルの基準に全然満たないってことくらいは。けど、どうしても諦められないし、私には進藤しか居ないって思ってる」
「いや。だから、弟子って……」
「この際、弟子じゃなくてもいい。一時的な期間限定でも無理は承知でお願いしたいの! この通り、お願いします!!」
奈瀬はヒカルに深々と頭を下げた。しかし、急にそんなことを言われてもヒカルとしては返答に困って無言になる他なかった。
そして、言葉に
途端、ヒカルは慌てて奈瀬の腕を引っ張り上げる。
「ばっ、お前。馬鹿じゃねぇの!? 何考えてんだよ!!」
「こうでもしないと私の真剣さが伝わらないかと思って」
「ふざけんな! そんな馬鹿な真似したら絶対に承知しねぇからな!」
ヒカルには分かる。──奈瀬は本気だった。本気で、自分に対して地面で土下座をしようとしていたのだ。
「じゃ、じゃあ……進藤は私の師匠になってくれる?」
「師匠は無理。俺が、師匠って柄かよ。そもそもそんな器ねェし。つーか、そもそも俺なんてまだまだ学ぶべきことが山ほどあんの。それを教える側なんて笑っちまうぜ」
「……え? 進藤の棋力でも?」
「当然だろ。バカじゃねぇの? 棋力に関わらず、碁打ちだったら常に最善で最高の──神の一手への研究に費やすべきだろ、常識的に考えて」
奈瀬が物凄い衝撃を受けた顔をした。ヒカルとしては、未だ佐為の領域には達していないと考えているのだ。だから、過去と未来を繋ぐため……そして、神の一手の追求のために、ずっと努力を続ける気でいたのである。
そんなヒカルに対して、奈瀬が掠れた声で、縋るように問いかけた。
「じゃ、じゃあ。師匠じゃなくてもいい。少しだけでもいいから指導をしてくれない、かなぁ……?」
「少し?」
「本当に少しだっていい。文句だって言わないから」
「…………」
ヒカルは考える。これから自分は大きな目標に向かって
そもそも、未熟な自分が誰かに物を教えている姿なんて想像がつかなかった。特に逆行前の塔矢が聞けば、「君が?何かの冗談だろ」とか言い出すに決まっている。
そこまで思考を巡らせて、断ろうと思ったが、目の前の奈瀬を見て思いとどまる。──予想以上に追い詰められた顔をしていたからだ。
このまま断ると今度こそ土下座をぶちかましてきそうな気がする。ただし、幾ら奈瀬が仮に土下座をしたとしたって棋聖のタイトルホルダーを諦める気など微塵もない。
タイトルホルダーになるための戦いがどれだけ苛烈で過酷なものなのかは、ヒカル自身が身に染みて理解をしている。
かといって、適当に奈瀬の相手をするというのも考えられなかった。引き受けておいて、少しだけ相手をしてやって、ポイ。
幾らヒカルが適当な性格をしていたとしても、相手は逆行前からの付き合いがある奈瀬だ。プロ試験に対する気持ちや意気込みも。女だからって見下される悔しさや、自分の碁に対する悩みまで知っている。無下にすることは出来なかった。
そして、奈瀬といえば即答で断らなかったことに希望があると思ったらしい。段々と、期待に満ちた眼差しを向けてくるのが分かる。
そして──……
「だあああああああああ! もうわかったけど、俺なんかに期待すんなよ! やることにも文句言ったりすんなよ!」
結局、その眼差しにヒカルは負けた。投げやりに引き受けることを承諾する。すると奈瀬は余りの出来事に信じられなかったのだろう。目を大きく見開いたものの、特にリアクションがなかった。
「んだよ。辞めるなら今のうちだからな」
その言葉に漸くヒカルの発言の意味を理解したらしい。喜びの余り、今度は涙目になりながらヒカルに飛びついてきた。
「あ、ありがとう!!ありがとう、進藤。本当に……」
「おわっ、分かった。わかったから、離れろって!!」
ヒカルは奈瀬に抱きつかれて赤面しつつも、念押しは忘れない。
「いいか? 俺には、これからどうしてもやり遂げなくちゃなんねーことがあんの」
「? うん」
「だから、今回だけだ」
「今回だけ?」
「手助けしてやるのは今回のプロ試験だけ。次はねェから。だから、それまでに何とかしろ! いいな?」
といっても、もう時間がなかった。なにせ、今は4月下旬。8月のプロ試験の予選まであとたったの3ヶ月位しか
それまでに少しでも奈瀬の棋力を上向きにしてやる必要がある。
奈瀬はヒカルの宣言を聞き、頬を紅潮させながら、必死に頷いてみせた。そんな様子を見てため息をつく。ヒカルが申し出を受けたことだけに喜んで安堵しているみたいだが、そんなに喜ぶのはプロ試験に合格してからにしろという話である。
(……コイツ、今は自分にマジ時間がなくて余裕なんて全くないのを分かってんのか?)
などと思いながら、ヒカルは尋ねた。
「取り敢えず、このあと時間ある?」
「ある、もちろん」
「そ。じゃあ、取り敢えず、俺ん家来いよ」
「え?」
奈瀬は面食らって再び固まってしまった。ヒカルは初っ端から
(ほら……やっぱな? だから、俺には向いてねーんだって)
前途は多難なようだ。