逆行した進藤ヒカルが今度は悪役(仮)を目指すようです。【完結】 作:A。
「一つ問いたい。君は一体何者なんだ?」
塔矢行洋が進藤ヒカルに静かに問う。ヒカルはニヤリと笑ってみせると堂々と返答してみせた。
「さァね。それは俺もよくわかんない。だけど、どうしてもやりたいことがあるんだ」
◇◆◆◇
「つ、ついにだな……とうとう始まるのか……」
「待ってくれ、手が震えてリモコンのボタンがだな」
「ばっか! 何やってんだ。貸してみろっての」
「あのクソガキが、やってくれるじゃねぇか、オイ!!」
「たく。プロじゃなくて、アマでタイトル戦に突入するとか一体誰が予想出来ると思っていやがる。あの言葉で気づけって方が無理だぜ。……これだからクソガキは」
「いいから、チャンネルぅうう!」
この時、『囲碁さろん』では、進藤ヒカルVS塔矢行洋の対局を皆でテレビで観戦しようと、常連客共が店を貸し切り勢ぞろいしていた。
図体のデカイ、それもいい年をこいたムサイ野郎が揃いも揃って雁首を揃えている状態だ。しかし、テレビ──皆で見られるように持ち込んだデカイやつだというのに──の前で一番良く見える場所を陣取ろうとしているため、ギュウギュウと押し合いへし合いをしていた。
そして、口々にクソガキ──ヒカルのことについて口にした。今まで何度も対局してきた思い出話。予想外の展開にしてくれて、盛大にやられたと感じているという旨。クソガキはどこまで行ってもクソガキだったという話。
そこにいる皆は、口々にクソガキの話題に相槌を打っては同意し、盛大に笑いあった。話は盛り上がり、熱気が既に囲碁さろんの中に満ちているくらいだ。
しかし、それくらいはしないとダメなのだった。なにせ、そうでもしないととてもじゃないが落ち着かない。ソワソワしてしまう。
何度も何度も店の時計に目を移すも、無駄にゆっくりと針を動かしているとしか思えなかった。
それだけ、楽しみであり、どうやっても待ちきれない夢の対局だったのだ。中には昨夜、ろくに眠れなかったのか目を赤くしている人物もチラホラみられていた。
詰めかけているどの大人たちも目をキラキラと輝かせて、顔を興奮と熱気で紅潮させつつも、これからの対局を待ち望んでいる様子だ。
そんな光景を見て、ダケと三谷は苦笑いを浮かべた。
「全く、どいつもこいつも落ち着きがありゃしねェ」
「まァ、あの進藤がついにここまで勝ち進むってなったんだ。仕方ないんじゃないか?」
「そりゃ、な。どいつもこいつも、自分のガキや孫が対局するくらいの気でいやがる」
「ハハハ。そーだな」
『囲碁さろん』でちょくちょく対局するというのは、棋聖のタイトルへ挑戦することになっても変わらなかった。
その度に、周囲はクソガキと呼びつつも、来るたびに対局は盛り上がりをみせた。クソガキとの対局権をかけて、内輪で『囲碁さろんトーナメント』を開催して、棋力をぶつけ合ったりもしたのだ。
その日々はとても濃かったのだが、その分楽しい思い出で満ちていた。
そんな『囲碁さろん』の中心的人物であるクソガキこと、進藤ヒカルがついに大一番、塔矢名人と対局する。皆が、興奮しない訳がなかった。
誰もがクソガキに期待を寄せていて、このまま棋聖戦の挑戦者にまで勝ち上がって欲しいと願っているのだ。そして、ゆくゆくは前人未到のアマチュアなのに棋聖のタイトルホルダーになって欲しいと思っている。
いつからかあったカンパの缶には先ほどからひっきりなしにお札や小銭を詰め込まれていて、忙しそうであった。
この様に室内のざわめきは賑やかなままだったものの、突然一人が叫ぶ。
「あ、ついに始まる!!」
途端、先ほどとは一転して場が静まり返る。物音一つしない空間の中、いよいよ二人の対局が始まろうとしていたのだった。
◇◆◆◇
明日美は院生仲間と何故か混じっている塔矢アキラと共に、本日は特別開放されている院生の対局室にスタンバイしていた。
対局がちょうど始まると静寂の中、皆が中継されているテレビモニターを凝視する。今回は、テレビ中継されているだけではない。実はfiveのファンである海外勢から要望が殺到したため、リアルタイムでネット中継までされているのだ。
それだけ、その注目度が半端ではないことが分かる。
ひたすら両手を組んで祈りながらモニターを凝視する明日美と違い、塔矢アキラは意外なことに周囲の院生陣と一緒に色々と感想を述べながら見ているようだった。
「……やっぱり凄い。どうやったらこんな手を思いつくんだ?」
伊角が唸るようにして呟けば、和谷がすかさず興奮しながら同意する。
「だろ! だろ! やっぱりfiveはスゲーんだって」
「しかし、感心しているだけではダメだろう。打った場所の狙いだけでも最初に理解出来る様にならなくては、とてもじゃないが彼には届かない」
どこまでも冷静に意見を述べる塔矢に和谷は全力で不服そうな顔をみせている。
「けっ、んなの分かってるっての。だけど、段違いで強いのは間違いないって。このままだと、本当に名人が倒されるかも」
「父さんはそう簡単には負けたりはしない。ただ、本当に進藤ならやってのけるかもしれない……」
そこまで塔矢が言った時、急に場がざわめいた。進藤が打ち、盤面が大きな動きをみせたのだ。
「信じられない、今のを見たか?」「どんな頭してんだ」「そこまで見えているとでもいう気か?!」
様々な声が飛び交う中、塔矢アキラは大きく目を見開いた。そして震える声で、指摘するのだ。
「お父さんの僅かな癖までもが読まれてる!」
「「え」」
「名人に癖なんてあったか?」「初めてきいたけど……」
そんな戸惑いが聞こえてくるものの、塔矢は真剣にモニター画面を見つめたままだ。和谷がすかさず、塔矢の肩を掴み、揺さぶって問いかける。
「おい! 一体どういうことだよ?」
「言葉の通り、そのままだよ。棋士にそれぞれ棋風があるように、お父さんにも少し打ち方の癖……みたいなものがある。分かる人にしか分からないと思うんだけど、その考え方の癖までも進藤は理解していて、読んでいるんだと思う」
「はァ?! そんなことがあるのかよ。けど、棋譜を深く研究すればわからなくもない、か?」
「それは難しいと思う」
「?」
「こればかりは直接対峙して、対局してみないと分からないと思うし、分からない部分だと思うんだ。それこそ、何度も何度も対局しない限りは。確かに棋譜にも多少は現れるかもしれないけど、そこから読み取るなんて真似ができるとは到底……」
「けど、出来てんじゃん」
「そう……間違いなくできている……」
「ま、それだけfiveの実力があるってことだろ」
頷いて満足そうな表情を見せる和谷と微妙に納得が出来ないという表情の塔矢。そんな中、明日美がポツリと言葉をこぼした。
「確かにヒカルって不思議なところあるのよね。何か知らないけど、こっちを良く知っている感じで接してくるっていうか。いや、その読みは実際に正しいんだろうけど、日常生活でも読みが鋭いからあんな手を思いつくのかな?」
「そんなんで、あんな手が思いつくなら俺だって幾らでも鋭くなってみせるさ」
「だよね」
伊角がその言葉に冗談で返す。事実、どれだけ焦がれても焦がれても得られない領域という印象だったのだ。
「あっ、名人が投了した!」
「マジで名人が負けた。嘘だろ……」
「信じられない……進藤って何者」
「アマチュアが名人に勝つって何なんだ……」
名人が投了したことで、ついに大騒ぎになった。恐らく各地のあちらこちらで阿鼻叫喚が巻き起こっているだろう。
この場所だけでも、とんだカオスに陥っていた。
尚、挑戦者決定のパラマストーナメントでは、Sリーグ優勝者の塔矢名人が1勝しているという前提ルールのもとで、先に2勝先取した方が勝ちという内容なのだ。
つまり名人が有利。それが、どうしたことだろう。激闘の末、進藤ヒカルが勝利を得た。これで互いに一勝の状態。あと一回の対局で全てが決まる。
周囲は叫んだり頭を抱えたりしながらも、この状況が囲碁界に大きな波をもたらすことを確信していた。現段階で、こんなにも振り回されているのだ。
良くも悪くも大きな影響を食らいまくっている。あと一局。あと一局。ひとしきり、騒ぎまくって場が少し落ち着くと段々元の様に人がモニター前に戻ってきた。
あまりに目が離せない対局だった。まさに頂上決戦と例えたとしても過言ではなく、進藤ヒカルの性格や言動は別として実力は皆が皆、認めざるを得ない状況だった。
『これは……実質決勝戦だ』
誰が言いだしたのかは分からない。しかし、その言葉は瞬く間に広まっていった。棋聖戦の挑戦者を決めるための戦いのハズが、あまりの対局の凄さから、最終決戦扱いされていたのだ。
◇◆◆◇
世界が、日本が、棋士が、院生が、碁打ち達が、進藤ヒカルVS塔矢行洋の対局に注目している。テレビに或いはパソコンにかじりついて行方を見守っている中。
肝心の一柳棋聖は──誰もが予想しない事態に陥っていたのだった。
一柳の部屋の中、無音のままのテレビ画面が光っている。そこには終局の様子が映っており、進藤ヒカルの勝利があった。結局、彼は2連勝してみせたのだ。
画面が切り替わり、塔矢名人と進藤ヒカルが握手をしている映像が流れている。
今日のニュースでは盛んに名人を下し、棋聖戦の挑戦者が何と中学生のアマチュアに決定したことが報道されるだろう。明日の新聞も賑やかになるに違いない。
しかし、この一柳の部屋の中だけは不気味なまでの沈黙が満ちていたのだった。
そう──他でもない棋聖というタイトルを持っている一柳は布団に潜って顔面が蒼白のまま、ガタガタと震え切っていたのである。
いよいよ最終回が近づいてきました。あと少しです。スローペースですが、本当にラストの完結まで行ける様に頑張りたいです。