逆行した進藤ヒカルが今度は悪役(仮)を目指すようです。【完結】   作:A。

39 / 76
第三十八話

「漸く……か」

 

感慨深く呟く緒方に向かって、ヒカルはニヤリと笑ってみせた。

 

「ネットで約束した通り、対局しようよ緒方さん」

 

その言葉に挑発めいたニュアンスを含めているということをバッチリと受け取った緒方は、全力で乗っかり、口角を上げ獰猛な笑みを見せた。

 

「まさか、本当にfiveの正体がこんな子供だとはな……」

「fiveの正体とか今更だよね。というか、緒方さん。前にネットでの対局がお預けになった分、今回はつまらない対局にはしないでよね。せいぜい、俺のことを楽しませてくれないと」

「ぬかせ。進藤、お前こそ、そんな油断ばかりしていると、どうなっても知らんぞ」

「油断ん~? 何言ってんの? それくらいのハンデすらないと、俺があっという間に勝っちゃうじゃん」

「…………」

 

緒方の眉間に深い皺が寄る。大人げないというか、どこか挑発に直ぐ乗ってしまう単純さを持っている部分があるためか、うまい具合に地味に苛立っている様だ。

 

ヒカルは内心で順調な流れにホッとしていた。

 

Aリーグ優勝者は緒方 精次だ。しかし、会場に来た時から緊張感を漂わせ、はやる気持ちを抑えようとしているのが、ヒカルから見てもよくわかった。

 

対局では冷静さも大切な要素でもある。下手に気負っても気負わなくてもダメなのだ。いつもの自分のままで対局するというのは勝因にも大きく影響する。

 

緒方がいかにこの対局に対して大きな想いを抱いているのかは伝わってきたものの、せめて空回りしないように緊張感を解すくらいはした方が良いのではないかと思ったのだ。

 

そして、元々しようと思っていた軽い挑発をしてみると、これまた簡単に乗ってくる。更に少し突っつけば、抑えているもののイライラしている様子からして、溢れる感情を持て余していたのかもしれない。

 

それならば、簡単なことである。その持て余している感情の矛先をこちらに向けてしまえば良い。

 

そう考えてのやり取りだった。後は、もう少し言葉を交えてやれば緊張感がうまい具合になくなるに違いないとヒカルは考えた。

 

しかし、予想外だったのは緒方が拳を握り締めると意を決した様に話しかけてきたことだ。そこには、先ほどの苛立ちは見られなかった。

 

「おい、進藤。お前……一体何を考えている」

「何って? あー……まァ、楽して金儲け出来ないかなーとかは良く考えているけど」

「そうじゃない。そうではなく……」

「何?」

 

言葉の歯切れが悪い様子にヒカルが聞き返すも、答えは直ぐに返ってはこなかった。やや間を開けてから、緒方が口を開いたが、同時に様子を探る目が向けられる。

 

「お前の碁のことだ」

「碁がどうした訳?」

「俺は、fiveの名が世界に轟いている中、夢中になって研究した。その正体が明らかになった後も、対局した棋譜をネットで集めてはずっと見ていたんだ」

「ふーん。で?」

「だから、ずっと気になっていた。その生意気な言葉とは裏腹な、『真摯な碁』という部分にな」

「…………」

「この対局で見極めさせて貰うぞ」

「へぇ、緒方さん如きにそんな真似ができるの? てかさァ、対局中にそんな余裕が出来るとでも思ってんの?」

「如きかどうか存分に試してみるといい。それに、何も研究していたのは俺だけではないぞ。しらないだろうが、塔矢門下と森下門下……その壁すら超えて、一緒に協力してきたんだ。追い詰められるのは、進藤。お前の方だ」

「協力……ねェ。聞こえはいいけど、それってつまり、お手々つないで一緒に仲良くお勉強ってことだろ? どれだけ効果があるのやらって感じ」

 

最初の緊張はどうやらほぐれたらしい。それに、今では闘志をみなぎらせている様子だ。ちなみに、言葉では思いっきり馬鹿にしているものの、ヒカルとしてはまさかの門下を超えての協力体制にワクワクとした感情が溢れるのを感じた。

 

(そう! そうなんだよ! 俺が求めてたのはこういった熱い展開だった訳!)

 

一体、どれだけ自分の手を研究してくれたのだろうか? 一手一手に気持ちを込め、真剣に打っている分、それを見て貰えるというのは嬉しいものだ。

 

更にヒカルは『未来の定石』という大きなアドバンテージを持っている。それをおおっぴらに口にする気はないのだが、棋譜にはハッキリと現れているはずだ。それを別の棋士が学ぶことで、急速に囲碁の棋力アップが期待される。

 

今いる碁打ちの力量があがるというのは、ヒカルにとって願ってもないことだ。今まで悪役ロールをしてきた甲斐があるというものである。

 

ヒカルもこみ上げてくる気持ちのまま、全力で挑むことを決意した。両者とも、対局する前の前哨戦だと言わんばかりに言い合いを済ませると、そのまま時間となり対局へとなだれ込んだのだった。

 

 

◇◆◆◇

 

 

緒方 精次は自分が進藤ヒカルに対して言った言葉に対して全く嘘はなかった。ないからこそ、真正面から全力でぶつかる気であったし、勿論相手に勝つ気でいたのだ。

 

しかし、現在。こみ上げてくる冷や汗を拭うことすら出来なかった。それだけの余裕が欠片もなかったからだ。

 

──少しでも気を抜くと、あっという間にのまれてしまう。そんな緊迫感の真っ只中にあったのだ。

 

相手の気迫にのまれるなんて、棋士として以ての外である。それも仮にプロになりたての初段ならまだしも、緒方はとっくにそんな時期は通り越していた。

 

なのに、だ。体に伝わってくる圧倒的なまでの──鬼気迫ると例えた方が適切だろう──迫力。また、未だに伸び代があったとでも言うつもりか?! と叫びたくなる程の測りきれなかった成長率と隠されていた真の実力。

 

単に今までは強いだけだと思っていたのだ。それが、一体どうしたというのか?

 

ここに来て、また成長する様子をみせているのだから、たまったものではない。緒方としては、これ以上強くなるつもりなのかと絶叫して胸ぐらを引っつかんで問いただしたい衝動に駆られる。

 

といっても、これが進藤であるならば「はァ? より強さを求めるのは当然ですが、何か?」とでも返ってきそうでより苛立ちが増すだけだ。

 

ただ、思う。どこまで碁に対して貪欲になれば、ここまでの実力を有しておきながら、慢心することなく更に上を──高みを目指せるとでもいうのだろうか? と。

 

進藤ヒカルを改めて見てみる。

 

こちらに立ち向かってくる様子は、先ほどまでのふざけたやり取りでみせた、油断など欠片も存在しなかった。どこまでも、真剣であったし、全く隙が見当たらない。

 

打てば打つほどに、まるで自分の弱さが露呈するかのようだ。緒方は唾をゴクリと飲み干した。

 

それだけ進藤は大きな壁そのものだ。確かに自分の頭で考え、この場所でいいと判断し、打つ。なのに、それをいともあっさりと「えー、ホントにそこで良い訳? 俺、既に読んでいたんだけど」と言わんばかりに、的確に──それも憎らしい程に効果的に打ち返してくるのだ。

 

どんな隙すらも作らず、こちらの隙を見逃さず、時には罠まで仕掛けて誘導される始末。完璧な対処ばかりされては、本当にこの場所に打つことが正しいのだろうか? とまで、考えてしまい、緒方は頭を振った。

 

進藤に打たれてから思ってしまうのだ。──この手こそが、正しい真の一手だと。

 

緒方にも今までに培ってきた高いプライドというものがある。意地でも負ける気はなかったし、例え勝てずとも思わず唸らせる位の実力を見せ付けるつもりだったのだ。

 

しかし、蓋を開けてみたらどうだろうか?

 

まるで自分が初段にでもなってしまったかのように、進藤ヒカルという大きな存在に圧倒されているばかりだのだ。

 

今まで研究をした。してきた……筈だ。二つの門下が異例とも言える協力体制で、時間も人をも費やした。新手に注目しては議論が白熱し、時には寝食すら忘れるくらいに必死になって棋譜を勉強したのだ。

 

泊まり込みの日数なんて、数えるだけ無駄な程に。

 

それらは全く無意味なんかではない。現に、最初の方は、相手の思惑が理解出来る部分すらあったのだ。それで、少しでも対抗出来ると考えてしまったのが悪かったのだろうか?

 

(ぐ……っ。くそっ。痛い場所に打たれた)

 

緒方は歯を食いしばって、攻めを耐えしのぐ。そして、ふと気づく。研究出来ていたと思っていたことこそが己の慢心であったことに。

 

恐らく全然、研究が及んでいなかったのだ。緒方にとって予想外だったのは進藤の成長率だったのかもしれない。が、話は根本的にそこではない。

 

こんな対局になってしまったのは単純明白。進藤ヒカルには、もっと秘めたる実力があっただけなのだ。

 

そのことに理解が及んでしまい、緒方は愕然とした。

 

今までは、対抗できる相手ではなかったからこその、あの棋譜だということに気づいてしまったのだ。未だ、進藤ヒカルという存在の『本気』に相対出来る人物が存在していなかったということに。

 

緒方はだからこそ、あんなふざけた態度や口調だったのかと納得すると共に、意地でも本気を出させてやろうと拳を握りしめた。

 

現在の状況を見ても、ここからの逆転は難しいと言わざるを得ない。しかし、欠片でもチャンスがある以上、諦める真似は絶対にしたくなかった。

 

例え、負けたとしても無様な碁にはしたくない。差を少しでも縮めて、これが緒方精次の碁だと堂々と主張してみせる。本気にならないと勝てない相手だと進藤ヒカルに思い知らせてやる!

 

そういう強い思いが緒方を突き動かした。進藤の気迫を撥ね退け、食らいついていく。しかし、進藤も単に受けているだけではない。力碁ではねのけるだけではなく、更に攻めていく姿勢をみせている。

 

そうして結果は、緒方の負けで終局をみせた。しかし緒方は対局が終わりを見せたことで、我に返り、微妙に現実を受け止められないでいた。

 

(あれが……あれで、アマチュア? 馬鹿な、どこまでもふざけている。そんなことがあっていいとでもいうつもりか?)

 

緒方は座ったままその場から動けないでいる。そんな中、進藤だけが無駄に爽やかそうに、しかもスッキリとした顔をしていたのだった。

 

「まァまァ、楽しめたかな? 研究研究言ってたけど、全然俺のこと勉強不足だったね」

「…………」

 

進藤ヒカルを見極めるつもりが、対局で知ってしまった事実により、更に悩むことになるハメに陥った。緒方は暫くの間、呆然としたままだ。

 

こうして、進藤ヒカルは挑戦者決定のためのパラマストーナメントを勝ち進む。次に対戦することになったS準優勝者の座間王座との対局では、「プロを舐めるのも大概にしろ。お前はここで終わりだ」という座間王座の啖呵にも平気な顔をし──挑発というよりも余程反応が楽しかったのか言葉でかなりおちょくりながら──勝利を得ていた。

 

世間が誰も予想していなかった境地に進藤ヒカルはたどり着いていた。否、もしくは世間の誰しもが到達して欲しいと思っていた場所かもしれない。

 

──Sリーグ優勝者 塔矢行洋

 

ついに、アマチュアに過ぎない進藤ヒカルが、棋聖戦にて名人との対局までたどり着いたのだ。世界の進藤ヒカルに対する注目はピークを迎えていたのだった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。