逆行した進藤ヒカルが今度は悪役(仮)を目指すようです。【完結】 作:A。
ついにCリーグが始まる。その日、ヒカルはわざわざ、あかりに朝ごはんを作って貰っていて自宅で食べていた。
「わりーな、あかり。無理言ってメシ作って貰うとか」
「ううん、いいの。今日は大事な対局があるって言ってたし、少しでも力になれるなら」
「全く。愛しの彼女の手料理を食べて、向かうだなんて、とんだ贅沢者な息子だこと」
「か、彼女じゃねーって」
あかりは赤面している。ヒカルは母さんの茶化しをかわしつつ、ご飯を口に運ぶ。あかりは、ヒカルの好みの味付けを熟知していた。しょっぱさから甘さまで完璧に調節された味なのだ。
今日の朝ごはんの定食も、気合を入れるために事前に頼んでおいたは良いものの、どこの高級旅館の朝食だというレベルのものが出てきて、少し焦ったのは笑い話だ。
全てゆっくりと味わいながら完食し、あかりにお礼を言う。
「サンキュ。あかり、うまかった。これなら今日も調子は抜群だわ」
「そ、それなら良かった。ヒカル、頑張ってね」
「あァ。任せとけ」
そう言って、Cリーグが開催されるため日本棋院へと向かっていった。しかし、向かったものの予想外の光景が目の前に広がっていたのだ。
『fiveだ!』「本物? あの子が」「サイン下さーい」『five!』「キャーヒカル君頑張ってー!」『five!! 是非握手を!!』
日本棋院の前で、まさかの入り待ちが発生していたのである。男女混合の集団だ。それも海外の人も多く混じっているみたいなのだ。
驚きなのはそれだけではない、一部はオリジナルのウチワやら、鉢巻。応援幕まで用意している有様である。
一瞬、呆気にとられたヒカルだったものの、それらを無表情でスルーした。スルーしたにも関わらず、なぜかヒートアップしてキャーキャー言われたのは謎である。
尚、他の棋院に向かっている棋士たちの呆けた面は予想以上であり、ヒカルは吹き出しそうになるのを堪えるので精一杯だった。
そして、無事に入り口まで辿り着くと、そこには塔矢アキラが立っていた。しかし、目線は宙をさ迷い。どこか不安気なところが別人の様に感じられて、ヒカルは眉を寄せた。
「何? 何か用?」
「あ……ええっと、ごめん。僕のこと、覚えてるかな?」
「塔矢アキラだろ。覚えてる。ってか、こんな所でどうしたんだよ。お前、もしかして俺のこと待ってた訳?」
冗談で言ったにも関わらず、塔矢はこくりと頷いてみせた。
「ったく、暇人かよ。何の用?」
「用って程じゃないかもしれないけど、進藤君。キミに会いたかったんだ」
「進藤君~? 冗談だろ、塔矢。君付けとか似合わないっての、普通に呼べって」
「えっ、進藤って呼んでも良いの?」
「君付けよりかはマシだから。ってか、俺。これからCリーグなんだけど」
「あっ、大事な対局の前に呼び止めて、ごめん。一言だけでも応援する気持ちを伝えたくて。けど本当なら、僕も対局して貰いたいくらいなんだ。今日のキミの対局相手が本当に羨ましいよ」
「……お前、本当に塔矢か?」
「そうだけど……」
首を傾げる塔矢にヒカルは思う。こいつ誰だ? と、少なくとも塔矢はこんな感じではない。性格が違いすぎるような感じがしてどうにも違和感があった。
「お前さァ。今日の夕方くらいにでも時間ある?」
「えっ」
「別にないなら構わないけど……」
「あるっ、あります。絶対に行くよ!」
「む、無理すんなって」
「無理じゃないよ。本当に嬉しいんだ」
「そーかよ。物好きだな。ちょっと話そうぜ。そうだな……夕方の5時くらいに駅に集合な」
「うんっ。ありがとう、進藤」
「あァ。じゃあな」
そうして、ヒカルは塔矢と別れて対局場へと向かった。対局場へと向かい、確認してみると相手側の席に座っていたのは──芦原弘幸だ。
芦原はヒカルがやってくるのを見ると、へラッとした笑みを浮かべた。
「いやぁ、キミが進藤ヒカル君だね? 初めまして。にしても凄い人気っぷりだよね。外の応援団とか凄くってびっくりしちゃったよ。それに強いって凄い評判だし。あ、緊張してる?」
「…………」
気さくに声をかけてくる芦原だったが、それにヒカルは無言のままだ。真剣な眼差しで碁盤を見つめたまま、座って動かない。
「緊張するのも無理はないよ。プロだって緊張するのは当たり前の舞台なんだ。アマチュアがCリーグにくるなんて滅多にない快挙、凄い注目度だってみんな話しててさ」
「…………」
芦原はそこまで勢いよく話して、ヒカルが無言であるということに漸く気づいた様子だった。目をパチクリとして、今度は恐る恐る声をかけて来た。
「えっ。ど、どうしたの?」
そこでやっとヒカルが口を開いた。
「あのさァ。芦原さんて……─」
「え?」
「あ。やっぱいいや」
「えええっ」
しかし、何かを言いかけてそのまま辞めた。なぜなら、そのタイミングで記者達が対局場へとやってきたからだ。当然の様にヒカル達の周囲を陣取り、次々に挨拶を述べてくる。
それに対して、芦原は動揺したようだ。なにせこんなCリーグから注目を浴びて囲まれるということがないのだから。テレビカメラが一台。それとカメラを持った記者は四人も居るのである。
が、ヒカルはそうではなかった。慣れた様子で適当に挨拶をすると、今は対局前だからとインタビューを控えて貰う様に訴えかけ、そのまま座って盤面を眺めているのだ。
なぜかその段階で歴然とした差が出ている様にすら、芦原は感じられてしまったようである。今度はうって変わって萎縮してしまっている様子だ。
その様子をヒカルは無関心に眺めながら、ついに持ち時間3時間の対局が始まったのだった。
「お願いします」
「お願いします」
ヒカルは芦原が対局前の動揺がそのまま盤面に現れているのをつまらなく感じた。あれくらいのことで動じるなよと言ってやろうかと思ったくらいだ。
しかし、今は対局中。余計なことを気にかけることはするべきではない。
次々と脳内に浮かぶ、思考のままに手を進めていく。守りが薄い場所をドンドンと攻めてやれば、直ぐにこちらの陣地へとなっていく。
傾いた形勢は中々元には戻らない。それどころか、更に傾くばかりだ。芦原が焦り、逃げ道を求めるもそれは悪手だ。
気づいたときには、逃げ道などとっくに塞がれきっている。手遅れになっていた。
「ありません」
「ありがとうございました」
途端に周囲にフラッシュが激しく光った。芦原が頭を下げるのをみて、ヒカルはため息をついた。もう少し芦原が落ち着いていたなら、もっと違う対局内容になっていたと思うからだ。
仮にも芦原はプロだ。なにもこんな、自滅してしまったような酷い碁にはならなかったと思うのである。
しかし、そのため息に反応してなのか、芦原は途端にペラペラと喋りだしたのだ。
「い、いや。凄いよ、進藤君。凄い棋力って噂は間違いないんだね。アマチュアだからってことで少し油断したのもあったからさ。悔しいけど負けちゃったよ。塔矢先生とかもとっても君のことを気にしてたんだけど、本当に強いね。この間の研究会とか実は、色々あったりとかしてて。あ、ここの部分なんかさぁ……」
「芦原さん」
「え?」
ヒカルは静かに相手の名前を呼んだ。それだけで場が静まりかえったかの様に錯覚する。ヒカルは他にも対局をしている人が居るのを理解しているので、小声で。しかし、きっぱりと告げた。
「……ねぇ。ふざけてんの?」
「え?」
「あ。それとも、俺のことを馬鹿にしてんの?」
「え?」
キョトンと理解していない顔に益々苛立ちを感じてヒカルは深呼吸をしなくてはならなかった。記者が居るのは知っているが、それがどうしたというのだろうか?
対局前に感じたことそのままを直球にぶつけることにする。ちゃんとした対局をしたいが故に敢えて黙っていたのが無駄になってしまって、ヒカルは内心で悔しかった。
「あのさァ。ちょっと出よう。他にも対局している人がいるからさ」
「あ、あぁ」
そういいながら、二人は対局場を後にする。後で記者の人たちには別室でヒカルが話す約束をしたため、そのまま対局場に置いてきた。
誰もいない廊下で二人は改めて対峙する。ヒカルの真剣な眼差しに芦原はたじたじしていた。
「さっきも言ったけど、ふざけてんの? それとも馬鹿にしてんの?」
「え。いや、そんなことは無いよ」
「無い? それこそ冗談だろ」
ヒカルは思いっきり吐き捨てた。
「勝負の世界はいつだって真剣勝負なんだ。それをヘラヘラヘラヘラ。ヘラヘラするなら時と場所を考えろよ。マジで負けたときの言い訳とかいらないから。あと、悔しいとか微塵も思ってないこと口にするなよ。腹立つ」
「…………」
「はじめる前の段階で口にしなかったのは、動揺して碁に影響が出たら本気の芦原さんと対局できないと思っていたから。なのに、あんな無様な碁になるくらいだったら、最初っから指摘すれば良かった。記者がいるくらいで多少なりとも動揺するとか何なの?」
「…………」
「悔しがれよ、本当に。年下にこんなにボロクソに言われて悔しくないのかよ。対局で俺のことをボコボコにするとかって気概すらないのかよ」
「…………」
何を言っても只管無言のままの芦原にヒカルはため息をつくと、背を向けた。
「芦原さんとの対局、俺。楽しみにしてたのにな」
それだけを伝えて、去っていったのだった。
「……ごめん。俺、最初から諦めてたんだ」
小さな呟きは聞こえない振りをして。
そして、待たせていた記者との会話──先ほどの言葉の真意を問われるなどのアクシデントは少しあった──を終えると、ヒカルは棋院の人に呼び止められた。事務所に連れて行かれ、一室に通される。
そこでお茶を出されて、切り出された話題がヒカルにとっては驚きだった。
「えっ?! 俺のグッズ?」
「あぁ、実はそうなんです。出してみる気は無いですか?」
まさかのサイン入りの扇子や色紙。写真などのグッズ製作の提案だったのだ。