逆行した進藤ヒカルが今度は悪役(仮)を目指すようです。【完結】 作:A。
ある日の夜。ヒカルがコンビニに行って菓子類を購入した後、自宅に帰ると、玄関であかりと明日美に出くわした。それだけなら、なんていうことない日常風景なのだが、様子がどうやらおかしかった。
あかりが明日美に寄り添っている感じなのだ。そして明日美の瞼がはれぼったい。──明らかにこれはかなり泣いた後だ。
ヒカルは眉間に皺が寄るのを感じた。そして、あかりに視線で問うと首を横に振られる。どうやら心当たりがないらしい。
「明日美。大丈夫か?」
「…………」
一応。真っ先に声を掛けてみたものの案の定無言のままだ。何かあったのなら、仕方ないのかもしれない。取り敢えず、落ち着ける場所へと移動した方が良いだろう。
明日美が夜の時間帯に突然現れるなんてよっぽどだ。
「あかり。わざわざ、ここまで連れてきてくれたのか……サンキュな」
「ううん。偶然、道の途中で会ったんだけど、放っておけなくて。方向からヒカルの家に向かっているのかなってことだけはわかったから、一緒にきたの」
「そうだったのか……」
取り敢えず、母さんに事情を説明して明日美の自宅に連絡を入れてもらう。年頃の娘が夜に帰ってこないとか心配しまくるに決まっているからだ。
それから、いつものごとく自分の自室に明日美をあかりと一緒に誘導した。へたり込むように座ったのを見て、母さんが気を回して持ってきたホットミルクをそっと渡す。
あかりといえば、どこまでも心配そうな顔をしていたものの、「明日美ちゃんをお願いね、ヒカル」とだけ言い残して、自宅へ戻っていった。
無言のまま暫く時間がすぎる。しかし、ヒカルは長期戦の構えだった。恐らく何かがあって──予想ではプロ試験で何かあったのかもしれないと思っている──ヒカルの下に来たのだから、言いたいことがある筈なのだ。
じっとそのまま言葉を待っていた時だ。ポツリと明日美が呟いた。
「……私、悔しい」
見やると震える手とホットミルクに数滴雫が落ちたのが見えたが、ヒカルは見ないふりをして、尋ねた。
「プロ試験本選で負けたのか?」
「うん。けど、悔しいのはそれもあるけど、そうじゃなくて……」
「うん」
「私の碁を見てもらえなかった……!塔矢アキラは、私を通して『five』しか見ていない。それが悔しいッ」
「!……そうか」
「対局して、最初は違ったけど暫くして見る目が変わったのが分かった。それで、相手も本気になって……私も出来る限りの応戦して、本気で……本当に相手が塔矢アキラでも勝つつもりだった」
「うん」
「なのに、負けちゃった。せっかく、ヒカルに大切な時間を貰ってまで、教えて貰ったのに……悔しい。すっごく悔しいよ。対局が終わった途端、『キミはfiveを知っているのか?』なんだもん。全然、私の碁なんて眼中にないって感じでさ。本当は……皆が、強くなったことに驚いてくれていることとか、順調に勝っていることとか報告したかったのにな」
ここで明日美はよくやっていると言うのは違う気がした。かと言って『five』の件で謝るのも違う気がした。だからヒカルは正直な気持ちを伝えることにしたのだ。
「その悔しい気持ちは忘れるな」
「え?」
「悔しい気持ちは糧になる。碁の強さに対する貪欲さや飢餓感を忘れたらプロとして終わりだ」
「……うん」
「ただ、fiveの件ではこれからも迷惑をかけることになると思うんだ。今後、益々明日美の碁じゃなくてfiveという色眼鏡を通して見られる可能性もあるかと思……─」
「絶対にやめない。ヒカルに教えて貰える機会を、たかがこんなこと位で失うなんて考えられない!!」
ヒカルの言葉を遮って明日美は強く断言した。ヒカルはこの真っ直ぐさが明日美らしいなと苦笑しながら、明日美の頭をぐしゃっと軽く撫でた。
「ここが、踏ん張りどころだぞ。次の対局で引きずって負ける様なら、俺の弟子失格だからな」
「!……えっ。い、今」
明日美の目が大きく見開かれる。今にも涙がこぼれ落ちてしまいそうだ。そんな顔をしているのに少し笑えた。
「わ、笑わないでよ。だって、師匠にはならないって……弟子は取らないってあれだけ言ってたのに。本当に? 本当に本当に弟子だって認めてくれるの?」
「しつけーよ」
「だって……信じられない……!」
今度は嬉しさから涙腺が緩む姿を見て、ヒカルは内心で少し慌てた。そんなことくらいで泣くなよという感じだ。なので、意識を切り替えさせる様に厳しく告げる。
「けど、このプロ試験に落ちる様なら弟子って言うのもやっぱ無しな。弟子だったら、師匠の言うことはきくものだろ? 一回しか手助けはしないんだから、合格しろ。絶対に」
「うん」
「だから、いい加減、勝ち抜く覚悟決めろ。ブレるな。それ飲んだら一局だけ打ってやるから」
「ありがとう。ヒカル」
明日美はそれだけ静かに言うと、ぐっと一気に温くなったホットミルクを飲み干して、唇を拭った。
「落ち着くために一局お願いします、師匠」
「あァ。全く手のかかる弟子だな」
こうしてアクシデントはあったものの、その後の明日美のプロ試験は順調に進んだ。塔矢アキラにこそ、負けてしまったがその他の対局を何と全勝で10月にプロ試験の合格を見事決めたのだ。
この時の合格者は『奈瀬明日美』『塔矢アキラ』『真柴充』だ。ちなみに逆行前では『辻岡』が合格者だった。
明日美は凄く感激してしまって、ヒカルに何度もお礼をくどいほど伝えたし、喜び狂っていた。だから、ヒカルは何度もプロ試験はゴールではなくてスタートラインだと伝えなくてはならなかったというのは、今では笑い話である。
そうして、あかりと明日美。ヒカルの三人で合格祝いのパーティーを自宅で行った後、ヒカルの眼差しは酷く真剣なものとなっていた。
パソコンを立ち上げながら、思う。今度は──俺の番だと。いよいよ、11月から3月にかけてプロとの対局が始まる。予選──ファーストトーナメントが開催されるのだ。
ファーストトーナメントは約400人のプロ棋士の中から5人と対局をする。その5戦全てを勝てて初めて枠抜けになり、Cリーグへと進めるのだ。
ヒカルにとって負ける気は全くなかった。
◇◆◆◇
「えっ、これってどうなっているんだ?」
「なんだこれ、本当に?」
「こんなことってあるんですか?!」
3月のとある日、日本棋院は混乱を極めていた。なにせ、中学一年生の子供がプロ棋士をなぎ倒して5連勝を決めてしまった日だからだ。──アマチュアにも関わらず、棋聖戦Cリーグ入りが決まった瞬間である。
それも相手が低段者とはいえ、結果は全てが中押し。圧倒的なまでの実力を示していた。
が、結果を見た者たちはまず目を疑い、口々に信じられないと口走っている。しかし、これは現実。紛うことない現実なのだ。
この異例の事実にスポンサーたる新聞社は盛り上がった。いい話題になるとばかりにこの事実を取材し、報道したのだ。──『アマ本因坊 プロを倒して棋聖戦Cリーグ入り!』
また件の人物がビックマウスなのも、勝気な挑戦者ということでいい見出しになるとばかりに掲載された。それを読んだ者は、反応が二極化した。
面白いなと思い応援する者と、何なんだコイツはと眉をひそめる者に分かれたのだ。しかし、どちらにせよ通常のありふれた記事よりも興味や注目を集める結果となったのだ。
ちなみに、この話題は少しではあるものの、テレビでも報道され広まった。
そんな中。週刊碁がとある記事を大スクープとして掲載する。それは囲碁界に携わる全ての者にとって特大の衝撃をもたらした。
『大スクープ!"five"の正体がついに発覚?!』『狙うは棋聖。元々タイトルを奪うつもりだった?!』『アマ本因坊の秘めたる実力の裏側に迫る』『プロ全員に大胆不敵にも宣戦布告!』
阿鼻叫喚。直ぐに上へ下への大騒ぎとなった。その時の週刊碁は天野の訴えがあり大分増刷されていたものの、即完売。売って欲しいと要望の電話が殺到した。そのため、直ぐに印刷所へと更なる要請をしなければならなかった。
碁を嗜む一般人から、院生、プロに至るまで。そして、どこから聞きつけたか海外の人もこぞってこの記事を求めたのだ。
そして──進藤ヒカルが『five』であることが間違いないと理解するや否や、大混乱が起きた。
まだ中学生。それもアマチュアでこの強さは有り得ないとひたすら全否定する者。
『five』の正体に唖然とする者。棋聖戦がどうなるのか行方について語り合う者。
性格については随分と言及があったものの、これだけの強さなのだからと納得してしまう者が意外と多かったことは確かだった。無論、反発する者も相次いだ。大分、反感を買っている。
そして、肝心の棋聖たる一柳といえば、最初は余裕だったのだ。
「ヘェ、そんなこともあるんだねェ。いいんじゃないかい? 才能ある若者が囲碁界に来るって言うなら、大歓迎ってなものだ。そうだろう? 何より棋聖戦が盛り上がるってものだよ」などとペラペラ売店のおばちゃんに話せるくらいだった。
しかし、気を利かせた誰かが握り締めて駆け込んで来た週刊碁を目にした途端、顔色を一変させたのだ。
「な……っ。あの……『five』が、そんなことが……」
それだけを絞り出す様に発すると、ブルブルと体を震わせて大慌てでその場から立ち去ってしまったのだ。それからの一柳はというと、あれだけ大好きだった飲み会をひたすら断り、帰宅して家で過ごしているのだそうだ。
噂では、本当に棋聖の座が危ないと慌てて、本腰を入れて碁の勉強をしているのだとか。
ここまでは全て進藤ヒカルの思惑通りに進んでいたのだった。そうして──進藤ヒカルの話題で世間が騒がれている頃。ついに、4月からCリーグが開催される。
──Cリーグが開催されると同時に、その注目度の余り更なる混乱がもたらさせるとも知らずに。